冥道

夢人

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昇華1

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「最近生き生きしているわよ」
 ママに声をかけられて顔を上げる。ビールを飲みながら投資会社の原案を読んでいる。これは顧問が持ってきたアメリカの投資会社の実例だ。顧問は早くこの会社からの転職組の持ち場を決めるように言われている。何度も調整をして予定の20人の中から5人の辞退者を埋めるべく面接をした。ようやく18人が決まった。本社に知られず極秘に行うので余計に時間がかかった。だが前向きな苦労は心が弾む。
「最近は君を見つけ辛くなったのよ」
 聖子の姿がいつもより薄くなっている。
「どうしてだよ?」
「きっと君の中の絶望が薄まっているのだと思うわ。私は絶望の細い径を通って君にたどり着いているのよ」
「私が絶望から抜け出してしまうと聖子にもう会えなくなるのか?」
「それは分からないわ」
 聖子は居酒屋の私の定席の前に座っている。
「次はミーと会いたいわ」
「まさか見ていた?」
「いいえ、君の中の残像を見た。とても気持ちよさそうな顔をしていたわよ。私もあの獄で同じようなセックスを強要されたけど、私はセックスは喜びではなく苦痛でしかなかったわ」
 思い出したのか顔が歪んでいる。
「君が来れやすくするには私はどうすれば?」
「ありのまましかないわ」
 ありのままか。だが確かに私は絶望の中にいた。ここで自殺をした社員と紙一重の位置にいた。もし聖子が現れなかったら私も自殺していたかもしれない。
「かも知れないわ。私も獄に入れられて3か月目に死という逃げ道に踏み込んだ。あまりもの苦痛に死の方が楽だと思った」
「なぜ拘束されていたのだ?」
「元々初めてイランに入ったのはあの男のルートの集団で、その頃はイランでは一番有名な反政府集団だった。でも入って見て知ったのはそういう集団が至る所にできていて微妙に主張が違うの。それでこの集団に襲われて囚われた」
「あの男も?」
「ええ、でもあの男は仲間を裏切った。進んで私達が密偵であると」
「そんなことがあるの?」
「どの集団も密偵を送っていた時であの男はそれを巧みに使ったのよ。自白を迫られても私達は自白のしようもなかったの」
 その時に聖子が急に歪んだ。
「もう寝た方がいいわよ」
 肩を揺すっていたのはママだ。居酒屋にはもう客は誰もいなくママもエプロンを外して入口のシャターも閉まっている。



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