出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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後編

4 足跡

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 盆踊りの片付けのため、愛子を家に送ると、大作はすぐに会場へ戻らなければならなかった。

「愛子さん。今日はどうもありがとう」
「いえ……私も嬉しくて」 

 波の音が良く聞こえる。二人は早く過ぎ去ってしまう時間を永遠のものにしたいと思い始めているのであった。
 心臓の音が聞こえてしまうのではないか。大作は、もう一度愛子の小さくて白い手を握りたいと思ったが、見えない力に引っ張られ「では」と言って愛子に背を向けた。

 暖かい感触。愛子の手が、去っていく大作の手を掴んだのだ。

 虚を突かれた大作が振り返ると、申し訳なさそうな愛子の顔が近くにあった。
 時は永遠に。そんな願いなど叶う訳がないと分っていながらも、愛子は思わず手を伸ばしてしまったのだ。

「ご、ごめんなさい……」

 愛子がゆっくりと手を放す。彼女の顔は夜の暗闇のなかでもはっきりと分かるくらい、赤く染まっていた。

「い、いえ」

 赤いのは大作も同じであった。

「で、では!」

 声が裏返った。大作は恥と嬉しさがまじりあった感情を抱え、夜の砂浜を歩いていく。心は軽く、どこかへ飛んでいけそうなくらいであった。

 

 会場に戻ると、提灯ちょうちんの火も消え、すでに櫓やぐらの解体作業も終わっていたため、ほとんど人が残っていなかった。

 祭りの後。先ほどまで賑やかだったはずなのに、もう閑散とした寂しさが漂ってしまっている。大作は、目を閉じると、遠くから賑やかな音頭が聞こえてくるような気がした。
 町内会長と話をしている坂田を見つけた大作は、二人のもとへ向かおうとしたとき、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 そこに居たのは昌子であった。

「えらく別嬪なお方ですね」 

 突然の言葉に、大作は何のことだかわからずにいたが、昌子が見るからに不機嫌であることはすぐに察した。
 昌子は今日も真っ赤な口紅を塗っていて、つばの大きな西洋風の洒落た帽子を被っている。

「はあ……」

 大作の反応などお構いなしに、昌子はポケットから煙草を取り出すと、火をつけてすぐに坂田たちのいる方向へ歩いて行ってしまった。まるで大作なんか見えていないように。



 その後、噂の一部はどうやら本当だったらしく、大作は次回の収穫祭にて指揮を執るようになった。商店街、漁師、企画、準備、運用、資金。すべての間にはいって折り合いをつけなくてはならず、骨の折れる毎日が続くが、坂田をはじめ、地元のみんなの助けもあり、順調に業務をこなしていった。

 だが、どうしても資金の面で調整がつかなくなってしまったのだ。

 大作は、坂田に紹介された銀行から金を借りるために遠出をしていた帰り、思いのほか早く用事が済んだため、大作は愛子の家に寄っていこうと、車の運転手に浜へ行ってくれと伝えた。

 最近は風も冷たくなってきた。

 砂浜に着くと、珍しく愛子が家の外に出ていた。すぐ後ろには女中がいたけれど、どうしたものかと大作は彼女のもとに駆け寄っていく。

「今日はどうしたんだい?」

 突然の大作の訪問に、彼女は伏し目になって笑った。

「つい嬉しくって」

 愛子の足には、先日大作がプレゼントした白いブーツがあった。

「家の中では履けませんので」
「だって君の家は西洋風じゃないか」
「それでも、お天道様にも見てもらいたくって」

 愛らしい彼女の考えに、大作はつい笑ってしまった。

「少し散歩をしないかい?」
「あら。よろしいの?」
「もちろんだよ」
「でもお仕事帰りでしょう? お荷物も大変」
「これくらい大丈夫さ」

 大作は女中に散歩を伝えると、愛子の手を握って少しだけ浜辺を歩くことにした。

 大作が手を差し出すと、愛子はその手をしっかりと握りしめる。ゆっくりと浜辺を歩く二人。

「目は大丈夫かい?」
「ええ。とっても良いの。よく見えるわけじゃないけれど、なんとか維持できてるみたい」
「それは良かった。愛子には、熱海の町をずっと一緒に見ていきたいからね」

 大作さんのおかげです、と愛子は答えた。

 二人分の足跡が砂の上に残り、どんどん長くなっていく。会話はいつしかなくなり、ただ沈黙に微笑むだけの時間となったとき、大作がふと立ち止まった。
 愛子が大作の肩に寄りかかる。大作も愛子の手を握る手に力を少しだけ込めた。

 どれくらい波の音を聞いていたのだろうか。どれくらい虫たちの声を聞いていたのだろうか。

「愛子さん」
「はい」
「僕と一緒になってくれませんか?」
「……はい」

 熱海の町で出会った二人は、愛という底なしの穴に落ちていく。
 海を眺める二人に、それ以上の会話はなかった。なくても通じる言葉がある。なくても通じる愛情がある。
 歩いてきた足跡は薄くなるけれど、これから続く未来への歩むべき足跡がはっきりと見えてくる。

「この間のように、一緒に収穫祭へ行かないか?」
「ぜひに」

 二人は初めて一つになったのだ。



 
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