出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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後編

12 終幕

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 大西の体はすでにボロボロになっていた。

 それでも果敢に攻めくる。目指すは真太郎だ。だが、その都度、雄一に投げ飛ばされるばかり。いつしか腕は折れ、足からは血が流れていた。

 雄一も息があがる。

「もういいだろう……俺だって疲れるんだ」

 だが、魔王は立ち上がる。左腕は力なく下がったまま、足を引きずる動作には、さすがの雄一も遠慮がちになってしまう。

「逃がすものか……やっと掴みかけた幸せを。何十年と身動きのできない世界に閉じ込められた退屈を、お前らにわかってたまるか」

 手負いの魔王には、すでに力は残っていない。それでも果敢に突撃を繰り返す大西。

「おい! 青年。まだ終わらないのかい?」

 真太郎が手を合わせてどれくらい時間が経ったのだろうか。風は相変わらず吹いている。雄一も体力の限界に近いのに、大西はというと、老婆の霊に支配された操り人形のためか、攻めの姿勢を止めないのだ。

 大西が地面に顔をぶつけて何度目になるのか。ついに大西はすぐに立ち上がらず、動かなくなってしまった。

「終わったのか……」

 両手が痺れ、足や腰に重たい疲れがやってきた。安堵のせいで集中で切れたのだろうか。

 しかし、魔王はその隙を見逃さなかった。

「あははははは!」

 大西にとり憑いた老婆。しゃがれた笑い声が雄一を強張らせる。

「ついに頭までおかしくなったのか……」

 その笑い声雄一は不安を隠せなかった。腕が折れ、立ち上がることさえ出来ないはずなのに。生身の人間なら、痛みに耐えかねて気絶さえするレベルなのだろう。
 だが、大西は笑っている。この状況下で余裕さえ感じるその笑みに、雄一は身が凍るように、背筋を這う氷の蛇を感じたのだ。

「な、何が可笑しい? 頭を強く打ちすぎたのか?」

 虚構だ。言った本人である雄一が一番わかっている。大西は何かを企んでいるのだと。

 そして、雄一は気が付いた。大西のすぐ後ろ。少女や柏木たちを飲み込んだ黒い渦のあった場所に、例の生首がいることに。

「うしろ……うしろ……」

 背筋の冷たい感触。雄一がとっさに振り返ってみると、すぐ後ろには自分を襲ったあの老婆が立っていたのだ。

「うわ!」

 老婆の振り下ろした鎌を寸での所で避けると、大楠木の根っこに足を取られ、雄一は城持ちを着いてしまった。
 次の攻撃を避けなければと、すぐに体制を整えるのだが、不思議と老婆はそこに突っ立ったまま。

「残念だったね。もう少しだったのに……」

 顎が外れているのだろうか、大西の声はひどく聞き取りにくいものであった。

 立ち上がった雄一のすぐ後ろには、今度は老婆ではなく、柏木が見たサラリーマンの中年の男が立っていた。世の中に恨みを残して自殺した男。
 すると、雄一の頭上からロープが垂れ落ちてきたではないか。それは、見事に雄一の首に収まった。じりじりと締め上げられていく雄一。

「うう……」

 首が圧迫され、声が上手く出ない。視界の端に、目を閉じ手を合わせる真太郎が映る。

(青年……今度こそやばいかもしれない)

 そして、目の前の老婆は、ゆっくりと鎌を振りかざし、一歩一歩近づいてくる。その間も、大西の笑い声が大きくなっていき、ついには足が地面から離れてしまった。

「これで多少は静かになるだろう」

 老婆の鎌は、自分めがけて一直線に振り下ろされた。

 この世界で目覚め、初めて老婆と出会った時と同じ光景だ。今回もまた、何もできずその攻撃を受けてしまうのだろうか。あの激痛に、再び苦しめられてしまうのだろうか。

 雄一は老婆の鎌から目を話すことができず、コマ送りになる視界でそのようなことを考えていた。

 だが、老婆の鎌は空中で止まった。

――青年!

 ぼやけた視界で見えた光景は、老婆の振り下ろした鎌を両手で受け止めた、駄菓子屋の青年の姿であった。

 腕に鎌が食い込んでいく。計り知れない力に、青年も苦悶の表情を浮かべいた。そして、一瞬の隙を見つけて、老婆の腹を思い切り蹴飛ばしてしまった。

 よろめく老婆。真太郎はまだ浅く食い込んだ鎌を腕から引っこ抜くと、それで首を縛る縄を切ってくれた。

「ゲホゲホゲホ……」
「全部終わりましたよ。これで……」

 老婆が消えていく。生首、首吊りの男も、霧になって。残すは大西のみ。彼の体は発光し、微かな光に包まれていく。

 真太郎が地面に鎌を放り投げる。カランと乾いた音がした。
 これで終わった。供養を終えることができたのだ。



 柏木は必死になって身をよじってみたけれど、のしかかる影たちからは少しでも抜けることが出来そうになかった。

 挑発し、なんとか美琴から手を離させたのだけれども、怒りをあらわにして小さな仕込み刀を取り出した人形は、すぐ目の前まで来ていたのだ。

 気が付けば、対抗することさえあきらめていた。

「やはり私は死んでいたのだな。最後に美琴の顔が見れただけでよかった」

 愛娘が父に向かって叫びかけている。その声には涙も含まれていた。必死に呼びかける美琴の声は、柏木には聞こえない。聞こえているのだけれど、聞こえないふりをしている。

「美琴。元気でね」

 からくり人形の刃が柏木の唇を突いた。鋭利な切っ先は、そのまま柏木の唇を小さく切り裂き、赤い大小の血の玉が数個できた。 

 不思議と痛みは感じなかった。柏木は雄一と真太郎の顔を思い出してみた。そして、美琴の顔をちらと見る。 

 ひとりぼっちじゃ運命なんて変えられない。
(私は運命を変えることが出来たぞ。君たちのおかげで……)

 
 すべてを受け入れた。しかしその時――からくり人形の動きが止まる。どうしてか、食い込んだ刃の先端が目映い光となって消えていくではないか。

「ど、どうして……」

 からくり人形は文字通り霧になって大気中へ。空気の中へ溶けていく。

「うわああああ!」

 そして消滅した。同時に、柏木の体が軽くなる。

「お父さん!」

 美琴も例の椅子から解放されたようで、真っ先に父の元へ駆けて行った。

「美琴?」

 からくり人形にやられた唇から血が流れているが、浅い傷のようで量も少ない。

「お父さん」
「美琴。今まで……」

 美琴が首を横に振る。それを見て柏木が優しく微笑んだ。

 今までごめんね。ありがとう。

 美琴が差し出した手を掴んで、柏木が起き上がる。

「さあ、帰ろうか」
「うん」

 柏木は美琴の手をしっかりと掴み、からくり人形を追いかけてきた道を引き返していった。

 温かい手をお互いに感じ、父と娘の後姿は、誰にも侵しがたい神聖なもののように映っていた。



 真太郎の目の前に、再び黒い渦が現れた。一応は身構えたものの、そこから出てきたのは美琴を連れた柏木だった。

「切れていますよ」真太郎が柏木の口を指さして言った
「ああ……。君も腕を怪我してるじゃないか」

 どうってことないですと真太郎は言うと、柏木から目を背けた。彼の隣にいる少女。あの日。真太郎は思い出した。供養式にぶつかったあの少女だ。

「さて……残すはあいつだけか」

 雄一は首をさすりながら、戻ってきた柏木の肩をポンと叩いてみせた。

 真太郎、雄一、柏木、そして美琴の四人は、地面にひれ伏す大西と対峙する。微かな光に包まれていく大西は、まだ信じられないような顔をして、ポツンと腰を抜かしているようであった。

「嘘だ……。やっと掴みかえた幸せを。お前たちみたいな若輩者に……」

 掛け軸の怨霊。長い間狭く窮屈な掛け軸に閉じ込められた彼女が、ついに見つけたユートピア。あと僅かで完全に手に入れることが出来るというところで、その夢は破れた。この霊もまた、可哀想な霊なのかもしれない。

「嫌だ! あの世界に戻るのは!」

 泣きわめく大西に、真太郎が手を合わせた。

「大丈夫。ちゃんと供養してあげたんだから」

 もう苦しまなくていいんだからね。

 大西は悲鳴を上げて、徐々に強くなる光に包まれていった。やがて世界は光に包まれ、大西はその場に倒れ込んでしまった。



 熱海の海岸沿いには、大作と愛子が二人で並んで、四人の帰りを待っていた。

 美琴が持っていたピンクの巾着袋。巡り巡って様々な人や霊の手に渡ったが、最終的には美琴から愛子へ返された。

「どうもありがとう」

 帰るべき場所に帰った義眼。大作と愛子は、まるでわが子を抱くような顔をして、優しい笑顔でそれを迎えいれてやった。

「皆様には、大変はご迷惑をおかけしてしまいました。これで終わりです」

 物語は終わりを迎えた。勇者たちは見事に魔王を倒し、この世界の平和を取り戻したのだ。

「この世界は妻の憧れの世界。いつか見ようと約束した熱海の世界なのです」

 できればずっとここに居たかった。
 だが、平和は永遠ではない。始まりがあるものには必ず終わりはある。たとえそれが幽霊であっても。

「本当に良かったのですね」

 真太郎の切れ長い眼差しを、大作はニコッと笑顔で受け止めた。

「もちろんですよ」

 この世界で行った供養式。それはもちろん大作と愛子も供養の対象であったのだ。

 二人は手を取り合う。いつしかこの海岸で寄り添ったあの日。世界は光を取り戻し、綺麗な夕焼けに反射して、二人は輝いて見えた。

 そして消えていった。



 
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