歌う小鳥と魔獣騎士 ~いらないと言われた私が幸せになるまで~

春志乃

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第1話 とっさに広げた翼

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「……留学生の受け入れ、ですか?」

「ええ。そうよ。わたくしの妹の旦那様のお姉様の息子さんよ」

 クラリスの目の前でミランダ・ハンナ・ゴズホーク・アシュリーは、にんまりと縦長の瞳孔を持つ目を細めた。
 彼女は、この家の女主人、つまりアシュリー伯爵夫人だ。クラリスの父親の正妻である彼女は、猫系獣人族で金色の髪の毛と同じ金の猫耳と長い尻尾を持っている。
 下ろすと腰まである長い金髪はいつも隙なく結い上げられている。顔立ちだって美しいけれど、クラリスは彼女が自分を睨みつけている顔とあざ笑っている顔しか知らなかった。
 だが、仕方のないことだとも思っていた。
 クラリスは、愛人の娘だ。正妻であるミランダにしてみれば、決して快く受け入れられるような存在ではない。
 せめて、エアフォルク王国国民全員が持つ魔力が貴族らしく高ければ、政略結婚の駒にもなっただろうが、クラリスには魔力がほとんどないため、それも出来ない。
 彼女にとって目の上のたんこぶよりも邪魔で不要な存在が、クラリスだった。

「妹の義理の甥が我が家に年単位で滞在することになったの。ジェフリー・ブライアン・イアルホールと言うのよ」

 ミランダが、扇子を手のひらに打ち付けながら窓辺へと歩き出す。パチン、パチン、と乾いた小さな音が部屋の中に落ちる。
 部屋の中には、もう一人いる。母親と同じ金色の髪と猫耳と尻尾を持つ、一歳違いの異母姉のシンディだ。シンディは優雅にティーカップを傾けている。
 二人とも黒と青の色彩を持つクラリスとは正反対の輝くような鮮やかさがある。

「わたくしの妹は、隣国の伯爵家に嫁いだの。妹の夫の姉、つまり義姉は、同国の侯爵家へ嫁いだのだけれど、この度、義姉の子であるジェフリーが我が国に留学してくることになり、縁戚である我が家で預かることになったの」

 客室の掃除をしろという命令が下るのだろうか、とこれからの予定を組み立てる。

「だからね、出て行ってちょうだい」

 クラリスは、何を言われたのか分からなかった。
 窓辺に立つミランダの顔は、逆光でよく見えなかった。でもなぜか、クラリスは彼女がこれまで見たことがないほど、美しく笑っているような気がした。

「……お母様、クラリスは私の侍女よ? 急に私の侍女がいなくなるなんて、明日から身支度ができないわ」

「あなたの侍女はこの子だけじゃないでしょう?」

 確かにシンディには、クラリスを含めて三人の侍女がいた。でも、一番、彼女からの用事を多くこなし、この十年で好みなども完ぺきに把握していたのがクラリスなのだ。
 身支度も最短でこなし、つい先日まではシンディの代わりに家庭教師が出した宿題をこなしたり、本で読んだお菓子や料理が食べたいというお願いのために料理の勉強までして、数え上げればきりのないくらいに様々なことをこなして、懸命に仕えてきた。そうしないとクラリスには居場所がなかったからだ。

「実の母親にまで『いらない』と言われたような役立たずを、ジェフリーの目に触れさせたくないのよ」

 メイド服のスカートを握りしめる手に力がこもる。

「それに離れを改装して、ジェフリーに滞在してもらうつもりなの。こんなのがいたら、邪魔で仕方ないわ」

「で、ですが、そんないきなり……」

「十八年もこの家においてやったじゃない。庶民は十八歳が成人でしょう?」

 ミランダがかすかに首を傾げた。
 貴族の成人は十六歳で、平民は十八歳が成人となる。成人すると貴族は社交界にデビューし、平民は親の承諾がなくても働きに出ることができる。そして、結婚が認められる。
 クラリスは、確かに父親――アシュリー伯爵の血を引いているし、クラリス・シェリー・アシュリーと貴族の名を持っているが、実情は平民と変わりない。

「もちろん、外へ出たらアシュリーの名を名乗ることは許しません」

「……はい」

 クラリスは、力なく頷いた。
 この屋敷に父であるアシュリー伯爵はいない。もう十年、その姿を見ていない。母を喪って以来、領地に引きこもりきりだ。
 だから、この王都の屋敷に係わる権限は全て、伯爵夫人であるミランダにある。その決定に一介の使用人でしかないクラリスが逆らえるはずもないのだ。

「わかったら、さっさと出て行ってちょうだい。今日は天気もいいし、問題ないじゃない」

 ミランダの背の向こう窓の外は、爽やかな青い空が見える。春らしくほんのわずかに白く薄い雲が絵具を刷毛でのばしたかのように一筋、描かれていた。

「待って、お母様」

 クラリスが頷こうとしたところで、シンディが口を開いた。

「早々に追い出したいお気持ちは分かりますわ。でも、私はクラリスを結婚後も婚姻先の家に連れて行き、仕えさせるつもりであれこれ任せていましたの。一晩、時間を頂いて、他の侍女に引継ぎだけはさせてくださいませ」

「しょうがないわね。一晩だけよ。明朝には出て行くのよ」

「はい、奥様」

 クラリスは従順に頷くことしかできない。

「なら、いまから引継ぎを行うわ。私の部屋へ来て。……アリスとレイラを呼んできてちょうだい」

 部屋の隅に控えていたメイドにシンディが指示し、立ち上がる。クラリスはミランダに一礼し、シンディの後ろについて歩き出す。

「クラリス」

 廊下に出てすぐに聞こえたミランダの呼ぶ声に足を止め、振り返る。
 やはり逆光で彼女の顔はよく見えない。優雅に広げられた扇子が口元を隠しているのでなおさらだ。

「もう二度と会うことはないでしょうね。……さようなら」

 ほんのわずかな喜びがその声ににじんでいる。彼女を不快にさせる存在がいなくなるのだから、嬉しいのも当たり前なのかもしれない。

「…………お世話になりました」

 ささやくように告げて、深々と頭を下げてクラリスは「早くなさい」とせかすシンディの後を追う。母親譲りの綺麗な金の長い髪はハーフアップにされているので、さらさらとその背で尻尾と一緒に揺れている。
 ドアが閉まる寸前、わずかな隙間から見えたミランダは、窓の外を見上げていた。

「全く、お母様もいきなりですこと……行くわよ。さっさと歩いてちょうだい。時間がなさすぎるの」

「はい、お嬢様」

 シンディは、はぁ、と大きなため息を吐いた。

「アリスとレイラにしっかり引き継いでちょうだい。それと……離れにある私物は、全て自分で何とかして頂戴ね。不用品の処理で手を煩わせないで」

「はい」

 それから同じくシンディの侍女であるアリスとレイラに引継ぎを済ませ、いつも通りに仕事をこなして離れに戻った。
 母の部屋とクラリスの部屋、小さなキッチンとシャワールームと談話室。このこぢんまりとした離れが、クラリスと母の鳥かごだった。
 この離れにはクラリスのものしかない。母のものは、ほとんどすべて伯爵が持って行ってしまった。ドレスも楽譜も化粧道具や日常遣いしていたコップやベッドのシーツや枕まで何もかもだ。
 とはいえクラリスの荷物もほとんどない。鞄の有無を尋ねられてないと答えたらアリスが「選別に」と旅行鞄をくれたので、ここを辞めて行ったメイドにもらったワンピースを二枚あるうちの一枚、支給されている下着と靴下を数枚入れてしまえば、おしまいだ。メイド服は借りているものなので、置いて行く。
 そして、最後にクラリスは母の部屋に行く。
 母の部屋は、クラリスが自分の部屋を掃除するのと同じようにいつも掃除をしていたから清潔ではあるが、何もない。
 父はベッドやタンス、絨毯にカーテン、壁紙までも持って行ったのだ。
 だが唯一、この部屋に残されたものがある。
 壁に埋め込まれて、壁と一体化しているタイプのクローゼットだ。
 クラリスは、そのクローゼットの前に立ち、扉を開ける。
 底板の隅のほうにある小さなくぼみに指をひっかければ、ばこんと音がして板が外れた。

「お母さん……」

 中に置かれていたのは、唯一、クラリスに遺された母の遺品である竪琴だった。
 母はこの竪琴を細い指でつま弾いて、その優しい音色に美しい歌声をのせてクラリスに聞かせてくれた。クラリスの幸福な記憶を彩る竪琴だった。
 母は竪琴の他にも楽器を持っていたし、竪琴もいくつか持っていたが、植物の意匠が美しいこの竪琴だけは父の目に触れさせたくなかったようで、いつも偶然見つけたというここに隠していた。
 母の死後、全てを持ち去った父もこの隠し場所は気が付かなかったようだった。

「お母さん、私がもらっていってもいいかしら」

 そっと竪琴を抱きかかえる。小ぶりな竪琴は、ワンピースに包めばあの四角い旅行鞄にも入りそうだ。
 クラリスも母に歌と演奏を教わったので、竪琴も弾ける。母が亡くなってから、こっそりとここでクローゼットの中にこもって、この竪琴を弾いていた。
 十年の間、手入れらしい手入れも出来ていないので、大分、草臥れてしまっているし、弦も切れてしまっている部分もあるが、クラリスの唯一の宝物だった。
 クラリスは、自分の部屋に戻りワンピースに竪琴を包んでそっと鞄にしまった。
 母はクラリスを「いらない」と言ったけれど、クラリスは母を「いらない」なんて、どうしたって言えなかった。あの愛し愛された日々が嘘だなんて、思いたくなかった。
 のろのろとベッドに入り、薄い毛布を引き寄せる。
 お金もない。仕事も、住むところも、頼れる人もいない。
 それでも、外へ出られるなら、きっと幸せなことなのだ。

「…………お母さん、おやすみなさい」

 毎夜、呟く挨拶を零して、目を閉じた。
 不安に飲み込まれそうになるのを体を小さく丸めて誤魔化して、浅い眠りの世界にクラリスは意識を預けたのだった。



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今夜19時に1-2を更新いたします。
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