見えない明日に揺れる僕たちは

多田莉都

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第1章

春の転校生 1

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 春はなんか不安定な季節だ。
 終わりと始まりが入り混じって、こっちが準備する間もなくやってくる。

 中学三年の教室は、進級のざわめきでふわふわしていた。担任は誰か、クラスメートはどんな奴らになるのか。
 
 そんなことばかり考えていたら、突然、彼女が現れた。

「神奈川県横浜市から転校してきました柴崎彩夏しばさきあやかです」

 目が合ったわけでもないのに、脳裏に印象が残るような子だった。セミロングぐらいの黒髪をした線の細い子だった。
 「横浜」という響きのせいか、僕たちが生まれ育ったこの町にはいない雰囲気の子だった。
 なんて言うんだろう。目の力が強い。迂闊にあの目を見てはいけない、なんとなくそんな気がする目だった。意志の強そうな目の子だ。

「じゃあ、柴崎さんはそこの左から窓から三列めの空いてる席に座ってくれるかな」

 担任である数学担当・濱田はまだ先生が指さしたのは、僕の左ナナメ前の席だった。出席番号順に座る中でひとつだけ空席があったので、この席が転校生の席なんだろうとは予想していた。

 彼女が席につくとき、髪が微かに揺れた。それだけのことが、なぜか印象に残った。隣の女子に「よろしく」と会釈する姿は落ち着いていて、髪の先まで存在感を放っていた。

 ナナメ後ろの僕にはわざわざ振り返ることはなかった。これが僕と柴崎彩夏が初めて出会った瞬間だった。


*

 富山県の中でも田舎のほうとされる蔵山くらやま町は、海と山の両方があるという以外に特徴がない。
 大きな企業や店舗の建物もほとんどなく、夜になれば家の明かりがなければ真っ暗と言っても過言ではなく、コンビニの明かりぐらいしかない。

 僕の通う蔵山くらやま中学は、そんな町の中にある。この町には小学校も中学校も1つしかないので、ほとんど同じ小学校のメンバーで中学校も構成されている。だから小さい頃から知っている奴ばかりだし、顔も名前も知らない奴というのはほとんどいない。
 
 だから、転校生は珍しい。しかも、今回は、都会の匂いを漂わせる転校生だ。話題にならないはずがない。
 ホームルームが終わると、隣のクラスどころか、他学年からもどんな子だろうと廊下をいろんな奴らが通りかかっていた。そんなことをしている様子が田舎者っぽくてため息をつかざるをえなかった。

*
 そんな都会からの転校生・柴崎彩夏は休み時間になるとクラスの女子たちに囲まれていた。

「横浜ってどんなとこなん?」
「兄弟はいる?」

 と質問攻めが始まっていた。ナナメ後ろの僕からは彼女の表情は見えないが、柴崎さんはひとつひとつ丁寧に答えているようだった。声のトーンからだけでも落ち着いた雰囲気が伝わってきた。

「ねぇ、部活とか何かやっとった?」
 嶋田千尋しまだちひろの声だっただろうか。そんな質問が出たときだった。
「あー…………」
 ここまで澱みなく答えていた彼女がちょっと口ごもったようなので僕も気になった。
「私、ずっと帰宅部で」
 ややあってそう言った。すぐに答えを言わなかったのは「帰宅部」ということが言いにくかったからなんだろうか。
「あ、そうなん? ここでは何かやるつもりある? バレー部どう?」
「あー……ごめんね、まずは勉強に集中しようかなって思ってて」
「マジでー? 受験モードになるの早くないけ?」

 と言っている千尋の成績が学年下位であることを僕は知っている。

「うん……。ちょっと頑張りたくってね」
「勉強のことだったら、たすくがこの学校で一番詳しいよ。ね、佑?」

 杉下美咲すぎしたみさきが突然、僕の名前を呼んだ。思わず僕はビクッと飛び跳ねそうになってしまった。顔を上げると、美咲が僕を見ていた。

「なんだよ、いきなり人の名前出すなよ」

 僕がそう言うと、柴崎彩夏もくるりと振り返り僕を見た。

「佑はね、成績がすっごくいいんだ。小学校からずっと。1年の後半からはずっと1位なんよ」

 頼んでもいないのに、美咲が僕のことをそんな風に紹介した。間違ってはいないけれど、なんだか嬉しくはない紹介だ。
 柴崎彩夏は「そうなんだ、すごいね」と大きな目を少し大きくさせて僕の顔を見ていた。
 そして、少し申し訳なさそうに、

「え……っと、お名前を聞いてもいいですか?」

 と言った。

月島つきしまたすくです」
「月島くん……ね。よろしく」

 柴崎彩夏が柔らかく微笑んだ。なんとも優しげで、僕も思わず、

「こちらこそ」

 とつられて僕も笑顔を返してしまった。

「わからないところあったら今度教えてね」
「ああ、うん。いつでも」
「よろしく」

 これが僕と柴崎彩夏の最初の会話だった。
 このとき、彼女が何を思っていたのか、僕には全くわからない。この柔らかな微笑みの向こうに隠されているものに僕はまだ気づくことすらできなかった。

 ただのクラスメイトとして始まったはずが、彼女が何者であるのかを知りたくなるのは、それからしばらくしてからのことだった。

 五月の終わりに行われた中間テストの結果発表で――蔵山中学は、いまどき順位が壁に張り出される――、僕は予想もしなかった結果を目にすることになった。
 
 放課後になって張り出された順位表、そこに学年1位として名前が載っていたのは、僕ではなかった。

 その名前を見たとき、僕は「え……」と思わず声を漏らしてしまった。心臓の鼓動が早くなったような気がした。

 彼女だった。
 
 「柴崎 彩夏」だった。


 何者なんだ、彼女は。

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