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7巻
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ルゼは腰を下ろすと、珍しく菓子に手を伸ばした。
「気付いたきっかけは午前中、ウィシュニアが鼻歌を歌いながら、楽しそうに騎士達に飲み物を出しに行ったからです」
彼女はいつも淡々と仕事をこなすタイプだから、確かにそれはおかしい。
「いつもはカボチャでも見るような目をして騎士達に接していたのに、その時ばかりはそれは嬉しそうで、私と一緒に見ていたカリンが言うには、恋する乙女のようだって……」
カボチャ……こいつはあの目をそういう風に見てたのか……
「で、可能性がある相手をエリネ様と一緒に考えてみたんです。まず最近出会った若い男と言えば神官です。あまりいい男はいなかったけど、ひょっとしたら私が気付かなかっただけで、素敵な方が交じってたのかもしれません。後は――植物園で傀儡術師達に襲われた時、聖騎士と何かあったとしか……」
聖騎士の誰に惚れるんだ? いい男は売約済みだし……
あの時ウィシュニアは、敵の足止め組と一緒にいた。ティタンとレイドもそこにいたはずだが、残念ながらここにいるレイドは気を失っていたから聞くだけ無駄だろう。後はニースがいたはずだが性格的におそらく対象外だし、他に誰がいただろうか。マディセルだったらルゼは喜んで応援するだろうし、美人で馬好きでルゼのファンである恋人を持つダロスか?
「その時部屋の外で警備していた聖騎士達が話を聞いていたらしく、『馬鹿な、そんなはずっ』とか『分かってる、有り得ない! でもっ!』って言っていたんです。だから何を知っているのか聞いてみたんです」
するとルゼの目に涙が浮かんだ。僕とゼクセンは思わず顔を見合わせる。
ウィシュニアの想い人に恋人がいる程度のことでこんな表情はしないだろう。
「そしたらスルヤが……ハワーズがウィシュニアを守ってたなぁって……」
僕は小さく頷いた。ハワーズと言えば、元青盾の、女の子が大好きで最も聖騎士らしからぬ、大変残念でどうしようもない男である。
「有り得んだろ。ないない、それだけはない。彼女からカボチャどころかゴキブリを見るような目を向けられている連中の筆頭だぞ?」
実は実力だけなら聖騎士団でも上位なのだが、それを台無しにする性格をしている。ちょっといいところを見せただけで、ウィシュニアの気が変わるとは思えない。
「でも、みんなで見たんです。彼女がつっけんどんにハワーズにお茶を渡していたのを。それも心なしか照れくさそうに。いつもならつっけんどんとすら言えないほど無感情に仕事をするのに!」
ルゼは涙目でテーブルを殴りながら訴えた。
「有り得なくないですか? 有り得ないでしょう、あのハワーズですよ。いい加減で、カワイイ女の子なら誰でもよくて、常に揉め事の中心になっている!」
とうとうルゼは身を乗り出して、僕の胸ぐらを掴み揺さぶってきた。涙目でこうされると僕が悪いことをしたように見えるので、勘弁してほしい。そう思いながら彼女の頭を撫でる。
「分かった、分かったから泣きながら人を揺さぶるな」
ウィシュニアとは親しくもないはずだが、相手があのハワーズのため、混乱しているようだ。
しかし何故ハワーズはこれほどまでルゼに嫌がられるんだ。僕もあいつを鞭で打つことはあるが、根はいい奴だと知っている。
「落ち着け。何も泣くことはないだろう」
「だ、だって……ウィシュニアみたいな美人が、あんな男に振り回されたら可哀想で可哀想で」
「家位的にも身分的にも、ウィシュニアに相応しくないわけじゃない。もし両思いならお前がとやかく言うことでもないだろう」
ハワーズは三位のデュサ。つまりルゼと同じ家位だ。聖女を守る『花冠の騎士団』の聖騎士という名誉ある職に就いている実力者。ウィシュニアの両親も喜ぶだろう。
「尻の軽さに嫌気がさしてすぐ離婚になったら、エリネ様の名に傷が付きます」
「………………まあ、有り得そうだな」
ウィシュニアは気位の高い女だ。だからこそ誰にも言わず胸に秘めているのだろう。相手が相手だから、反対されたり趣味を疑われたりすると恐れているのかもしれない。
「しかし彼女がちょっと守られたぐらいで男に惚れるとは……」
「今まで守られるような経験がなかったんじゃないですか? ドキドキするような危険な場面だと、恋に落ちやすいって聞きますよ。で、破局もしやすいらしいじゃないですか」
ルゼの言うことももっともだ。安易な恋は容易に破局する。それが職場内であれば士気に関わる。
悩んでいると、ゼクセンが菓子を片手に言う。
「今まで悪い面ばっかり見てた上で好きになったのなら、諦めさせるのって難しい気がするなぁ」
ハワーズの日頃の姿を思い出す。僕と同じぐらいの歳だったと思うが、まるで新人のようなところがある。もちろん悪い意味でだ。
「確かに日頃のあれを知りつつ惚れたなら、一番確実な『幻滅させる』という手が使えないな」
厄介だ。僕としてはハワーズが結婚してくれるなら、それはそれでいいと考えている。結婚すればあいつも落ち着くかもしれない。だがその展開を泣くほど嫌がる婚約者を無視すれば、彼らよりも自分の結婚が危うくなる。
「ギル様、どうにかして下さい。仲を壊すのとか得意そうじゃないですか」
「言っておくが、ニースとグラがああなってるのは僕のせいじゃないぞ。不運の積み重ねだ。僕が何かしたわけじゃあない」
ルゼはため息をついた。
「ああ、私はいったいどうしたら……このままではエリネ様に合わす顔がありません」
「エリネ様も反対しているのか?」
「当然です。カリンと巫女達と一部の聖騎士達もです」
「一部の聖騎士は、ただのやっかみだろう」
あのハワーズがウィシュニアのような美少女に惚れられたとなれば、当然足を引っ張ろうとする者もいるだろう。相手がいい男ならともかく、ハワーズだ。あいつになら勝てると思っていた奴は間違いなく足を引っ張る。何としてでも幻滅させてやらなければと考えるはずだ。
「それにしても、エリネ様もか……」
恋する乙女の目を覚まさせるのは大変難しい。聖騎士達に任せても無駄だろう。
「そうだ。どうせなら傀儡術師達に相談してみるのはどうだ? 何か使える能力を持っている奴がいるかも知れないぞ。僕はまだ大ざっぱにしか聞いていないから知らないが」
ルゼはしばし考え、頷いた。決意に満ちた瞳は魅力的だが、理由が実にくだらない。
「そうですね、ギル様。私、頑張ります。頑張ってウィシュニアを正常な状態に戻して見せます。ありがとうございました。それでは失礼します」
そう言ってルゼは去って行った。恋の病とは言うが、彼女は完全に病気の一種と考えているようだ。まあ相手が相手だから気持ちは分からなくもない。
「…………いいんですか、あれ」
今まで沈黙を守ってきたレイドに問われ、僕は首を横に振った。とりあえず勧めてはみたが、他の誰かならともかく、あの女を一人で暴走させていいはずがない。
「追ってくる」
気が進まなかったが、ルゼを追った。彼女はエリネ様さえ関わらなければ無茶はしない。しかしエリネ様の期待に応えるためなら、なんだってする。一体どんな騒動が起こることか!
せっかく手に入れた能力者達を、ルゼで染めてはならない。ルゼのように過激になってもらったら困るのだ。
一緒にやって来た傀儡術師収容施設(仮)で、ルゼは精神に干渉する能力を持つ者を数人集めて向き合っていた。
その中にはナジカもおり、頬杖を突きつつあまりにもくだらない頼みごとに呆れている。
「そういうのってさぁ、余計なお世話って奴だろ? そこらの一般庶民に惚れたっていうならヤバイかもしれねーけど、聖騎士はみんな貴族なんだろ?」
彼は学習能力の高い子供で、ルゼと違って偏りのない記憶力を持っている。顔も名前も覚え、読み書きも一番よく出来るのだ。おまけに人なつっこく、教師をしている火矢の会の連中からの覚えもいい。将来は子供達の中心になってくれると思われる、ルゼに近い万能型の能力者だ。とはいえルゼのように相手と視界を共有することは出来ない。その代わり、少しだけ精神干渉能力がある。
本人が言うには、人から少し好かれ、相手を説得しやすくする能力らしい。つまりは人を騙しやすくする能力だ。口が上手そうだから、将来は恐ろしい男になるだろう。顔立ちも悪くはないし、詐欺師にならないよう気を付けておかなければならない。
「他の誰かならいいけど、あいつだけは嫌なの」
「個人的な好みかよ。いいのかよ、そんな理由で人の恋心を壊して」
「一時の気の迷いだからいいの」
ナジカはため息をついた。ルゼの言い分がおかしいのは間違いない。だがこれはこの件を知っている者の総意である。
「あのなぁ、人の心を本人に気付かれずに操るのは難しいんだよ」
「一人ぐらい出来るのはいないの?」
「俺らの力だけで嫌いな物を好きにさせるのは無理だし、好きな物を嫌いにさせるのも無理だ」
皆が頷く。ルゼは腕を組んで顔をしかめた。
「なんつーかさぁ、心は難しいんだよ。よくやった訓練は、野生動物に対して、木の実とか普段食べている物を大好物みたいに錯覚させるとか、好物から気を逸らすとかそういうのだったし」
「意外に無害な訓練してたんだね」
「当たり前だろ。俺達を何だと思ってるんだよ」
確かにルゼよりはまっとうな気がする。こいつは魔物に外道なことを平気でしてたらしいしな。
「そんな動物でも干渉を解くと、状況が理解できなくてきょとんとするんだ。何も知らない相手ならそれでも十分だろうけどな。だけど俺達の力を知ってる人間に、干渉がばれないはずがないよ」
説得力のある言葉に、ルゼがだんだん渋面になっていく。
「例えば、好きな相手をもっと好きにさせたりは出来るけどさ、好きでもない相手を好きにさせるのは無理。そんなこと出来たらここにいないし」
この場には大人もいるのだが、話しているのはナジカだ。彼以外は他人とあまり話したことがないのだろう。傀儡術師はその能力を恐れられて孤立してしまいがちなのだ。相手の心をどうにか出来るなら、このように人見知りになることも、売られたり捨てられたりすることもなかったはずだ。人の心以前に人見知りを改善し、社交性を身につけさせなければならない連中である。
「じゃあ、嫌いなものをもっと嫌いにするのは?」
ルゼが問うと、ナジカは難しい顔で後ろに立つ大人達をちらりと見て、それから子供にも視線を向ける。
「んー……レイニー、行ける?」
ナジカと同じ年頃の少年は、呼ばれると嫌そうに首を横に振った。
「や、やだ。初めてのところは、恐い……」
そう言って俯いてしまう。
「成功したら、そこのお菓子屋さんで好きなだけ食べさせてあげるから」
ルゼが言うと、レイニーは顔を上げた。
「お菓子?」
「そう。甘くて美味しいお菓子と、美味しいお茶」
ナジカとレイニーは、ごくりと唾を呑んだ。
「甘いの? オレ、甘いの好き! オレが付いていって、頑張らせます!」
ナジカの宣言と共に二人は深々と頭を下げた。どうやら彼らは前にやった甘い物が気に入ったらしい。餌付けが可能とは、ルゼと違って可愛い奴らだ。
「実行は明日にしろ。ルゼ、せっかくだからこのまま夕食に行くぞ。お前のテーブルマナーは不完全だから、恥をかかないよう徹底的に教えてやる」
ルゼの動きが一瞬止まった。彼女は食べ物を弄くり回すと苦くなる魔力持ちだから、自分で切り分ける料理が苦手らしい。だが、だからといってそれを疎かに出来る立場ではない。食事は美味いに越したことはないが、貴族の食事は味を楽しむためにするものではない。
「貴族も大変だなぁ。こんなお転婆なねーちゃんでも、口うるさく言われるんだから」
「ほんと、悪趣味だよね」
ナジカに同意するルゼの後頭部を軽くはたいて、首根っこを押さえて連行した。
翌日、僕達はナジカとレイニーを伴ってエリネ様のいる神殿を訪れた。ナジカはエリネ様の保護下にある孤児なので、神殿に入るのもそれほど難しくない。むしろ貴族よりもよほど簡単にエリネ様と面会が出来たりする。警護の上ではいささか問題だが、子供というのはあらゆる面で侮られるものなのだ。
その日は色々と手を回して、ハワーズをエリネ様の警護に就かせていた。
「あ、ゼクセン。元気?」
ハワーズはゼクセンの首に腕を回して挨拶する。その自由気ままな態度に、エリネ様がくすりと笑う。
「ところで、例の件、どうなった?」
「れいのけん?」
「ほらほら、女の子を紹介してくれるって」
「……だからね、ティタンやレイドに釣り合う、それなりの家柄の女の子を紹介するって話だから、貴族のハワーズは遠慮してくれないかなって言ったよね?」
ハワーズの腕を外しながら、温厚なゼクセンが青筋を立てて言い含める。紹介の話などすっかり忘れていたらしいティタンとレイドは、ハワーズの姿を見てため息をついた。
ちらりとウィシュニアを見たら、蒼白になって拳を握り締めていたので驚く。どうやら皆の勘違いではないようだ。恋する少女が傷つく姿は痛々しく、ルゼの目もますます険しくなった。この美少女に好意を寄せられていることも知らずにこんな話をするなど、ハワーズは自らの首を絞めている。
「今だ」
「おう」
嫌わせるには絶好のチャンスとルゼがナジカの肩に手を置いた。ナジカは頷いてレイニーの肩を叩き、レイニーは様子を窺いつつ、ウィシュニアに手の平を向け、そのままじっと彼女を見つめた。
するとウィシュニアはすっと目を細めて、ハワーズへと歩み寄る。
「ハワーズあなた、ここがどこだか忘れているんじゃなくて?」
「そんな堅いこと」
「あなたのそういう下品なところが大嫌いなの。エリネ様の視界に入らないで下さる?」
効果覿面だった。効きすぎて怖いほどだ。
「だ、大嫌いって……」
「見苦しいわ。聖騎士の名を汚さないでいただけるかしら」
「…………」
「しかもエリネ様と、ギルネスト殿下の御前で。一緒にされたティタンさん達が可哀想だわ」
「ご、ごめんなさい」
その様子を見て、ナジカが不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ、あの人、本当にあの騎士が好きだったのか? ぜんぜん抵抗なくああなったけど」
「…………でも」
ルゼはちらりとスルヤを見た。スルヤも首をひねって唸る。
「ウィシュニアさん、後ろめたいことは絶対にないんで、あんまり叱らないでやって下さい。ハワーズも色々あって寂しいんですよ」
見かねたティタンが庇うように言った。そんなティタンを見て、ウィシュニアはさっと目を逸らして顔を赤らめる。そして邪魔なハワーズを押しのけて、部屋から出て行ってしまった。
皆は無言でスルヤを睨みつける。
「そういえば、あの時ティタンもいたような」
「昨日お茶を出しに行った時もいたな、ハワーズの隣に」
皆は口々に言ってティタンを見た。当のティタンは、事態が理解できずきょとんとしている。
こいつは今回の騒動について何も知らない。彼女もいない、好きな女は僕の婚約者、という男に聞かせるのも酷だと思い、何も知らせていなかったのだ。理解できなくて当然だ。
さらにレイニーはティタンを見て言う。
「あの女の人、その人が幽霊に怯えてた時、踏みつぶしてた」
ティタンが一途な性質というのは見ていれば分かる。日頃努力をしていることも、実力があることも、それを驕らないことも。報われないところも一部の女性の母性本能をくすぐるかもしれない。そして自分を守ってくれた男。ティタンならその時、優しい言葉もかけているはずだ。
ただ足りないのは、身分だけ。
だから誰にも相談できず、落ち込んだり、浮かれたりしていたのだ。
ルゼは笑顔で伸びをした。
「ああ、よかった。正常でしたよ」
「よくないだろう、よくは」
精神的にはこちらの方が安心できるが、状況的にはハワーズの方がマシだった。ティタニスは僕の従騎士をしているが、どこの馬の骨とも分からない孤児院出の男なのだ。ウィシュニアの両親も認めないだろう。その上ティタンは嫌われる要素があまりないので、レイニーでもどうしようもない。問題はますます大きくなった。
「これ以上問題が大きくなる前に、話をするか」
気は進まないが、このままでは騎士団内の人間関係が悪くなってしまうかもしれない。
渦中のティタンが事態を理解できていないのだけが救いだった。
ウィシュニアを怒らせたのはハワーズだということにして彼を追い出し、ティタンには奴が何かしでかさないよう見ていろと命じて追い出した。完全に巻き添えを食った形のハワーズがさすがに可哀想になったが、これが一番自然な流れだ。さらに他の男達を全員外に出して、自室で落ち込んでいたウィシュニアを呼びつけた。
現在この部屋にいるのは、僕とエリネ様、ルゼ、カリン、巫女達だけなので、多少は安心感があるだろう。本当なら全て女達に任せるべきだが、事が事だけに僕は外れられなかった。目を離したらルゼやカリンが何をしでかすか分かったものではない。
「お前は、ティタニスが好きなのか?」
単刀直入に問うと、彼女は戸惑って目を泳がせた。
「お前の様子がおかしいから、まさかと思って様子を見ていたら……」
「も、申し訳ございませんっ」
「責めてはいない。こればかりはどうしようもないことだ」
そもそも僕はウィシュニアを責められる立場ではない。ルゼが本当は孤児だと知っていて婚約している。だがそれは、僕はともかく世間は知らないことだ。ルゼはオブゼーク家の長女であると父親が認めているのだから、それが事実なのだ。誰がどう否定しても、そうではないと証言できる人間はいない。要は知っていても、揺るぎない〝事実〟さえあればいいのだ。
「諦めろと言われたところで簡単に諦められるものでもない。それを強要してお前が苦しめばエリネ様まで心を痛められる。だから僕は賛成もしないが、反対もしない」
「……反対なさらないのですか?」
彼女はティタンの出自を知っている。もしものことがあれば、僕の責任になることも。だから僕の言葉に驚いていた。
「大切なのは相手の気持ちだ」
「はい」
はっきり言ってティタンはウィシュニアのことは何とも思っていない。彼女を助けたというのも、当然のことをしただけの話だ。今までルゼしか見えていなかった男が、ルゼが婚約したからと言って簡単に他に目を移すとは思えない。しかし、ずっとそのままというわけではないのも確かだ。
「私があの人の好みと正反対であるのは、分かっています」
「そんなことないよ。あいつ普通に美人好きだし。ただ、ウィシュニアは高嶺の花すぎて、女性として見るのも恐れ多いだけだと思う」
ルゼにそんなことを言われても虚しいだけだろう。ルゼはティタンの好意を知らずに、善意で意見しているのだ。だから、ウィシュニアのように気位が高い人間は恨むに恨めない。何よりルゼの言うことも一理ある。身分が違いすぎて、ティタンにとってウィシュニアは、絵の中の人のように遠い存在なのだ。
「確かにティタンの本来の好みは、平均的な男が好むような女性だ。ただし人間、好きになる相手がいつも理想の通りかと言ったら違う。それは分かるだろう」
「は、はい」
彼女が理想とする男はティタンとは違っていたはずだ。それでも好きになってしまったのだろう。
ティタンに自覚はないようだが、彼は女性にモテている。優しい男だから、ルーフェスだった頃のルゼが女性にモテていたのと近い理由で、本物の好意を向けられているのだ。結婚すれば面倒臭いことになりそうなウィシュニアでなくとも、普通の美しい女性を選べる立場だ。
「もしも、もしもだ」
それでも、当たり障りのない、当たり前の恋と結婚以外の選択肢を彼が望んだ場合。
「ティタンまでもがお前への好意で思い悩むようになったら、手は貸さないでもない」
「えっ……」
ウィシュニアは目を見開いた。
「あいつは僕が拾い上げた孤児だから、どこの誰かは分からない。親がいないなら、親を捏造することも可能と言えば可能だ」
誰かの養子という立場では、ウィシュニアと結ばれるには足りない。
「適当な奴の庶子にでも仕立て上げるなりすればいい。それで僕がティタンのような身分の定かでない男を従騎士にしたことも、魔術が使えることも、皆納得するだろう」
ルゼの時とほとんど同じ手だから濫用したくないが、これが僕に出来る最大のお膳立てだ。
「言っておくが、これは最後の手段だ。だから僕はそれまで一切手を貸さない。もちろんエリネ様やカリンにも手伝わせない。それで清く正しく真っ当にティタニスを落とせたら、この手段を考えてやる」
ウィシュニアは三度頷いた。
「だがそこまでしたとしてもお前の両親を納得させるのは大変だろうし、そもそもティタンが中途半端な気持ちなら、この条件に納得するとも思えない。あいつに貴族に対する憧れはないからな」
だから身分で釣るような真似は出来ない。そんなことをすれば、ウィシュニアに対して苦手意識を持つようになるだろう。
「僕としてはあいつに普通の家庭を築いてほしいと思っているが、お前があいつのことをどうしても諦められないというなら止めはしない」
少しでもこうして逃げ道を示してやらないと、気付いたら泥沼の駆け落ちをしていたということにもなりかねない。
「あとはゼクセンに見合いを中止させるが、あいつが二十歳になったら再開してもらう」
あいつは確か十八だったな。それだけ期間を設ければ、ウィシュニアも諦めがつくはずだ。ルゼも言っていたが、彼女のような惚れ方は結局は長続きしないものである。
余談だが、ナジカ曰くハワーズは下手したら一生ウィシュニアに嫌われたままらしい。
そのハワーズは、ゼクセンがティタン達に女を紹介するのはしばらくやめると聞くと、関係ないにもかかわらず何故か一番愚痴っていたそうだ。それを聞いて僕は哀れむのをやめた。一体何を狙っていたものか。
性格さえ直せば使える奴なんだが……本当に残念な男だ。
第三話 家族の形
私は鏡の中の自分の姿を確かめる。
新作化粧品で仕上げた性別不明のややこしい顔。エノーラお姉様がわざわざあつらえてくれた男物のような服が、さらにそれをややこしく仕上げている。
ここは神殿の狭い自室ではなく、私が宮殿に来てからずっと使い続けている客室だ。孤児院にいた頃は、こんな立派なドレッサーを使える日が来るとは思いもしなかった。騎士になったばかりの頃もそうだ。最初のうちは贅沢品を使うことに罪悪感を持った。しかし今はこれが当たり前だ。そうしなければならない立場である。この白いドレッサーはエノーラお姉様からのプレゼントで、中にある身だしなみのための道具も全てそうだ。
「うーん、これでいいかな?」
年齢を誤魔化しているから、幼く見えないよう、かつ男装で浮かないよう、細心の注意を払って化粧をした。だから見映えが悪いということはない。ギル様ならそんなことをしなくても老けていると言いそうだが、そんな予想は振り払う。
少し伸びた髪を後ろで一つに結んだら、なかなかいい感じになった。
寝室を出て隣の部屋に入ると、そこにはギル様とラントちゃんが待っていた。
「ギルが来たから通しておいたぜ」
「うん、ありがとう」
ラントちゃんも今日は正装している。これからオブゼーク家――私の両親との食事だ。そして明日は国王陛下とギル様のお母様との晩餐である。
「ああ、今日はともかく、明日の夕食が憂鬱です」
「我慢しろ。この一回だけだ」
「一回だけでいいんですか? 貴族ってもっと色々儀式めいたものがあるかと思ってました」
「あると言えば色々あるが、必要のないものはエリネ様の警護を理由に全て省く!」
「さすがギル様! 素晴らしいです! 男らしい! 軍人の鑑!」
こんな時にまで助けていただけるとは、さすがエリネ様、私の主だ。
「気付いたきっかけは午前中、ウィシュニアが鼻歌を歌いながら、楽しそうに騎士達に飲み物を出しに行ったからです」
彼女はいつも淡々と仕事をこなすタイプだから、確かにそれはおかしい。
「いつもはカボチャでも見るような目をして騎士達に接していたのに、その時ばかりはそれは嬉しそうで、私と一緒に見ていたカリンが言うには、恋する乙女のようだって……」
カボチャ……こいつはあの目をそういう風に見てたのか……
「で、可能性がある相手をエリネ様と一緒に考えてみたんです。まず最近出会った若い男と言えば神官です。あまりいい男はいなかったけど、ひょっとしたら私が気付かなかっただけで、素敵な方が交じってたのかもしれません。後は――植物園で傀儡術師達に襲われた時、聖騎士と何かあったとしか……」
聖騎士の誰に惚れるんだ? いい男は売約済みだし……
あの時ウィシュニアは、敵の足止め組と一緒にいた。ティタンとレイドもそこにいたはずだが、残念ながらここにいるレイドは気を失っていたから聞くだけ無駄だろう。後はニースがいたはずだが性格的におそらく対象外だし、他に誰がいただろうか。マディセルだったらルゼは喜んで応援するだろうし、美人で馬好きでルゼのファンである恋人を持つダロスか?
「その時部屋の外で警備していた聖騎士達が話を聞いていたらしく、『馬鹿な、そんなはずっ』とか『分かってる、有り得ない! でもっ!』って言っていたんです。だから何を知っているのか聞いてみたんです」
するとルゼの目に涙が浮かんだ。僕とゼクセンは思わず顔を見合わせる。
ウィシュニアの想い人に恋人がいる程度のことでこんな表情はしないだろう。
「そしたらスルヤが……ハワーズがウィシュニアを守ってたなぁって……」
僕は小さく頷いた。ハワーズと言えば、元青盾の、女の子が大好きで最も聖騎士らしからぬ、大変残念でどうしようもない男である。
「有り得んだろ。ないない、それだけはない。彼女からカボチャどころかゴキブリを見るような目を向けられている連中の筆頭だぞ?」
実は実力だけなら聖騎士団でも上位なのだが、それを台無しにする性格をしている。ちょっといいところを見せただけで、ウィシュニアの気が変わるとは思えない。
「でも、みんなで見たんです。彼女がつっけんどんにハワーズにお茶を渡していたのを。それも心なしか照れくさそうに。いつもならつっけんどんとすら言えないほど無感情に仕事をするのに!」
ルゼは涙目でテーブルを殴りながら訴えた。
「有り得なくないですか? 有り得ないでしょう、あのハワーズですよ。いい加減で、カワイイ女の子なら誰でもよくて、常に揉め事の中心になっている!」
とうとうルゼは身を乗り出して、僕の胸ぐらを掴み揺さぶってきた。涙目でこうされると僕が悪いことをしたように見えるので、勘弁してほしい。そう思いながら彼女の頭を撫でる。
「分かった、分かったから泣きながら人を揺さぶるな」
ウィシュニアとは親しくもないはずだが、相手があのハワーズのため、混乱しているようだ。
しかし何故ハワーズはこれほどまでルゼに嫌がられるんだ。僕もあいつを鞭で打つことはあるが、根はいい奴だと知っている。
「落ち着け。何も泣くことはないだろう」
「だ、だって……ウィシュニアみたいな美人が、あんな男に振り回されたら可哀想で可哀想で」
「家位的にも身分的にも、ウィシュニアに相応しくないわけじゃない。もし両思いならお前がとやかく言うことでもないだろう」
ハワーズは三位のデュサ。つまりルゼと同じ家位だ。聖女を守る『花冠の騎士団』の聖騎士という名誉ある職に就いている実力者。ウィシュニアの両親も喜ぶだろう。
「尻の軽さに嫌気がさしてすぐ離婚になったら、エリネ様の名に傷が付きます」
「………………まあ、有り得そうだな」
ウィシュニアは気位の高い女だ。だからこそ誰にも言わず胸に秘めているのだろう。相手が相手だから、反対されたり趣味を疑われたりすると恐れているのかもしれない。
「しかし彼女がちょっと守られたぐらいで男に惚れるとは……」
「今まで守られるような経験がなかったんじゃないですか? ドキドキするような危険な場面だと、恋に落ちやすいって聞きますよ。で、破局もしやすいらしいじゃないですか」
ルゼの言うことももっともだ。安易な恋は容易に破局する。それが職場内であれば士気に関わる。
悩んでいると、ゼクセンが菓子を片手に言う。
「今まで悪い面ばっかり見てた上で好きになったのなら、諦めさせるのって難しい気がするなぁ」
ハワーズの日頃の姿を思い出す。僕と同じぐらいの歳だったと思うが、まるで新人のようなところがある。もちろん悪い意味でだ。
「確かに日頃のあれを知りつつ惚れたなら、一番確実な『幻滅させる』という手が使えないな」
厄介だ。僕としてはハワーズが結婚してくれるなら、それはそれでいいと考えている。結婚すればあいつも落ち着くかもしれない。だがその展開を泣くほど嫌がる婚約者を無視すれば、彼らよりも自分の結婚が危うくなる。
「ギル様、どうにかして下さい。仲を壊すのとか得意そうじゃないですか」
「言っておくが、ニースとグラがああなってるのは僕のせいじゃないぞ。不運の積み重ねだ。僕が何かしたわけじゃあない」
ルゼはため息をついた。
「ああ、私はいったいどうしたら……このままではエリネ様に合わす顔がありません」
「エリネ様も反対しているのか?」
「当然です。カリンと巫女達と一部の聖騎士達もです」
「一部の聖騎士は、ただのやっかみだろう」
あのハワーズがウィシュニアのような美少女に惚れられたとなれば、当然足を引っ張ろうとする者もいるだろう。相手がいい男ならともかく、ハワーズだ。あいつになら勝てると思っていた奴は間違いなく足を引っ張る。何としてでも幻滅させてやらなければと考えるはずだ。
「それにしても、エリネ様もか……」
恋する乙女の目を覚まさせるのは大変難しい。聖騎士達に任せても無駄だろう。
「そうだ。どうせなら傀儡術師達に相談してみるのはどうだ? 何か使える能力を持っている奴がいるかも知れないぞ。僕はまだ大ざっぱにしか聞いていないから知らないが」
ルゼはしばし考え、頷いた。決意に満ちた瞳は魅力的だが、理由が実にくだらない。
「そうですね、ギル様。私、頑張ります。頑張ってウィシュニアを正常な状態に戻して見せます。ありがとうございました。それでは失礼します」
そう言ってルゼは去って行った。恋の病とは言うが、彼女は完全に病気の一種と考えているようだ。まあ相手が相手だから気持ちは分からなくもない。
「…………いいんですか、あれ」
今まで沈黙を守ってきたレイドに問われ、僕は首を横に振った。とりあえず勧めてはみたが、他の誰かならともかく、あの女を一人で暴走させていいはずがない。
「追ってくる」
気が進まなかったが、ルゼを追った。彼女はエリネ様さえ関わらなければ無茶はしない。しかしエリネ様の期待に応えるためなら、なんだってする。一体どんな騒動が起こることか!
せっかく手に入れた能力者達を、ルゼで染めてはならない。ルゼのように過激になってもらったら困るのだ。
一緒にやって来た傀儡術師収容施設(仮)で、ルゼは精神に干渉する能力を持つ者を数人集めて向き合っていた。
その中にはナジカもおり、頬杖を突きつつあまりにもくだらない頼みごとに呆れている。
「そういうのってさぁ、余計なお世話って奴だろ? そこらの一般庶民に惚れたっていうならヤバイかもしれねーけど、聖騎士はみんな貴族なんだろ?」
彼は学習能力の高い子供で、ルゼと違って偏りのない記憶力を持っている。顔も名前も覚え、読み書きも一番よく出来るのだ。おまけに人なつっこく、教師をしている火矢の会の連中からの覚えもいい。将来は子供達の中心になってくれると思われる、ルゼに近い万能型の能力者だ。とはいえルゼのように相手と視界を共有することは出来ない。その代わり、少しだけ精神干渉能力がある。
本人が言うには、人から少し好かれ、相手を説得しやすくする能力らしい。つまりは人を騙しやすくする能力だ。口が上手そうだから、将来は恐ろしい男になるだろう。顔立ちも悪くはないし、詐欺師にならないよう気を付けておかなければならない。
「他の誰かならいいけど、あいつだけは嫌なの」
「個人的な好みかよ。いいのかよ、そんな理由で人の恋心を壊して」
「一時の気の迷いだからいいの」
ナジカはため息をついた。ルゼの言い分がおかしいのは間違いない。だがこれはこの件を知っている者の総意である。
「あのなぁ、人の心を本人に気付かれずに操るのは難しいんだよ」
「一人ぐらい出来るのはいないの?」
「俺らの力だけで嫌いな物を好きにさせるのは無理だし、好きな物を嫌いにさせるのも無理だ」
皆が頷く。ルゼは腕を組んで顔をしかめた。
「なんつーかさぁ、心は難しいんだよ。よくやった訓練は、野生動物に対して、木の実とか普段食べている物を大好物みたいに錯覚させるとか、好物から気を逸らすとかそういうのだったし」
「意外に無害な訓練してたんだね」
「当たり前だろ。俺達を何だと思ってるんだよ」
確かにルゼよりはまっとうな気がする。こいつは魔物に外道なことを平気でしてたらしいしな。
「そんな動物でも干渉を解くと、状況が理解できなくてきょとんとするんだ。何も知らない相手ならそれでも十分だろうけどな。だけど俺達の力を知ってる人間に、干渉がばれないはずがないよ」
説得力のある言葉に、ルゼがだんだん渋面になっていく。
「例えば、好きな相手をもっと好きにさせたりは出来るけどさ、好きでもない相手を好きにさせるのは無理。そんなこと出来たらここにいないし」
この場には大人もいるのだが、話しているのはナジカだ。彼以外は他人とあまり話したことがないのだろう。傀儡術師はその能力を恐れられて孤立してしまいがちなのだ。相手の心をどうにか出来るなら、このように人見知りになることも、売られたり捨てられたりすることもなかったはずだ。人の心以前に人見知りを改善し、社交性を身につけさせなければならない連中である。
「じゃあ、嫌いなものをもっと嫌いにするのは?」
ルゼが問うと、ナジカは難しい顔で後ろに立つ大人達をちらりと見て、それから子供にも視線を向ける。
「んー……レイニー、行ける?」
ナジカと同じ年頃の少年は、呼ばれると嫌そうに首を横に振った。
「や、やだ。初めてのところは、恐い……」
そう言って俯いてしまう。
「成功したら、そこのお菓子屋さんで好きなだけ食べさせてあげるから」
ルゼが言うと、レイニーは顔を上げた。
「お菓子?」
「そう。甘くて美味しいお菓子と、美味しいお茶」
ナジカとレイニーは、ごくりと唾を呑んだ。
「甘いの? オレ、甘いの好き! オレが付いていって、頑張らせます!」
ナジカの宣言と共に二人は深々と頭を下げた。どうやら彼らは前にやった甘い物が気に入ったらしい。餌付けが可能とは、ルゼと違って可愛い奴らだ。
「実行は明日にしろ。ルゼ、せっかくだからこのまま夕食に行くぞ。お前のテーブルマナーは不完全だから、恥をかかないよう徹底的に教えてやる」
ルゼの動きが一瞬止まった。彼女は食べ物を弄くり回すと苦くなる魔力持ちだから、自分で切り分ける料理が苦手らしい。だが、だからといってそれを疎かに出来る立場ではない。食事は美味いに越したことはないが、貴族の食事は味を楽しむためにするものではない。
「貴族も大変だなぁ。こんなお転婆なねーちゃんでも、口うるさく言われるんだから」
「ほんと、悪趣味だよね」
ナジカに同意するルゼの後頭部を軽くはたいて、首根っこを押さえて連行した。
翌日、僕達はナジカとレイニーを伴ってエリネ様のいる神殿を訪れた。ナジカはエリネ様の保護下にある孤児なので、神殿に入るのもそれほど難しくない。むしろ貴族よりもよほど簡単にエリネ様と面会が出来たりする。警護の上ではいささか問題だが、子供というのはあらゆる面で侮られるものなのだ。
その日は色々と手を回して、ハワーズをエリネ様の警護に就かせていた。
「あ、ゼクセン。元気?」
ハワーズはゼクセンの首に腕を回して挨拶する。その自由気ままな態度に、エリネ様がくすりと笑う。
「ところで、例の件、どうなった?」
「れいのけん?」
「ほらほら、女の子を紹介してくれるって」
「……だからね、ティタンやレイドに釣り合う、それなりの家柄の女の子を紹介するって話だから、貴族のハワーズは遠慮してくれないかなって言ったよね?」
ハワーズの腕を外しながら、温厚なゼクセンが青筋を立てて言い含める。紹介の話などすっかり忘れていたらしいティタンとレイドは、ハワーズの姿を見てため息をついた。
ちらりとウィシュニアを見たら、蒼白になって拳を握り締めていたので驚く。どうやら皆の勘違いではないようだ。恋する少女が傷つく姿は痛々しく、ルゼの目もますます険しくなった。この美少女に好意を寄せられていることも知らずにこんな話をするなど、ハワーズは自らの首を絞めている。
「今だ」
「おう」
嫌わせるには絶好のチャンスとルゼがナジカの肩に手を置いた。ナジカは頷いてレイニーの肩を叩き、レイニーは様子を窺いつつ、ウィシュニアに手の平を向け、そのままじっと彼女を見つめた。
するとウィシュニアはすっと目を細めて、ハワーズへと歩み寄る。
「ハワーズあなた、ここがどこだか忘れているんじゃなくて?」
「そんな堅いこと」
「あなたのそういう下品なところが大嫌いなの。エリネ様の視界に入らないで下さる?」
効果覿面だった。効きすぎて怖いほどだ。
「だ、大嫌いって……」
「見苦しいわ。聖騎士の名を汚さないでいただけるかしら」
「…………」
「しかもエリネ様と、ギルネスト殿下の御前で。一緒にされたティタンさん達が可哀想だわ」
「ご、ごめんなさい」
その様子を見て、ナジカが不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ、あの人、本当にあの騎士が好きだったのか? ぜんぜん抵抗なくああなったけど」
「…………でも」
ルゼはちらりとスルヤを見た。スルヤも首をひねって唸る。
「ウィシュニアさん、後ろめたいことは絶対にないんで、あんまり叱らないでやって下さい。ハワーズも色々あって寂しいんですよ」
見かねたティタンが庇うように言った。そんなティタンを見て、ウィシュニアはさっと目を逸らして顔を赤らめる。そして邪魔なハワーズを押しのけて、部屋から出て行ってしまった。
皆は無言でスルヤを睨みつける。
「そういえば、あの時ティタンもいたような」
「昨日お茶を出しに行った時もいたな、ハワーズの隣に」
皆は口々に言ってティタンを見た。当のティタンは、事態が理解できずきょとんとしている。
こいつは今回の騒動について何も知らない。彼女もいない、好きな女は僕の婚約者、という男に聞かせるのも酷だと思い、何も知らせていなかったのだ。理解できなくて当然だ。
さらにレイニーはティタンを見て言う。
「あの女の人、その人が幽霊に怯えてた時、踏みつぶしてた」
ティタンが一途な性質というのは見ていれば分かる。日頃努力をしていることも、実力があることも、それを驕らないことも。報われないところも一部の女性の母性本能をくすぐるかもしれない。そして自分を守ってくれた男。ティタンならその時、優しい言葉もかけているはずだ。
ただ足りないのは、身分だけ。
だから誰にも相談できず、落ち込んだり、浮かれたりしていたのだ。
ルゼは笑顔で伸びをした。
「ああ、よかった。正常でしたよ」
「よくないだろう、よくは」
精神的にはこちらの方が安心できるが、状況的にはハワーズの方がマシだった。ティタニスは僕の従騎士をしているが、どこの馬の骨とも分からない孤児院出の男なのだ。ウィシュニアの両親も認めないだろう。その上ティタンは嫌われる要素があまりないので、レイニーでもどうしようもない。問題はますます大きくなった。
「これ以上問題が大きくなる前に、話をするか」
気は進まないが、このままでは騎士団内の人間関係が悪くなってしまうかもしれない。
渦中のティタンが事態を理解できていないのだけが救いだった。
ウィシュニアを怒らせたのはハワーズだということにして彼を追い出し、ティタンには奴が何かしでかさないよう見ていろと命じて追い出した。完全に巻き添えを食った形のハワーズがさすがに可哀想になったが、これが一番自然な流れだ。さらに他の男達を全員外に出して、自室で落ち込んでいたウィシュニアを呼びつけた。
現在この部屋にいるのは、僕とエリネ様、ルゼ、カリン、巫女達だけなので、多少は安心感があるだろう。本当なら全て女達に任せるべきだが、事が事だけに僕は外れられなかった。目を離したらルゼやカリンが何をしでかすか分かったものではない。
「お前は、ティタニスが好きなのか?」
単刀直入に問うと、彼女は戸惑って目を泳がせた。
「お前の様子がおかしいから、まさかと思って様子を見ていたら……」
「も、申し訳ございませんっ」
「責めてはいない。こればかりはどうしようもないことだ」
そもそも僕はウィシュニアを責められる立場ではない。ルゼが本当は孤児だと知っていて婚約している。だがそれは、僕はともかく世間は知らないことだ。ルゼはオブゼーク家の長女であると父親が認めているのだから、それが事実なのだ。誰がどう否定しても、そうではないと証言できる人間はいない。要は知っていても、揺るぎない〝事実〟さえあればいいのだ。
「諦めろと言われたところで簡単に諦められるものでもない。それを強要してお前が苦しめばエリネ様まで心を痛められる。だから僕は賛成もしないが、反対もしない」
「……反対なさらないのですか?」
彼女はティタンの出自を知っている。もしものことがあれば、僕の責任になることも。だから僕の言葉に驚いていた。
「大切なのは相手の気持ちだ」
「はい」
はっきり言ってティタンはウィシュニアのことは何とも思っていない。彼女を助けたというのも、当然のことをしただけの話だ。今までルゼしか見えていなかった男が、ルゼが婚約したからと言って簡単に他に目を移すとは思えない。しかし、ずっとそのままというわけではないのも確かだ。
「私があの人の好みと正反対であるのは、分かっています」
「そんなことないよ。あいつ普通に美人好きだし。ただ、ウィシュニアは高嶺の花すぎて、女性として見るのも恐れ多いだけだと思う」
ルゼにそんなことを言われても虚しいだけだろう。ルゼはティタンの好意を知らずに、善意で意見しているのだ。だから、ウィシュニアのように気位が高い人間は恨むに恨めない。何よりルゼの言うことも一理ある。身分が違いすぎて、ティタンにとってウィシュニアは、絵の中の人のように遠い存在なのだ。
「確かにティタンの本来の好みは、平均的な男が好むような女性だ。ただし人間、好きになる相手がいつも理想の通りかと言ったら違う。それは分かるだろう」
「は、はい」
彼女が理想とする男はティタンとは違っていたはずだ。それでも好きになってしまったのだろう。
ティタンに自覚はないようだが、彼は女性にモテている。優しい男だから、ルーフェスだった頃のルゼが女性にモテていたのと近い理由で、本物の好意を向けられているのだ。結婚すれば面倒臭いことになりそうなウィシュニアでなくとも、普通の美しい女性を選べる立場だ。
「もしも、もしもだ」
それでも、当たり障りのない、当たり前の恋と結婚以外の選択肢を彼が望んだ場合。
「ティタンまでもがお前への好意で思い悩むようになったら、手は貸さないでもない」
「えっ……」
ウィシュニアは目を見開いた。
「あいつは僕が拾い上げた孤児だから、どこの誰かは分からない。親がいないなら、親を捏造することも可能と言えば可能だ」
誰かの養子という立場では、ウィシュニアと結ばれるには足りない。
「適当な奴の庶子にでも仕立て上げるなりすればいい。それで僕がティタンのような身分の定かでない男を従騎士にしたことも、魔術が使えることも、皆納得するだろう」
ルゼの時とほとんど同じ手だから濫用したくないが、これが僕に出来る最大のお膳立てだ。
「言っておくが、これは最後の手段だ。だから僕はそれまで一切手を貸さない。もちろんエリネ様やカリンにも手伝わせない。それで清く正しく真っ当にティタニスを落とせたら、この手段を考えてやる」
ウィシュニアは三度頷いた。
「だがそこまでしたとしてもお前の両親を納得させるのは大変だろうし、そもそもティタンが中途半端な気持ちなら、この条件に納得するとも思えない。あいつに貴族に対する憧れはないからな」
だから身分で釣るような真似は出来ない。そんなことをすれば、ウィシュニアに対して苦手意識を持つようになるだろう。
「僕としてはあいつに普通の家庭を築いてほしいと思っているが、お前があいつのことをどうしても諦められないというなら止めはしない」
少しでもこうして逃げ道を示してやらないと、気付いたら泥沼の駆け落ちをしていたということにもなりかねない。
「あとはゼクセンに見合いを中止させるが、あいつが二十歳になったら再開してもらう」
あいつは確か十八だったな。それだけ期間を設ければ、ウィシュニアも諦めがつくはずだ。ルゼも言っていたが、彼女のような惚れ方は結局は長続きしないものである。
余談だが、ナジカ曰くハワーズは下手したら一生ウィシュニアに嫌われたままらしい。
そのハワーズは、ゼクセンがティタン達に女を紹介するのはしばらくやめると聞くと、関係ないにもかかわらず何故か一番愚痴っていたそうだ。それを聞いて僕は哀れむのをやめた。一体何を狙っていたものか。
性格さえ直せば使える奴なんだが……本当に残念な男だ。
第三話 家族の形
私は鏡の中の自分の姿を確かめる。
新作化粧品で仕上げた性別不明のややこしい顔。エノーラお姉様がわざわざあつらえてくれた男物のような服が、さらにそれをややこしく仕上げている。
ここは神殿の狭い自室ではなく、私が宮殿に来てからずっと使い続けている客室だ。孤児院にいた頃は、こんな立派なドレッサーを使える日が来るとは思いもしなかった。騎士になったばかりの頃もそうだ。最初のうちは贅沢品を使うことに罪悪感を持った。しかし今はこれが当たり前だ。そうしなければならない立場である。この白いドレッサーはエノーラお姉様からのプレゼントで、中にある身だしなみのための道具も全てそうだ。
「うーん、これでいいかな?」
年齢を誤魔化しているから、幼く見えないよう、かつ男装で浮かないよう、細心の注意を払って化粧をした。だから見映えが悪いということはない。ギル様ならそんなことをしなくても老けていると言いそうだが、そんな予想は振り払う。
少し伸びた髪を後ろで一つに結んだら、なかなかいい感じになった。
寝室を出て隣の部屋に入ると、そこにはギル様とラントちゃんが待っていた。
「ギルが来たから通しておいたぜ」
「うん、ありがとう」
ラントちゃんも今日は正装している。これからオブゼーク家――私の両親との食事だ。そして明日は国王陛下とギル様のお母様との晩餐である。
「ああ、今日はともかく、明日の夕食が憂鬱です」
「我慢しろ。この一回だけだ」
「一回だけでいいんですか? 貴族ってもっと色々儀式めいたものがあるかと思ってました」
「あると言えば色々あるが、必要のないものはエリネ様の警護を理由に全て省く!」
「さすがギル様! 素晴らしいです! 男らしい! 軍人の鑑!」
こんな時にまで助けていただけるとは、さすがエリネ様、私の主だ。
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