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7巻
7-2
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「本人達が望むのなら、引き抜いてもらって構わない。その代わりと言ってはなんだが……」
「机はたくさんあるようですが、ベッドなどは足りていませんね。あとは着る物でしょうか」
ギル様の言いたいことを察して、エノーラお姉さまが必要な物を挙げていく。
「頼む。内装の補修は人海戦術でどうにでもなるが、物は新たに用意しないといけないからな」
「ああ、そうそう。先ほどのマナー教室に加えて、レース編みなども教えてはいかがでしょう。器用な子ならちょっと練習すれば」
「そうだな。自分の生活費ぐらい稼がせるか。ルゼ、教えてやれ。この上なく平和で稼ぎが良くて生産的な術の使い方だろう」
ギル様がこちらを見る。
「え、あのレースって……」
エリネ様達がついに私のレースの作り方を知ってしまうようだ。術を使っているのはバレないようにしてたけど、カリンなんかずっと疑わしそうに見ていたからな。
「ついでに、自分の花嫁衣装のレースも作りなさい。とびっきりの花嫁衣装を作るわよ」
エノーラお姉様の口から出た、花嫁衣装という言葉に動揺し、私は現実から目を逸らすべく空を眺めた。
ああ、青空が綺麗だ。色々と、頑張ろう。
神官達の目で見て安全だと確認された後、火矢の会の人の案内で、エリネ様や先ほどはっきり見えていた傀儡術師達にも施設内を確認してもらった。
そのついでに備品の確認もした。どの部屋をどう使うかを考えて建物全体の修復をしようなどと話し合いながら、ギル様とアルシエラ様が部屋を見て回る。私はその後について行き、必要な備品の数を書き留めていった。雨漏りがする場所があるから、それを最初に直す必要があるらしい。大変だ。
エリネ様は手っ取り早く貢ぎ物を現金に換えて支援できないかと言ったが、あまりこの施設にばかり肩入れしすぎると世間から不平等に見られるので、やめた方がいいらしい。傀儡術師はずるいと言われるようになったら、ますます彼らの肩身が狭くなるから。
最初は緊張していた傀儡術師達も、建物内を見て回るうちに浮つき始めた。組織の歴史は浅いらしく、一番年上が四十になるかならないか。一番多いのは十代の少年少女だ。今まで外に出る機会がなかった若い子達が特にそわそわしている。さすがに走り回ったりはしなかったが、それはまだ幽霊がどこかに隠れているんじゃないかと怯えているからだ。それも気にならない好奇心旺盛な子はラントちゃんがしっかり捕まえてくれている。獣族は傀儡術が効きにくいから任せて安心である。
「台所と食堂は掃除するだけで使えそうだな。けっこう皿も調理器具も残ってるぞ」
子供達を引き連れ台所にやってきたラントちゃんが、棚の中を見ながら言う。揺れるお尻が可愛らしく、尻尾を女の子に引っ張られて悲鳴を上げたりする様子が大変微笑ましい。
「わぁ、広いなっ! ここ使っていいの?」
ラントちゃんの声を聞いたナジカ達が続いて台所に入り、探検を始めた。他の部屋は荒らされているところもあったのだが、ここは比較的綺麗だった。
「幽霊が出るところの台所はさすがに盗みに入っても無駄だと思われたんだろうね。でも虫とかいると思うから、不用意に触らない方がいいと思うよ。見つけたら全力で駆除だよ!」
私と同じく備品リストを作っていたゼクセンがそう言うと、一部の子供達は素直に警戒した。
続いて部屋を移動して次々確認していく。中には子供を入れるのはどうかという部屋もあったが、そういった部屋は子供達に見せず、ドアに印だけ付けた。
「なぁ、明らかに血っぽい汚れが……あったんだけど」
「何言ってるの。そんなの掃除すればいいでしょ」
駄目な部屋の中を見たクロトが小声で冷静に伝えてきたので、私は笑いながら返した。一緒に点検している大人達で、今も怯えているのはレイドとティタンだけだ。皆切り替えが早くて助かる。
一通り確認して一番綺麗だった食堂に戻ってくると、エリネ様は顔見知りの子供達に笑みを向けながら声をかけた。
「皆さん、お掃除しましょうか。お部屋の方はまだ使えないから、どこか寝られる場所を作らないといけません。ここなら簡単なお掃除だけで済みそうですよ」
「そうですね。それがいい」
ギル様がエリネ様の提案に賛成した。食堂なら生活に必要な場所だし、雑魚寝も出来る広さがあるからぴったりだ。皆で一緒に寝ていれば、万が一浄化漏れがあったとしても安心だし!
持ち込んだ掃除道具や、台所の隣にあった小部屋から箒やモップなどを取り出し、とりあえず埃を払うことにした。エリネ様付きの巫女達は、子供達に掃除の仕方を教え始める。
「ここで寝るのかぁ。あたしのお部屋どこになるのかなぁ」
「オバケが出ないといいねぇラントくん」
「そうだなぁ。出ねぇ方がいいわなぁ」
子供達が暢気に話しながら掃除をする。先ほどゼクセンに言われた通りむやみに棚に手を突っ込まず、傀儡術で中の物をわずかにずらして奥を確かめてから、少しずつ手で物を出していた。その様子を見て、エノーラお姉様が彼らに問う。
「傀儡術で外に出さないの?」
「割れちゃうよー」
「誰も出来ないの?」
「ゼノンー」
女の子が誰かを呼ぶと、皿が一枚一枚浮いて食器棚から出てくる。そしてそのまま床に積み上げられた。見ればさっき台所ではしゃいでいた、私と同年代の男の子が視線を皿に向けて指をすり合わせている。おそらく彼がやっているのだろうが、一枚ずつなのであまり効率はよくない。
「ルゼ」
エノーラお姉様はまどろこしく感じたのか、声をかけてくる。私は渋々力を使い、中の皿を一度に移動させて棚を空にする。続いて割れている物は除けて台の上に綺麗に積んでみせた。それを見て、子供達が目を丸くする。
「ルゼさん……本当に傀儡術師だったんだ……」
近くにいた聖騎士仲間のマディさんがぽつりと漏らした。
「器用なことをすると思ってたが、本当に器用だったんだな」
クロトがそう言いながら一抱え分の皿を浮かせたが、皿が崩れかけたのですぐに下ろした。
「クロトでも出来ないの?」
「一塊の物や、そうそう倒れない安定した物を移動させるのは簡単だけど、積んだ皿の列を一度に移動させたら倒すな。不安定な物を安定させながら水平移動させるってのはとにかく難しい。壊してもよければそれなりに出来る奴はいるけどな」
なるほど。思い返してみれば、本を重ねて一度に運ぶのは難しかったような気がする。
「ルゼが出来るならって思ったけど、これじゃレース編みも簡単にはいかなさそうね。方法を考えなくちゃ」
エノーラお姉様が呟いた。道は遠そうだが、まあこんなの慣れだしね。
「そういえばルゼ様、いつ王子様と結婚するの?」
私と同じ年頃の少女に問われて、思わず硬直した。まさかそんなことを聞かれるなんて。
「ええ、えっと、その、あの、まだだいぶ先だよっ!」
まごつきながら言うと、その様子を見たギル様が笑う。
正式に婚約してから、ギル様はずいぶんと余裕が出来たように見える。前よりも大らかになった。キスされそうになって殴り倒しても、ちっとも怒ってなかったし。
「僕の一番上の兄の婚約者がまだ若くて、ようやく年頃になったばかりなんだ。彼らの結婚式からは間を置きたいから、だいぶ先だな。祝いを出す側が大変だろう」
傀儡術師達がほうほうと納得して頷いた。祝い事には金銭がかかる。身分が上がれば上がるほど、その額は増えるのだ。祝う方も大変である。
「それまでには、さすがのお前も自覚が出来ているだろう」
ギル様が笑顔で私に言う。
「そ、そうだといいですね」
「そうでなければ困る」
ギル様は私の後頭部に手を回して微笑む。キスでもしそうな態勢だったが、髪の長さを確認するように撫でて、何もせずに離れた。女の子達ががっかりしたように肩を落とす。
「なぁなぁ、王子様」
ナジカがギル様を手招きした。失礼な態度だが、子供がすることなので今は誰も怒らない。
「どうした」
「今さっきの除霊を見てさ、ふと思いついたんだ……ですけど」
「なんだ、言ってみろ」
ナジカは周囲を見回した。
「ここでは言いにくいのか?」
「言っていいのかどうか……」
彼が見たのは、エリネ様についてきた巫女と神官達だった。
「構わん。子供が言うことで怒る狭量な者はここにはいない」
ナジカは肩をすくめて手近にあった机にもたれた。
「子供の戯れ言として聞き流して下さって構いませんが……さっきの除霊を見て思ったんです。すごいなって」
私には理解できなかったが、見えた人達は頷いている。
「信仰心とか忠誠心とか、そういうの、オレはよく分からないけど、なんとなくそういうのが生まれるのは分かりました」
「そう、か……」
私もギル様もその光景が見えなかったこともあり、ナジカがこのように言うのが意外だった。
「で、思い出したんです。死んだレダが、ちょっとルゼ様に似てたんですよ」
私は思わず自分を指さした。
「性格じゃないですよ。ルゼ様がたまに見せる王子様や聖女様への忠誠とか、あと言動とかが。聖女様を殺そうと張り切ってたのも、命令っていうか、誰かのためにって感じで異質だったんです」
ギル様は驚いてナジカを凝視した。
「確かに……言われてみれば」
クロトの言葉に他の者達も頷く。
「確かに、外の奴らは従順なのばっかだったなぁ」
「やたら強くて、なのに死ねって言われたら死ぬような奴ばっかだったね」
「レダも私はお前達とは違うって雰囲気があったわね」
ギル様が腕を組んで唸る。そんな強い思いをもってエリネ様を殺さなければならない理由が、私には思いつかなかった。本当に邪神信教絡みではないかとすら思える。
「ただ従順な奴って思ってたけど、今思えばルゼ様みたいに、誰かに忠誠を誓っていたのかもって。ただの印象ですけど」
ナジカは私を見て言う。ギル様も私をじっと見て頷いた。
「とても参考になった。ナジカだったか。ルゼも褒めていたが君は賢いな」
ギル様はナジカの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「褒美に菓子でも買ってきてやろう。何か好きな物はあるか?」
ナジカは嬉しそうな顔をしたが、すぐに戸惑ったように振り返って仲間を見た。私には彼の気持ちがよく理解できたので口を挟む。
「ギル様、この子達は何を頼んでいいのか分からないので、ギル様がお好きな物を買ってくればいいと思います。みんなで分けられる物だったら何でもいいですよ」
何も知らなければ、何を見ても新鮮な驚きになるだろう。
「そうだな。じゃあ子供が好きそうな甘い物を適当に買ってくるか。他の子達も、いい子にしてたら分けてやる」
「ありがとうございますっ」
ナジカのような大人びた少年でも、お菓子と聞けば喜ぶようだ。
「大人達には来週、組織についての聞き取りをするから、考えをまとめておけ。情報が出せなくても叱りはしないから、自己判断でどうでもいいと捨て置いたり、隠したりせず、自分の考えを言ってくれ。使える情報かどうかはこちらで判断する」
ギル様はそれだけ言うと手を叩いた。
「さ、掃除をしよう。これだけ人数がいるんだから、すぐに片付くだろう」
「はーい」
「寝具は騎士団から借りてきた物だから、絶対に破くなよ」
「さっきも聞いたもん。やぶかないよ!」
ギル様が忠告すると隣にいた女の子が頬を膨らませる。彼は人から指摘される程度にはしつこい男だ。
掃除をしている間に遅くなってしまい、夕飯は屋台で買ってきた物を食べた。エリネ様と子供達は、こういう屋台料理を食べたのは初めてだそうで、大変楽しんでいた。屋台なんて毎日出てるのは、都をはじめとする大都市ぐらいだろう。
「こういうのは子供の頃以来で、楽しいですね」
エリネ様は子供達と話しながら、お泊まりの準備をしていた。せっかくだから皆で泊まり込んで、何も出ないか見届けようということになったのだ。聖騎士と侍女達は、主であるエリネ様がベッドもない、それも同宿者の半分が男という場所に泊まるなんてと反対したが、アルシエラ様が、残り半分は女性だし、警備もしっかりしているから問題ないと言って決行されることになった。そもそも聖女は粗末な場所で寝ることもあれば、一般人と雑魚寝をすることもあるのだという。助けを乞われて出かけた先では何があるか分からない。必要であればこういった場所で眠ることも出来るよう、聖女には普段から必要以上に贅沢をさせないのだそうだ。田舎の村娘だったエリネ様は元々贅沢とは無縁だったので、聖女として理想的だったのだという。
侍女達には神殿に戻ってもいいと言ったのだが、カリンはともかくウィシュニアまでもが残って雑魚寝すると言い出した。彼女は、エリネ様が攫われた時に付いていなかったことに自責の念を覚えているようだ。アルシエラ様は、エリネ様の侍女として自覚が出てきたと喜んでいた。
「聖女様も小さなころに雑魚寝したの?」
「ええ。村のお祭りの時に」
エリネ様は毛布一枚越しの硬い床の上に座り、暖炉の火を見ながら子供達の質問に答えていた。
「お祭り……」
「都のはそういうのとは少し違いますが、春に大きなお祭りがあります」
エリネ様が言うと質問した子は悲しげに目を伏せた。一番祭りを楽しめる年頃の幼い少女だ。
「どうしました? お祭りで嫌なことがあったのですか?」
「私がお祭りを見たら神様が怒るって、言われたことがあるような気がするの」
きっと組織に買われる前のことだろう。
「悲しいことを言われたのですね。可哀想に。あなたが見たからと言って、不機嫌になるような神様なんていません。そんなことを言う人がいたら、レルカ様は悲しまれます」
豊穣の女神、慈悲のレルカは、そんな差別はしない。もしそのような神であれば、人々は失望するだろう。
「お祭りは皆で楽しむものです。誰もそれを咎めたりはしません。春のお祭りでは花をばらまくんですよ。それをお守りにするんだそうです。ぜひ、拾いに来て下さいね」
エリネ様が少女の頬に触れて微笑むと、少女は小さく頷いた。
「楽しくお話ししているところ悪いけど、忠告しておくよ」
椅子に座っていた私は、思うところがあって口を挟んだ。
「人は君達が最初に思っていたほど意地悪ではないけど、君達が今希望を抱いたほど優しくもないよ。自分にとって良い人もいれば、嫌な人もいる。それらの人は、他人にとっては嫌な人、もしくは良い人かもしれない。つまり何が言いたいかというと、今話している人達が親切だからって、他の人達に理解されなかったり、親切にされなかったりした時にキレたら駄目だよ」
ここにいる傀儡術師達は普通の生活は出来ない、暗殺者にもなれる人間達だ。受け入れられるどころか、むしろ嫌われる方が普通だ。理解してもらうには努力が必要なのである。
「だから私達は特殊だってことを忘れず、短気にならないのが世間に馴染むコツだね。多少物を動かせるぐらいの子はともかく、心を読めるような子や、人を操れるような子は特にさ。洗脳しちゃうようなヤバイ力の持ち主はいないみたいだから、そこは安心だけどね」
そういう子がいたら厄介だった。傀儡術師で最も恐れられるのは、そういう力の持ち主なのだ。
「現実は厳しいよ。権力者の庇護下にあると生きるのは楽だけど、それでやっかむ人もいるだろうしね。そのあたりも含めてギル様が面倒を見て下さるから、何かされたら自分で仕返しなんてせずに報告するように。仕返しの時に法律に触れたら庇ってやれないからね」
優しくしてやりたいが、それはエリネ様にお任せする。彼らの立場をよく理解している私が厳しくしないと。他の人では加減が分からないだろうから。
「特にクロト、あんたみたいな直情的なタイプが一番心配だよ」
名指しされたクロトは鼻白む。彼は未だに、仲間を殺したことのある私に対して反感を露わにしている。彼は仲間のために怒り、身体を張って仲間を守るような男だ。仲間が大切なのは当然だが、彼の態度を見ていると生きにくそうだと感じてしまう。
「普通に生きるのは、思ったよりも難しいことなのですね」
エリネ様が呟いた。
思えばここにいる全員が、普通の人生を歩んでいない。騎士達も、神官達も、巫女達も。
ひょっとしたら、普通と括られるような人間など、いないのかもしれない。
ふとそんな事を考えた時だ。
「聖女様聖女様」
ナジカに呼ばれ、皆はそちらを見た。
「どうしたの?」
「寝る前にすっげぇ悪いんだけどさぁ……」
彼は台所の方を指さした。何やらポタポタと音が聞こえる。彼が示したカウンターの上には……逆さになってこちらを覗く顔があった。三つも。
いや、もう一つ出た。もう一つ……また一つ……
「私にも見える!?」
私は皆と一緒にあんぐりと口を開いて、増殖する顔を凝視した。
つつ……と口元から水が垂れ、長い髪を伝ってカウンターに落ちる。
「……し、神官の皆さん、お願いしますっ」
「かしこまりました」
どうやらここは外からも寄せ付けやすい場所で、今のは別の場所から来たものらしかった。
結局ここが幽霊の出ない場所になるまで一週間以上かかるのだが、そんなことはまだ誰も想像すらしていなかった。
第二話 人の恋路を邪魔する方法
僕――ギルネストは、自分の執務室の窓枠に肘をつき、茶を飲みながらため息をついた。
「疲れた」
一日で片が付くと思っていた施設の幽霊騒動が、まさか一週間以上もかかるとは夢にも思っていなかった。そのため、傀儡術師達への聞き取り調査など様々なことが遅れてしまった。
新たに入って来たものを処理し、最後には外から悪いものが入ってこられないよう施設の周りに結界を張って、一応の決着とした。
大神官様からは、神官達に貴重な経験をさせてもらったと礼を言われた。住人達の魔力が強く危険が少なかったため、エリネ様だけでなく神官達も気軽に経験を積むことが出来たのだという。
何しろ、初めは怯えていたはずの子供が悪霊を怒鳴りつけて退散させたり、ウィシュニアまでもが怯える騎士の目の前で生首を踏みつけていたぐらいだ。あのままにしておいても実害はなかったのだが、ごく一部の傀儡術師が怯えていたし、神官達も最後までやると言うからやってもらった。霊達は神官達の新術の実験台にされてた気がする。
それから聞き取り調査と能力調査、そして結果を話し合うための会議を終え、ようやく一息ついたところである。霊が苦手なくせに最後まで付き合って疲弊していたティタンは、今日は休ませている。だが、どうせ身体が鈍ったからと言って聖騎士達と共に運動しているのだろう。レイドも最後の方には幽霊に慣れていたが、やはり疲れてはいたので明日出てくるティタンと交代で休むことになっている。ゼクセンは通常勤務だ。
「来週になったら、まとまった休みを取るぞ。ルゼの家族も来るしな。ゼクセンはエフィニアとデートでもしろ」
「え、いいんですか? 嬉しいなぁ」
何故彼らが来るのかというと、もちろん僕とルゼの婚約の件で、両親同士の顔合わせを兼ねて僕から挨拶をするためだ。本来なら、男の方が女の両親のもとへ足を運ばなければならないのだが、ついでの用があるということでオブゼーク家の方が来ることになった。僕の母が余計なことをしやしないかという気苦労は増えたが、僕自身が忙しいのでとりあえずありがたい。
やることは山のようにあるのだ。傀儡術師は火矢の会の連中に任せているが、傀儡術師達の元アジトの現場検証の結果や、黒幕について調べているネイド達からの報告に目を通さなければならない。
「エリネ様を狙った黒幕をどうにかすれば、もっと気楽になるんだがな……」
ただでさえ聖女付きの紫杯はすることが多いのだ。聖騎士達を管理し、神殿と各方面との調整をしなければならない。エリネ様が外出する時は特に気を使う。
先日エリネ様とルゼが誘拐された植物園の視察は、敵に当たりを付けられやすかったにしても失態だった。幸いにも無事に救出し、ルゼが敵を取り込んできたから挽回できたが、こんなことは二度とないようにしなければならない。そのためにも調査資料を分析し、エリネ様を狙った奴らを割り出さなければならないのに、その上傀儡術師達まで引き取ったので忙しい。
分析は幹部組織である紫杯の仕事ではないが、任せられる相手がいないのだから仕方がない。その代わりエリネ様の警護については、同じ紫杯の上の連中に頼った方がいいだろう。頼られれば悪い気はしないはずだし、任せてしまえば僕への文句も少なくなる。
エリネ様に外に行くなとは言えないし、聖女関係のことは対処が難しいのだ。
「でもルゼちゃんが同じ職場で良かったですね。仕事に理解がない子だと、私と仕事とどっちが大事なのって、定番のあの台詞が出てきますよ、きっと」
「そんな女ならそもそも結婚しようなどとは思わん。僕が暇でも、むしろあの女の方が僕を放っとくだろうな」
「そりゃそうですよね。ルゼちゃんけっこう面倒くさがり屋さんだから」
ゼクセンは菓子にかじりつき、くすくすと笑う。見慣れぬ菓子だったので僕が興味を示すと、彼は容器を差し出した。それを受け取ろうとした時、ドアがノックもなしに開かれた。
誰かと思えば、ルゼだった。
彼女は何故か泣いていた。泣いて、途方に暮れたように立ち尽くしている。
「ど、どうしっ」
持っていたカップを置いて駆け寄ると、ルゼは泣きながら縋りついてきた。
「ギル様っ」
「どうした!? 何かあったのか!?」
エリネ様のことならこのように弱々しい泣き方はしないだろう。だから原因はエリネ様ではない。では何故泣くのか。僕には想像もつかなかった。
「教えて下さい、ギル様。どうしたら好きな人を諦めることが出来ますかっ!?」
「僕が知るかっ!」
選りに選って、好きな人を諦める方法だ。
好きな人。目の前が真っ白になる。
いつか逃げ出すのではと不安に思ってはいたが、それは身分的なことや、嫁いびり的なことがあるからだ。さすがに他に好きな男が出来たからなどという理由は想定外である。
「婚約早々、別れ話かっ!?」
「え、婚約?」
「僕とお前は婚約してるんだっ!」
「それは知ってますけど…………ああ」
ルゼは僕から身体を離して手を打った。
「言い方を間違えました。正確には『好きな人を諦めさせる方法』です」
諦める方法ではなく諦めさせる方法。
「…………紛らわしい!」
思わず脳天に手刀を入れていた。もし彼女が男なら、我を忘れて拳で殴り、気を失うまで蹴りを入れていたところだ。
「そんなに怒らなくたって……。仮にも婚約者に、好きな人が出来たんですなんて言う馬鹿がいますか。もう、心配症なんだから」
「もう、じゃない。心配させるお前が悪いんだろうがっ」
僕はルゼの両肩を掴んで凄んだ。
「そんなことよりも、大変なんです。諦めさせないとっ」
「誰の話だ?」
「ウィシュニアです」
あまり目立たないエリネ様の侍女の姿を思い浮かべる。今まで手を掛けさせるようなことは一切なかった。真面目で男にもまったく興味を示さず、それが逆に親の悩みの種になっているぐらいだ。彼女の母親は、愛娘には出来れば政略結婚ではなく恋愛結婚をしてほしいと願っているらしく、さらには聖騎士達をその相手として望んでいるらしい。セルが彼女の弟から姉の様子を聞かれて、困ったと言っていた。
「とりあえず座れ」
あの気位の高いウィシュニアが、どこの馬の骨に惚れてしまったのか聞き出さなければならない。
「机はたくさんあるようですが、ベッドなどは足りていませんね。あとは着る物でしょうか」
ギル様の言いたいことを察して、エノーラお姉さまが必要な物を挙げていく。
「頼む。内装の補修は人海戦術でどうにでもなるが、物は新たに用意しないといけないからな」
「ああ、そうそう。先ほどのマナー教室に加えて、レース編みなども教えてはいかがでしょう。器用な子ならちょっと練習すれば」
「そうだな。自分の生活費ぐらい稼がせるか。ルゼ、教えてやれ。この上なく平和で稼ぎが良くて生産的な術の使い方だろう」
ギル様がこちらを見る。
「え、あのレースって……」
エリネ様達がついに私のレースの作り方を知ってしまうようだ。術を使っているのはバレないようにしてたけど、カリンなんかずっと疑わしそうに見ていたからな。
「ついでに、自分の花嫁衣装のレースも作りなさい。とびっきりの花嫁衣装を作るわよ」
エノーラお姉様の口から出た、花嫁衣装という言葉に動揺し、私は現実から目を逸らすべく空を眺めた。
ああ、青空が綺麗だ。色々と、頑張ろう。
神官達の目で見て安全だと確認された後、火矢の会の人の案内で、エリネ様や先ほどはっきり見えていた傀儡術師達にも施設内を確認してもらった。
そのついでに備品の確認もした。どの部屋をどう使うかを考えて建物全体の修復をしようなどと話し合いながら、ギル様とアルシエラ様が部屋を見て回る。私はその後について行き、必要な備品の数を書き留めていった。雨漏りがする場所があるから、それを最初に直す必要があるらしい。大変だ。
エリネ様は手っ取り早く貢ぎ物を現金に換えて支援できないかと言ったが、あまりこの施設にばかり肩入れしすぎると世間から不平等に見られるので、やめた方がいいらしい。傀儡術師はずるいと言われるようになったら、ますます彼らの肩身が狭くなるから。
最初は緊張していた傀儡術師達も、建物内を見て回るうちに浮つき始めた。組織の歴史は浅いらしく、一番年上が四十になるかならないか。一番多いのは十代の少年少女だ。今まで外に出る機会がなかった若い子達が特にそわそわしている。さすがに走り回ったりはしなかったが、それはまだ幽霊がどこかに隠れているんじゃないかと怯えているからだ。それも気にならない好奇心旺盛な子はラントちゃんがしっかり捕まえてくれている。獣族は傀儡術が効きにくいから任せて安心である。
「台所と食堂は掃除するだけで使えそうだな。けっこう皿も調理器具も残ってるぞ」
子供達を引き連れ台所にやってきたラントちゃんが、棚の中を見ながら言う。揺れるお尻が可愛らしく、尻尾を女の子に引っ張られて悲鳴を上げたりする様子が大変微笑ましい。
「わぁ、広いなっ! ここ使っていいの?」
ラントちゃんの声を聞いたナジカ達が続いて台所に入り、探検を始めた。他の部屋は荒らされているところもあったのだが、ここは比較的綺麗だった。
「幽霊が出るところの台所はさすがに盗みに入っても無駄だと思われたんだろうね。でも虫とかいると思うから、不用意に触らない方がいいと思うよ。見つけたら全力で駆除だよ!」
私と同じく備品リストを作っていたゼクセンがそう言うと、一部の子供達は素直に警戒した。
続いて部屋を移動して次々確認していく。中には子供を入れるのはどうかという部屋もあったが、そういった部屋は子供達に見せず、ドアに印だけ付けた。
「なぁ、明らかに血っぽい汚れが……あったんだけど」
「何言ってるの。そんなの掃除すればいいでしょ」
駄目な部屋の中を見たクロトが小声で冷静に伝えてきたので、私は笑いながら返した。一緒に点検している大人達で、今も怯えているのはレイドとティタンだけだ。皆切り替えが早くて助かる。
一通り確認して一番綺麗だった食堂に戻ってくると、エリネ様は顔見知りの子供達に笑みを向けながら声をかけた。
「皆さん、お掃除しましょうか。お部屋の方はまだ使えないから、どこか寝られる場所を作らないといけません。ここなら簡単なお掃除だけで済みそうですよ」
「そうですね。それがいい」
ギル様がエリネ様の提案に賛成した。食堂なら生活に必要な場所だし、雑魚寝も出来る広さがあるからぴったりだ。皆で一緒に寝ていれば、万が一浄化漏れがあったとしても安心だし!
持ち込んだ掃除道具や、台所の隣にあった小部屋から箒やモップなどを取り出し、とりあえず埃を払うことにした。エリネ様付きの巫女達は、子供達に掃除の仕方を教え始める。
「ここで寝るのかぁ。あたしのお部屋どこになるのかなぁ」
「オバケが出ないといいねぇラントくん」
「そうだなぁ。出ねぇ方がいいわなぁ」
子供達が暢気に話しながら掃除をする。先ほどゼクセンに言われた通りむやみに棚に手を突っ込まず、傀儡術で中の物をわずかにずらして奥を確かめてから、少しずつ手で物を出していた。その様子を見て、エノーラお姉様が彼らに問う。
「傀儡術で外に出さないの?」
「割れちゃうよー」
「誰も出来ないの?」
「ゼノンー」
女の子が誰かを呼ぶと、皿が一枚一枚浮いて食器棚から出てくる。そしてそのまま床に積み上げられた。見ればさっき台所ではしゃいでいた、私と同年代の男の子が視線を皿に向けて指をすり合わせている。おそらく彼がやっているのだろうが、一枚ずつなのであまり効率はよくない。
「ルゼ」
エノーラお姉様はまどろこしく感じたのか、声をかけてくる。私は渋々力を使い、中の皿を一度に移動させて棚を空にする。続いて割れている物は除けて台の上に綺麗に積んでみせた。それを見て、子供達が目を丸くする。
「ルゼさん……本当に傀儡術師だったんだ……」
近くにいた聖騎士仲間のマディさんがぽつりと漏らした。
「器用なことをすると思ってたが、本当に器用だったんだな」
クロトがそう言いながら一抱え分の皿を浮かせたが、皿が崩れかけたのですぐに下ろした。
「クロトでも出来ないの?」
「一塊の物や、そうそう倒れない安定した物を移動させるのは簡単だけど、積んだ皿の列を一度に移動させたら倒すな。不安定な物を安定させながら水平移動させるってのはとにかく難しい。壊してもよければそれなりに出来る奴はいるけどな」
なるほど。思い返してみれば、本を重ねて一度に運ぶのは難しかったような気がする。
「ルゼが出来るならって思ったけど、これじゃレース編みも簡単にはいかなさそうね。方法を考えなくちゃ」
エノーラお姉様が呟いた。道は遠そうだが、まあこんなの慣れだしね。
「そういえばルゼ様、いつ王子様と結婚するの?」
私と同じ年頃の少女に問われて、思わず硬直した。まさかそんなことを聞かれるなんて。
「ええ、えっと、その、あの、まだだいぶ先だよっ!」
まごつきながら言うと、その様子を見たギル様が笑う。
正式に婚約してから、ギル様はずいぶんと余裕が出来たように見える。前よりも大らかになった。キスされそうになって殴り倒しても、ちっとも怒ってなかったし。
「僕の一番上の兄の婚約者がまだ若くて、ようやく年頃になったばかりなんだ。彼らの結婚式からは間を置きたいから、だいぶ先だな。祝いを出す側が大変だろう」
傀儡術師達がほうほうと納得して頷いた。祝い事には金銭がかかる。身分が上がれば上がるほど、その額は増えるのだ。祝う方も大変である。
「それまでには、さすがのお前も自覚が出来ているだろう」
ギル様が笑顔で私に言う。
「そ、そうだといいですね」
「そうでなければ困る」
ギル様は私の後頭部に手を回して微笑む。キスでもしそうな態勢だったが、髪の長さを確認するように撫でて、何もせずに離れた。女の子達ががっかりしたように肩を落とす。
「なぁなぁ、王子様」
ナジカがギル様を手招きした。失礼な態度だが、子供がすることなので今は誰も怒らない。
「どうした」
「今さっきの除霊を見てさ、ふと思いついたんだ……ですけど」
「なんだ、言ってみろ」
ナジカは周囲を見回した。
「ここでは言いにくいのか?」
「言っていいのかどうか……」
彼が見たのは、エリネ様についてきた巫女と神官達だった。
「構わん。子供が言うことで怒る狭量な者はここにはいない」
ナジカは肩をすくめて手近にあった机にもたれた。
「子供の戯れ言として聞き流して下さって構いませんが……さっきの除霊を見て思ったんです。すごいなって」
私には理解できなかったが、見えた人達は頷いている。
「信仰心とか忠誠心とか、そういうの、オレはよく分からないけど、なんとなくそういうのが生まれるのは分かりました」
「そう、か……」
私もギル様もその光景が見えなかったこともあり、ナジカがこのように言うのが意外だった。
「で、思い出したんです。死んだレダが、ちょっとルゼ様に似てたんですよ」
私は思わず自分を指さした。
「性格じゃないですよ。ルゼ様がたまに見せる王子様や聖女様への忠誠とか、あと言動とかが。聖女様を殺そうと張り切ってたのも、命令っていうか、誰かのためにって感じで異質だったんです」
ギル様は驚いてナジカを凝視した。
「確かに……言われてみれば」
クロトの言葉に他の者達も頷く。
「確かに、外の奴らは従順なのばっかだったなぁ」
「やたら強くて、なのに死ねって言われたら死ぬような奴ばっかだったね」
「レダも私はお前達とは違うって雰囲気があったわね」
ギル様が腕を組んで唸る。そんな強い思いをもってエリネ様を殺さなければならない理由が、私には思いつかなかった。本当に邪神信教絡みではないかとすら思える。
「ただ従順な奴って思ってたけど、今思えばルゼ様みたいに、誰かに忠誠を誓っていたのかもって。ただの印象ですけど」
ナジカは私を見て言う。ギル様も私をじっと見て頷いた。
「とても参考になった。ナジカだったか。ルゼも褒めていたが君は賢いな」
ギル様はナジカの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「褒美に菓子でも買ってきてやろう。何か好きな物はあるか?」
ナジカは嬉しそうな顔をしたが、すぐに戸惑ったように振り返って仲間を見た。私には彼の気持ちがよく理解できたので口を挟む。
「ギル様、この子達は何を頼んでいいのか分からないので、ギル様がお好きな物を買ってくればいいと思います。みんなで分けられる物だったら何でもいいですよ」
何も知らなければ、何を見ても新鮮な驚きになるだろう。
「そうだな。じゃあ子供が好きそうな甘い物を適当に買ってくるか。他の子達も、いい子にしてたら分けてやる」
「ありがとうございますっ」
ナジカのような大人びた少年でも、お菓子と聞けば喜ぶようだ。
「大人達には来週、組織についての聞き取りをするから、考えをまとめておけ。情報が出せなくても叱りはしないから、自己判断でどうでもいいと捨て置いたり、隠したりせず、自分の考えを言ってくれ。使える情報かどうかはこちらで判断する」
ギル様はそれだけ言うと手を叩いた。
「さ、掃除をしよう。これだけ人数がいるんだから、すぐに片付くだろう」
「はーい」
「寝具は騎士団から借りてきた物だから、絶対に破くなよ」
「さっきも聞いたもん。やぶかないよ!」
ギル様が忠告すると隣にいた女の子が頬を膨らませる。彼は人から指摘される程度にはしつこい男だ。
掃除をしている間に遅くなってしまい、夕飯は屋台で買ってきた物を食べた。エリネ様と子供達は、こういう屋台料理を食べたのは初めてだそうで、大変楽しんでいた。屋台なんて毎日出てるのは、都をはじめとする大都市ぐらいだろう。
「こういうのは子供の頃以来で、楽しいですね」
エリネ様は子供達と話しながら、お泊まりの準備をしていた。せっかくだから皆で泊まり込んで、何も出ないか見届けようということになったのだ。聖騎士と侍女達は、主であるエリネ様がベッドもない、それも同宿者の半分が男という場所に泊まるなんてと反対したが、アルシエラ様が、残り半分は女性だし、警備もしっかりしているから問題ないと言って決行されることになった。そもそも聖女は粗末な場所で寝ることもあれば、一般人と雑魚寝をすることもあるのだという。助けを乞われて出かけた先では何があるか分からない。必要であればこういった場所で眠ることも出来るよう、聖女には普段から必要以上に贅沢をさせないのだそうだ。田舎の村娘だったエリネ様は元々贅沢とは無縁だったので、聖女として理想的だったのだという。
侍女達には神殿に戻ってもいいと言ったのだが、カリンはともかくウィシュニアまでもが残って雑魚寝すると言い出した。彼女は、エリネ様が攫われた時に付いていなかったことに自責の念を覚えているようだ。アルシエラ様は、エリネ様の侍女として自覚が出てきたと喜んでいた。
「聖女様も小さなころに雑魚寝したの?」
「ええ。村のお祭りの時に」
エリネ様は毛布一枚越しの硬い床の上に座り、暖炉の火を見ながら子供達の質問に答えていた。
「お祭り……」
「都のはそういうのとは少し違いますが、春に大きなお祭りがあります」
エリネ様が言うと質問した子は悲しげに目を伏せた。一番祭りを楽しめる年頃の幼い少女だ。
「どうしました? お祭りで嫌なことがあったのですか?」
「私がお祭りを見たら神様が怒るって、言われたことがあるような気がするの」
きっと組織に買われる前のことだろう。
「悲しいことを言われたのですね。可哀想に。あなたが見たからと言って、不機嫌になるような神様なんていません。そんなことを言う人がいたら、レルカ様は悲しまれます」
豊穣の女神、慈悲のレルカは、そんな差別はしない。もしそのような神であれば、人々は失望するだろう。
「お祭りは皆で楽しむものです。誰もそれを咎めたりはしません。春のお祭りでは花をばらまくんですよ。それをお守りにするんだそうです。ぜひ、拾いに来て下さいね」
エリネ様が少女の頬に触れて微笑むと、少女は小さく頷いた。
「楽しくお話ししているところ悪いけど、忠告しておくよ」
椅子に座っていた私は、思うところがあって口を挟んだ。
「人は君達が最初に思っていたほど意地悪ではないけど、君達が今希望を抱いたほど優しくもないよ。自分にとって良い人もいれば、嫌な人もいる。それらの人は、他人にとっては嫌な人、もしくは良い人かもしれない。つまり何が言いたいかというと、今話している人達が親切だからって、他の人達に理解されなかったり、親切にされなかったりした時にキレたら駄目だよ」
ここにいる傀儡術師達は普通の生活は出来ない、暗殺者にもなれる人間達だ。受け入れられるどころか、むしろ嫌われる方が普通だ。理解してもらうには努力が必要なのである。
「だから私達は特殊だってことを忘れず、短気にならないのが世間に馴染むコツだね。多少物を動かせるぐらいの子はともかく、心を読めるような子や、人を操れるような子は特にさ。洗脳しちゃうようなヤバイ力の持ち主はいないみたいだから、そこは安心だけどね」
そういう子がいたら厄介だった。傀儡術師で最も恐れられるのは、そういう力の持ち主なのだ。
「現実は厳しいよ。権力者の庇護下にあると生きるのは楽だけど、それでやっかむ人もいるだろうしね。そのあたりも含めてギル様が面倒を見て下さるから、何かされたら自分で仕返しなんてせずに報告するように。仕返しの時に法律に触れたら庇ってやれないからね」
優しくしてやりたいが、それはエリネ様にお任せする。彼らの立場をよく理解している私が厳しくしないと。他の人では加減が分からないだろうから。
「特にクロト、あんたみたいな直情的なタイプが一番心配だよ」
名指しされたクロトは鼻白む。彼は未だに、仲間を殺したことのある私に対して反感を露わにしている。彼は仲間のために怒り、身体を張って仲間を守るような男だ。仲間が大切なのは当然だが、彼の態度を見ていると生きにくそうだと感じてしまう。
「普通に生きるのは、思ったよりも難しいことなのですね」
エリネ様が呟いた。
思えばここにいる全員が、普通の人生を歩んでいない。騎士達も、神官達も、巫女達も。
ひょっとしたら、普通と括られるような人間など、いないのかもしれない。
ふとそんな事を考えた時だ。
「聖女様聖女様」
ナジカに呼ばれ、皆はそちらを見た。
「どうしたの?」
「寝る前にすっげぇ悪いんだけどさぁ……」
彼は台所の方を指さした。何やらポタポタと音が聞こえる。彼が示したカウンターの上には……逆さになってこちらを覗く顔があった。三つも。
いや、もう一つ出た。もう一つ……また一つ……
「私にも見える!?」
私は皆と一緒にあんぐりと口を開いて、増殖する顔を凝視した。
つつ……と口元から水が垂れ、長い髪を伝ってカウンターに落ちる。
「……し、神官の皆さん、お願いしますっ」
「かしこまりました」
どうやらここは外からも寄せ付けやすい場所で、今のは別の場所から来たものらしかった。
結局ここが幽霊の出ない場所になるまで一週間以上かかるのだが、そんなことはまだ誰も想像すらしていなかった。
第二話 人の恋路を邪魔する方法
僕――ギルネストは、自分の執務室の窓枠に肘をつき、茶を飲みながらため息をついた。
「疲れた」
一日で片が付くと思っていた施設の幽霊騒動が、まさか一週間以上もかかるとは夢にも思っていなかった。そのため、傀儡術師達への聞き取り調査など様々なことが遅れてしまった。
新たに入って来たものを処理し、最後には外から悪いものが入ってこられないよう施設の周りに結界を張って、一応の決着とした。
大神官様からは、神官達に貴重な経験をさせてもらったと礼を言われた。住人達の魔力が強く危険が少なかったため、エリネ様だけでなく神官達も気軽に経験を積むことが出来たのだという。
何しろ、初めは怯えていたはずの子供が悪霊を怒鳴りつけて退散させたり、ウィシュニアまでもが怯える騎士の目の前で生首を踏みつけていたぐらいだ。あのままにしておいても実害はなかったのだが、ごく一部の傀儡術師が怯えていたし、神官達も最後までやると言うからやってもらった。霊達は神官達の新術の実験台にされてた気がする。
それから聞き取り調査と能力調査、そして結果を話し合うための会議を終え、ようやく一息ついたところである。霊が苦手なくせに最後まで付き合って疲弊していたティタンは、今日は休ませている。だが、どうせ身体が鈍ったからと言って聖騎士達と共に運動しているのだろう。レイドも最後の方には幽霊に慣れていたが、やはり疲れてはいたので明日出てくるティタンと交代で休むことになっている。ゼクセンは通常勤務だ。
「来週になったら、まとまった休みを取るぞ。ルゼの家族も来るしな。ゼクセンはエフィニアとデートでもしろ」
「え、いいんですか? 嬉しいなぁ」
何故彼らが来るのかというと、もちろん僕とルゼの婚約の件で、両親同士の顔合わせを兼ねて僕から挨拶をするためだ。本来なら、男の方が女の両親のもとへ足を運ばなければならないのだが、ついでの用があるということでオブゼーク家の方が来ることになった。僕の母が余計なことをしやしないかという気苦労は増えたが、僕自身が忙しいのでとりあえずありがたい。
やることは山のようにあるのだ。傀儡術師は火矢の会の連中に任せているが、傀儡術師達の元アジトの現場検証の結果や、黒幕について調べているネイド達からの報告に目を通さなければならない。
「エリネ様を狙った黒幕をどうにかすれば、もっと気楽になるんだがな……」
ただでさえ聖女付きの紫杯はすることが多いのだ。聖騎士達を管理し、神殿と各方面との調整をしなければならない。エリネ様が外出する時は特に気を使う。
先日エリネ様とルゼが誘拐された植物園の視察は、敵に当たりを付けられやすかったにしても失態だった。幸いにも無事に救出し、ルゼが敵を取り込んできたから挽回できたが、こんなことは二度とないようにしなければならない。そのためにも調査資料を分析し、エリネ様を狙った奴らを割り出さなければならないのに、その上傀儡術師達まで引き取ったので忙しい。
分析は幹部組織である紫杯の仕事ではないが、任せられる相手がいないのだから仕方がない。その代わりエリネ様の警護については、同じ紫杯の上の連中に頼った方がいいだろう。頼られれば悪い気はしないはずだし、任せてしまえば僕への文句も少なくなる。
エリネ様に外に行くなとは言えないし、聖女関係のことは対処が難しいのだ。
「でもルゼちゃんが同じ職場で良かったですね。仕事に理解がない子だと、私と仕事とどっちが大事なのって、定番のあの台詞が出てきますよ、きっと」
「そんな女ならそもそも結婚しようなどとは思わん。僕が暇でも、むしろあの女の方が僕を放っとくだろうな」
「そりゃそうですよね。ルゼちゃんけっこう面倒くさがり屋さんだから」
ゼクセンは菓子にかじりつき、くすくすと笑う。見慣れぬ菓子だったので僕が興味を示すと、彼は容器を差し出した。それを受け取ろうとした時、ドアがノックもなしに開かれた。
誰かと思えば、ルゼだった。
彼女は何故か泣いていた。泣いて、途方に暮れたように立ち尽くしている。
「ど、どうしっ」
持っていたカップを置いて駆け寄ると、ルゼは泣きながら縋りついてきた。
「ギル様っ」
「どうした!? 何かあったのか!?」
エリネ様のことならこのように弱々しい泣き方はしないだろう。だから原因はエリネ様ではない。では何故泣くのか。僕には想像もつかなかった。
「教えて下さい、ギル様。どうしたら好きな人を諦めることが出来ますかっ!?」
「僕が知るかっ!」
選りに選って、好きな人を諦める方法だ。
好きな人。目の前が真っ白になる。
いつか逃げ出すのではと不安に思ってはいたが、それは身分的なことや、嫁いびり的なことがあるからだ。さすがに他に好きな男が出来たからなどという理由は想定外である。
「婚約早々、別れ話かっ!?」
「え、婚約?」
「僕とお前は婚約してるんだっ!」
「それは知ってますけど…………ああ」
ルゼは僕から身体を離して手を打った。
「言い方を間違えました。正確には『好きな人を諦めさせる方法』です」
諦める方法ではなく諦めさせる方法。
「…………紛らわしい!」
思わず脳天に手刀を入れていた。もし彼女が男なら、我を忘れて拳で殴り、気を失うまで蹴りを入れていたところだ。
「そんなに怒らなくたって……。仮にも婚約者に、好きな人が出来たんですなんて言う馬鹿がいますか。もう、心配症なんだから」
「もう、じゃない。心配させるお前が悪いんだろうがっ」
僕はルゼの両肩を掴んで凄んだ。
「そんなことよりも、大変なんです。諦めさせないとっ」
「誰の話だ?」
「ウィシュニアです」
あまり目立たないエリネ様の侍女の姿を思い浮かべる。今まで手を掛けさせるようなことは一切なかった。真面目で男にもまったく興味を示さず、それが逆に親の悩みの種になっているぐらいだ。彼女の母親は、愛娘には出来れば政略結婚ではなく恋愛結婚をしてほしいと願っているらしく、さらには聖騎士達をその相手として望んでいるらしい。セルが彼女の弟から姉の様子を聞かれて、困ったと言っていた。
「とりあえず座れ」
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