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ただ愛したかっただけ(異世界)
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「リードル様、ダメです……」
「普段は我慢しているんだ。これくらいいいだろう」
「ですが……」
「ランディさえ誰かに言わなければ、バレやしない」
耳元で囁かれるのは大好きなリードルの声。
厳格ゆえに冷たい人だと勘違いされやすい彼の優しさをランディが一番よく知っているはずだった。伸ばされた手の温かさも知っている。
彼に抱かれる日をどれほど心待ちにしていたことか。
けれど描いていた未来がやってくることはなかった。
ランディが初めて抱かれたのはベッドの上ではなく、学園の空き教室だった。
その日もこうして迫られ、身体を許した。気乗りはしなかった。
けれど身体の関係さえ出来れば、また彼の心が戻ってくるかもしれないと。
ほんの少しだけ夢を見た。
けれどあれから何度となく繋がってもリードルはランディのことなんて見ていない。
彼の婚約者でいることができたのは、生徒会役員選出結果が掲示板に貼り付けられるまで。ランディが落ちこぼれになるまでのことだった。
生徒会には筆記と魔術の試験結果を合わせた成績上位三名だけが選出される。
リードルはもちろん一位で、ランディは八位。補欠枠にすら入れなかった。
あの日、掲示板の前で告げられた言葉は一生かけても忘れることはできないだろう。
「ランディ」
急かされるように壁に手をつき、ベルトを緩める。尻を少しだけ突き出せば、遅れてスラックスが擦れる音が耳に届く。
それを合図にランディはゆっくりと瞼を閉じる。そうしなければ涙が溢れてしまうから。
耳に響く荒い息と肌が打ち付けられる音。
性欲を発散させるだけの行為に愛の言葉なんて囁かれるはずもない。
せめて痛みを和らげるようにと、少し前までは香油で穴を広げていたものだ。けれど今はもうそれさえしなくなった。性欲処理の役さえももうすぐなくなるからだ。
だからせめてこの日々が夢でなかったのだと思えるように、たまにくる快楽と共に痛みを身体に覚えさせる。
行為を嫌がりながらも、必死に思い出を作ろうとするなんて馬鹿みたいだと思う。恋愛ごっこの真似事ですらないそれに縋るほどには好きなのだ。
「家に帰るまで外すなよ」
「はい」
リードルは何度か中に吐き出すと、必ず専用の栓でランディの穴を塞ぐ。
彼の精子と魔力が詰まったそれは腹の中に貯めておくと自然と体内に吸収されていく。
魔力が合わなければなくなるまで時間がかかり、時には腹を下すこともあるそうだが、ランディの場合は一刻ほどで完全に腹からなくなる。それだけ相性がいい。
なにせ優秀な子を産むため、魔力の相性重視で決められた婚約なのだから。
「薬、また買い足さないと……」
同性同士では孕む確率が低いとはいえ、学生であるうちに妊娠すれば外聞が悪い。だから毎回行為の後には避妊薬を飲んでいる。
両親にこのことがバレるとマズイので、外に買いに行っているがこの出費が意外に大きい。
去年リードルからもらった大きな宝石を売ったお金で薬を買っていたが、それも少し前に尽きてしまった。だから最近はそれよりも以前にもらったものを換金している。
薬を使う度に、リードルとの思い出の品がなくなっていく虚しさに駆られる。
それでも薬を飲まないという選択肢はない。ただでさえランディが落ちこぼれたことでリードルには迷惑をかけている。
それに最近ではとある女子生徒に入れ込んでいると聞く。リードルとともに生徒会入りを果たした生徒である。
彼女は平民出身だが、その類稀なる魔力の高さを買われて男爵家の養子となった。加えて努力家で頭も良いらしい。
ランディが勝てるところなんて血筋しかない。
だが公爵家の生まれといっても四男坊。リードルに捨てられれば、格下の貴族に嫁ぐか平民になるかの二択を迫られる。
勝っているとは思えない。
リードルが彼女に入れ込む気持ちもよく分かる。
そして男爵家の養子である彼女と結ばれるには、公爵令息の婚約者が邪魔なことも。
生徒会入り出来なかった程度では婚約破棄をすることなどできない。もっとそれらしい理由がなければ。リードルはそれを探している途中なのかもしれない。
「婚約破棄されるまではなんとか持ちこたえないと……」
そう呟いて馬車へと向かう。
頭の中は次は何を売るかでいっぱいだった。
だがその翌日、予想外のことが起きた。
二日連続で空き教室に呼び出されたかと思えば、リードルがまさかの言葉を口にした。
「去年贈った宝石を返してくれないか」
「え?」
「大粒のエメラルド。使わないなら返してくれ」
「すみません。あれはもう使った後で……」
「加工した後でも良い」
「数日ほどお時間をいただいてもよろしいですか」
「ダメだ。今日中に欲しい」
「……父に相談してみます」
「相談したところで今日中に買い戻せるとは思わないがな」
とっくに売り払ったと知っていて、返せと言っているのだ。
売って得た金を何に使っているかだって知っているだろうに……。
婚約破棄の理由として使おうというのか。
だが贈り物を売って得たお金を何に使っていたかを追及されれば、彼にだって被害が及ぶ。かなりリスクの高い選択だ。
そうまでして、彼女の手を取りたかったのだろう。ひどい人だ。
だがようやくこの不毛な恋とも決別できる。
彼の瞳と同じ色のエメラルドはかなり高値で売れた。
買い戻すとなると相当な値段がつくはず。それに急いで欲しがっていると知れば宝石商だって値段をふっかけてくるはずだ。
お父様がそんな出費を許すはずがない。加えて婚約破棄となれば怒りは頂点に達し、ランディが絶縁されることはほぼ間違いない。
もしも行為のことを告げれば、父は許してくれるかもしれない。
それでもランディは家との繋がりよりも、恋を捨てる道を選んだ。
「なんとか説得してみますので」
軽く微笑めば、リードルは顔を歪めた。『返せない』の言葉を引き出したかったのかもしれない。彼はこうも続けた。
「エメラルドだけじゃない。他の贈り物も返してくれ」
「かしこまりました」
無理難題をふっかけたつもりなのだろうが、そちらは問題ない。
売ったものは全て記憶している。どれも後から自分で購入し直そうと思っていたもので、宝石よりは簡単に手に入る。こちらは使用人に頼んで同じものを買ってきてもらうことにしよう。
リードルに頭を下げ、その場を後にする。
屋敷に帰り、父に贈り物を買い戻したいという旨を告げる。
予想通り、父は怒り狂った。思い切り左頬を引っ叩かれ、金の使い道を問われた。とっさに「男娼に使った」と嘘をつけば、今度は右頬を同じく叩かれた。
「全て買い戻して、なんとか婚約解消に持ち込んでやる。だがそれにかかった金は全てお前自身が回収させられるものと思え」
「ありがとうございます」
絶縁されない代わりに金のために嫁げということか。
公爵家の後妻か成り上がり貴族の妻か、はたまた金持ち商人の妻か。どの道、良い相手との婚姻は望めそうもない。
生徒会役員に選ばれなかっただけ。
そんなたった一度のミスで、ランディはどこまでも転がり落ちる。それがおかしくて、父がいなくなった書斎で腹を抱えて笑った。
けれど予想外なことはそれで終わりではなかった。
なぜかリードルが婚約解消に応じないのだ。
揃えた贈り物も不要だという。それどころかランディに会いたいとまで言っているそう。
男爵令嬢と何かあったのだろう。
そう思っていたが、その考えは一通の手紙によって否定される。
父に伝えても会わせてもらえないと悟ったリードルは使用人に手紙を託したのだ。ランディは外部と連絡を取ることを禁じられている。父にバレたらその使用人だってただでは済まない。それでもリードルを憐れんで仲介を引き受けたらしかった。
封を切り、中の便箋を取り出せばこれまた予想外のことが書かれていた。
最近は予想外の連続だ。やはり頭の出来が違うと辿り着く答えも違うらしい。
手紙を見て、ようやく父が強引に婚約解消を進めない理由を悟った。
手紙がなければずっとこの可能性に気づくことなどなかっただろう。
「私はそんな卑しい人間だと思われていたのか」
この腹に子どもが宿っているかもしれない。
リードルは父にそう伝えたのだ。いや、彼自身の意思で伝えたのではないのかもしれない。
彼は婚約解消をしたがっているはずだから。子どもがいたらマズイのだ。
父としても子どもがいるならこのままリードルの元に嫁がせたいと思っているのだろう。
だがランディが買っていたのは娼館御用達の品である。
かなりの値段だが、あの薬を使っていれば孕むことはない。この腹にリードルの子どもなど出来ようもないのだ。
「この通り、頬の腫れは引きました。私はいつでも嫁げます」
「今、最良の嫁ぎ先を探しているところだ。お前は黙っていろ」
父だってまさかランディが婚前交渉を行なっているとは思わなかったのだろう。その目は迷いでゆらゆらと揺れている。
ランディは落ちこぼれ。いいところは血筋と若さだけ。顔も平々凡々。愛した男に愛されることはなかった惨めな男である。
「私のお腹は頭と同じくスッカスカ。子どもなどおりませんよ」
「……誰かにそう言えと言われたのか?」
「いいえ。けれどお父様もご存知の通り、今の私の価値は若さしかありませんので。ひと月でも早く引取先が見つかることを心より願っております」
「お前の狙いは婚約解消だったのか」
父は苦虫を噛み潰したような表情で言葉を捻り出す。
ランディが金を貢いだという男娼が存在しないことにも気づいているのかもしれない。エメラルドを売った金で何を買っていたのか、も。
「私はただ幸せな結婚を思い描いていただけでございます」
だがランディは婚約解消なんて望んではいなかった。リードルを愛していた。彼の愛を欲し続けた。だが出来損ないには彼を手にすることはできなかった。
ただ、それだけの話だ。
その十日後、ランディの引取先が決まった。
リードルへの返却物を買い集めるのに利用した商会の会長が貴族との繋がりを欲していたらしい。
エメラルドの三十倍の価格で買い取ってくれる事が決まった。
「お久しぶりです、ランディ様。この度はお話を受けていただき光栄です」
「こちらこそ。これからよろしくお願いいたします」
「そう固くならずに。どうぞ中へ」
その男、アタメラと初めて会ったのは五年前。
彼がまだ商会長である父親の補佐をしていた時のこと。
爽やかな笑みの下にギラギラとした欲を秘めているーーそれが彼の第一印象だった。
その頃から貴族を娶りたいと思っていたのかもしれない。
訳ありのランディだが、血筋は良く、まだ若いので子も望める。彼にとってはいい買い物になったことを願うばかりだ。
アタメラはランディという商品を飾ることに決めたらしい。
服もアクセサリーも一流のものを与え、毎日ボディメイクをしてくれる侍女を付けてくれた。価値を低めないよう、ほとんどを部屋の中で過ごさせる。そしてここぞという客が来た時には必ず隣に侍らせる。
「君のおかげでまた一つ大きな仕事が決まったよ」
「アタメラ様の手腕によるものですよ。私はただ隣に座っていただけですから」
大きな仕事が決まると、アタメラは必ずランディを抱く。
大きなベッドの上で、大事なものに触れるように優しい手つきでランディを解していく。リードルが触れることのなかった胸やペニスを弄りながら「愛している」と囁くのである。
だがそこに愛などない。
彼は貴族の血を引いた子どもが欲しいだけ。
部屋の外からそんな噂話を何度と聞いた。
侍女から勘違いするなと言われたこともある。彼女はすぐにいなくなってしまったし、噂を聞く回数は次第に減っていった。
新しく来た侍女は度々ランディを褒めてくれるが、ご機嫌を取っておけとでも言われたのだろう。
外の声こそが現実だ。
アタメラがランディを抱くのは上機嫌の時だけ。
それ以外では抱けないことくらいすぐに気づいた。だから勘違いなどしない。
子どもを産めば。年を取れば。
いつかアタメラにとってランディは価値なきものへと転がり落ちることだろう。
それでも結果すら出せなかった時にやってくる絶望をよく知っている。
『……こんな話受けるんじゃなかった』
それが掲示板の前で聞いたリードルの言葉であり、出来損ないへと与えられる言葉である。
結果も残せぬ者に価値などない。
愛がなくとも結果が伴えば、目の前の男は大切にしてくれる。
焦らされるように与えられる快楽があるうちは、価値あるものとして存在することができる。
だから今宵もアタメラに縋り付くように抱かれるのだ。
ランディがアタメラの子を産んだのは、結婚から一年半が経った頃だった。
何事もなければ学園を卒業していた年に母となったのだ。
生まれた子どもは男女の双子。
男の子はアタメラに、女の子はランディに似ていた。アタメラは子の誕生をとても喜んだ。天使が生まれたとまで騒いで回るほどだ。
貴族の血を引く実子を彼は喉から手が出るほどに欲していた。
貴族の妻よりも価値のある存在が天使となれば、役目を果たしたランディは一体何になるのだろう。
子どもの頭を撫でながら、自分の今後について想いを馳せた。
想像通り、子どもを産んでからアタメラに抱かれることはなくなった。彼が寝室にやって来るのは決まって子供達の顔を見るため。
去り際には必ず「愛しているよ」と言いながら額にキスをしてくれる。だがそれ以上の行為はない。
今日もそれだけ置いて帰っていくものだと思ったが、様子がおかしい。困ったような顔で視線を彷徨わせている。
「どうかなさいましたか?」
「実は今週末の商談相手がどうしてもランディに会いたいと言ってきてね。まだ子を産んだばかりだから無理はさせられないと伝えたんだが会いたいの一点張りで……。今までも高額な宝石をいくつも買ってくださっているからこちらとしても困っているんだ」
「私は構いませんよ。ですが私に会いたいだなんて変わった方ですね」
「……君の元婚約者だ。妊娠してから何度も会わせろと言ってきている」
「なぜリードル様が……」
アタメラによると、リードルはランディとの婚約が解消されても次なる婚約者を探すことはしなかったらしい。学園でも夜会でもランディ以外は認めないと言っていたそうだ。
卒業したら商人から買い戻すと。
例の男爵令嬢は王子の第二夫人になることが決まったそうだ。
ランディが嫁ぐよりも前から水面下でその話は進んでいたらしい。王子が男爵令嬢への贈り物を購入していたのはアタメラの商会だったそう。だからアタメラはこの計画を知っていた。
ならリードルはいつ知ったのだろう。
恋に浮かれて踊らされて、気づいた頃に手放したものを惜しくなったのかもしれない。
「アタメラ様は私をリードル様に売るおつもりはないのですか?」
「……彼の元に戻りたいのか?」
「いいえ。けれど手放すなら高く売れる今がチャンスかと思いまして」
「やっと手に入れたんだ。私は君を手放すつもりはない」
真っ直ぐと貫くような瞳に、自分にはまだ役割があったことを思い出す。
愛がなくとも、ランディがいる限り、アタメラは『貴族を娶った商人』でいることができる。
「申し訳ありません。私が間違っておりました」
「愛しているんだ、ランディ。どうか私を彼の二の舞にはさせないでくれ」
アタメラはランディを抱きしめた。彼の身体は小さく震えている。心の底からランディが逃げ出すことを恐れているようだ。
かつて貴族の妻を逃がしてしまった商人がいるのだろうか。
その損失はきっとランディが想像するよりもずっと大きいのだろう。
それこそエメラルドの三十倍では補えないほどに。
「私はずっとあなたの側におります」
アタメラの腕にそっと手を添えて囁いた。
すると彼は安心したように優しく微笑むと、二度目のキスをして部屋を去った。
その後、ちょうどお昼寝から目覚めたらしい子どもを抱きながら、ランディは逃げ出した貴族に感謝した。
前例を作ってくれたおかげで、捨てられる日々に怯える必要などなくなったのだから。
「普段は我慢しているんだ。これくらいいいだろう」
「ですが……」
「ランディさえ誰かに言わなければ、バレやしない」
耳元で囁かれるのは大好きなリードルの声。
厳格ゆえに冷たい人だと勘違いされやすい彼の優しさをランディが一番よく知っているはずだった。伸ばされた手の温かさも知っている。
彼に抱かれる日をどれほど心待ちにしていたことか。
けれど描いていた未来がやってくることはなかった。
ランディが初めて抱かれたのはベッドの上ではなく、学園の空き教室だった。
その日もこうして迫られ、身体を許した。気乗りはしなかった。
けれど身体の関係さえ出来れば、また彼の心が戻ってくるかもしれないと。
ほんの少しだけ夢を見た。
けれどあれから何度となく繋がってもリードルはランディのことなんて見ていない。
彼の婚約者でいることができたのは、生徒会役員選出結果が掲示板に貼り付けられるまで。ランディが落ちこぼれになるまでのことだった。
生徒会には筆記と魔術の試験結果を合わせた成績上位三名だけが選出される。
リードルはもちろん一位で、ランディは八位。補欠枠にすら入れなかった。
あの日、掲示板の前で告げられた言葉は一生かけても忘れることはできないだろう。
「ランディ」
急かされるように壁に手をつき、ベルトを緩める。尻を少しだけ突き出せば、遅れてスラックスが擦れる音が耳に届く。
それを合図にランディはゆっくりと瞼を閉じる。そうしなければ涙が溢れてしまうから。
耳に響く荒い息と肌が打ち付けられる音。
性欲を発散させるだけの行為に愛の言葉なんて囁かれるはずもない。
せめて痛みを和らげるようにと、少し前までは香油で穴を広げていたものだ。けれど今はもうそれさえしなくなった。性欲処理の役さえももうすぐなくなるからだ。
だからせめてこの日々が夢でなかったのだと思えるように、たまにくる快楽と共に痛みを身体に覚えさせる。
行為を嫌がりながらも、必死に思い出を作ろうとするなんて馬鹿みたいだと思う。恋愛ごっこの真似事ですらないそれに縋るほどには好きなのだ。
「家に帰るまで外すなよ」
「はい」
リードルは何度か中に吐き出すと、必ず専用の栓でランディの穴を塞ぐ。
彼の精子と魔力が詰まったそれは腹の中に貯めておくと自然と体内に吸収されていく。
魔力が合わなければなくなるまで時間がかかり、時には腹を下すこともあるそうだが、ランディの場合は一刻ほどで完全に腹からなくなる。それだけ相性がいい。
なにせ優秀な子を産むため、魔力の相性重視で決められた婚約なのだから。
「薬、また買い足さないと……」
同性同士では孕む確率が低いとはいえ、学生であるうちに妊娠すれば外聞が悪い。だから毎回行為の後には避妊薬を飲んでいる。
両親にこのことがバレるとマズイので、外に買いに行っているがこの出費が意外に大きい。
去年リードルからもらった大きな宝石を売ったお金で薬を買っていたが、それも少し前に尽きてしまった。だから最近はそれよりも以前にもらったものを換金している。
薬を使う度に、リードルとの思い出の品がなくなっていく虚しさに駆られる。
それでも薬を飲まないという選択肢はない。ただでさえランディが落ちこぼれたことでリードルには迷惑をかけている。
それに最近ではとある女子生徒に入れ込んでいると聞く。リードルとともに生徒会入りを果たした生徒である。
彼女は平民出身だが、その類稀なる魔力の高さを買われて男爵家の養子となった。加えて努力家で頭も良いらしい。
ランディが勝てるところなんて血筋しかない。
だが公爵家の生まれといっても四男坊。リードルに捨てられれば、格下の貴族に嫁ぐか平民になるかの二択を迫られる。
勝っているとは思えない。
リードルが彼女に入れ込む気持ちもよく分かる。
そして男爵家の養子である彼女と結ばれるには、公爵令息の婚約者が邪魔なことも。
生徒会入り出来なかった程度では婚約破棄をすることなどできない。もっとそれらしい理由がなければ。リードルはそれを探している途中なのかもしれない。
「婚約破棄されるまではなんとか持ちこたえないと……」
そう呟いて馬車へと向かう。
頭の中は次は何を売るかでいっぱいだった。
だがその翌日、予想外のことが起きた。
二日連続で空き教室に呼び出されたかと思えば、リードルがまさかの言葉を口にした。
「去年贈った宝石を返してくれないか」
「え?」
「大粒のエメラルド。使わないなら返してくれ」
「すみません。あれはもう使った後で……」
「加工した後でも良い」
「数日ほどお時間をいただいてもよろしいですか」
「ダメだ。今日中に欲しい」
「……父に相談してみます」
「相談したところで今日中に買い戻せるとは思わないがな」
とっくに売り払ったと知っていて、返せと言っているのだ。
売って得た金を何に使っているかだって知っているだろうに……。
婚約破棄の理由として使おうというのか。
だが贈り物を売って得たお金を何に使っていたかを追及されれば、彼にだって被害が及ぶ。かなりリスクの高い選択だ。
そうまでして、彼女の手を取りたかったのだろう。ひどい人だ。
だがようやくこの不毛な恋とも決別できる。
彼の瞳と同じ色のエメラルドはかなり高値で売れた。
買い戻すとなると相当な値段がつくはず。それに急いで欲しがっていると知れば宝石商だって値段をふっかけてくるはずだ。
お父様がそんな出費を許すはずがない。加えて婚約破棄となれば怒りは頂点に達し、ランディが絶縁されることはほぼ間違いない。
もしも行為のことを告げれば、父は許してくれるかもしれない。
それでもランディは家との繋がりよりも、恋を捨てる道を選んだ。
「なんとか説得してみますので」
軽く微笑めば、リードルは顔を歪めた。『返せない』の言葉を引き出したかったのかもしれない。彼はこうも続けた。
「エメラルドだけじゃない。他の贈り物も返してくれ」
「かしこまりました」
無理難題をふっかけたつもりなのだろうが、そちらは問題ない。
売ったものは全て記憶している。どれも後から自分で購入し直そうと思っていたもので、宝石よりは簡単に手に入る。こちらは使用人に頼んで同じものを買ってきてもらうことにしよう。
リードルに頭を下げ、その場を後にする。
屋敷に帰り、父に贈り物を買い戻したいという旨を告げる。
予想通り、父は怒り狂った。思い切り左頬を引っ叩かれ、金の使い道を問われた。とっさに「男娼に使った」と嘘をつけば、今度は右頬を同じく叩かれた。
「全て買い戻して、なんとか婚約解消に持ち込んでやる。だがそれにかかった金は全てお前自身が回収させられるものと思え」
「ありがとうございます」
絶縁されない代わりに金のために嫁げということか。
公爵家の後妻か成り上がり貴族の妻か、はたまた金持ち商人の妻か。どの道、良い相手との婚姻は望めそうもない。
生徒会役員に選ばれなかっただけ。
そんなたった一度のミスで、ランディはどこまでも転がり落ちる。それがおかしくて、父がいなくなった書斎で腹を抱えて笑った。
けれど予想外なことはそれで終わりではなかった。
なぜかリードルが婚約解消に応じないのだ。
揃えた贈り物も不要だという。それどころかランディに会いたいとまで言っているそう。
男爵令嬢と何かあったのだろう。
そう思っていたが、その考えは一通の手紙によって否定される。
父に伝えても会わせてもらえないと悟ったリードルは使用人に手紙を託したのだ。ランディは外部と連絡を取ることを禁じられている。父にバレたらその使用人だってただでは済まない。それでもリードルを憐れんで仲介を引き受けたらしかった。
封を切り、中の便箋を取り出せばこれまた予想外のことが書かれていた。
最近は予想外の連続だ。やはり頭の出来が違うと辿り着く答えも違うらしい。
手紙を見て、ようやく父が強引に婚約解消を進めない理由を悟った。
手紙がなければずっとこの可能性に気づくことなどなかっただろう。
「私はそんな卑しい人間だと思われていたのか」
この腹に子どもが宿っているかもしれない。
リードルは父にそう伝えたのだ。いや、彼自身の意思で伝えたのではないのかもしれない。
彼は婚約解消をしたがっているはずだから。子どもがいたらマズイのだ。
父としても子どもがいるならこのままリードルの元に嫁がせたいと思っているのだろう。
だがランディが買っていたのは娼館御用達の品である。
かなりの値段だが、あの薬を使っていれば孕むことはない。この腹にリードルの子どもなど出来ようもないのだ。
「この通り、頬の腫れは引きました。私はいつでも嫁げます」
「今、最良の嫁ぎ先を探しているところだ。お前は黙っていろ」
父だってまさかランディが婚前交渉を行なっているとは思わなかったのだろう。その目は迷いでゆらゆらと揺れている。
ランディは落ちこぼれ。いいところは血筋と若さだけ。顔も平々凡々。愛した男に愛されることはなかった惨めな男である。
「私のお腹は頭と同じくスッカスカ。子どもなどおりませんよ」
「……誰かにそう言えと言われたのか?」
「いいえ。けれどお父様もご存知の通り、今の私の価値は若さしかありませんので。ひと月でも早く引取先が見つかることを心より願っております」
「お前の狙いは婚約解消だったのか」
父は苦虫を噛み潰したような表情で言葉を捻り出す。
ランディが金を貢いだという男娼が存在しないことにも気づいているのかもしれない。エメラルドを売った金で何を買っていたのか、も。
「私はただ幸せな結婚を思い描いていただけでございます」
だがランディは婚約解消なんて望んではいなかった。リードルを愛していた。彼の愛を欲し続けた。だが出来損ないには彼を手にすることはできなかった。
ただ、それだけの話だ。
その十日後、ランディの引取先が決まった。
リードルへの返却物を買い集めるのに利用した商会の会長が貴族との繋がりを欲していたらしい。
エメラルドの三十倍の価格で買い取ってくれる事が決まった。
「お久しぶりです、ランディ様。この度はお話を受けていただき光栄です」
「こちらこそ。これからよろしくお願いいたします」
「そう固くならずに。どうぞ中へ」
その男、アタメラと初めて会ったのは五年前。
彼がまだ商会長である父親の補佐をしていた時のこと。
爽やかな笑みの下にギラギラとした欲を秘めているーーそれが彼の第一印象だった。
その頃から貴族を娶りたいと思っていたのかもしれない。
訳ありのランディだが、血筋は良く、まだ若いので子も望める。彼にとってはいい買い物になったことを願うばかりだ。
アタメラはランディという商品を飾ることに決めたらしい。
服もアクセサリーも一流のものを与え、毎日ボディメイクをしてくれる侍女を付けてくれた。価値を低めないよう、ほとんどを部屋の中で過ごさせる。そしてここぞという客が来た時には必ず隣に侍らせる。
「君のおかげでまた一つ大きな仕事が決まったよ」
「アタメラ様の手腕によるものですよ。私はただ隣に座っていただけですから」
大きな仕事が決まると、アタメラは必ずランディを抱く。
大きなベッドの上で、大事なものに触れるように優しい手つきでランディを解していく。リードルが触れることのなかった胸やペニスを弄りながら「愛している」と囁くのである。
だがそこに愛などない。
彼は貴族の血を引いた子どもが欲しいだけ。
部屋の外からそんな噂話を何度と聞いた。
侍女から勘違いするなと言われたこともある。彼女はすぐにいなくなってしまったし、噂を聞く回数は次第に減っていった。
新しく来た侍女は度々ランディを褒めてくれるが、ご機嫌を取っておけとでも言われたのだろう。
外の声こそが現実だ。
アタメラがランディを抱くのは上機嫌の時だけ。
それ以外では抱けないことくらいすぐに気づいた。だから勘違いなどしない。
子どもを産めば。年を取れば。
いつかアタメラにとってランディは価値なきものへと転がり落ちることだろう。
それでも結果すら出せなかった時にやってくる絶望をよく知っている。
『……こんな話受けるんじゃなかった』
それが掲示板の前で聞いたリードルの言葉であり、出来損ないへと与えられる言葉である。
結果も残せぬ者に価値などない。
愛がなくとも結果が伴えば、目の前の男は大切にしてくれる。
焦らされるように与えられる快楽があるうちは、価値あるものとして存在することができる。
だから今宵もアタメラに縋り付くように抱かれるのだ。
ランディがアタメラの子を産んだのは、結婚から一年半が経った頃だった。
何事もなければ学園を卒業していた年に母となったのだ。
生まれた子どもは男女の双子。
男の子はアタメラに、女の子はランディに似ていた。アタメラは子の誕生をとても喜んだ。天使が生まれたとまで騒いで回るほどだ。
貴族の血を引く実子を彼は喉から手が出るほどに欲していた。
貴族の妻よりも価値のある存在が天使となれば、役目を果たしたランディは一体何になるのだろう。
子どもの頭を撫でながら、自分の今後について想いを馳せた。
想像通り、子どもを産んでからアタメラに抱かれることはなくなった。彼が寝室にやって来るのは決まって子供達の顔を見るため。
去り際には必ず「愛しているよ」と言いながら額にキスをしてくれる。だがそれ以上の行為はない。
今日もそれだけ置いて帰っていくものだと思ったが、様子がおかしい。困ったような顔で視線を彷徨わせている。
「どうかなさいましたか?」
「実は今週末の商談相手がどうしてもランディに会いたいと言ってきてね。まだ子を産んだばかりだから無理はさせられないと伝えたんだが会いたいの一点張りで……。今までも高額な宝石をいくつも買ってくださっているからこちらとしても困っているんだ」
「私は構いませんよ。ですが私に会いたいだなんて変わった方ですね」
「……君の元婚約者だ。妊娠してから何度も会わせろと言ってきている」
「なぜリードル様が……」
アタメラによると、リードルはランディとの婚約が解消されても次なる婚約者を探すことはしなかったらしい。学園でも夜会でもランディ以外は認めないと言っていたそうだ。
卒業したら商人から買い戻すと。
例の男爵令嬢は王子の第二夫人になることが決まったそうだ。
ランディが嫁ぐよりも前から水面下でその話は進んでいたらしい。王子が男爵令嬢への贈り物を購入していたのはアタメラの商会だったそう。だからアタメラはこの計画を知っていた。
ならリードルはいつ知ったのだろう。
恋に浮かれて踊らされて、気づいた頃に手放したものを惜しくなったのかもしれない。
「アタメラ様は私をリードル様に売るおつもりはないのですか?」
「……彼の元に戻りたいのか?」
「いいえ。けれど手放すなら高く売れる今がチャンスかと思いまして」
「やっと手に入れたんだ。私は君を手放すつもりはない」
真っ直ぐと貫くような瞳に、自分にはまだ役割があったことを思い出す。
愛がなくとも、ランディがいる限り、アタメラは『貴族を娶った商人』でいることができる。
「申し訳ありません。私が間違っておりました」
「愛しているんだ、ランディ。どうか私を彼の二の舞にはさせないでくれ」
アタメラはランディを抱きしめた。彼の身体は小さく震えている。心の底からランディが逃げ出すことを恐れているようだ。
かつて貴族の妻を逃がしてしまった商人がいるのだろうか。
その損失はきっとランディが想像するよりもずっと大きいのだろう。
それこそエメラルドの三十倍では補えないほどに。
「私はずっとあなたの側におります」
アタメラの腕にそっと手を添えて囁いた。
すると彼は安心したように優しく微笑むと、二度目のキスをして部屋を去った。
その後、ちょうどお昼寝から目覚めたらしい子どもを抱きながら、ランディは逃げ出した貴族に感謝した。
前例を作ってくれたおかげで、捨てられる日々に怯える必要などなくなったのだから。
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「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
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