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1巻
1-2
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結果、第七騎士団どころか第八、第九、第十騎士団に至るまで一気にクリーン化される。これら四つの騎士団は年若い者が多いということもあり、かなり力を入れたらしい。元々騎士見習いが居着かないことが問題視されていたようで、ダリオの手腕は高く評価された。
ちなみに、第六以上の騎士団に手を入れなかったのには理由がある。第六騎士団以上ともなればそこそこの勤続年数、もしくは力に自信がある者が揃っている。下手に手を入れれば、今まで磨かれた勢いが削がれてしまうのではないかと心配したとのこと。
体面的にはそんな言葉が並べられていたが、騎士団風に言えば『自分の尻は自分で守れ。無理なら第七騎士団に来い。仕事ならいくらでもある』といったところだ。第七騎士団は王都の見回りに力を入れているため、人数が多くて困るということはないのだ。
純粋に騎士に憧れた者達にとっては過ごしやすくなった第七騎士団だが、下心のあるレオンは早急に第六騎士団以上を目指さなければならなくなった。
だが二年目で第七騎士団入りを果たしただけでも異例中の異例。それも下半身に選ばれたようなものである。前回のような出世は二度とないはずだ。第六騎士団に上がるには、この先数年は努力を続けなければならない。
クリーン団長ことダリオの監視をすり抜け、第七騎士団で男を探すのは困難である。騎士団に所属しながら外で探すのも手だが、どうしても効率が悪い。
ならいっそ騎士団を辞めて冒険者にでもなるべきか。
王都に来たばかりの頃とは違い、レオンもそれなりに人間の生活にも詳しくなっていた。王都で知り合った猫獣人達と情報交換も行っている。
騎士の給料はよく、懐はかなり暖かい。冒険者登録だけしておいて、小銭を稼ぎながら国外でよさそうな相手を見繕うというのも……
どうしたものかと悩みつつも今まで通り鍛練を行っていると、ダリオに肩を叩かれた。
「レオン君、ちょっといいかい」
「なんでしょう」
手を止め、ダリオの後についていく。ベンチで座りながら話すのかと思えば、大量のタオルが置かれたそれの横をスルーした。
そのまま案内されたのは、第七騎士団団長室。
前団長の時は大きめのソファや大量の酒が置かれていたが、今では立派な書き物机と本棚が持ち込まれていた。本棚にキッチリと詰められた本は、今の地位に上り詰めたダリオの努力の象徴である。机の上に飾られた家族写真も含め、なんとも彼らしい部屋だと言えた。同時にレオンの望みが叶えられることはないのだと突きつけられる。
真面目な彼がなぜわざわざ鍛練中に呼び出したのか。
レオンは騎士団を辞めようかと悩んではいたが、鍛練はキッチリこなしている。選ばれた理由は不純だが、第七騎士団についていくだけの実力はあった。でなければ日頃の鍛練で振り落とされている。
団長が代わって早一ヶ月。今さら第八騎士団に降格させられるとも思えないが……
ぐるぐると悩むレオン。
一方、ダリオもまた少し悩んでいるようだ。視線を彷徨わせ、困ったように首筋を掻く。そしてようやく告げられたのは、想像もしていない言葉だった。
「明日から第一騎士団に行ってほしい」
「はい?」
「ギルハザール団長からのご指名だ」
ギルハザール団長とは、二十代で第一騎士団団長まで上り詰めた実力者である。同時にレオン最大のチャンスを潰した男でもあった。
前団長から種をもらい損ねたあの日、彼がドアを蹴破るのがもう少し遅ければ……。せめて鍵を開ける努力さえしてくれれば、尻で軽く扱くくらいはできたかもしれないのだ。彼の名前を聞く度、悔しさが募る。
レオンにとっては忘れたくとも忘れられない因縁の相手だが、ギルハザールに認知されているとは思っていなかった。
レオンは前団長の被害者ではあるものの、他の被害者の一部も今なお騎士団に残っている。彼が団長を務めていた期間を考えるに、被害者は第六騎士団以上にも大勢いるはずだ。
あの日を境に様子が変わった人は、レオンが知っているだけでも四人。年に差はあれど、体格がいい人ばかり。前団長の好みとも合致している。まさか、彼ら全員を気にかけているとは言うまい。
「なぜ俺なんですか」
「俺も君の実力は評価している。意欲もある。実際、第六騎士団に上げられないかと掛け合っていた最中だった。だが第一騎士団に所属させるだけの力は……」
ダリオが言い淀むのも無理はない。レオンだって自分の力と立場はよく分かっている。むしろ第六騎士団に掛け合ってくれていただけでも感謝したいくらいだ。それだけでレオンの悲願に向けて大きな一歩を踏み出すことになる。
正直、見習い期間が明けた途端に第七騎士団所属になる以上のイレギュラーを受け入れるメリットは、レオンにもない。何か裏があると考えるべきだ。
「この先、君にはいくつものキツい目が向けられることになると思う。それでも俺にはこのオファーを蹴るだけの力がない。ごめんな、レオン君。……行ってくれるな?」
「承知いたしました」
行く先が地獄だとしても、団長の命令に背くなどできない。新たな狩り場ができたと前向きに考えるしかないのだ。
こうしてレオンの第一騎士団入りが決まった。
ダリオの心配通り、例の一件を知っている者はレオンを『お情け昇格』と嘲笑い、何も知らぬ者達はコネがあったか金でも差し出したのだろうと噂した。
どちらにせよレオンに向けられる視線に好意的なものなどありはしない。
それでも一部の、『お情け昇格』と嗤う者達の中にレオンの尻を狙う者がいることだけが救いだった。
なにせ第一騎士団はエリート中のエリート揃い。ゲテモノと認識されようが、男の尊厳を折るためのレイプだろうが関係ない。ナカで果ててくれればこちらのものだ。
相手だって出した後で返せなんて言ってはこないだろう。複数人で組み敷いてマワしてくれれば一気に優秀な種が何種類も回収できる。
レオンにとってはこれ以上なく最高な職場だ。
いつか来るだろうその時を待ちわびて鍛練に励む。前回の失敗を活かし、待つだけではなく積極的に絡みに行き、隙を見せる。
計画は完璧だった。
けれどいつまで経っても性的な手が伸びてくることはなかった。
興味本位でレオンの貞操を狙ってくれていた彼らは、定期的にある残留試験に落ちてしまったのだ。残ったのは鍛練や試験で成果を出し続けているレオンを認めてくれる騎士達ばかり。間違ってもレオンを犯してくれそうもない男達である。
一緒に働く上ではなんの文句もない。彼らは素敵な女性達と婚姻を結び、今では立派なお父さんである。非常に素晴らしい。こればかりは同僚として喜ばざるを得ない。ご祝儀も奮発した。
だが同僚を祝福している間にも刻一刻とタイムリミットが迫っている。危機感を覚えたレオンは高級男娼に頼ることにした。
ナンバーワン男娼のアルファでさえも仲間達と比べれば雄としての格は下がる。だが下調べの結果、顔はもちろんのこと、非常に知的な青年だという。そこにレオンの武芸の才さえ加われば村の基準をクリアできるはず。
なにより相手もプロだ。客の見た目がどうあれ、キッチリバッチリ勃ち上がったブツを提供してくれるはず。
レオンにとっての最難関は金さえあれば突破できるのである。
無論、男娼を傷つけるような迷惑行為をするつもりはない。種さえくれればチップも弾むつもりだ。多めの金を財布に入れ、意気揚々と寮を出た。
けれどなぜかギルハザールに阻まれる。
それも一度や二度のことではない。
一回目はたまたま。二回目はまさかと疑う程度。けれど三回、四回、五回と続けば疑惑は確信に変わる。
ギルハザールのオメガ嫌いを知ったのは五回目のことだった。
「オメガだけは止めろ」
ギルハザールは酒を飲みながら何度もそう繰り返す。
だがレオンが買おうとしているのはオメガではなく、アルファ。そもそもレオン自身がオメガである。
さすがに本人を目の前にして性別を批判するような人ではなく、悪気がないことも分かっている。
その証拠に一度だけ、買おうとした男娼の倍以上の値がついた娼婦を見繕ってくれた。宮廷医師長、薬師長に次いで給料が高いとされる第一騎士団の副団長を務めるレオンですらなかなか出せない額の入った袋を押しつけられた時は何事かと驚いたものだ。
オメガにこだわるならば、と一級品のオメガ女性の一夜を確保した上で、この金を使えと送り出してくれたのである。
気前がいいどころの話ではない。ここまでされては無下にすることもできず、王都の一等地に店を構える娼館のドアをくぐった。
城下町の男なら誰もが一度は抱きたいと噂するその娼婦は、息を呑むほどに美しかった。けれどレオンもまた、彼女と同じくオメガなのである。羨みこそすれ情欲を抱くことはない。
抱かれる用意を済ませてくれた彼女に、レオンは自分がオメガであることを打ち明けた。深々と頭を下げる客にはさすがのプロも目をぱちくりとさせ、ひどく驚いた様子になる。けれどレオンの頭上の猫耳を目にして、納得したように「ああ」と短く声を漏らした。
娼婦として活躍する彼女は、オメガの猫獣人に課せられた役目を知っていたのだろう。ここに来た経緯と共に朝まで置いてほしいと懇願すると、すぐに了承してくれた。
大変ね、なんて安っぽい同情の代わりに彼女はガラスの小瓶を取り出す。
「猫さんにこれをあげるわ」
「これは?」
「発情誘発剤」
「え?」
「好きな男に使おうと思って買ったの。でも、今もこうして使わずじまい。だからあげるわ」
それが何を意味するのか。わざわざ尋ねるのは野暮な気がして、短くお礼を告げたレオンに、彼女はカラカラと笑った。
一夜の夢の代わりに手に入れた発情誘発剤。
それはレオンの手に渡っても使われることはなく、机の引き出しで眠っている。
保管場所が娼館から騎士寮に移っただけ。何も変わらない。使用期限があればとっくに使えなくなっているだろう。
けれどレオンは小瓶を手放せなかった。この薬と稼いだ金と鍛えた身体、そしてあともう一つのものだけがこの九年間で得たものなのだから。
● ● ●
「ふぅ」
レオンが鍛練を終えたのは日も暮れた時のこと。
考え事をしていたせいで追加された分よりも多くこなしていた気がする。他の騎士達はとっくに食堂へ向かっていった。
早い者ならすでに風呂を済ませ、部屋でゆっくりと過ごしていることだろう。そこに自分も続こうと、レオンは模擬剣を下ろす。
すると後方から声をかけられた。
「随分と時間がかかったな」
「団長! 残っていたのですか!?」
思わず声が裏返る。自分以外は誰も残っていないと思っていたのだ。
「レオンを見るために、な」
「新人でもないのに……。サボったりしませんよ」
「そのわりには追加分をこなしている間も上の空だったように見えたが?」
「それは……」
「まぁ深くは聞くまい。それを片づけたらさっさと飯行くぞ」
頼りがいのある背中を前に、レオンの目にはうっすらと涙が浮かぶ。
そう、レオンが得たもう一つのもの――それは叶うはずのない恋心。逞しい背中と、いつだって前を見据える瞳に、心を囚われてしまったのだ。これさえなければレオンはとっくに騎士なんて辞めていた。
ギルハザールなんて目的をこなすための障害にしかなり得ない。彼との出会いは最悪。男娼に行くのはオメガを買うからだと誤解され続け、何度も邪魔された。
いっそのこと自分はオメガなのだと、男に犯されることこそが使命なのだと打ち明けてしまえば……と考えたこともある。
それでもオメガ嫌いの彼に軽蔑されたくなかった。その想いこそが一番の足枷になっていると理解していても。
けれどもう腹を括らねばなるまい。どんな想いを抱えていようとも、家族を困らせたくない。
レオンは拳を固め、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「団長」
「なんだ?」
「脱退、させてください」
レオンの声は震えていた。
脱退はギルハザールとの関係を断つことを意味する。だからこそ、その一言を告げるのが怖くてたまらなかった。
「は?」
「辞めたいんです、この仕事」
「……本気か?」
「冗談でこんなこと言いませんよ」
「あと一年あるじゃないか」
「え?」
レオンの一大決心だったそれを、ギルハザールはあっさりと踏みつける。それだけでは飽き足らず言葉の刃までも振り下ろすのだ。
「猫獣人のルールなら知っている。レオンを引き抜く際に調べたからな。十年しかいられないんだろう? そろそろ遊びたいという気持ちは分かる。だがせっかくここまで続けてきたんだ。村に帰るまでここにいればいいじゃないか。それでもう一度ここに帰ってくればいい。副団長の枠ならいつまでだって空けといてやる」
ギルハザールがレオンを『オメガ』として認識していないことなど分かっていた。ずっと、ずっと長い間、それを嫌というほど理解させられていた。
けれど今、胸が張り裂けそうなほどに悲しくてたまらない。
押し寄せる涙を嬉し涙と勘違いしたのか、見当違いな男はレオンの肩をトンと叩く。
「村から出るために口添えが必要であれば私が手紙を書こう。必要ならば陛下に頼んでサインをもらってもいい。あの方ならきっと快く引き受けてくださるはずだ。レオンは何も心配しなくていい」
真っ直ぐに向けられた瞳は好意的なものではあったが、レオンの求めていたそれとは性質が大きく異なる。
完全に人員や戦力としか思われていない。
性別云々を抜きにしたとしても、想いなど通じるはずがない。初めからそういう対象に入っていない。ギルハザールにとってレオンは部下の一人でしかないのだ。
そんな当たり前のことに気づくまでに六年以上もかかって、本当に馬鹿みたいだ。
大好きな人の手をスッとどかして、レオンは深く頭を下げる。
「今までありがとうございました」
ギルハザールの返事は聞かず、レオンは自室に向かって歩き出す。
他の騎士団の事情には詳しくないが、第一騎士団では人員が入れ替わることはよくある。
ハードな鍛練についてこられなかった者はもちろんのこと、一度でも重傷を負えば第一騎士団に居続けるのは不可能だ。第二騎士団からいつでも代わりを連れてこられるよう、待機枠も作られていた。
レオンは副団長という比較的上位の立場であったが、レオンよりも所属歴が長い者はいくらでもいる。彼らの中から優れた人材を選び、副団長に据えればいい。
男に抱かれることを期待して入団したレオンよりも、素晴らしい志を持って入団した騎士達のほうがずっと副団長の座に、ギルハザールの隣に立つに相応しい。
自室のドアを開けてすぐ、レオンは少ない私物をバッグに詰め込んだ。シーツと布団は綺麗に畳んでベッドの端へ。軽くではあるものの、床の埃は掃いて捨てておく。
ずっとどうするか迷っていたはずなのに、九年も滞在した騎士寮からの去り支度は想像よりもずっと簡単に終わりそうだ。
引き出しから例の小瓶を取り出せば本当に最後だ。
瓶の中でゆらゆらと揺れるその液体は、もらった日から全く色褪せていない。この薬を手にした時から時間が止まったかのよう。桃色をしたそれを使うシーンなど、今後も訪れはしないだろう。
けれどレオンにとってはお守りみたいなもので、手放すことなんてできないのだ。
小瓶を両手で包み込み、願いを込める。
「優秀な男の、優秀な遺伝子を引き継いだ子供を孕めますように」
けれどその祈りさえも邪魔された。
バンッと勢いよくドアを開けた人の正体は、確認するまでもない。ギルハザールは過去に何度もレオンのチャンスを阻んできた。そして最後の最後でもやはり邪魔をする。
レオンは手の中にあった瓶をポケットにしまい、振り返る。
「原状復旧、完了しました」
「レオン。本当に、辞めるのか?」
「…………」
「村に帰るまでの時間はまだあるんだろう? ならこんな急ぐ必要はないはずだ。第一、騎士を辞めてどうする。行くあてはあるのか?」
ギルハザールは急に辞めることになった騎士を、今まで何人も見送ってきたはずだ。けれどここまで熱心に引き留めはしなかった。辞める理由によっては引き留めるだけ酷だからだ。
去る者は追わず。
それが仲間に向ける優しさでもある。だからレオンは一度だって彼を酷い人だと思ったことはないし、去っていった仲間達もそう理解しているはずだ。
なのに彼は今、明確にレオンを引き留めようとしていた。
部下としてのレオンにそれほどの価値を見いだしていたのか。
けれどレオンが評価してもらいたいのは騎士としてのそれではなく、オメガとしての価値だ。性的に見られなければ、なんの意味もない。
仕事を熱心にこなせば優れた種を分けてくれるというなら話は別だが、期待したところでギルハザールが応えてくれるはずがなかった。レオンは彼の嫌うオメガなのだから。
オメガ嫌いと知った瞬間に諦めればよかったのに。馬鹿みたいだ。
けれど無謀な恋心とも今日でおさらば。
レオンは温め続けた想いを捨てることにした。
自分の唇に指を這わせながら、わざと目の前の男を値踏みするように見る。
「男を探すんです。俺を抱いてくれる男を、ね。ずうっと欲しくてたまらないのに、ここにいたって誰もくれないんですから。他に行くしかないでしょう?」
「レオ、ン?」
村で習った通り、足の先から頭まで視線で舐めるように。
しっかり実践できているか不安だが、目の前の男をベッドに誘うつもりはない。軽蔑してくれさえすればいいのだ。
実際、ギルハザールは混乱しているようだった。視線を逸らしてはもう一度レオンの顔を見て、最後に悲しそうに唇を噛む。
「私は、間に合わなかったのだな……」
なんのことだろうか。
レオンが首を傾げると、ギルハザールは心を決めたようにレオンを見据えた。
「責任は私が取ろう! あいにくと男を抱いた経験はないが、指示してくれればその通りに動く! さぁ、なんなりと命令してくれ!」
「え……」
予想していた反応とはまるで違う。レオンは思わず固まる。けれどギルハザールは、レオンが思った以上に男らしかった。
「なんだ、私では不服か? 今でこそ王位継承権を放棄しているが、これでも王家の血を引いているし、学園も首席で卒業済みだ」
王位継承権を与えられるような立場だったとは初耳だ。いくら放棄したとはいえ、そんなのを持っていた男には恐れ多くて手なんか出せるはずがない。
この数年間、想像以上の無謀な恋をしていたことを知ったレオンの背中に、嫌な汗が伝い落ちる。
だが考えてみれば思い当たる節はあった。
いくら第一騎士団とはいえ、団長と副団長の給料に大きな差があるわけがない。部下に大陸で一番高い娼婦をあてがった時点で、金銭感覚がおかしいことに気づくべきだった。
ギルハザールだけではない。第一騎士団に所属しているほとんどの騎士は、騎士の持ち物にしてはいいものを持っていた。なのに、すっかりギルハザール基準になっていたレオンは、いいものを持っているな~くらいにしか思っていなかったのだ。
彼らもまた、いいところのお坊ちゃんだったのではないか。それに気づいて、血の気が引いていく。
手を出さなくて本当によかった。酔っ払っている時であっても彼らのペニスを無理やり尻にあてがったと知られれば、罰せられるのは間違いなくレオンだ。そして牢屋から出てくると同時に村に強制送還され、そのまま……
体格がいい男の尻で犯されるなんて不憫すぎる。どんな状況であっても、必ず相手の意思を確認してから行為に及ぶ――それが、村を出る前にレオンが定めたマイルールである。オメガらしくない男を抱いてもらうのだからこのくらいのルールは作るべきだと自分を縛った。
マイルールなんて厄介なものを守っているせいで、タイムリミットが直前に差し掛かってもなお目的が遂行できずに焦っているのだが、今ほど当時の自分に感謝したことはない。
ドッと安心感が押し寄せて、今にも床にへたりこみそうになる。だが、そうはいかない。
「どうだ、レオン。私では不服か?」
目の前の問題は何も解決していないのだ。この問いかけにどう返すべきか。模範的な回答が思い浮かばない。
他の男がいいと断れば不敬罪で捕まりそうだ。
だからといって王家の血を引いた子供を村に連れ帰るのは論外だ。自分の腹から生まれた子でも、承諾なしに村に連れて帰れば王族誘拐と言われかねない。
どうしたものかと考え、ハッとする。
断るのではなく、断ってもらえばいいのだ。なんだ、簡単なことではないか。今さら失望されるかもと恐れることはない。
レオンは真っ直ぐに彼と向き合う。
「俺の目的はセックスではなく、あくまで猫獣人のオメガとして子を孕んで村に帰ることなので!」
「オメガとして、だと?」
「はい! こんなナリをしていますが、オメガでして……」
「嘘はいい」
「本当です!」
「だがレオンからオメガの発情香を嗅いだことなど一度もないぞ」
「それは……」
「そんなすぐに分かる嘘を吐くのは止めろ」
ギルハザールがレオンの肩をガシッと掴んだ。
けれどレオンがオメガであることは紛れもない事実である。
とはいえ、彼が真面目に説教をしたくなる気持ちはよく分かった。
もしもレオンの発情香がアルファやベータを誘惑するような甘い香りだったら、彼もこんなことを言わないのだろう。仲間達に迷惑をかけぬよう、毎月ちゃんと抑制剤を飲んでいるものの、発情期の香りを押しとどめるのには限度というものがある。
完全に抑え込んでいたつもりでも、運命の番や、アルファの中でもより優れたカリスマ性を持つ者に遭遇すれば発情香は溢れ出す。
オメガとはそういう性質を持った存在なのだ。アルファから見れば厄介な性質で、多くのオメガも頭を抱えていることだろう。
だがオメガの猫獣人にとっては最大のチャンスなのだ。
なにせ子作りにおいて最も厄介な、見極めの部分をスキップできるのだから。
相手も発情してくれれば妊娠も決まったようなもの。高貴な相手に襲いかかっても発情のせいだと言い訳ができる。
またその場の一人でも発情すれば発情が連鎖していくことから、複数人の子種を一気に確保できることもある。オメガの猫獣人達はこの現象を『ボーナスタイム』と呼んでいた。
レオンは騎士として、発情の連鎖に巻き込まれてしまったオメガを助けたことがある。その一方で、ボーナスタイムに遭遇して大喜びしている猫獣人達から酒を奢ってもらったこともあった。
レオンは一度もボーナス自体にはありつけていないのだが、発情香を漏らしてしまったことは何度もある。
第一騎士団は雄として優秀な者揃いなのだ。わざと抑制剤を抜かずとも、気を抜けば発情する。慣れた相手ならともかく、新しい騎士が配属された日なんて一日中発情していることもザラだ。
それでもレオンの貞操が悲しいほどの白さを誇っているのは、レオンの発情香が通常のオメガとは大きく異なるものだから。
「俺の香りは一般的な甘い香りではなく獣臭なので……」
「は?」
「たまににおいがキツいと感じる時はありませんでしたか?」
正直、レオンの発情香は雄臭いのだ。発情期のレオンをアルファと勘違いして寄ってきたオメガは数知れず。たまにベータまで釣れてしまうほど。
その度に「これがアルファだったら種を絞り尽くすのに……」と悔しさを押し殺しながらのらりくらりと躱してきた。
「獣臭……獣、臭……」
同じ言葉を何度か繰り返したギルハザールは、記憶の中に正解を見つけたらしい。突然、ああっと頭を抱え始めた。それが発情香だとは想像もしていなかったのだろう。だがすぐに納得してくれて何よりだ。
今のレオンにとって、目の前の人物は好意を寄せる男ではなく高貴な者なのだから。一夜の過ちだとしても起きてはならない。正直、オメガであるレオンが同じ部屋にいることすら不敬になりそうで怖い。
「一風変わっているものの、俺も団長の嫌いなオメガなんです。そこ、退いていただけませんか?」
荷物を手に、ぺこりと頭を下げる。今度こそ部屋を後にするため、ギルハザールの横を通り過ぎようとした。
けれど彼はがっしりとレオンの腕を掴む。
「つまり、私に抱かれるのが嫌なわけじゃないんだな。なら問題ない」
「いや、それだけの問題じゃ……」
ちなみに、第六以上の騎士団に手を入れなかったのには理由がある。第六騎士団以上ともなればそこそこの勤続年数、もしくは力に自信がある者が揃っている。下手に手を入れれば、今まで磨かれた勢いが削がれてしまうのではないかと心配したとのこと。
体面的にはそんな言葉が並べられていたが、騎士団風に言えば『自分の尻は自分で守れ。無理なら第七騎士団に来い。仕事ならいくらでもある』といったところだ。第七騎士団は王都の見回りに力を入れているため、人数が多くて困るということはないのだ。
純粋に騎士に憧れた者達にとっては過ごしやすくなった第七騎士団だが、下心のあるレオンは早急に第六騎士団以上を目指さなければならなくなった。
だが二年目で第七騎士団入りを果たしただけでも異例中の異例。それも下半身に選ばれたようなものである。前回のような出世は二度とないはずだ。第六騎士団に上がるには、この先数年は努力を続けなければならない。
クリーン団長ことダリオの監視をすり抜け、第七騎士団で男を探すのは困難である。騎士団に所属しながら外で探すのも手だが、どうしても効率が悪い。
ならいっそ騎士団を辞めて冒険者にでもなるべきか。
王都に来たばかりの頃とは違い、レオンもそれなりに人間の生活にも詳しくなっていた。王都で知り合った猫獣人達と情報交換も行っている。
騎士の給料はよく、懐はかなり暖かい。冒険者登録だけしておいて、小銭を稼ぎながら国外でよさそうな相手を見繕うというのも……
どうしたものかと悩みつつも今まで通り鍛練を行っていると、ダリオに肩を叩かれた。
「レオン君、ちょっといいかい」
「なんでしょう」
手を止め、ダリオの後についていく。ベンチで座りながら話すのかと思えば、大量のタオルが置かれたそれの横をスルーした。
そのまま案内されたのは、第七騎士団団長室。
前団長の時は大きめのソファや大量の酒が置かれていたが、今では立派な書き物机と本棚が持ち込まれていた。本棚にキッチリと詰められた本は、今の地位に上り詰めたダリオの努力の象徴である。机の上に飾られた家族写真も含め、なんとも彼らしい部屋だと言えた。同時にレオンの望みが叶えられることはないのだと突きつけられる。
真面目な彼がなぜわざわざ鍛練中に呼び出したのか。
レオンは騎士団を辞めようかと悩んではいたが、鍛練はキッチリこなしている。選ばれた理由は不純だが、第七騎士団についていくだけの実力はあった。でなければ日頃の鍛練で振り落とされている。
団長が代わって早一ヶ月。今さら第八騎士団に降格させられるとも思えないが……
ぐるぐると悩むレオン。
一方、ダリオもまた少し悩んでいるようだ。視線を彷徨わせ、困ったように首筋を掻く。そしてようやく告げられたのは、想像もしていない言葉だった。
「明日から第一騎士団に行ってほしい」
「はい?」
「ギルハザール団長からのご指名だ」
ギルハザール団長とは、二十代で第一騎士団団長まで上り詰めた実力者である。同時にレオン最大のチャンスを潰した男でもあった。
前団長から種をもらい損ねたあの日、彼がドアを蹴破るのがもう少し遅ければ……。せめて鍵を開ける努力さえしてくれれば、尻で軽く扱くくらいはできたかもしれないのだ。彼の名前を聞く度、悔しさが募る。
レオンにとっては忘れたくとも忘れられない因縁の相手だが、ギルハザールに認知されているとは思っていなかった。
レオンは前団長の被害者ではあるものの、他の被害者の一部も今なお騎士団に残っている。彼が団長を務めていた期間を考えるに、被害者は第六騎士団以上にも大勢いるはずだ。
あの日を境に様子が変わった人は、レオンが知っているだけでも四人。年に差はあれど、体格がいい人ばかり。前団長の好みとも合致している。まさか、彼ら全員を気にかけているとは言うまい。
「なぜ俺なんですか」
「俺も君の実力は評価している。意欲もある。実際、第六騎士団に上げられないかと掛け合っていた最中だった。だが第一騎士団に所属させるだけの力は……」
ダリオが言い淀むのも無理はない。レオンだって自分の力と立場はよく分かっている。むしろ第六騎士団に掛け合ってくれていただけでも感謝したいくらいだ。それだけでレオンの悲願に向けて大きな一歩を踏み出すことになる。
正直、見習い期間が明けた途端に第七騎士団所属になる以上のイレギュラーを受け入れるメリットは、レオンにもない。何か裏があると考えるべきだ。
「この先、君にはいくつものキツい目が向けられることになると思う。それでも俺にはこのオファーを蹴るだけの力がない。ごめんな、レオン君。……行ってくれるな?」
「承知いたしました」
行く先が地獄だとしても、団長の命令に背くなどできない。新たな狩り場ができたと前向きに考えるしかないのだ。
こうしてレオンの第一騎士団入りが決まった。
ダリオの心配通り、例の一件を知っている者はレオンを『お情け昇格』と嘲笑い、何も知らぬ者達はコネがあったか金でも差し出したのだろうと噂した。
どちらにせよレオンに向けられる視線に好意的なものなどありはしない。
それでも一部の、『お情け昇格』と嗤う者達の中にレオンの尻を狙う者がいることだけが救いだった。
なにせ第一騎士団はエリート中のエリート揃い。ゲテモノと認識されようが、男の尊厳を折るためのレイプだろうが関係ない。ナカで果ててくれればこちらのものだ。
相手だって出した後で返せなんて言ってはこないだろう。複数人で組み敷いてマワしてくれれば一気に優秀な種が何種類も回収できる。
レオンにとってはこれ以上なく最高な職場だ。
いつか来るだろうその時を待ちわびて鍛練に励む。前回の失敗を活かし、待つだけではなく積極的に絡みに行き、隙を見せる。
計画は完璧だった。
けれどいつまで経っても性的な手が伸びてくることはなかった。
興味本位でレオンの貞操を狙ってくれていた彼らは、定期的にある残留試験に落ちてしまったのだ。残ったのは鍛練や試験で成果を出し続けているレオンを認めてくれる騎士達ばかり。間違ってもレオンを犯してくれそうもない男達である。
一緒に働く上ではなんの文句もない。彼らは素敵な女性達と婚姻を結び、今では立派なお父さんである。非常に素晴らしい。こればかりは同僚として喜ばざるを得ない。ご祝儀も奮発した。
だが同僚を祝福している間にも刻一刻とタイムリミットが迫っている。危機感を覚えたレオンは高級男娼に頼ることにした。
ナンバーワン男娼のアルファでさえも仲間達と比べれば雄としての格は下がる。だが下調べの結果、顔はもちろんのこと、非常に知的な青年だという。そこにレオンの武芸の才さえ加われば村の基準をクリアできるはず。
なにより相手もプロだ。客の見た目がどうあれ、キッチリバッチリ勃ち上がったブツを提供してくれるはず。
レオンにとっての最難関は金さえあれば突破できるのである。
無論、男娼を傷つけるような迷惑行為をするつもりはない。種さえくれればチップも弾むつもりだ。多めの金を財布に入れ、意気揚々と寮を出た。
けれどなぜかギルハザールに阻まれる。
それも一度や二度のことではない。
一回目はたまたま。二回目はまさかと疑う程度。けれど三回、四回、五回と続けば疑惑は確信に変わる。
ギルハザールのオメガ嫌いを知ったのは五回目のことだった。
「オメガだけは止めろ」
ギルハザールは酒を飲みながら何度もそう繰り返す。
だがレオンが買おうとしているのはオメガではなく、アルファ。そもそもレオン自身がオメガである。
さすがに本人を目の前にして性別を批判するような人ではなく、悪気がないことも分かっている。
その証拠に一度だけ、買おうとした男娼の倍以上の値がついた娼婦を見繕ってくれた。宮廷医師長、薬師長に次いで給料が高いとされる第一騎士団の副団長を務めるレオンですらなかなか出せない額の入った袋を押しつけられた時は何事かと驚いたものだ。
オメガにこだわるならば、と一級品のオメガ女性の一夜を確保した上で、この金を使えと送り出してくれたのである。
気前がいいどころの話ではない。ここまでされては無下にすることもできず、王都の一等地に店を構える娼館のドアをくぐった。
城下町の男なら誰もが一度は抱きたいと噂するその娼婦は、息を呑むほどに美しかった。けれどレオンもまた、彼女と同じくオメガなのである。羨みこそすれ情欲を抱くことはない。
抱かれる用意を済ませてくれた彼女に、レオンは自分がオメガであることを打ち明けた。深々と頭を下げる客にはさすがのプロも目をぱちくりとさせ、ひどく驚いた様子になる。けれどレオンの頭上の猫耳を目にして、納得したように「ああ」と短く声を漏らした。
娼婦として活躍する彼女は、オメガの猫獣人に課せられた役目を知っていたのだろう。ここに来た経緯と共に朝まで置いてほしいと懇願すると、すぐに了承してくれた。
大変ね、なんて安っぽい同情の代わりに彼女はガラスの小瓶を取り出す。
「猫さんにこれをあげるわ」
「これは?」
「発情誘発剤」
「え?」
「好きな男に使おうと思って買ったの。でも、今もこうして使わずじまい。だからあげるわ」
それが何を意味するのか。わざわざ尋ねるのは野暮な気がして、短くお礼を告げたレオンに、彼女はカラカラと笑った。
一夜の夢の代わりに手に入れた発情誘発剤。
それはレオンの手に渡っても使われることはなく、机の引き出しで眠っている。
保管場所が娼館から騎士寮に移っただけ。何も変わらない。使用期限があればとっくに使えなくなっているだろう。
けれどレオンは小瓶を手放せなかった。この薬と稼いだ金と鍛えた身体、そしてあともう一つのものだけがこの九年間で得たものなのだから。
● ● ●
「ふぅ」
レオンが鍛練を終えたのは日も暮れた時のこと。
考え事をしていたせいで追加された分よりも多くこなしていた気がする。他の騎士達はとっくに食堂へ向かっていった。
早い者ならすでに風呂を済ませ、部屋でゆっくりと過ごしていることだろう。そこに自分も続こうと、レオンは模擬剣を下ろす。
すると後方から声をかけられた。
「随分と時間がかかったな」
「団長! 残っていたのですか!?」
思わず声が裏返る。自分以外は誰も残っていないと思っていたのだ。
「レオンを見るために、な」
「新人でもないのに……。サボったりしませんよ」
「そのわりには追加分をこなしている間も上の空だったように見えたが?」
「それは……」
「まぁ深くは聞くまい。それを片づけたらさっさと飯行くぞ」
頼りがいのある背中を前に、レオンの目にはうっすらと涙が浮かぶ。
そう、レオンが得たもう一つのもの――それは叶うはずのない恋心。逞しい背中と、いつだって前を見据える瞳に、心を囚われてしまったのだ。これさえなければレオンはとっくに騎士なんて辞めていた。
ギルハザールなんて目的をこなすための障害にしかなり得ない。彼との出会いは最悪。男娼に行くのはオメガを買うからだと誤解され続け、何度も邪魔された。
いっそのこと自分はオメガなのだと、男に犯されることこそが使命なのだと打ち明けてしまえば……と考えたこともある。
それでもオメガ嫌いの彼に軽蔑されたくなかった。その想いこそが一番の足枷になっていると理解していても。
けれどもう腹を括らねばなるまい。どんな想いを抱えていようとも、家族を困らせたくない。
レオンは拳を固め、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「団長」
「なんだ?」
「脱退、させてください」
レオンの声は震えていた。
脱退はギルハザールとの関係を断つことを意味する。だからこそ、その一言を告げるのが怖くてたまらなかった。
「は?」
「辞めたいんです、この仕事」
「……本気か?」
「冗談でこんなこと言いませんよ」
「あと一年あるじゃないか」
「え?」
レオンの一大決心だったそれを、ギルハザールはあっさりと踏みつける。それだけでは飽き足らず言葉の刃までも振り下ろすのだ。
「猫獣人のルールなら知っている。レオンを引き抜く際に調べたからな。十年しかいられないんだろう? そろそろ遊びたいという気持ちは分かる。だがせっかくここまで続けてきたんだ。村に帰るまでここにいればいいじゃないか。それでもう一度ここに帰ってくればいい。副団長の枠ならいつまでだって空けといてやる」
ギルハザールがレオンを『オメガ』として認識していないことなど分かっていた。ずっと、ずっと長い間、それを嫌というほど理解させられていた。
けれど今、胸が張り裂けそうなほどに悲しくてたまらない。
押し寄せる涙を嬉し涙と勘違いしたのか、見当違いな男はレオンの肩をトンと叩く。
「村から出るために口添えが必要であれば私が手紙を書こう。必要ならば陛下に頼んでサインをもらってもいい。あの方ならきっと快く引き受けてくださるはずだ。レオンは何も心配しなくていい」
真っ直ぐに向けられた瞳は好意的なものではあったが、レオンの求めていたそれとは性質が大きく異なる。
完全に人員や戦力としか思われていない。
性別云々を抜きにしたとしても、想いなど通じるはずがない。初めからそういう対象に入っていない。ギルハザールにとってレオンは部下の一人でしかないのだ。
そんな当たり前のことに気づくまでに六年以上もかかって、本当に馬鹿みたいだ。
大好きな人の手をスッとどかして、レオンは深く頭を下げる。
「今までありがとうございました」
ギルハザールの返事は聞かず、レオンは自室に向かって歩き出す。
他の騎士団の事情には詳しくないが、第一騎士団では人員が入れ替わることはよくある。
ハードな鍛練についてこられなかった者はもちろんのこと、一度でも重傷を負えば第一騎士団に居続けるのは不可能だ。第二騎士団からいつでも代わりを連れてこられるよう、待機枠も作られていた。
レオンは副団長という比較的上位の立場であったが、レオンよりも所属歴が長い者はいくらでもいる。彼らの中から優れた人材を選び、副団長に据えればいい。
男に抱かれることを期待して入団したレオンよりも、素晴らしい志を持って入団した騎士達のほうがずっと副団長の座に、ギルハザールの隣に立つに相応しい。
自室のドアを開けてすぐ、レオンは少ない私物をバッグに詰め込んだ。シーツと布団は綺麗に畳んでベッドの端へ。軽くではあるものの、床の埃は掃いて捨てておく。
ずっとどうするか迷っていたはずなのに、九年も滞在した騎士寮からの去り支度は想像よりもずっと簡単に終わりそうだ。
引き出しから例の小瓶を取り出せば本当に最後だ。
瓶の中でゆらゆらと揺れるその液体は、もらった日から全く色褪せていない。この薬を手にした時から時間が止まったかのよう。桃色をしたそれを使うシーンなど、今後も訪れはしないだろう。
けれどレオンにとってはお守りみたいなもので、手放すことなんてできないのだ。
小瓶を両手で包み込み、願いを込める。
「優秀な男の、優秀な遺伝子を引き継いだ子供を孕めますように」
けれどその祈りさえも邪魔された。
バンッと勢いよくドアを開けた人の正体は、確認するまでもない。ギルハザールは過去に何度もレオンのチャンスを阻んできた。そして最後の最後でもやはり邪魔をする。
レオンは手の中にあった瓶をポケットにしまい、振り返る。
「原状復旧、完了しました」
「レオン。本当に、辞めるのか?」
「…………」
「村に帰るまでの時間はまだあるんだろう? ならこんな急ぐ必要はないはずだ。第一、騎士を辞めてどうする。行くあてはあるのか?」
ギルハザールは急に辞めることになった騎士を、今まで何人も見送ってきたはずだ。けれどここまで熱心に引き留めはしなかった。辞める理由によっては引き留めるだけ酷だからだ。
去る者は追わず。
それが仲間に向ける優しさでもある。だからレオンは一度だって彼を酷い人だと思ったことはないし、去っていった仲間達もそう理解しているはずだ。
なのに彼は今、明確にレオンを引き留めようとしていた。
部下としてのレオンにそれほどの価値を見いだしていたのか。
けれどレオンが評価してもらいたいのは騎士としてのそれではなく、オメガとしての価値だ。性的に見られなければ、なんの意味もない。
仕事を熱心にこなせば優れた種を分けてくれるというなら話は別だが、期待したところでギルハザールが応えてくれるはずがなかった。レオンは彼の嫌うオメガなのだから。
オメガ嫌いと知った瞬間に諦めればよかったのに。馬鹿みたいだ。
けれど無謀な恋心とも今日でおさらば。
レオンは温め続けた想いを捨てることにした。
自分の唇に指を這わせながら、わざと目の前の男を値踏みするように見る。
「男を探すんです。俺を抱いてくれる男を、ね。ずうっと欲しくてたまらないのに、ここにいたって誰もくれないんですから。他に行くしかないでしょう?」
「レオ、ン?」
村で習った通り、足の先から頭まで視線で舐めるように。
しっかり実践できているか不安だが、目の前の男をベッドに誘うつもりはない。軽蔑してくれさえすればいいのだ。
実際、ギルハザールは混乱しているようだった。視線を逸らしてはもう一度レオンの顔を見て、最後に悲しそうに唇を噛む。
「私は、間に合わなかったのだな……」
なんのことだろうか。
レオンが首を傾げると、ギルハザールは心を決めたようにレオンを見据えた。
「責任は私が取ろう! あいにくと男を抱いた経験はないが、指示してくれればその通りに動く! さぁ、なんなりと命令してくれ!」
「え……」
予想していた反応とはまるで違う。レオンは思わず固まる。けれどギルハザールは、レオンが思った以上に男らしかった。
「なんだ、私では不服か? 今でこそ王位継承権を放棄しているが、これでも王家の血を引いているし、学園も首席で卒業済みだ」
王位継承権を与えられるような立場だったとは初耳だ。いくら放棄したとはいえ、そんなのを持っていた男には恐れ多くて手なんか出せるはずがない。
この数年間、想像以上の無謀な恋をしていたことを知ったレオンの背中に、嫌な汗が伝い落ちる。
だが考えてみれば思い当たる節はあった。
いくら第一騎士団とはいえ、団長と副団長の給料に大きな差があるわけがない。部下に大陸で一番高い娼婦をあてがった時点で、金銭感覚がおかしいことに気づくべきだった。
ギルハザールだけではない。第一騎士団に所属しているほとんどの騎士は、騎士の持ち物にしてはいいものを持っていた。なのに、すっかりギルハザール基準になっていたレオンは、いいものを持っているな~くらいにしか思っていなかったのだ。
彼らもまた、いいところのお坊ちゃんだったのではないか。それに気づいて、血の気が引いていく。
手を出さなくて本当によかった。酔っ払っている時であっても彼らのペニスを無理やり尻にあてがったと知られれば、罰せられるのは間違いなくレオンだ。そして牢屋から出てくると同時に村に強制送還され、そのまま……
体格がいい男の尻で犯されるなんて不憫すぎる。どんな状況であっても、必ず相手の意思を確認してから行為に及ぶ――それが、村を出る前にレオンが定めたマイルールである。オメガらしくない男を抱いてもらうのだからこのくらいのルールは作るべきだと自分を縛った。
マイルールなんて厄介なものを守っているせいで、タイムリミットが直前に差し掛かってもなお目的が遂行できずに焦っているのだが、今ほど当時の自分に感謝したことはない。
ドッと安心感が押し寄せて、今にも床にへたりこみそうになる。だが、そうはいかない。
「どうだ、レオン。私では不服か?」
目の前の問題は何も解決していないのだ。この問いかけにどう返すべきか。模範的な回答が思い浮かばない。
他の男がいいと断れば不敬罪で捕まりそうだ。
だからといって王家の血を引いた子供を村に連れ帰るのは論外だ。自分の腹から生まれた子でも、承諾なしに村に連れて帰れば王族誘拐と言われかねない。
どうしたものかと考え、ハッとする。
断るのではなく、断ってもらえばいいのだ。なんだ、簡単なことではないか。今さら失望されるかもと恐れることはない。
レオンは真っ直ぐに彼と向き合う。
「俺の目的はセックスではなく、あくまで猫獣人のオメガとして子を孕んで村に帰ることなので!」
「オメガとして、だと?」
「はい! こんなナリをしていますが、オメガでして……」
「嘘はいい」
「本当です!」
「だがレオンからオメガの発情香を嗅いだことなど一度もないぞ」
「それは……」
「そんなすぐに分かる嘘を吐くのは止めろ」
ギルハザールがレオンの肩をガシッと掴んだ。
けれどレオンがオメガであることは紛れもない事実である。
とはいえ、彼が真面目に説教をしたくなる気持ちはよく分かった。
もしもレオンの発情香がアルファやベータを誘惑するような甘い香りだったら、彼もこんなことを言わないのだろう。仲間達に迷惑をかけぬよう、毎月ちゃんと抑制剤を飲んでいるものの、発情期の香りを押しとどめるのには限度というものがある。
完全に抑え込んでいたつもりでも、運命の番や、アルファの中でもより優れたカリスマ性を持つ者に遭遇すれば発情香は溢れ出す。
オメガとはそういう性質を持った存在なのだ。アルファから見れば厄介な性質で、多くのオメガも頭を抱えていることだろう。
だがオメガの猫獣人にとっては最大のチャンスなのだ。
なにせ子作りにおいて最も厄介な、見極めの部分をスキップできるのだから。
相手も発情してくれれば妊娠も決まったようなもの。高貴な相手に襲いかかっても発情のせいだと言い訳ができる。
またその場の一人でも発情すれば発情が連鎖していくことから、複数人の子種を一気に確保できることもある。オメガの猫獣人達はこの現象を『ボーナスタイム』と呼んでいた。
レオンは騎士として、発情の連鎖に巻き込まれてしまったオメガを助けたことがある。その一方で、ボーナスタイムに遭遇して大喜びしている猫獣人達から酒を奢ってもらったこともあった。
レオンは一度もボーナス自体にはありつけていないのだが、発情香を漏らしてしまったことは何度もある。
第一騎士団は雄として優秀な者揃いなのだ。わざと抑制剤を抜かずとも、気を抜けば発情する。慣れた相手ならともかく、新しい騎士が配属された日なんて一日中発情していることもザラだ。
それでもレオンの貞操が悲しいほどの白さを誇っているのは、レオンの発情香が通常のオメガとは大きく異なるものだから。
「俺の香りは一般的な甘い香りではなく獣臭なので……」
「は?」
「たまににおいがキツいと感じる時はありませんでしたか?」
正直、レオンの発情香は雄臭いのだ。発情期のレオンをアルファと勘違いして寄ってきたオメガは数知れず。たまにベータまで釣れてしまうほど。
その度に「これがアルファだったら種を絞り尽くすのに……」と悔しさを押し殺しながらのらりくらりと躱してきた。
「獣臭……獣、臭……」
同じ言葉を何度か繰り返したギルハザールは、記憶の中に正解を見つけたらしい。突然、ああっと頭を抱え始めた。それが発情香だとは想像もしていなかったのだろう。だがすぐに納得してくれて何よりだ。
今のレオンにとって、目の前の人物は好意を寄せる男ではなく高貴な者なのだから。一夜の過ちだとしても起きてはならない。正直、オメガであるレオンが同じ部屋にいることすら不敬になりそうで怖い。
「一風変わっているものの、俺も団長の嫌いなオメガなんです。そこ、退いていただけませんか?」
荷物を手に、ぺこりと頭を下げる。今度こそ部屋を後にするため、ギルハザールの横を通り過ぎようとした。
けれど彼はがっしりとレオンの腕を掴む。
「つまり、私に抱かれるのが嫌なわけじゃないんだな。なら問題ない」
「いや、それだけの問題じゃ……」
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