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苦手を好きで補っていく
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しおりを挟むりょーくんを玄関で見送り食器の後片付けやお風呂を済ませたら、ベランダに出て外の空気を思いきり吸い込み
「ふうぅ……絵梨さんがお店に来た話は内緒にしてた方が良いのかなぁ」
3時間前の出来事を思い起こしながら独り言を呟いた。
絵梨さんが突然来店したのは19時過ぎ。
平日のこの時間帯はお客さんが少ないから、今日も夕紀さんが焙煎室に篭って私だけ店内で仕事をしていた。
絵梨さんは大きな旅行カバンをカラカラと引いていて、さもこの後すぐこの地を離れて遠くへ出かけるような出立ちでいて「最後にあなたに言いたい事があるから」と言い私の顔を睨んでいたんだ。
私はすぐに絵梨さんをソファのあるテーブル席に案内し、この時間帯はドリンクの販売を行っていない事とホットミルクならサービスで提供出来る事を伝えると絵梨さんは店内のハロウィンオーナメントを眺めながら「じゃあそれで」と言い、テーブルの真ん中に置かれているペーパークラフトを指差して「これって触っていいの?」と私に質問してきた。
私が頷いてホットミルクを準備していると、その間絵梨さんは愛おしそうにペーパークラフトを両手に包んでジッと見つめていて……「もしかしてお店の飾りを全部りょーくんが作ったっていう事に気付いてるのかな?」と想像していた。
私にとって絵梨さんは「悪い元カノ」という印象の方が強かった。
でも、差し出したホットミルクを「甘くて美味しい」って言って全部飲んでくれたりペーパークラフトを「可愛い」って褒める……ごく普通の女性なんだとその時初めて知ることが出来たし
「私ね、本当はあなたに酷い事言おうとしたの。あなたが彼と一緒に居るところを目にする度にイライラムカムカきていたし、ちょっとマウント取ってやろうって思いがまだあって。
……だけど、この可愛い飾りや美味しいミルク飲んだらもうどうでも良くなっちゃった」
絵梨さんは私を見上げてそう言い笑ったから、私も穏やかな気持ちで絵梨さんに接する事が出来た。
「ここは珈琲店ですから、もっとたくさん美味しいコーヒーを提案したいんですけど……今度は生まれてきたお子様と一緒にいらして下さいね」
私の言葉に絵梨さんはまた笑って
「嫌よ、これから暮らそうとしているところからここまで飛行機使わなきゃいけないし。コーヒー飲みたかったらもっと近くの店に行くに決まってるじゃない」
と、「もうここに戻る事はない」という意味合いの言葉を私に言い返して立ち上がると
「ごちそうさま。ありがとう」
最後に私にそう言って店から出て行ってしまった。
多分絵梨さんは最後に私に会いに行って捨て台詞を吐くつもりだったんだろうと思う。私がしばらくトラウマを抱えてしまうような……そんな言葉を。
絵梨さんのイライラムカムカを取り除いたのは夜の時間帯に飲んだカルシウム入りのミルクとりょーくんが作ったペーパークラフトなんだと思うし、それらが私の心を傷付けぬよう守ってくれたに違いなかった。
絵梨さんがりょーくんにしてきた事はどれも良いとは言えないし、今日の出来事でそれらが帳消しになるとは思えない。
絵梨さんは可愛いものを素直に褒めたり美味しい飲みものを素直に美味しいと言えるごく普通の女性だと知る事が出来たけど、やっぱり私にとって彼女はまだまだ苦手だと感じる。
それは人間だから仕方がないし、苦手なものをすぐに好きに変える事は不可能だ。
……だけど、苦手な絵梨さんにも別の側面があると知れたのは大きな収穫だったように思えるし、店を後にし旅行カバンをカラカラと引きながら去る絵梨さんの背中を見つめながら「元気な赤ちゃんが生まれますように」「母子共に健康で幸せに暮らせますように」という願いを素直に呟く事が出来た。
「お母さんが夕紀さんと私に伝えた教えがこんなところで生きるとは思わなかったなぁ……」
私はまた夜空に向かってそう呟く。
私は生まれた時からずっとコーヒーの香りに包まれて生活してきて、今も珈琲豆と密接な関係にある。
だからこそ、珈琲に関する学びは私の人生と密接に繋がっているしこれからもそうなっていくんだと思う。
「珈琲の事もりょーくんとの事も……良い選択をして大人になっていきたいな」
今日の絵梨さんとの出会いも会話も、これからの私の身の一部になるんだろう。
20歳を迎えるまであと1ヶ月あまり。
……私はもう、「苦手!」「嫌い!」と言うだけの子どもではいられないのだから。
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