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67.まだだよ
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「ひっくしょんっ………誰もいなくて良かった」
寝台に入る直前。思いがけず大きなくしゃみが出て、ファランは自分で自分のくしゃみに驚きながら温かな毛布の間に潜り込んだ。
(明日は広告塔本番なんだから、風邪なんて冗談じゃないわ!)
明日は朝から怒涛のスケジュールなのだ。風邪などひいている場合ではない。
(起きて一番ストレッチで目を覚まして、お腹に物がたまらないよう消化の良い朝食を食べて、念のためお風呂に入ってから保湿ケアで最終肌調整、本来昼ご飯を食べるところをぐっと我慢して、衣装着用、髪を整えて、ばっちり化粧、あとは馬車に揺られて会場入り)
王家主催の舞踏会ともなれば夕方前から翌明け方まで延々続くが、成人はしていても未婚のファランとしては、深夜前には帰るつもりだ。それでも、五、六時間ほどは滞在している事になるだろう。
(大規模だから休む場所はあるはずだけど…広告塔としては六時間がっちり人目に触れてるのが大事だよね…カメリアさんも助けてくれるんだから、頑張らねば)
カトレアによる演出の肝は、最初の一時間にある。そこを乗り切れば、後はなるべく人目に付くように過ごすだけだ。
(とにかくここまで来たらもうやるべき事をやるのみなんだから。まずは寝るのよ。ちゃんと寝る!)
ここ最近の習慣になっている深呼吸で体から力を抜く。思考を宙に霧散させるように空っぽにしていけば、ゆっくりと沈むように、いつの間にか眠りは訪れた。
ファランの寝室は、規則的な寝息に支配され、時間は狂う事なく着実に進んでいく。
外を明るく照らす朝日が、カーテンの隙間から覗く頃。
「ひっ…!」
誰もいない室内で、小さな悲鳴が上がった。
「………はっ、はぁ…」
振り切るように勢いよく目を見開いたファランは、心臓が妙に鼓動を速め、冷や汗をかいている自分に気付く。
「何で…」
ベッドの上で体を起こし、胸に手を当てて俯いた。
(本番当日に限ってカスみたいに嫌な夢見るのかなぁ…)
はっきりとは思い出せない。だが、一人で立ち尽くしながら周囲の人間に指差しされて嘲笑される、そんなイメージのとても嫌な夢だった。
(もうやだ…泣きそう)
実際のところ泣きそうというより、もう泣いていたが、ファランは深呼吸をして必死に落ち着こうとする。
少し早めに起きる事になっていた予定より、更に早く目を覚ましたファランの心臓が落ち着いた時。タイミング良く、マグリットが入室してきた。
「もうお目覚めでしたか」
「やっぱり緊張してるみたいで、目が覚めちゃった」
苦笑するファランの顔を覗き込んで、マグリットは微笑む。
「ご安心ください。お顔色もお肌も抜群ですよ」
「本当? 良かった」
笑う事で先ほどの夢を振り払うように、いつも以上に笑って、ファランは予定通りに用意を進めた。
ミモザが運んできてくれた朝食を食べ、入浴というほどではない湯浴みを挟んで、ニーアお手製の香りの良い保湿化粧水で肌を整える。カトレア太鼓判のドレスを着て、マグリットに髪を整えてもらった後は、器用なフィエラに化粧をしてもらい、最後に宝飾品で身を飾った。
ファランの視線の先、鏡の中には、これ以上がない自分が立っている。
「お似合いです」
「素敵…」
「ご主人様以上の女性なんてどこにもいませんよぉ」
「もぉ、褒め過ぎ」
自分でも綺麗だと思う。彼女達の言葉に嘘があるとも思っていない。それでも、ファランは、頭の片隅にへばりついた不安が拭いされずにいた。
カトレアと一緒に馬車に乗って、揺られながら、ファランは何故こんなに不安なのかを必死に考える。
(大丈夫大丈夫。絶対大丈夫。今度は別に断罪されるんじゃないんだから。あの時だって全然平気だったじゃない。ただの舞踏会でちょっと目立とうとするくらいの事がなによ。全然平気だし。全然…)
自分で自分の手を握り締めて、ファランは気付いた。
いっそ、当然の結果が訪れる、と解っていたから何でもないかのように過ごせたのだ。
(あぁ、なるほど)
だが、これから先の未来に既視感などない。
(考えてみたら私、緊張しいだったんだっけ…)
もし、最高の自分だと思っているものが、誰にも受け入れられなかったら。その時、人は立っていられるものだろうか。もし、直向きに続けた努力の結果が、否定と拒絶にあったら。もし、望む結果が得られなかったら。
(なんか、忘れてたかも。そうだわ、考えてみたら緊張しいでしょっちゅう吐きそうになってて…プレゼンとか、どうやって乗り切ってたっけ。乗り切れてたっけ?)
振り返れば、働き過ぎて、気が付いたらまともな思考回路を失っていただけだった。
(………私、まともな精神状態で大舞台に立った事なんて一度もないんだ)
一度その事に思いが至ると、頭が真っ白に染まっていってしまう。
(こういうのってどうすれば良いんだろう?)
ファランは、馬車が止まると同時に思考も停止してしまった。侯爵という爵位のおかげで、王城の奥まで馬車で乗り付ける事のできる上に、時間が早めだった事もあり、他の貴族と会う事なく、待合室へ向かう。カトレアは別室で待つため、言葉がまとまりかけた頃には、一人で室内に立っていた。
寝台に入る直前。思いがけず大きなくしゃみが出て、ファランは自分で自分のくしゃみに驚きながら温かな毛布の間に潜り込んだ。
(明日は広告塔本番なんだから、風邪なんて冗談じゃないわ!)
明日は朝から怒涛のスケジュールなのだ。風邪などひいている場合ではない。
(起きて一番ストレッチで目を覚まして、お腹に物がたまらないよう消化の良い朝食を食べて、念のためお風呂に入ってから保湿ケアで最終肌調整、本来昼ご飯を食べるところをぐっと我慢して、衣装着用、髪を整えて、ばっちり化粧、あとは馬車に揺られて会場入り)
王家主催の舞踏会ともなれば夕方前から翌明け方まで延々続くが、成人はしていても未婚のファランとしては、深夜前には帰るつもりだ。それでも、五、六時間ほどは滞在している事になるだろう。
(大規模だから休む場所はあるはずだけど…広告塔としては六時間がっちり人目に触れてるのが大事だよね…カメリアさんも助けてくれるんだから、頑張らねば)
カトレアによる演出の肝は、最初の一時間にある。そこを乗り切れば、後はなるべく人目に付くように過ごすだけだ。
(とにかくここまで来たらもうやるべき事をやるのみなんだから。まずは寝るのよ。ちゃんと寝る!)
ここ最近の習慣になっている深呼吸で体から力を抜く。思考を宙に霧散させるように空っぽにしていけば、ゆっくりと沈むように、いつの間にか眠りは訪れた。
ファランの寝室は、規則的な寝息に支配され、時間は狂う事なく着実に進んでいく。
外を明るく照らす朝日が、カーテンの隙間から覗く頃。
「ひっ…!」
誰もいない室内で、小さな悲鳴が上がった。
「………はっ、はぁ…」
振り切るように勢いよく目を見開いたファランは、心臓が妙に鼓動を速め、冷や汗をかいている自分に気付く。
「何で…」
ベッドの上で体を起こし、胸に手を当てて俯いた。
(本番当日に限ってカスみたいに嫌な夢見るのかなぁ…)
はっきりとは思い出せない。だが、一人で立ち尽くしながら周囲の人間に指差しされて嘲笑される、そんなイメージのとても嫌な夢だった。
(もうやだ…泣きそう)
実際のところ泣きそうというより、もう泣いていたが、ファランは深呼吸をして必死に落ち着こうとする。
少し早めに起きる事になっていた予定より、更に早く目を覚ましたファランの心臓が落ち着いた時。タイミング良く、マグリットが入室してきた。
「もうお目覚めでしたか」
「やっぱり緊張してるみたいで、目が覚めちゃった」
苦笑するファランの顔を覗き込んで、マグリットは微笑む。
「ご安心ください。お顔色もお肌も抜群ですよ」
「本当? 良かった」
笑う事で先ほどの夢を振り払うように、いつも以上に笑って、ファランは予定通りに用意を進めた。
ミモザが運んできてくれた朝食を食べ、入浴というほどではない湯浴みを挟んで、ニーアお手製の香りの良い保湿化粧水で肌を整える。カトレア太鼓判のドレスを着て、マグリットに髪を整えてもらった後は、器用なフィエラに化粧をしてもらい、最後に宝飾品で身を飾った。
ファランの視線の先、鏡の中には、これ以上がない自分が立っている。
「お似合いです」
「素敵…」
「ご主人様以上の女性なんてどこにもいませんよぉ」
「もぉ、褒め過ぎ」
自分でも綺麗だと思う。彼女達の言葉に嘘があるとも思っていない。それでも、ファランは、頭の片隅にへばりついた不安が拭いされずにいた。
カトレアと一緒に馬車に乗って、揺られながら、ファランは何故こんなに不安なのかを必死に考える。
(大丈夫大丈夫。絶対大丈夫。今度は別に断罪されるんじゃないんだから。あの時だって全然平気だったじゃない。ただの舞踏会でちょっと目立とうとするくらいの事がなによ。全然平気だし。全然…)
自分で自分の手を握り締めて、ファランは気付いた。
いっそ、当然の結果が訪れる、と解っていたから何でもないかのように過ごせたのだ。
(あぁ、なるほど)
だが、これから先の未来に既視感などない。
(考えてみたら私、緊張しいだったんだっけ…)
もし、最高の自分だと思っているものが、誰にも受け入れられなかったら。その時、人は立っていられるものだろうか。もし、直向きに続けた努力の結果が、否定と拒絶にあったら。もし、望む結果が得られなかったら。
(なんか、忘れてたかも。そうだわ、考えてみたら緊張しいでしょっちゅう吐きそうになってて…プレゼンとか、どうやって乗り切ってたっけ。乗り切れてたっけ?)
振り返れば、働き過ぎて、気が付いたらまともな思考回路を失っていただけだった。
(………私、まともな精神状態で大舞台に立った事なんて一度もないんだ)
一度その事に思いが至ると、頭が真っ白に染まっていってしまう。
(こういうのってどうすれば良いんだろう?)
ファランは、馬車が止まると同時に思考も停止してしまった。侯爵という爵位のおかげで、王城の奥まで馬車で乗り付ける事のできる上に、時間が早めだった事もあり、他の貴族と会う事なく、待合室へ向かう。カトレアは別室で待つため、言葉がまとまりかけた頃には、一人で室内に立っていた。
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