12 / 32
#12.ひとすじの涙
しおりを挟む「母さんが二人目の子を流産して、その後、子を授かることが難しい身体になって、毎日泣いていた。
そんな母さんの涙を止めたのが、おまえだった。悲しみに沈んでいた家が明るい光に溢れた。父さんの母さんも、そして、誰よりも俺がおまえの虜になった。探し求めていたものにようやく巡り逢えたような歓びを感じた。
明るく優しい性質、愛くるしい表情、俺を呼ぶ声、追いかけて来る足音、後ろから抱きつく腕、その何もかもが尊くて天使のようで、俺をいつも幸せにしてくれる。それは今も変わらない。
ただ、俺の方は、兄でありながら弟のおまえにあるまじき感情を持つようになっていった。おまえが他の誰かを好きになることが寂しくてつらくて、どうしようもなかった。もう、俺の元から去って行くんだと思うと……」
『兄さんの本当の気持ちを教えて』
その願いを聞き入れて、青樹が語ってくれた。
タケルはようやく青樹の本心を知った。
「僕は兄さんから離れないよ。これからも、ずっと」
「ずっと、一緒にいてくれるのか」
「今までもそうだったでしょう。これからも……いや、これからは違う」
「どう違うんだ?」
「変わろう、僕たち。兄弟であることをやめて、恋人同士になろう、兄さん」
「いきなり恋人かよ。普通、最初は友だち、からじゃないのか? ……って、すまん。えっと……だったら、まず、その呼び方から変えろ。『兄さん』なんて呼ばれながら、キスもないな」
「じゃあ、青樹……でいい?」
「それしかないだろ」
「青樹、夢みたい。こんな日が来るなんて」
「俺も。……おまえになら許す。俺の身体、好きにしていい」
「青樹……」
「あ……だけどな、俺は、臆病なんだ」
兄弟を越える階梯へ踏み出すことに怯える青樹。
兄と慕っていた人が恋人になった。タケルは想いの丈を込めて恋人を抱いた。
眼閉じ、青樹が堪える。
その目尻から、ひとすじの涙が煌めきながら零れて落ちた。
* * *
身長184cm、体重68㎏。見事に引き締まった筋肉質の肢体を惜しげもなく露わにして、若者はロココ調の長椅子に横たわり、仰のいて天井を眺めている。
唇は半開き。精悍な横顔が表情と光の加減で妖艶さを帯びる。
背もたれ側の右腕を腹に乗せ、もう片方の腕は床に届かんばかりにだらりと垂らしている。
左脚は膝を立てて曲げ、硬質な臀部の線を明瞭に示す。右脚は投げ出して、つま先をぴんと伸ばし、ある感覚への渇望が満たされた充足を、その一点の緊張を以って表わしているかのようだった。
柔らかな朝の光をスポットライトに、若者の煽情的な裸身からは、エクスタシーに達した直後であるかのような匂い立つエロティシズムが漂い流れる。
これはあくまでも演出にすぎない。彼は役目を果たしているだけだった。
「おやおや」
宇都宮崇は絵筆を置き、居眠りを始めているモデルにガウンを掛けた。
よく見れば、小麦色の肌にさえくっきりと鮮やかに残るキスマークが、首すじと言わず胸元と言わず、身体の至るところにあった。居眠りの理由がわかり過ぎるほどわかる。
「この子には、情熱的な恋人がいるようだ」
「あ……! 宇都宮さん、すみません。俺、つい、うっかり寝てました」
胸にふわりと掛けられた布の感触で、モデルの青年は目を覚ました。
「うん、寝てたね。寝顔があまりにも可愛らしかったんで、起こせなかったよ」
「すみません!」
「いったん休憩にしようか。お茶を淹れよう」
「あ、はい」
床に降り立ったモデルの長すぎるほどの脚にも、情熱的な恋人の刻印はあった。
それを目にした宇都宮は苦笑した。
「降谷くん」
改まった口調で、宇都宮がモデルの名を呼んだ。
睡眠不足の感が否めない様子の彼こそは、降谷青樹。
「はい」
「ちょっと言い難いんだけどね」
宇都宮はそこで言葉を切って、空咳をひとつした。
言い難いと言うよりは、言葉にするのが躊躇われる。しかし、言わないことには今後の制作に支障をきたしかねない。
「何ですか?」
「申し訳ないんだが、これからはアトリエに来る前日は、愛情表現を控え目にしてもらうように恋人に頼んでくれないかな。私からの切なるお願いだ」
「えっ? ……あっ! すみませんっ!」
宇都宮の切なる願いの意味を悟ったらしく、青樹は慌ててガウンの身ごろをかき合わせた。
「あはははははっ、若いっていいね。今日は早めに切り上げよう。眠いだろう?」
終いには屈託なく笑い出す宇都宮だった。
宇都宮崇は、芸術家にありがちな気難しさなど微塵もない親しみ易い人物だった。
齢は四十。カンバスに向かっていなければ、俗に言う渋い感じのナイスミドルだ。彼と同じ空間にいる者は、その穏やかな温かい雰囲気に自然と心が和まされるのだという。
スピリチュアルアート。
それが、宇都宮崇の作品に付けられた呼称だった。
彼の筆は精霊を描き出すと言われている。評価はむしろ海外の方が高い。ようやく最近、その精密な筆致は本邦でも評価され始めた。
彼が人物画を描けば、必ず二枚の絵が仕上がる。一枚は写実的な現実の姿を、もう一枚は、その人物の霊界を写すと言われている。少し前、美しい女性モデルのもう一枚の絵が、ゴブリンの姿で描かれていたことがあって世間を失笑させた。
青樹は街で偶然にスカウトされた。断り続けていたが、宇都宮の情熱に根負けして引き受けることになった。
それを機に、青樹は自分の霊界とやらにも興味を抱き始めた。
幼い頃から何度も見る同じ夢とどこか通じるものを感じた。どちらも、科学的な概念では説明のつかない不思議な世界の領域にある。それは、奇異というよりは浪漫、シュールというよりはファンタジーといった類の感覚だ。
そんな宇都宮の創作の世界観は、魅力的な人間性と相まって、ますます青樹を惹きつけた。
服を着て、出されたお茶を飲みながら、青樹は穴があったら入りたいという恥ずかしさを味わった。
明け方近くまでタケルと睦み合っていた。プレイの余燼がまだ身体中に燻っている。
まさに、宇都宮崇の今回の作品のコンセプトを地で行っていた。
タイトルは、『エクスタシーの燃えさし』
タケルの指、掌の熱、唇の感触を肌が憶えている。そして、腰にわだかまる怠さは、何度も深く愛し合った証だ。
弟として慈しみ庇護して来たタケルに、この身体を捧げた。思うままに征服させ、満足するまで貪らせた。
心も身体も結ばれて、義兄弟は恋人同士になった。
つづく
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
仮面の王子と優雅な従者
emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。
平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。
おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。
しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。
これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる