もう一度ララバイを

九頭龍渚

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#31.言わぬが花

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「兄はとても寂しがり屋でした。私たちは幼いころに母を亡くしましたから。でも、その分は父や私が補って余りあるくらいの愛情を注いできたつもりです。
 何故か私は昔から、兄を守りたいっていう気持ちが強くて。本当に、いつも私は兄を大事に思っていたんです。
 なのに……あんなことになる前、私はあることに拘泥するあまり、兄から目を離してしまい……」
「あること?」
「私は……確実に罪に問われることを……」

 怒りに任せて千鶴はひとりの人間を廃人にした。
 刑事罰に問われるとしたら、自分は紛れもなく首謀者として断罪されるだろう。だが、懼れはない。どんな罰も受ける覚悟は常にある。
 唯ひとつ悔やまれるのは、己の激情に酔っている隙に、兄を失ってしまったということだ。

「言ってはいけない」
 宇都宮は人差し指を唇の前に立てた。
「千鶴さん、『言わぬが花』という言葉を知っていますか? 決して口にしてはいけない秘密を、人は一つか二つは持っているものです。
 私にもあります。私はそれをあの世まで持って行くつもりです。あなたも決して口外してはいけない。
 に通ずることから、懺悔により自分の気持ちを楽にしようと話してしまうと、今度はそれを聞いた人間に負債が移ってしまうこともあるのですよ。
 知らないで済むのなら、それに越したことはない。知ってしまったが故に不幸になるのは如何ともし難い。世の中にはそういうこともあります。
 いいですか千鶴さん、だから、あなたもお気をつけなさい」

「はい」

 千鶴は深く頷いた。
『あること』の中身を知るはずのない宇都宮の言葉だが、妙に納得できた。これまでの人生の経験で得た彼なりの金科玉条なのだろう。しかし、そう言われて却って千鶴は、あの世まで持って行くという彼の秘密に興味が湧いた。

「時に、千鶴さん、誠に図々しいお願いなんですが……あなたが持っておられるそのロケットを、私に譲って頂けないでしょうか?」
「えっ?」
「とても高価で大事なものであることはわかります。もちろん、無料ただでとは言いません。あの二枚の絵と交換ということで、どうでしょうか?」
「ええっ!?」

 全く以って予想だにしなかった宇都宮の申し出に、千鶴は驚いた。
 売る意思はないと言っていた作品との交換とは。このロケットが彼にとって、いったいどれほどの価値があるというのか。千鶴はそのことが不可解でもあった。
 そして、何よりも――

「だめですか」

「いいえ! そうではありません」
 ――あまりにも唐突で、自分にとっては不相応なまでの僥倖に千鶴は興奮した。しかし、とにかく冷静になろうと心を落ち着かせた。
「まず、あの絵は先生のお手元にあるべきだと思います。私などが所有して良いものではありません。そのことは弁えています。先生がこのロケットをご所望なら差し上げます。代価は要りません。ただ……理由をお聞かせ願えるのなら」

「理由は……そのイニシャルと写真です」
「先生? 表に彫られたイニシャルが誰の名前なのか、ご存知なんですか?」
「T・F……いいえ、わかりません」

 そう答えながらも裏腹のことを宇都宮の目が語っていたのを、千鶴は見逃さなかった。

「では、何故?」
「その……T・Fが、誰なのか、千鶴さんの口から教えて下さい」

「……わかりました」
 おそらく宇都宮崇は知っているはずだ。千鶴はそう察した。しかし、情報はあくまでも貴水彰の妹から得たという事実が必要なのだろうと、彼の意を汲んで話すことにした。
「イニシャルの名前は、タケル・フルヤ。事故を起こした兄の車の同乗者で、私の元クラスメイト。そして、青樹さんの義弟の降谷タケルさんです。彼のことは先生もご存知ですよね。
 そもそも、このロケットは私が降谷くんにクリスマスプレゼントとして贈ったものなんです。その後、いろいろあって……当初は自分の写真を入れていました。思い返すと、その大胆さに赤面するんですが。それから、めぐりめぐって自分の所に帰って来て……今は、兄の写真と入れ替えて、こうして身に着けているんです」

 写真は近影のものだった。ブティックで彰を着せ替え人形のようにして服を選んだ際の。
 後になって千鶴は気づいた。あの時から兄は憂いを帯びた表情だったと。

「そういうことでしたか。では、何故私がそれを欲しいと思ったか……」

 宇都宮は言い淀んでいた。

「何故です?」
「その理由は、決して口にしてはいけない秘密と関わっています。だから、言えません」

「言わぬが花、ですか。先生があの世まで持って行く秘密なんですね」
 理由はやはり伏せられた。しかし、それほど落胆はなかった。千鶴は先ほどの宇都宮の言葉を返し、彼がした仕草を真似て口元に人差し指を立てた。
「だったら、何も聞きません。どうぞ、お受け取り下さい」

 千鶴は宇都宮の手を取り、その掌にロケットを載せた。

「ああ! ありがとうございます。大切にします。今日から私がこのロケットを肌身離さず身に着けます。御守りとして」

 こぼれんばかりの満面の笑みを見せ、宇都宮はさっそく首に掛けた。

「御守り? 先生、なんだかそれって……」

 刹那の既視感が、千鶴の琴線に触れて通り過ぎて行った。




つづく
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