泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第2章

信じたい。信じている。命は平等なのだと。

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「ここで療養でもさせるつもりか?」
「子供なのよ?放っておけないわ」
「そんなことでよく隊長が務まるな」
「うるさいわね。もう、帰っていいわよ」
「いや、少し待たせてもらおう。こいつに聞きたいことがある。じいさん、どうだ?」
「ほっほっ。心力は回復させたし、直に目が覚めるじゃろう」

 ........っせえな。

 とても暖かく、柔らかいものに包まれて心地よく眠れていたというのに、聞こえてくる騒音に眉をしかめ寝返りをうった。
 もう少し、もう少しこのままで。
 うとうとと再びまどろむが、あれ、ここはどこだ?と気がついた瞬間に目が冴え、上半身を起こした。

「おお、おはよう」

 俺はベッドに寝かされていたらしい。
 ざっと自分が置かれている状況を視界を巡らせ把握する。
 ベッドの横には髭に白いものが混ざり始めている年寄りが一人。扉の前には腕を組んでいる金髪の女が一人。二人用のテーブルの椅子に腰かけている黒髪の女が一人。
 金髪と黒髪の女は、俺が悪魔に襲われている時に来た二人だろう、と見当をつける。

 この二人、強いな。
 女二人からはこれまで強い奴らと対峙してきた俺だからこそ分かる、強い者がもつ独特の雰囲気を感じられた。
 しかも、この二人のうちどちらかは言望葉使いだったはず...。悪魔を一度で消滅させる力の持ち主。

 ここから逃げるのは無理か。

 力を抜いてベッドの背もたれに寄りかかった。

「お、諦めたか。賢いようだな、少年」

 金髪の女が口端を上げ、微笑んだ。なんだこの女...こんな顔が整った奴、見たことねぇ。まじまじと見つめていると、緑の瞳をもつ老人がマグカップを差し出した。

「ホットミルクじゃ。胃を温めなさい」

 牛乳なんて、幼い頃はたまのご馳走だった。白いマグカップのつるりとした手触りに誘われるように一口飲んだ。途端、口の中に張り付くような甘さに顔を歪める。

「あっっっめぇ!あますぎ!!!」

 さっと別のマグカップが手渡される。湯気がほわりとたつぬるめのお湯を急いで飲み干した。
 俺からホットミルクの入ったカップを受け取った黒髪の女が老人に苦々しい表情で話す。

「リーフ様...あなたの味覚は特殊なのですから、こういったものを作る時は、砂糖を普段の三分の一にしてくださいとお伝えしていたでしょう」
「ほほ....子供じゃからええかと思うて」
「子供だからこそ、です。虫歯になったらどうするんです。リーフ様は糖分中毒なんですから少しは自覚をもってください」

 しゅんと肩を下げるリーフと呼ばれた老人は未練がましく女の持つマグカップに視線を注いでいた。

「さて」

 勢いよく金髪の女がベッドの端に座る。組んだ足の上に肘をのせ顔を傾け「お前は何者だ?」と横目で俺を見た。
 言葉は軽いのに深い青の瞳はしっかりと俺を捉えていた。

「お前に闇の言望葉をかけた奴がいただろう。街の住人達に聞き込みをしたところ、そいつはお前と同じくらいの年頃で赤い髪が特徴的だったという。そいつとお前は一緒に飯を食っていたそうだな。和やかな雰囲気に見えたと店主が話していたぞ」
「........なごやか、ね」

 たしかに飯を食っていた時はなんでもないことを話していた気がする。それがどんな雰囲気だったかは、今となってはどうでもいい、と視線を横にずらす。
 細い指に遠慮なく顎を掴まれ、無理矢理視線を合わせられた。

「闇の使い手の仲間だろう?お前は闇の力を持っていないようだが」
「だったらどうなんだよ?」
「世界法律で裁く」
「好きにしろよ」

 吐き捨てるように返すと女は「つまらん」と言って俺の顎から手を放した。
 壁に掛けられていた白のロングコートを羽織り、「生きる気力のない奴にどんな罰を与えたところでなんの意味もない。希望があり、罰がある。そしてまた罰があって希望があるんだ。…いや、待てよ……ふむ.....お前にとっての罰は裁かれないことかもしれないな。そうと決まれば長居は無用。アイリス、またな!今度こそ私の騎士になれよ!」そう言うとあっさりと扉から出ていった。

 小さくため息が聞こえた。アイリスと呼ばれた女は「まったく...」と呟き、身を屈め俺に微笑んだ。

「私はアイリス。サンズロイヤル城で騎士として勤めているわ。こちらはリーフ様。同じく城で書庫番をされているの。あなたは?」

 アイリスと名乗った女の横で椅子に腰掛けていた老人は「よろしく」と髭で覆われている口許を柔らかく持ち上げた。

「....俺のことなんか知ってどうすんだよ」

 そう返すと女は表情を変えずに見つめた。降り積もる雪のように静かな錫色の瞳が苛立たしくてこいつを動揺させてやろうと思った。

「どうせ、この後俺を捕まえてさっきの奴に突き出すんだろ?これから捕まる奴に親切にして、どういう気持ちだ?さぞ良い気持ちなんだろうな!」

 卑屈なせせら笑いと共に言い放つと、気分が高揚した。言ってやった。

「本心出したって構わねぇぜ?どうせ、この国の人間も、俺の国の人間も、根本は変わらねぇんだ!環境が違うだけで、俺だってこの国に生まれてたらっ....!」

 この国の土を踏んだ時から溜め込んでいたものを吐き出すかのように喚き散らした。
 頭はカーッと熱くなり、背中が強張っているのを感じていた。最早、この女に向けて言っているのか、誰に向けての言葉なのか、分からなくなっていた。
 両親が死んでからの日々が頭の中を駆け巡る。

「凍える夜に何人の人間が死んでいくか知っているか!?下層の人間が一日中働き詰めで、報酬がパン一つって知っているか!?次の日も働かせる為だけのパン一つ!!金が出る仕事なんかもっとキツくなるし、勿論その金だってわずかだ!父ちゃんと母ちゃんはパン一つと金の為に働いて働いて....!」

 早朝に母親が薄着で家から出ていく。その少し後に父親も。
 働きに出掛ける二人の背中がやけに目に焼き付いていた。
 目の前の女と老人の暖かそうなカーディガンやセーターが憎い。柔らかい布団や温かい部屋が憎い。
なんでもないことのように差し出されたホットミルクが憎くて仕方がなかった。

「六年前、伝染病が流行った時だって、貴族や金のある奴らは自分達の家でぬくぬくとしている代わりに、働いていたのは金のない奴らだった!病気が移るのを恐れて人があまり外に出ないから商売が滞るのは当たり前さ!儲かりが減るとそいつらは自分達が生きていく為に、報酬を払いたくないから、次々と雇うのをやめていった!リスクを侵して働きに出なきゃいけない奴らは次々と病気が移り、病院なんか行く金もねぇからただ苦しみに耐えるしかない。使い捨てられ、路上には人が溢れかえって、生きているんだか死んでいるんだか分からないような人間がごろごろ横たわっていて、今日死のうか、明日死のうか考えている人間がいるのに、同じ国でも今日は何食べようか、何して暇を潰そうか考えているような人間もいる!少しでも異を唱えれば、豚を調教するかのようにただ抑えつけられて....!そんな生活に身を置いたことがあるのか!?俺が闇の使い手のアジトにいたのは食う為さ!ただ今日を生きる為だけに食わなきゃならなかったんだ!!あんたらには理解できないだろうけどな!!」

 怒鳴り声が部屋に反響する。老人と女がどんな顔をしているかなんて、思考の片隅にもなかった。ただ怒りをぶつけた。両親が死んでから理解していった世間の理不尽に、もう耐えられなかった。
 この国と北の国のありように憤り、頭をかきむしった。

「平等な命なんかない!!生まれた場所で、育った環境ですべてが決まってしまうというのなら、俺は生まれてきたくなんかなかった!!」

 細い指が目の端にうつり、殴られると思った。柔らかい親指の腹が俺の頬を撫で、その時初めて涙を流していたことに気がついた。
 父親が死んでから泣いたことなどなかったのに。
 女は何も言わずにただ頬を撫で、背中を撫でた。 
 老人も何も言わなかった。皺の刻まれた口角を緩く上げ、俺の足を布団の上から柔らかい手付きでぽんぽんと撫でていた。

「.....お前らなんか、大嫌いだ...!」
「そう」

 女はそれだけ言うと、俺を抱き締めた。
 柔らかい感触が、古い記憶を呼び起こす。





 ベッドを一つ置くだけでぎゅうぎゅうになる小さな家だった。

「おはよう。ルカ」

 洗濯を終えた母の冷たい手が俺の額に触れる。

「起きなさい。お寝坊さんね」
「つめたぁい」

 くすくすと身を捩り、母の手から逃れようとすると、横から大きな手が俺の首に触れた。

「あーーー…ルカはあったかいなぁ」
「やーだー!」

 きゃあっとはしゃぐ俺の腹を父親がくすぐり、「ほら、朝ごはんだよ」と抱き上げる。
 テーブルの上にはパンと俺の席にだけホットミルクが置いてあった。初めて飲んだ時「おいしい」と言った俺を覗きこんで「そうか、美味しいか」とはにかんだ両親の笑顔。
 それ以来、時おり食卓に現れるようになったホットミルクを喉を鳴らして飲み込んだ。

「うまーーーーいっ」

 微笑んで見守る二人の皿には薄く切られたパンが一枚ずつしかのっていなかった。


 夜になると暖炉に火をつける。それは決まって俺の体を拭くときだけだった。

「ほら、バタバタしない!」
「なんで毎日、ふくの?」
「元気でいるためには、清潔でいないとね」

 お湯で絞ったタオルで母は優しく俺の体を拭いた。椅子に置かれた父と母の雪で濡れた靴は、あの短い時間で乾いていたのだろうか。


 眠る時は必ず俺を真ん中にして、両親は「ルカ、寒くないか?」といつも聞いてきた。

「さむくないよ」

 寒くないよ。だって二人が守ってくれるから。




 コンコン、と咳がひどくなった母親は眉を下げていつも父親に聞いていた。

「ルカに移らないかしら」
「大丈夫だから。君は自分の体を心配しなさい」

 金がなく病院に連れて行くことができず、どんどん悪化する症状に父親は途方に暮れていた。

 やがて動かなくなった母親にすがりつき、「おきて、おきて、母ちゃん」と泣く俺を父は抱き締め、「ごめんな。ごめんな....!」と母親の手を握って涙を溢していた。

 やがて父親も咳が酷くなり、床に臥せるようになった。
 細い息の継ぎ間に俺の手を包む手は骨が浮き出て、弱々しく。
 父の涙が左目から横に伝い、布団に染みた。
 口を開け、小さくごめんなとだけ動いたが、音にはならず、本当にそう言ったかは定かではない。

「父ちゃん....」

 俺が声をかけると、握る手にぐっと力が宿った。 
 俺と同じ、稲穂の瞳にはそれまでの弱々しさなど嘘かのように強い意思が宿っていた。

「.......、お前には、言望葉が、ある......!...きっとお前の力になるから。......いいね、約束だ」


「生きるんだよ。何があっても…!きっと良いことが待っているから…!」

 そう言うと、すべての力を使い果たしたように、父親はすうっと眠るように死んだ。




 気づけば女の胸に額を埋め、大粒の涙を流していた。

 父ちゃん、母ちゃん。
 俺は生きたよ。
 人を犠牲にして生きてきたよ。

 優しいあなた達に胸を張れるようには生きてこれなかったんだよ。

「こんな生き方したかったんじゃないんだ!こんな風に生きたかったわけじゃない!あの頃みたいに幸せになりたかっただけなのに、どうして俺はこんなに汚れちまったんだ!!どうして……!」

 抱き締める力が強くなり、後頭部に添えられた手が髪を優しく撫でた。女の香りにまた母を思いだし、涙が溢れた。父親がいなくなってから殺していた感情に再び血が巡り、息をふきかえしたような気がした。
 女の喉がぎゅっと震え、優しくて強い声が耳元で聞こえた。



「よく耐えた...!よく、生きてきたね...!」




 その言葉は、背中に回された腕は、両親が死んでから軽く扱われてばかりだった俺の命を、抱き締めた。
 涙を流しすぎて頭がガンガンと痛くなる。けれど俺は泣くのをやめられなかった。


 夜の海を進むような暗く長い航海だった。
 やっと岸に辿り着けた。
 そう思ったんだ。





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