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第3章
よみがえり
しおりを挟む「....お父さん、って...?お父さんに何かあったの?」
「......何か、はもうずっと、ずっと、起きていて。ずっとおかしくて....。だけど、まさか、って、違うと思うんだ。お父さんが悪いわけじゃないと、思うんだ」
「..........?」
子供は混乱しているようだった。
今まで見てきた出来事の場面が映写機に写し出された写真のように彼の目の裏で切り替わっていく。
スープ皿を両手で包んでいる子供の頬に残る涙の跡をアミナはハンカチで撫でた。
要領を得ない言葉にシオンは眉を寄せ、「なに言うとるか全然分からん」と吐き捨てた。
うまく説明できないもどかしさで上目使いに睨む幼い視線を「なんや」と睨み返す。
唇を付きだし、機嫌を損ね始めた子供にアミナは慌てて「ごめんね、この人、こういう人だから!悪気はないの!無神経なだけなの!」と宥めた。
「け!無神経で悪うござんしたあ!」
「ここで拗ねないでよ。もう!」
「まあまあ。せっかくのスープが冷めてしまう。ほうら、君、君。あーん」
吸血鬼がスープを掬ったスプーンを子供の口元に運んだ。
「やめろよ!自分で食べるから!気色悪いなあ!」
顔を青ざめさせ、背けた子供は少し冷めたが、まだ温もりの残るスープを一口頬ばると、空腹を思い出したのか、次々と腹におさめていく。
口角を上げたモーリスは満足そうに微笑んだ。
「さてさて、では食べながら順を追って話していこうか。君の名前は?」
「......クルト。クルト..........ザハロフ」
アミナがパンをちぎる手を止めた。
「ザハロフ?.....クルトのお父さんって、もしかして」
クルトは「.....う、ん。ここの州長」と曖昧に頷いた。
なぜか彼の声には不安が籠っていた。
スープを全て飲み干し、グラスの水で喉を潤したクルトは思い出すように水面を見つめた。
「.....半年くらい前に、お父さんは急に使用人を全員解雇したんだ。みんな良い人だったのに....急に。みんな戸惑ってたし、泣いてる人もいて。どうしてだろう?って俺には分からなかった。......本当に、良い人ばかりだったのに」
鼻から長い息を吐き出し、少年は言葉の継ぎ間に唇を噛んだ。
また一口水を飲み、慎重に言葉を重ね始めた。
それから、やたら上等な服を着たおじさん達が家によく来るようになって....。
その中の一人に、なんかひょろっとした背の高い、おじいさんがいて....その人が一番よく来てた。
その人が来るんだなって日は俺にも分かった。
そういう日のお父さんは朝から暗い顔をしていたから。
だから、その人とお父さんの後を尾けてみたんだ。
二人はこのメイズ・ウッズの前でしばらく話し込んでいた。
「.....あの、いつも何をされているんですか?こんな所に閉じ込めて」
お父さんの声は弱々しかった。
「閉じ込めるとは人聞きの悪い....。素行の悪さを反省させ、考え方を改めさせておるのじゃ。これも教会の仕事なのじゃ」
「はあ....。あなたのような立場の方が、直々に、ですか?」
「何が言いたい?お主、自分のしたことを忘れておるわけではなかろうな?儂が目を瞑っているからこそ、お主の幸せがあるのではないか?」
「あ、し、失礼いたしました!」
お父さんの額には大粒の汗が浮かんでいた。
森の前にある山小屋の陰から見えたおじいさんの横顔は、不快感にまみれていて、鷲のような鼻に寄せられた皺が恐ろしかった。
「ふん....。....この結界は見事じゃ。今後も期待しとるぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「.....灯りは外していまいな?」
「は、はい!」
「ふぉふぉふぉ」
おじいさんは長い髭を撫でると、森の中に進み、お父さんはしばらく森を眺めた後、来た道を帰っていった。
俺は、おじいさんの後を追ってみた。でも、途中でどこを歩いているのか分からなくなって、迷っちまった。
いったん帰ろうと思っても、通ったはずの道は消えていて、どうしようか分からなくなっていた時に、見つけたんだ。
灯りを枝にくくりつけられた木の道を。
ずいぶんと長い道だった。
どこに続いてるんだろう?一体、なんの為の道なんだろう?
足が重く感じた頃に、白い壁の家を見つけたんだ。
奇妙なんだ。こんな森の奥に、最近建てられたような、ちっとも汚れていない白い壁。
木の灯りを頼りによく目をこらすと、その家は教会なんだと分かった。
扉の上には十字架が彫られていたから。
教会の裏まで回ると、俺の顔がようやく入るくらいの小さな窓を見つけた。
中を覗くと、おじいさんが火の付いた蝋燭を片手に誰かに話しかけていたんだ。
よく聞こえなくて、耳を押し付けた。
おじいさんの声じゃない。子供の声が聞こえた。
「ここから出して!!出してよ!!」
森を切り裂くような大声は恐怖に染まっていた。
俺は怖くなってその場から逃げた。
何か得体の知れないことがあの中では行われている。
誰に追われているわけでもないのに、走る足は止まらなかった。
怖い!怖い!怖い....!
「おやおやぁ?こんな森で子供が一人で散歩とは?不可思議だねえ。んん!?君、君。ずいぶんと痩せているのだね?ほら、お菓子食べなさい」
「.....その時に、そいつに会ったんだ」
モーリスは「そうだねえ」と頷き、紅茶を啜った。
「俺、あの時は逃げちゃったけど、何かよく分かんないけど、たぶんヤバい事になってるんじゃないか、って。ほんとは助けなきゃいけなかったんじゃないか、って」
クルトの唇が歪む。
「だから、あのおじいさん……あいつが、また来る前に、教会の中にいた子を助けないとって、思って....。食べれてるのかも分からないから、とりあえず家にあった食糧持って、何回も森に入ったんだけど...全然、あそこには辿り着けなくて……そしたら、またあいつが森に入るのを一昨日見つけて、また迷って……」
「なるほどなるほど。だから君は幾度もこの森に入って来ていたんだねえ。君がなんにも教えてくれないから、てっきり私に会いに来ているのかと思っていたよ」
「ちがう!!」
クルトは全力で否定した。モーリスは胸を両手で抑え、わざとらしく萎れてみせる。
アミナはシオンと目配せをし、子供の話の意味を考えていた。
嫌な単語が頭をよぎり、シオンも同じ考えに至ったのか彼は眉を寄せていた。
「.....でも、でも、ね....。もっとおかしな事が起こっているんだ」
自身の体を抱き締めるように右手で左腕を掴んだクルトは小刻みに震えていた。
元から血色の悪かった頬が更に白くなる。
「へ、変なんだ....死んじゃったはずなのに...。お母さんは死んだんだ、なのに、……なのに!いるんだ!!使用人のみんなが解雇されて、家を出ていった!その代わりに、死んだお母さんが、い、家に戻ってきたんだ!」
クルトが何を言っているのか、アミナはすぐに理解できなかった。
「.....え?.....で、でも.......ザハロフさんは、奥さんは風邪だ、って....?」
拳を唇に付け、クルトの言葉を反芻するアミナの隣で、シオンは鼻をスン、と鳴らした。
リナリアとレオはミハエル・ザハロフ邸へ向かっていた。
夕日の沈む森にリナリアは溜め息を吐いた。
「....まさかお店が閉まるのがこんなに早いなんて....。どうしますか?」
「州長の家に予備の灯りがないか聞いてみよう。言望葉石でもあればいいのだがな」
「アミナ大丈夫かしら……シオンは心配いらないだろうけど。吸血鬼があの森にいるかもしれないのに……」
「まだ分からない。この目で見ない限り憶測は憶測の域を出ない」
ザハロフ邸のベルを鳴らそうとレオが腕を上げた時、玄関の扉が開いた。
女が立っていた。
赤茶の長い髪を無造作に垂らしたその女はぼんやりとハニーレモンの瞳でレオを見上げた。
「おい、無理をするな」
ミハエルが女の肩に触れ、レオとリナリアに微笑んだ。
「私の妻のセラだ。まったく…まだ体調を崩しているのに、無理をして……参ったよ」
レオはそっと腰に提げた剣に指を滑らし、確かめた。
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