夢現しの桜

星崎 楓

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第9章 思い出の中で

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僕は逃げるように病院を出ると、すぐに駅へと走った。電車に乗り込むと、僕は急いで自宅へと向かう。家に着いてからも、僕は落ち着くことができなかった。夢の中の女の子が、まさか自分の姉だったなんて……。僕は信じられない気持ちでいっぱいだった。
「僕は……一体どうすればいいのだろう……。」
僕は自室のベットに横たわると、天井を見上げた。
「あ、桜井さん…」
僕は急いで桜井さんにメッセージを送った。
「今、どこですか?」
しばらくすると、桜井さんからの返事が届く。
「今、学校を出たところだよ!」
僕は桜井さんに電話をかけた。
「もしもし?」
「あ、桜井さん?……実は……ちょっと話したいことがあるんだけど……。」
「どうしたの?」
「えっと、ごめん。お父さんの件だけど、なんとかなったから。行かなくて大丈夫だよ。」
「え?そうなの?よかった!」
桜井さんは安心したのか、ほっとした様子でそう言った。
「うん……。だから、今日は一緒に帰れそうになくて……ごめん。」
「ううん!気にしないで!また明日ね!」
桜井さんは明るい声でそう言うと、電話を切った。僕は桜井さんとの通話を終えると、大きくため息をついて呟く。
「これで良かったのかなぁ……。」
僕は桜井さんのことが好きだ。桜井さんと一緒にいると楽しい。できることなら、これからもずっと一緒に居たいとさえ思っている。だが、同時に不安もある。もし、桜井さんにこのことを知られたらどうなるのだろうか。彼女はどんな反応をするのだろうか。僕はそれが怖かった。きっと嫌われてしまうに違いない。そう思うと、僕は悲しくなってきた。
「やっぱり、言わない方がいいのかもしれないな……。」
僕はそう考えると、再びベッドの上で眠りについた。
それから数日間、僕は桜井さんを避け続けた。なるべく一緒に帰らないようにして、学校で会っても必要最低限のことしか話さなかった。桜井さんは不思議そうな顔をしながら、僕の様子を伺っていたが、特に何も聞いてはこなかった。
ある日の放課後、僕はいつものように図書室に行くと、奥の部屋で読書をしていた。ここ数日、僕は一人で考え事をするためにここに通っている。ここは静かで集中できるし、何より誰も来ないので、一人になりたい時には最適の場所なのだ。僕は机に座ると、本を読み始めた。しばらくしてから、誰かが扉を開ける音が聞こえてくる。ふと扉の方を見ると、そこには桜井さんの姿があった。僕は慌てて本を閉じようとしたが、間に合わなかったようだ。桜井さんは僕を見つけると、笑顔で近づいてくる。
「長嶋くん!久しぶり、だね!」
「うん……。」
僕は曖昧な返事をすると、彼女の方を向かずに答えた。
「あのさ、どうして最近、一緒に帰ってくれないの?」
「別に……そういう気分じゃなくなっただけだよ……。」
僕はそう答えると、彼女に背中を向ける。本当は一緒に帰りたくないわけではない。むしろ逆だ。彼女と一緒に居ると、どうしても夢の中に出てきた女の子のことを思い出してしまう。僕はそのことを考えないようにするのに必死だった。
「ねえ……もしかして私のこと嫌いになった?」
「え?」
僕は驚いて振り返った。
「だって……最近は全然一緒に居ないし……。」
「違うよ……。そんなんじゃ……。」
僕は否定しようとしたが、それ以上言葉が出てこなかった。僕が黙り込んでいると、桜井さんは心配そうにこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないよ……。」
僕は誤魔化すと、視線を落とした。しばらく沈黙が続いた後、僕は意を決して口を開いた。
「実は……話さないといけないことがあるんだ……。」
「どうしたの?」
「君は、誰なんだい?」
僕はそう言うと、じっと桜井さんの顔を見た。
「えっ……?」
桜井さんは驚いた表情を浮かべた後、すぐに悲しそうな顔に変わった。
「……どういう意味?」
「君が……僕の亡くなったお姉さんなんじゃないかって……。」
「な、何を言ってるの?」
桜井さんは動揺すると、目を泳がせた。僕は続けて話す。
「……僕が昔見た夢の話、あれは……ただの夢なんかじゃないんだ……。小さい頃に僕達は、夢の中で出会ってるんだ……。ずっと前から、知ってたんだ。」
「……」
僕は覚悟を決めると、今まであったことを全て話し始めた。僕は夢の中で見た女の子の弟だということ。その子は事故で亡くなってしまったこと。その女の子は夢の中で、よく姿を現していたこと。そして、僕の姉は、夢の中で会った女の子と瓜二つだったこと。
「……それで、この前病院で父さんにアルバムを見せてもらった時に気づいたんだ。」
「ようやく、分かってくれたのね。」
「え?」
僕は驚いて桜井さんを見る。
「私は……あなたのお姉ちゃんの『桜』だよ。」
桜井さんは優しく微笑むと、僕に語りかけた。
「私は、あなたが生まれる年、14歳だった。今のあなたと同じね。私は、年の離れた兄弟ができたと聞いて、とても嬉しかった。出産予定日をずっと待ち侘びていたの。」
「……」
僕は黙って聞いていた。
「でも……、私はあの日、余計なことをしたの。」
彼女は少し間を置くと、ゆっくりと話し出した。
「出産予定日の前日、私が病院に行った時には、すでにお母さんは陣痛が始まっていて、先生がすぐに産まれるからと言って、お母さんを連れて分娩室に入ったわ。私も中に入ろうとしたんだけど、止められてしまった。せめてお父さんにだけでも出産の瞬間を見て欲しい。そう思った私は、あの時、病院から走って、駅に向かったの。」
「……」
「あの時、普段使っていた駅は地上にある駅でね、お父さんの職場の方に行くには、踏切を渡らなくてはいけなかった。不運なことにちょうどラッシュと重なってしまってね、全然踏切が開かなかったの。」
「……」
「もうすぐ産まれてしまう、早くしないと行けない、そう思った私は、閉まっている踏切をくぐり抜けて、向こう側に行こうとした。上りの急行電車が駅に入って行ったのを確認して、走って踏切をくぐり抜けようとした。焦っていた私は、下りの特急電車がすぐそこまで来ていたことに気が付かなかった。誰かが私を止める声がしたけれど、もう遅かった。左を見ると、大きな列車が、警笛を鳴らしながらすごい勢いで私の方に向かって来るのが見えた。気付いたときには、私は下りの特急電車に轢かれてしまっていた。」
「……」
「意識が薄れていく中、誰かが泣きながら何か叫んでいたような記憶はあるんだけど……その辺りの記憶は曖昧になっているの。そのせいなのか、自分が死んだことも、あまり実感がなかったの。それにしてもバカだよねー、私って。急がないであの時、踏切で待っておけばよかったのに。」
彼女は自嘲気味に笑った。
「そんなことがあったなんて……。」
「死んだあと、しばらくは何が起こってるのか全く分からなかった。お通夜とお葬式が終わって、私は山奥にある、山寺に埋葬された。その姿を自分で見た時にようやく、私が死んだことがわかった。それからは、いつもずっと願ってた。どうか、もう一度弟に会わせてくださいって。そしたら、神様が私の願いを叶えてくれたのか、それとも奇跡が起こったのか分からないけど、私は、悠人の夢の中に現れることができるようになった。」
彼女はそこで話を区切ると、大きく深呼吸をして再び話し始める。
「それからも、ずっと弟に会いたいと思ってた。だけど、悠人はもちろん、私のことなんて知らない。仕方ないとは思ってた。だから、いつか私が直接会いに行くまで、しばらく会わないでおこうと思ったの。でも、どうしても分かってほしくて、ずっと願い続けてた。そしてついに、思いが叶って、私は現世に行けるようになった。桜井花乃という女の子の姿を借りて。」
「……それが、桜井さんの正体?」
「そうよ。最初はすごく緊張した。だって、初めて会うはずなのに、悠人を知ってる。なのに知らない人を演じないといけないんだもん。」
彼女は苦笑いすると、話を続けた。
「最初こそ、どうしようか悩んだんだけど、私のことを知って欲しかったから、夢の世界に無理やり連れ込んだり、夢と現実をあやふやにしたりしたの。」
「あぁ……だから最近変な夢ばっかり見てたのか……。」
僕は納得すると、大きくため息をついた。
「ごめんなさい……。迷惑だった……かな?」
彼女は申し訳なさそうに言うと、下を向く。
「ううん……。」
僕は首を横に振ると、彼女の顔を見た。
「むしろ、感謝してるぐらいだよ。ありがとう、桜お姉ちゃん。」
僕は素直に言った。
「ありがとう…大好きよ、悠人…」
桜は涙を流すと、僕に飛びついてきた。僕はそれを受け止めると、彼女を抱きしめる。僕達はしばらくの間、そのまま抱き合っていた。僕達はお互いが落ち着くと、彼女は僕からそっと離れた。
「もう、帰らないと…」
「えっ?帰るの?」
僕は驚いて彼女を見る。
「私は掟を破った。私が幽霊であることを、生きている人間に言ってはいけないし、伝えてはならない。だから私はもう、二度とあなたの前に現れることはできないの。」
「嫌だ……。」
僕はそう呟くと、彼女を強く抱きしめようとした。その瞬間、桜の体は透き通り、桜井花乃の姿から、夢で見た時の姿に変わった。僕は慌てて手を引っ込める。
「でもね、これで良かったと思うの。私、悠人の姿を見れて、悠人と過ごせて、本当に嬉しかったし、楽しかった。私が消えたら、消えてしまう記憶もあるかもしれない、だけど、きっと、私を忘れずにいてくれたら、いつかまた、どこかで会えるはずだから。」
「そんなの……せっかく会えたのに、寂しいじゃんか……。」
僕は悲しそうな顔をすると、彼女を見つめた。
「ふふ……優しいね、悠人は……。でもね、大丈夫だよ。私はいつでも、悠人を見守ってるから。」
そう言うと、桜は僕の頭を撫でた。僕は何も言えずに黙っていると、彼女は僕の頬に手を当てる。
「じゃあ……また、いつか会おうね。」
「うん……。」
僕はそう言うと目を閉じた。彼女の唇が僕の頬に触れる感触があった後、彼女の姿は僕の目の前から一瞬にして消えていた。

気がつくと、僕はベッドの上に横になっていた。僕は起き上がると、部屋の窓際に向かう。外はもうすっかり朝になっていた。時計を見ると、もう7時を過ぎてしまっていた。急いで支度をして、ご飯を済ませると、家を出る。吹いて来る風も、もうすっかりと若葉の香りがしている。
いつもの曲がり角でふと立ち止まると、もうすっかり緑一色になった、小さな桜の木が立っていた。僕はしばらく桜を見つめていた。
僕は桜の幹にそっと触れると、心の中で話しかけてみる。
(……この前ね、学校で友達ができたんだ。その子は、誰でも変わらずに接してくれてね、とっても優しくて、可愛いんだ。……僕、今度、その子に告白しようと思うんだ。その……僕と付き合ってくださいって……。)
僕は桜の木に話しかける。当然だが、答えは返ってこない。しかし、それでも構わない。僕は話しかけ続けた。
(来年は満開の桜、一緒に見ようね。お姉ちゃん。)
僕は小さく笑うと、学校へと向かって走り始めた。悠人の頬は、桜色に染まっていた。
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