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9章 ネコと和解せよ
6 乾ききらない傷
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◆◆◆◆◆
レネから少し遅れてバルトロメイは部屋に戻って来た。
両手に持ったグラスの一つをレネへ渡す。
「ほい。レモン水」
「あっ、ありがとう」
一瞬レネは戸惑うが、喉が乾いていたので遠慮せずに飲んだ。
レモン水はよく冷えていて、風呂上がりの火照った身体に心地よい。
こういう所で、バルトロメイは気が利く男なのだ。
(もうそれでいいじゃないか……)
これ以上警戒してどうする。
自分の腹を晒せるのはバルナバーシュだけだ。
団員たちの前で、まるで子供のように抱き上げられている弱い姿を晒したのも、相手がバルナバーシュだからだ。
覆ることはない上下関係を、他人に見られたからといって気にしても仕方ない。
自分は『猫』と団員たちから呼ばれているが、バルナバーシュの前では絶対服従の『犬』だ。
他の人間だったら絶対あんなことはさせない。
だが……このバルナバーシュとそっくりな姿が、レネの心を惑わすのだ。
レネの柔らかな部分にまで、バルトロメイが食い込んで来ることが恐ろしかった。
バルトロメイには、自分の命をこの手で絶とうとした一番弱い部分を見られている。
あの時は心身共に弱っていて、バルナバーシュから見捨てられ、このままレオポルトから女みたいに抱かれるのなら、死んだ方がマシだと思った。
自殺を阻止され、自暴自棄になって自分を『殺せ』と言ったような記憶がある。
当時はバルトロメイもレオポルトとグルだと誤解していた。
そんな男のために、身を引いた自分が馬鹿だとも思った。
自分を見るバルトロメイの厳しい顔が、今でも目に焼き付いている。
そしてその後に……レネは頬を打たれた。
たぶん心の弱い奴だと思われたのだろう。
こんな外見のせいか、レネは心の弱い女々しい奴と思われるのが大嫌いだ。
あれは本来の自分じゃないと証明しなければ、これから先も風呂場でされたように、この男の庇護下にいるかのような扱いを受ける。
自分だって男なのだ。
もっとちゃんとした所を見せつけないといけない。
気を許しそうになった自分を、レネは改めて戒めた。
「なに渋い顔して飲んでんだよ。すっぱかったのか?」
バルトロメイは優しい大型犬みたいな人懐っこい笑顔でこちらを覗き込んでくる。
(ほら、こうやってすぐ人の心の中に入り込んでくる……)
「そんなことない。ただ考えごとしてただけ」
「——そっか。俺と一緒にいるのが辛いのか?」
ヘーゼルの瞳がレネを真正面から見つめる。
真摯な男は、なにごとにもド直球だ。
逃げ場がない。
「オレ……お前とどう向き合えばいいのかわからない。一番見られたくない所を見られてるし、普通に今まで通りにはいかない」
これから数日、四六時中顔を合わせていなければいけないし、一度腹を割って話しておいた方がいいのかもしれない。
口元から笑みが消えると、大型犬の人懐っこい印象は一変する。
まるで野生の狼みたいだ。
(ああ……やっぱり似すぎてる……)
「レネ、一つ訊いていいか? どうして自害しようとした?」
またド直球の質問だ。
だが、その顔で訊かれたら、口が勝手に開いてしまう。
「オレは団長に実の息子がいるなんて知らなかった。お前が本部を訪ねて来た後、団長と言い合いになって家を追い出されたんだよ。見放されたと思ったんだ。レオポルトに言われたことも大きかったな……」
『お前とは関係ないだろ』
『——じゃあ、出ていけ』
もう解決した問題なのに、バルナバーシュの言葉を思い出すだけでもカミソリで切られて血が滲むようだ。
「……そんなことが……——レオポルトになにを言われたんだ?」
レネの言葉を聞いたバルトロメイの顔に影が差している。
「レオポルトのお兄さんは昔誘拐されて、自分が跡継ぎとして必死で頑張っていたのに、十年後にひょっこり戻ってきて嫡男の座を奪われたけど、レオポルトはお兄さんを憎むことができずに身を引いたって……——お前も養父に見捨てられて同じなんだろって……」
「なんてことを……」
バルトロメイは言葉を無くして立ち尽くしている。
レネだって、あの時の負の符号は、地獄の底へと引きずり込まれるような絶望感しかなかった。
ふだんだったら絶対あんなことはしない。
心身共に最悪の状態だった。
早くあそこから抜け出したかったのだ。
「でもオレはあの時、お前もグルだと思ってたから、騙されて身を引いて、自分はなんて馬鹿なことをしたんだろうって……自暴自棄になってた。もうどうでもよくなったんだ……女々しい奴だってお前も軽蔑してただろ?」
親に見捨てられたから自害しようとするなんて馬鹿も甚だしい。
今でもあの時のことを思い出すと、自己嫌悪に陥り自分を殴りたい衝動に駆られる。
レネの心にできた傷は、まだ完全には乾ききってはいなかった。
レネから少し遅れてバルトロメイは部屋に戻って来た。
両手に持ったグラスの一つをレネへ渡す。
「ほい。レモン水」
「あっ、ありがとう」
一瞬レネは戸惑うが、喉が乾いていたので遠慮せずに飲んだ。
レモン水はよく冷えていて、風呂上がりの火照った身体に心地よい。
こういう所で、バルトロメイは気が利く男なのだ。
(もうそれでいいじゃないか……)
これ以上警戒してどうする。
自分の腹を晒せるのはバルナバーシュだけだ。
団員たちの前で、まるで子供のように抱き上げられている弱い姿を晒したのも、相手がバルナバーシュだからだ。
覆ることはない上下関係を、他人に見られたからといって気にしても仕方ない。
自分は『猫』と団員たちから呼ばれているが、バルナバーシュの前では絶対服従の『犬』だ。
他の人間だったら絶対あんなことはさせない。
だが……このバルナバーシュとそっくりな姿が、レネの心を惑わすのだ。
レネの柔らかな部分にまで、バルトロメイが食い込んで来ることが恐ろしかった。
バルトロメイには、自分の命をこの手で絶とうとした一番弱い部分を見られている。
あの時は心身共に弱っていて、バルナバーシュから見捨てられ、このままレオポルトから女みたいに抱かれるのなら、死んだ方がマシだと思った。
自殺を阻止され、自暴自棄になって自分を『殺せ』と言ったような記憶がある。
当時はバルトロメイもレオポルトとグルだと誤解していた。
そんな男のために、身を引いた自分が馬鹿だとも思った。
自分を見るバルトロメイの厳しい顔が、今でも目に焼き付いている。
そしてその後に……レネは頬を打たれた。
たぶん心の弱い奴だと思われたのだろう。
こんな外見のせいか、レネは心の弱い女々しい奴と思われるのが大嫌いだ。
あれは本来の自分じゃないと証明しなければ、これから先も風呂場でされたように、この男の庇護下にいるかのような扱いを受ける。
自分だって男なのだ。
もっとちゃんとした所を見せつけないといけない。
気を許しそうになった自分を、レネは改めて戒めた。
「なに渋い顔して飲んでんだよ。すっぱかったのか?」
バルトロメイは優しい大型犬みたいな人懐っこい笑顔でこちらを覗き込んでくる。
(ほら、こうやってすぐ人の心の中に入り込んでくる……)
「そんなことない。ただ考えごとしてただけ」
「——そっか。俺と一緒にいるのが辛いのか?」
ヘーゼルの瞳がレネを真正面から見つめる。
真摯な男は、なにごとにもド直球だ。
逃げ場がない。
「オレ……お前とどう向き合えばいいのかわからない。一番見られたくない所を見られてるし、普通に今まで通りにはいかない」
これから数日、四六時中顔を合わせていなければいけないし、一度腹を割って話しておいた方がいいのかもしれない。
口元から笑みが消えると、大型犬の人懐っこい印象は一変する。
まるで野生の狼みたいだ。
(ああ……やっぱり似すぎてる……)
「レネ、一つ訊いていいか? どうして自害しようとした?」
またド直球の質問だ。
だが、その顔で訊かれたら、口が勝手に開いてしまう。
「オレは団長に実の息子がいるなんて知らなかった。お前が本部を訪ねて来た後、団長と言い合いになって家を追い出されたんだよ。見放されたと思ったんだ。レオポルトに言われたことも大きかったな……」
『お前とは関係ないだろ』
『——じゃあ、出ていけ』
もう解決した問題なのに、バルナバーシュの言葉を思い出すだけでもカミソリで切られて血が滲むようだ。
「……そんなことが……——レオポルトになにを言われたんだ?」
レネの言葉を聞いたバルトロメイの顔に影が差している。
「レオポルトのお兄さんは昔誘拐されて、自分が跡継ぎとして必死で頑張っていたのに、十年後にひょっこり戻ってきて嫡男の座を奪われたけど、レオポルトはお兄さんを憎むことができずに身を引いたって……——お前も養父に見捨てられて同じなんだろって……」
「なんてことを……」
バルトロメイは言葉を無くして立ち尽くしている。
レネだって、あの時の負の符号は、地獄の底へと引きずり込まれるような絶望感しかなかった。
ふだんだったら絶対あんなことはしない。
心身共に最悪の状態だった。
早くあそこから抜け出したかったのだ。
「でもオレはあの時、お前もグルだと思ってたから、騙されて身を引いて、自分はなんて馬鹿なことをしたんだろうって……自暴自棄になってた。もうどうでもよくなったんだ……女々しい奴だってお前も軽蔑してただろ?」
親に見捨てられたから自害しようとするなんて馬鹿も甚だしい。
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レネの心にできた傷は、まだ完全には乾ききってはいなかった。
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