菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
589 / 663
14章 エミリエンヌ嬢を捜索せよ

7 朝の鍛練

しおりを挟む

 グリシーヌの庭の奥にある鍛練場では剣戟音が鳴り響く。
 珍しい真剣での手合わせに、近くを通りかかった使用人も足を止めて見入っている。
 ここは癒し手のいるリーパ本部の鍛練場ではない。
 お互い防具は着けているものの、もし力の入れどころを間違ったら、大怪我に繋がる。

 向かい合う二人の獲物はどちらも大振りの両手剣で、基礎をしっかりと学んでいないと扱いが難しい代物だ。
 紙一重の所で力を加減しながらも、両者からは凄まじい殺気が迸っている。

「うわぁ……バルトロメイも強いね」

「いや、デニスさんも流石だよ」

 レネはまだ真剣を持って戦うデニスを一度しか見たことがなかった。
 それも相手は剣の基礎もなっていない山賊たちだった。
 こうして改めてバルトロメイとやり合っている姿を見ると、凄い腕の持ち主だと言うことがわかる。

 主同士でお互いの騎士を褒め合っているが、なぜこんなことになっているかと言うと、デニスが昨夜、バルトロメイを朝の稽古に誘ったのがきっかけだ。
 ヴィートとレネも久しぶりに剣を振って汗を流し終え、拮抗を続ける二人の手合わせをアンドレイと一緒に眺めていた。

(真剣になりすぎて怪我すんなよ……)

 レネは癒しの力が使えるが、できるだけ周囲の人間には知られたくはない。
 ただの手合わせにしては、熱が入りすぎではないかと思うが、二人ともそこら辺はちゃんと分別を持っているだろう。


「でもさバルトロメイにレネは決闘で勝ったんでしょ?」

「まあ、あの時は滅茶苦茶怒ってたからね、今だったら、たぶんあいつの方が強いよ」

「いや……自分より力の強い相手と真剣勝負して勝つなんて、やっぱレネが一番強いんじゃないの?」

 あの頃に比べても自分は強くなったと思うが、それ以上にバルトロメイの方が腕を上げている気がする。
 今は二本に一本自分が勝てたらいい方だろう。

 それに先ほどヴィートとも手合わせしたが、濃墨の元で修業を積んでから、まるで別人のように強くなっていた。
 独特の間合いに慣れていないせいか、二人の勝負も勝ったり負けたり繰り返している。

「そんなことはないって。その時の調子にもよるし相性もあるんだって。バルトロメイだってヴィートは苦手だし」

 レネと同じくバルトロメイも千歳の刀を使った剣法に手こずっている最中だ。
 攻略までまだ少し時間がかかりそうだ。

 みんなますます強くなり、自分だけが置いていかれているようでレネは焦っていた。

 まだ騎士たちの手合わせは終わりそうにもない。
 少し汗も掻いたし顔でも洗って頭を冷やそうと、レネは庭との間にある井戸へ向かった。

(あれ?)

 井戸の側にあるサトウカエデの木の下に老人が上を見上げて立っていた。
 よく見たら、木の上に毛足の長い黒猫が下を見ながら枝の上を行ったり来たりしてニャーニャーと鳴いている。

「シィロ、シィロ、下りておいで」

 猫の名前を呼んでいるが、猫は高い枝から飛び下りることを躊躇している様子だ。

(もしかして……下りれないのか?)
 
 なにも考える前に身体が勝手に動いていた。
 スルスルと幹を登り猫のいる枝まで辿り着き、レネの体重も十分に支えられるような太い枝だったので、少し猫と距離をとりそこに腰掛ける。

 老人は突然現れた青年に目を白黒させながらも、なにをしようとしているかすぐに理解したようで、その様子を見守っていた。

「大丈夫。一緒に下りよう。こっちへおいで」

 安心させるように猫の方に人差し指を突き出す。
 猫など飼ったこともないので扱い方などよくわからないが、自然とそうしていた。

 見知らぬ人物に警戒していた猫は、人差し指の匂いをクンクンと嗅ぎ顔をすり寄せた。
 濡れた鼻先が当たり、なんともいえない気分になるが、レネは辛抱強く猫が安心するまで待つ。

 トントンと自分の膝を叩くと、誘導されるように猫はレネの太腿の上に乗ってきた。

「よしよし、お利口さんだねぇ」
 
 心を開きゴロゴロと喉を鳴らし始めた猫の毛皮を撫でながら語りかける。

「いいか、今から抱っこして下に飛び下りるからな、ちゃんとここに掴まってろよ」

 レネは肩口にしがみつかせるように猫の身体を抱いたまま、トンっと地面に着地した。
 ビクッと身を震わせたものの、レネが地面へと身体を下ろしてやると、腹を見せてころころと地面に寝返りを打つ。

 
「ありがとう、なんと礼を言っていいか」

 すぐさま老人がレネの元に駆け寄り、感謝の気持ちを伝えてくると、あることに気付いた。

 
(あれ……? これって……)

 子ども・年寄り・動物には優しくしろ。

 
 昨日思い出した、ロランドの教えがすぐに頭をよぎった。
 まさに、これは絶好のシチュエーションではないだろうか……。
 
 
「そんなお気になさらず。たまたま井戸を使おうと思って通りかかっただけですから」
 
 満面の笑みを浮かべ、レネは老人に話しかけた。

「ああ、血が……」
 
 さっき下りる時に猫が吃驚して爪を立てたのだろう、首から鎖骨にかけて爪が食い込んだ場所に血が滲んでいた。

「ぜんぜん大丈夫です。大した傷でもないし」

 そう言っている間にも、老人は自分のハンカチを井戸の水で濡らしシャツに血が付かないように拭き取ってくれた。

「本当に申し訳ない。膿んだりしたら大変だ。後でちゃんと手当てしてもらいなさい」

「そんな、これくらいの傷で大袈裟ですって。ここまでしてもらったら大丈夫ですよ。ほら、あの子も呼んでる」

 二人の様子を下から眺めていた猫が、老人に屋敷の中に早く帰ろうと後ろを何度もふりむきながら鳴いていた。

「シィロ、お前……ちゃんとお礼も言わずに。では、私もこれで失礼するよ、助けてくれてありがとう」

 猫にせかされるように、老人も屋敷の中へと帰っていった。


「……?」

 レネはふと視線を感じ上を見上げると、屋敷の二階の窓から中年の女がこちらを見ていた。

(えっと……チャラチャラして見えるといけないから、女の人にはそっけなくしていた方がいいんだっけ?)

 いつものレネだったら目が合ったら目礼くらいはするが、ロランドの言葉が頭をよぎり、スッと目をそらした。


 せっかく血を拭き取ってもらったので、また濡らすのもどうかと思い、レネはそのまま鍛練場へと戻る。
 戻ってみるとどうやら長かった手合わせも終わったようで、バルトロメイとデニスの間に流れていた殺伐とした空気は消え、完全に打ち解けたとはいい難いが、何やら二人で話し込んでいるようだ。

 
「テサク家の人間だとは驚きだ」

「いや、俺だって吃驚さ。まさかあんたがカレルギス連隊長の弟だとはな……合同訓練で何度か見たことあるけど全然似てねえな」

「長男だけ母が違うからな。次男と俺は南国人の母親の血を濃く受け継いでいる」

 会話の内容を聞いて、レネは二人の距離が近付いた理由に気付く。
 二人の実家はどちらも代々竜騎士団の要職に就くような家系だったから、それぞれの家族について知っているのだ。

「知ってる? デニスさんのもう一人のお兄さんのラデクさんはリンブルク伯爵の騎士を務めていて、デニスさんとそっくりなんだよ」

 剣呑だった雰囲気が緩み、嬉しくなったレネも会話に割って入った。

「ラデクの方がもっととっつきやすいけどね」

 アンドレイも白い歯を見せてにやりと笑うと、自分の騎士を冷やかす。

「ふん、あいつは軽すぎだ」

「——これは? 剣でできた傷じゃなさそうだけど……」

 血も止まったし外していた襟のボタンを掛けていたのに、バルトロメイが目ざとく傷を発見し勝手にまたボタンを外す。

「大したことないって、あっちで猫が木に登って下りれなくなってたから、下してやった時にしがみつかれただけだって」

 アンドレイたちも見ているというのに、まるでレネを子ども扱いするバルトロメイの行動に気恥ずかしくなってきた。

「一応消毒だけでもしておいた方がいいぞ。後で傷がパンパンに腫れて死んだ奴を知っている」
 
 デニスまでもがバルトロメイの横から傷をのぞき込んでくる。
 本当にこんな傷どうでもいいのにと思いながら、困った顔をする。
 
「こわっ……早く手当てしてもらおう。そして朝ご飯食べようよ」

「朝から久しぶりに身体動かしたから腹減ってたんだよね」

 昨日の夕飯は日ごろ庶民が口にできないような豪華なものだったので、ヴィートが朝食にも期待した様子で食事に誘うアンドレイの方を見た。

 
 朝からみっちり剣を振って、用意された朝食を食べる。
 こんな平和な時間も悪くない。
 
 バルトロメイとデニスの間に張りつめていた空気が解けたこともあり、レネの顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
 


しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

処理中です...