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第5章 遥か遠いあの日を目指して

第100話 苦手なモノ

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 背の高い木々が生茂るその大森林を俺とリアナは慎重に進む。
まだ陽は落ちていないのだが、幅広な木々の葉が陽の光を遮り森の中は少し薄暗い。
その森は地球で言えば熱帯雨林にも近いような植生が多く見て取れる。
以前商人達が使っていたであろう林道には草木が伸び放題になっており、進み難い道を俺が先陣して進んでいるのだが——。
俺の後ろにはリアナがピッタリとくっ付いてついてきている。
辺りをキョロキョロと見回して、長い耳をピンと立てながら何かに物凄く警戒していているのだ。
彼女が警戒している存在とは何なのか。
それはこの森には居座ったとされる〝神獣〟ではない、にある。




 この大森林が〝静寂の森〟と呼ばれる前、別称があった。
その名は〝エドモの森〟。
そしてそのエドモの森には神獣が住み着く前から注意すべき事があったそうだ。
それをメアリーさんから出発する前夜、俺達は忠告された。

「あの森にはが生息しているの。魔物よりも厄介な存在も多いから、〝虫除けの粉薬〟は必ず全身にかけておいて方が良いわ」

 その忠告を聞かされた時のリアナの顔はひどく引きつっていた。
何しろ彼女は大の虫嫌いなのだ。
エルフの里は森の中なので、当然昆虫も見かける事はあるのだが、昔からリアナは虫を見ると泣いて逃げていたものだ。
そしてその苦手意識は今でも変わっていないらしい。




「リアナって、何でそんなに虫が嫌いなんだ?」

 背中にしがみ付くリアナに小声で尋ねてみる。

「……とにかく生理的にダメなの……見るだけで鳥肌立つし、背筋がゾクッとして凍りつくもの……」

 まるでお化けを見た時みたいな事を言うな。
背筋が凍ってた割にはかなり俊敏に逃げ出してた記憶があるのだが。

「……多分、発端は小さい頃にあったバグコーチのトラウマが原因かも」

「バグコーチ?」

 確かバグコーチって、確か所謂ゴキブリみたいな虫だっけか。
大きさ地球で見たソレより幾分デカイので、確かに気持ち悪いと言えば気持ち悪いが。

「寝巻きに着替えようと思って袖を通したんだけど、背中にモゾモゾって何かが動くのを感じたの……うぅぅッ」

 思い出したのかリアナが小刻みに震えだす。

「あぁ、服の中にバグコーチがいたのか?」

 俺の問いかけにリアナはブンブンと首を縦に振って頷いた。

「私は叫びながら服を脱いで放り投げたら、バグコーチがカサカサと出たきたのッ」

「わ、わかった……わかったから声を小さくしようか」

 段々興奮してきたリアナを宥めようと俺はどうどうと落ち着かせる。
余計な事を聞かない方が良かったな。
こんなやり取りで眠ってる神獣が目覚めて襲われたら洒落にならんぞ……。

「それで、そのバグコーチ目掛けてお気に入りの絵本を投げたの……」

 まだ続けるのか、と思いながら俺は黙って聞いていた。

「そしたらソイツは潰れたんだけど、潰れた死骸から沢山の小さなバグコーチが出てきて……うぅぅぅ、もうヤダぁ……」

 そう言って一人で涙目になるリアナ。
いや、泣くぐらい嫌な記憶を掘り返すつもりは全く無かったんだが……。
何だか俺が悪い事をしてしまったような気持ちになってしまう。
とは言え確かにそれはトラウマになり得るかもしれない。
子供の頃の嫌な記憶は大人になっても忘れられないものだ。
結局それが原因でリアナは虫全般が苦手となってしまった訳だ。



 さて、問題は現在の俺たちの状況である。
メアリーさんからもらった虫除けの粉薬はゴブリンに襲撃されたせいで瓶が破壊され、中身は大雨によって流されてしまったのだ。
馬もなく、食料も無い状態で再び来た道を戻る訳にもいかず、進んだ方が早いという事でここまでやってきた。
しかし、やはり虫嫌いなリアナにとっては命綱の粉薬消失は致命的である。

 そんな訳でリアナは現在ある意味俺以上の生体感知を発動させてるんじゃないか、と思える程警戒しているのだ。
魔物や神獣より、虫に対して。
幸いな事に未だ大型の昆虫とは出会していない。
見かけたのは小さなカミキリムシやバッタ、コガネムシのような小型の虫くらいなもの。
それでも近くに虫が出る度に悲鳴を上げそうになるリアナであった。
俺はその度に口を慌てて塞がねばならないので、それはそれで大変なのだが——。

 ともかく草原を進むより何倍も疲れつつも大森林を着実に進む俺達。
しかし、突然リアナが足を止めて俺の服をクイッと引っ張ったのであった。

「また何か出たのか?」

 恐る恐る俺がリアナを見ると、リアナはどこか遠くを見つめて立ち止まっていた。
その顔つきは怯えた表情ではなく、眉を潜めて何かを探るような顔付きをしている。
そして長い耳がピクピクと動き、何かを聞き取ろうとしているようでもあった。

「シン、今の……聞こえた?」

「今の?」

 俺は耳を澄ましてみるが、聞こえてくるのは木々や葉の揺れる音や昆虫や鳥の鳴き声くらいなもの。
まさか虫の鳴き声が恐ろしくなったとか言わないよな?

「……ほら、助けて、って……聞こえない?」

 助けて……?
聞こえてるのは人の声なのか。
しかしいくら耳を澄ませても人の声らしきものは聞き取れない。
エルフは耳が良いので、俺が聞こえないのは聴力の差だろうか?

「いや、俺には聞こえないな。どっちから聞こえるんだ?」

 リアナは目を瞑り辺りに耳を澄ますと片手を上げて方向を指差した。

「多分、あっちから」

 それは完全に道から逸れてしまう方向だが、彼女の聞き間違いと決めつける訳にもいかない。
もしかしたら旅人が襲われてる可能性もある。

「……危険かもしれないが、一応様子を見に行ってみよう。いいか?」

 確認するように問いかけてみると、リアナは力強く頷いた。





 背の高い草木や長い蔓を剣で切り裂きながら道を開き進んでいく。

「さっきより、ハッキリ聞こえてきた。『誰か助けて』って言ってる」

 間違いない、と俺に伝えてくるリアナ。
しかし相変わらず俺の耳には何も聞こえない。
まさか幻聴?
俺は状態異常無効化のスキルを会得してるので大丈夫だが、知らないうちにリアナは何かの毒素に侵されて幻惑状態になってる……という可能性もないでもないが……。

 そんな半信半疑な俺であったが、それでもリアナの言う事を信じて突き進む。
すると、〝それ〟を目の前にして俺は慌ててリアナに立ち止まるように片手で止まるように制した。

「……リアナ、こいつは……」

 雨がさっきまで降っていて本当に良かった、と俺は心底先ほどの大雨に感謝した。
何故なら、目の前には雨粒が無数に宙に浮かんでいるのが見えているからだ。

 いや、正確には浮かんでいるように見えるだけ。

 実際にはその雨粒は何かに引っかかっているのだ。
それは目に見えない糸。
細いから見えないのではなく、恐らく無色透明の糸なのだろう。
それが複雑に張り巡らされ、離れた位置にはハッキリとしたが目に映る。
つまり——。

 である。
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