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そんな目で見ないで
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亜紀が帰った後も、しばらく呆然としていた。
亜紀の前では平静を装ってみたけど、涙をこらえるので精一杯だった。
七緒静華が生きていた。その事実だけでもつらいのに、二人が会っていたと聞かされたら、さすがにきつい。
今ごろ、佑樹は七緒静華と一緒にいて、離れていた時間をうめるほどの愛を囁きあっているのかもしれない。
私の青春時代を支えてくれた七緒静華は、私から一番大切な人を奪うのだ。
私は一度に、二人も大切な人を失う。そんな苦痛、たえられない。
風邪が治っても、佑樹と連絡は取らなかった。
佑樹からは時々心配するメールが届いたけど、会いたいとは言ってこなかった。もう会う必要がなくなったのだろう。
そんな折、七緒静華のサイン会が近くのデパートであると知った。
彼女は海外で生活してて、来週には日本を離れるらしい。
会うチャンスは今しかない。会ってどうするつもりもなかったけど、漠然と会ってみたい衝動にかられて、行くことにした。
デパートへ到着すると、すぐに会場を見つけることができた。
詩集を持って、七緒静華サイン会最後尾と書かれた札を持つ係員の立つ、その列に並んだ。
待っている間、すごくどきどきしていた。
会いたい、会いたくない、その拮抗する思いが私を焦らせた。
徐々に順番が近づく。
逃げ出したい。そう思うのに、足は前へと進む。だから、七緒静華を目の前にした時には、私の手は震え、顔は青ざめていた。
「まあ、かわいい。緊張してるの?」
私の差し出す本を受け取りながら、七緒静華は笑った。可憐なのに、凛とした不思議な雰囲気を持つ美しい人だった。
「お名前は?」
表紙を開いて、七緒静華はペンを持つ。
「結衣……です」
そう言った時、七緒静華は首をかしげるようにして私を見上げた。そのまま、まばたきもせず、私を見つめてきた。
「ユイちゃん?」
「結ぶに、衣です」
七緒静華はうなずいて、何事もなかったようにサインを書いた。
握手してもらい、すぐにその場から離れた。
ずっとファンでした。
そんなひとことも、言えなかった。
ショッピングを楽しむ気も起きなくて、すぐに帰ろうとエスカレーターへ向かうと、「あのー」と、後ろから声をかけられた。
振り返ると、社員証の入った札をぶらさげたスーツ姿の男性が立っていた。
「七緒が話をしたいと言っています。少し待っていてくれますか?」
七緒静華の関係者だろうその青年は、さらに尋ねてきた。
「杉田佑樹さんをご存じですか?」
尋ねている本人も、その質問の意図が見えないのか首をかしげ、困ったような顔をする。
結衣という名前に七緒静華が反応したのは、佑樹から私のことを聞いているからだろう。そう理解した私は、黙ってうなずいた。
佑樹は私のことをどう説明したんだろう。
彼女だよ。そんな風に言ってくれたならうれしいなんて、まだそんな往生際の悪いことを考えてる。
サイン会が終わるまで、デパートの中にあるカフェで七緒静華を待っていた。
「お待たせ」
私を現実に引き戻す七緒静華の声が背中にかかった。
とても澄んだ美しい声。自信に満ちた声。私の声はそんなに彼女の声に似てるのだろうか。
「板倉結衣です」
私は椅子から立ち上がり、名乗った。すると、七緒静華は少しばかり驚いた顔をした。
「声、似てるわね」
やっぱり似てるのだろうか。正直、自分ではよくわからない。七緒静華は録音された自分の声を知っているから、そう言うのだろう。
「私、里中静香っていうの。静香さんって呼んで」
静香さんは大きめのサングラスをはずし、その大きな瞳で私を見つめた。
「ねぇ、結衣ちゃん。あなた、佑樹の何?」
彼女は唐突に言う。
「え?」
「悪いけど、あまり時間がないの。ごまかさないで話してくれる?」
性急な質問に言葉を失うが、それを口にしたくなくて逆に質問をした。
「佑樹はなんて言ったんですか?」
私は佑樹の彼女だと思ってる。だけど独りよがりな思いを口にする勇気もない。
「彼女じゃないって言ったけど」
予想はしてたけど、その言葉を受け止めることは出来そうにない。胸がチクチク痛む。
「佑樹がそう言うなら、そうだと思います」
「思います? あいまいなのね」
静香さんはハッキリした性格なのだろう。わずらわしそうな顔をする。私みたいなうじうじした性格の女を見てると、いらいらするんだろう。
「じゃあ、体だけの関係ってことね」
「……」
「図星?」
みるみる青ざめる私を、勝ち誇ったような目で静香さんは見つめてくる。そんな目で見なくたって、私はもうあなたに勝ち目なんてないのに。
「それだけの関係だとしても、別れてくれない?」
「え……」
「私ね、また日本で暮らそうって思ってるの。佑樹と一緒にね」
私には返す言葉なんかない。佑樹と静香さんがそうしたいなら、私が口をはさむ問題じゃない。
「そういうことだから、お別れぐらいはさせてあげるわよ。アパートの荷物、ひとつ残らず持って帰ってくれる?」
「アパートの荷物……」
「そう。邪魔なのよね」
そうだろうと思ってはいても、佑樹がアパートに静香さんをあげた事実を知らされただけで胸が苦しくなる。
嫉妬してるなんてみっともない。静香さんの言う通り、私はそれだけの女なのに。
亜紀が帰った後も、しばらく呆然としていた。
亜紀の前では平静を装ってみたけど、涙をこらえるので精一杯だった。
七緒静華が生きていた。その事実だけでもつらいのに、二人が会っていたと聞かされたら、さすがにきつい。
今ごろ、佑樹は七緒静華と一緒にいて、離れていた時間をうめるほどの愛を囁きあっているのかもしれない。
私の青春時代を支えてくれた七緒静華は、私から一番大切な人を奪うのだ。
私は一度に、二人も大切な人を失う。そんな苦痛、たえられない。
風邪が治っても、佑樹と連絡は取らなかった。
佑樹からは時々心配するメールが届いたけど、会いたいとは言ってこなかった。もう会う必要がなくなったのだろう。
そんな折、七緒静華のサイン会が近くのデパートであると知った。
彼女は海外で生活してて、来週には日本を離れるらしい。
会うチャンスは今しかない。会ってどうするつもりもなかったけど、漠然と会ってみたい衝動にかられて、行くことにした。
デパートへ到着すると、すぐに会場を見つけることができた。
詩集を持って、七緒静華サイン会最後尾と書かれた札を持つ係員の立つ、その列に並んだ。
待っている間、すごくどきどきしていた。
会いたい、会いたくない、その拮抗する思いが私を焦らせた。
徐々に順番が近づく。
逃げ出したい。そう思うのに、足は前へと進む。だから、七緒静華を目の前にした時には、私の手は震え、顔は青ざめていた。
「まあ、かわいい。緊張してるの?」
私の差し出す本を受け取りながら、七緒静華は笑った。可憐なのに、凛とした不思議な雰囲気を持つ美しい人だった。
「お名前は?」
表紙を開いて、七緒静華はペンを持つ。
「結衣……です」
そう言った時、七緒静華は首をかしげるようにして私を見上げた。そのまま、まばたきもせず、私を見つめてきた。
「ユイちゃん?」
「結ぶに、衣です」
七緒静華はうなずいて、何事もなかったようにサインを書いた。
握手してもらい、すぐにその場から離れた。
ずっとファンでした。
そんなひとことも、言えなかった。
ショッピングを楽しむ気も起きなくて、すぐに帰ろうとエスカレーターへ向かうと、「あのー」と、後ろから声をかけられた。
振り返ると、社員証の入った札をぶらさげたスーツ姿の男性が立っていた。
「七緒が話をしたいと言っています。少し待っていてくれますか?」
七緒静華の関係者だろうその青年は、さらに尋ねてきた。
「杉田佑樹さんをご存じですか?」
尋ねている本人も、その質問の意図が見えないのか首をかしげ、困ったような顔をする。
結衣という名前に七緒静華が反応したのは、佑樹から私のことを聞いているからだろう。そう理解した私は、黙ってうなずいた。
佑樹は私のことをどう説明したんだろう。
彼女だよ。そんな風に言ってくれたならうれしいなんて、まだそんな往生際の悪いことを考えてる。
サイン会が終わるまで、デパートの中にあるカフェで七緒静華を待っていた。
「お待たせ」
私を現実に引き戻す七緒静華の声が背中にかかった。
とても澄んだ美しい声。自信に満ちた声。私の声はそんなに彼女の声に似てるのだろうか。
「板倉結衣です」
私は椅子から立ち上がり、名乗った。すると、七緒静華は少しばかり驚いた顔をした。
「声、似てるわね」
やっぱり似てるのだろうか。正直、自分ではよくわからない。七緒静華は録音された自分の声を知っているから、そう言うのだろう。
「私、里中静香っていうの。静香さんって呼んで」
静香さんは大きめのサングラスをはずし、その大きな瞳で私を見つめた。
「ねぇ、結衣ちゃん。あなた、佑樹の何?」
彼女は唐突に言う。
「え?」
「悪いけど、あまり時間がないの。ごまかさないで話してくれる?」
性急な質問に言葉を失うが、それを口にしたくなくて逆に質問をした。
「佑樹はなんて言ったんですか?」
私は佑樹の彼女だと思ってる。だけど独りよがりな思いを口にする勇気もない。
「彼女じゃないって言ったけど」
予想はしてたけど、その言葉を受け止めることは出来そうにない。胸がチクチク痛む。
「佑樹がそう言うなら、そうだと思います」
「思います? あいまいなのね」
静香さんはハッキリした性格なのだろう。わずらわしそうな顔をする。私みたいなうじうじした性格の女を見てると、いらいらするんだろう。
「じゃあ、体だけの関係ってことね」
「……」
「図星?」
みるみる青ざめる私を、勝ち誇ったような目で静香さんは見つめてくる。そんな目で見なくたって、私はもうあなたに勝ち目なんてないのに。
「それだけの関係だとしても、別れてくれない?」
「え……」
「私ね、また日本で暮らそうって思ってるの。佑樹と一緒にね」
私には返す言葉なんかない。佑樹と静香さんがそうしたいなら、私が口をはさむ問題じゃない。
「そういうことだから、お別れぐらいはさせてあげるわよ。アパートの荷物、ひとつ残らず持って帰ってくれる?」
「アパートの荷物……」
「そう。邪魔なのよね」
そうだろうと思ってはいても、佑樹がアパートに静香さんをあげた事実を知らされただけで胸が苦しくなる。
嫉妬してるなんてみっともない。静香さんの言う通り、私はそれだけの女なのに。
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