何万回囁いても

水城ひさぎ

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そんな目で見ないで

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 静香さんは一方的に言いたいことを言うと、サイン会会場へ戻っていった。

 しばらく何も考えられなくて呆然としていると、店員がグラスに水を注ぎにくる。
 ハッと我にかえる。帰らなきゃ。そう思って、腰を上げた。

 デパートを出ると、そのまま佑樹のアパートへ向かった。

 今なら、佑樹と別れられるだろう。また何日か悩んだら、佑樹との楽しかった出来事ばかり思い出されて、決心がつかなくなってしまう。そんな気がした。

 はじめて佑樹のアパートに行った時はとても緊張した。そんなに固くならなくても大丈夫だよって、佑樹は笑って私の手を引いた。

 結衣って、かわいいねって言ってくれた。

 佑樹はすごく優しくて、大人で、いつも私を優しく包み込んでくれた。

 アパートのチャイムを鳴らしたけれど、返事はなかった。いないのかもしれない。それならその方がいい。泣かずに佑樹と別れる自信はない。

 合鍵を取り出して、玄関のドアをあけると、風がスーッと私のほおをなでた。

 ベランダの窓があいてる。カーテンが揺れて、秋の風がまた私を素通りした。すると、開いた窓に人影が現れる。佑樹だった。

 彼はタバコを片手にベランダから部屋へ足を踏み込んできた。

「結衣……」

 佑樹はテーブルの上の灰皿にあわててタバコを押し付け、後ずさる私に向かって走ってきた。

「来てくれたんだ」

 うれしそうな佑樹の声を聞いた時には、彼の腕に包まれていた。

「会いたかったよ」

 胸がしめつけられる。

 どうしてそんなこと言うの?
 静香さんが海外へ帰ってしまうから?
 それまでの間、また私を身代わりにするの……?

「風邪はもういいの?」

 うなずくと、佑樹は私の手を引いた。

「連絡ないから心配してたよ」

 うそばっかり。

「今、どこに住んでるの? 場所ぐらい教えてくれよ」

 そうやってまた、静香さんがいない寂しさをまぎらわすためのはけ口にするの?

 もう限界だよ。私は強くない。騙されてたってわかってて、それに気づかないふりなんて出来ない。

「その必要はないと思うの」

 重なり合う手が離れる。

「どういう意味?」
「そういう意味」

 はっきり言いたくない。こんな私の気持ちもわかってほしい。あなたには遊びでも、私は本気だった。本気で、本気で愛してたのに。

「別れるってこと?」

 佑樹を見上げる。彼は悲しそうに私を見ていた。

 どうしてそんな目で見るの?
 この声が別れを告げるから?
 だからそんな目をするの?

「佑樹にはもっとふさわしい人がいると思う」

 苦しげに佑樹は眉をひそめる。

「私にも、そういう人、いると思うから」
「俺じゃダメってこと?」

 決まってるじゃない。
 私が何も知らないとでも思ってるの?

「佑樹といるとね」
「うん……」
「苦しいんだよ……。すごく苦しい」

 それでも愛してるって思うんだから、私はどうしようもない。

「考え直してよ」
「できないよ」
「結衣……」

 佑樹から離れて、奥の部屋へ向かう。

 静香さんをこの部屋に入れたんだよね? だから彼女は、私の荷物があること知ってる。

 私にとっては佑樹との思い出がたくさん詰まった場所だけど、佑樹には違ってた。

 押し入れから旅行バッグを取り出して、棚の中の荷物をとにかく詰め込んだ。思い出も持って帰れたら、どんなにいいだろう。

 気づくと涙があふれて、ひざにポタポタと落ちていた。ぬぐっても溢れてくるからきりがない。

 旅行バッグを持ち上げて、振り返ると部屋の入り口に佑樹が立ちふさがる。

「結衣、行くなよ」

 そんなこと言わないで。

「結衣、本当に終わっちゃうよ、俺たち」
「……」
「泣くぐらいならさ、別れなきゃいいんだよ」

 佑樹は旅行バッグを取り上げて、部屋のドアを後ろ手にしめた。

「佑樹……」
「行かせたくない」

 佑樹はいきなり私をベッドへ押し倒した。真剣な眼差しで、見下ろしてくる。

「結衣が好きだよ」

 組み敷かれた私には抵抗することが出来なくて、重なる唇から逃れることも出来ない。

「声を、もっと聞かせてよ。結衣の声を」
「佑樹……」
「約束、破ってごめん」

 そう言うと、佑樹は私の首筋に顔をうずめた。

「あ……っ」

 思わず声を上げた。

「もっと聞かせて」

 彼はたやすく私の両手首を片手でつかみあげ、激しく上下する胸元のボタンを片手で弾いていく。

 いやだ。そう思う反面、愛されたいって思う。矛盾する私は、最低だ。

「がまん、しないで」

 そう言われると、ますます息をひそめた。

 佑樹は声が聞きたいだけ。私の声を聞きたいと言いながら、静香さんを思い浮かべてる。

 佑樹が離れる。抵抗する隙はあったはずなのに、私はそれをしなかった。悔しいけど、愛のない行為でも、その行為を受けたいと思っていた。

 服を脱ぎ捨てた佑樹は、ふたたびかぶさってきた。何度も重ねてきた身体は、すぐに馴染む。

 規則正しく揺れる佑樹の動きに合わせて、私は甘く鳴いた。

「もっと……もっと聞かせて」

 佑樹はそうやって、私を苦しめる。

 もうやめて……。そのひとことが言えない。だってずっと愛して欲しかった。

「かわいい声が聞けて良かった」

 汗ばむひたいにキスを落として、佑樹は優しく、そして満足そうに微笑んだ。

 抵抗を忘れた私は、ぐったりとベッドに横たえていた。しかし、込み上げるのはやっぱりむなしさだけだった。

 愛されてる間は何もかも忘れられるけど、終わってしまうと後悔だけが残る。

「もう別れるなんていうなよ」

 佑樹は私を抱きしめて、ベッドにうずもれた。

 安心しきっている。だから佑樹はすぐに眠ってしまった。

 やっぱり幸せなのは、佑樹だけ。

 寝息を立てる佑樹の腕から離れた私は、ベッドの下に投げ出された服を拾い上げ、身に付けるとすぐに旅行バッグを持ち上げた。

 合鍵は玄関ドアのポストにいれた。二度とここへ来ることはないだろう。静香さんの身代わりは、もういらないんだから。
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