何万回囁いても

水城ひさぎ

文字の大きさ
32 / 38
別離

5

しおりを挟む
***


 少しは期待していたが、結衣ちゃんからの連絡はまったくなかった。

 杉田さんとうまくいっているならそれでいい。そうは思ったが、やはりやりきれない気持ちもある。

 結衣ちゃんは小柄で、あどけない少女のような顔立ちをしているのに、時折どきりとするような艶かしい眼差しをしたりする。

 あの瞳に見つめられると、胸がざわつく。

 杉田さんと別れてしまえばいい。そうしたら、全身全霊をかけて結衣ちゃんを愛し、悲しませるようなことはしないと誓うだろう。

 俺はグラスを傾けた。視線があがる。

「あれ? 芳人?」

 バーのカウンターから、驚いてこっちを見る男がいる。俺はグラスをテーブルにおき、片手をあげた。

「よぉ、雅也」
「いつからいたんだよ。全然気づかなかったよ」

 雅也はそう言いながら、グラスを持って俺の向かい側へ移動してきた。

「さっき来たとこだよ。残業でさ、ちょっと飲みたい気分だったからさ」
「そうか。さっきまで佑樹と一緒だったんだぜ」
「へえ」

 雅也は俺の気持ちを知らないのか、平然とその名を口にする。内心、あんまり聞きたくない名前だったなと思っていた。

「あいつさあ、転勤になったんだよ」

 雅也は聞いてもいないのに話し始める。

 俺は興味なさげにうなずくが、どこへ転勤になったのだろうと知りたくて仕方ない。

「じゃあ、結衣ちゃんと遠距離?」

 結衣ちゃんのことを『結衣ちゃん』と呼ぶことに少々の迷いが生じたのは否めなかった。

 雅也なら、何か気づくだろう。

「一緒に行くんじゃないかな」

 雅也はちらっと俺に視線を寄越した。牽制した。そんな気がした。

「一緒に?」
「なんかおかしい?」
「まあな」

 雅也は怪訝そうに俺を見る。雅也はなにも知らないのだろうか。

「杉田さんは結衣ちゃんを選んだってことか」
「は?」
「いや、杉田さん。忘れられない彼女がいて、そっちに乗り換えるつもりだって聞いたからさ」

 雅也の目が大きく広がる。本当に何も知らないみたいだ。

「なんの話?」
「俺も詳しくは知らないよ。もう相手の名前も忘れちゃったしな。ただ結衣ちゃんがそのことで悩んでたのは知ってるよ」
「結衣ちゃんがおまえにそう話したのか?」
「ああ。俺のこと、多少は信頼してるみたいだな」

 そんな関係は望んでないものの、雅也よりは俺を頼ってくれたのだと知れば気分はいい。

 雅也は急に黙りこくり、あごをさすりながら床をにらみつけていた。何か思案げだが、俺はさらに声をかけた。

「こんなことになるってわかってて、杉田さんを紹介したおまえが悪いんだぜ」
「え?」
「俺、結衣ちゃんを彼女にしたいって思ってる」
「なんだよ、急に」

 雅也は困惑するが、俺はかまわなかった。

「最初から俺を紹介してくれたら良かったのに」

 杉田さんは女性を紹介してもらわなくたって、彼女に困るなんてことはないだろう。雅也は交遊関係も広いし、あえて杉田さんに紹介したというのも解せない。たまたまだったのだとしたら、たまたま俺だったとしても良かったはずだ。

「なんで杉田さんにしたんだよ。結衣ちゃんがかわいそうだって思わなかった?」

 そんなこともわからないようなおまえじゃないだろう?

 そう聞けば、雅也の顔は苦渋に満ちる。

「ごめん。今の話、最初から聞かせてくれよ」

 雅也は水を一気に飲み干し、頭を振った。

「ちょっと飲みすぎて、思考力ゼロ。俺、まじで今、混乱してるわ」
「いいけどさ。杉田さんと結衣ちゃんがうまくいってないなら、俺、もらうから」

 交換条件だと雅也は感じたのだろうか、無言で俺をしばらく見つめ、ため息をついた。

「正直、うまくはいってない。転勤先にもついていかないって言われたらしい。今あいつ、結衣ちゃんに会いに行ってる」

 俺はゆっくりうなずいた。

「何もかも話してやるから、あの二人が別れたら、俺のすることに口出ししないでくれよ」
「ああ、約束する」

 簡単に約束などという言葉を使う雅也は、相当動揺しているようだ。

 俺は結衣ちゃんから聞かされたことを雅也に話してやった。動画サイトの女性だと言えば、雅也はスマホを取り出し、それを見せてきた。

「そう、この人だよ。杉田さんが大切にこの人の写真持ってるんだって、結衣ちゃん悲しんでたよ」
「まじかよ」
「その人、結衣ちゃんに杉田さんと別れろって言ったらしい」
「佑樹のやつ、なんでっ」

 雅也は苛立つ。

「杉田さんばっかり責められないだろ。おまえが発端だよ」
「……は?」
「おまえだって、その人と結衣ちゃんの声が似てるって知ってたんだろ」

 雅也は肯定も否定もしなかったが、眉をひそめた。

「似てるから、杉田さんと結衣ちゃんを引き寄せたんだろ」

 雅也は息を飲んだ。

「結衣ちゃん、そう思ってた?」
「そうだろうね。そういうの、内緒にして付き合うからそうなるんだよ。悪いのは、おまえと杉田さんだろ」

 雅也はしばらくテーブルの上をにらみつけていたが、意を決したように俺をまっすぐ見つめて言った。

「誤解がある」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

処理中です...