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優しい真実と苦しい選択
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卒業が近くなり、受験勉強に没頭していた俺は、珍しく息抜きにカフェへ出かけた。
あの、由香と再会を果たしたカフェへだ。
カフェには当たり前だが、由香の姿はなかった。がっかりした気持ちが浮かんだのは、もしかしたら彼女に会えるかもしれない、そんな淡い期待があったのかもしれない。
一人、ホットコーヒーを楽しむ俺の前の席に、高校生らしき二人組の女子が座った。
特に気にすることもなく雑誌をめくっていると、ひそひそ声が聞こえてきた。
「ここでアルバイトしてた子だよね」
「そうそう、ここ。彼氏なんていなさそうな、ぼんやりした子だったよー」
「ぼんやりしてるから遊ばれるんだよねー」
くすくすと笑う声で、俺は顔を上げた。
女子高校生二人は俺が聞き耳を立てているなんて気づきもしないで噂を続けた。
「産んだらしいよ、結局」
「まじ? まだ16歳でしょ? よく親も許したよね」
「なんかね、訳ありみたい」
「訳あり?」
「聞いた話だけど、彼女ね、年の離れたお姉さんがいるんだって。そのお姉さん、子供が産めない身体なんだって」
「産めないって?」
「うん。結婚する前にそれはわかってたけど、相手の人に子供がいたから、産めなくてもかまわないって結婚したんだって」
「へえー、お姉さんはバツイチ子持ちと結婚したんだ? 男運なさそうな家系」
二人は顔を見合わせて、またくすっと笑う。
「でしょ? でね、彼女が子供をおろすの絶対嫌だっていうから、生まれたらお姉さんの子として育てるって約束で親は納得したみたい」
「納得するしかないって感じ?」
「仕方ないよねー。あの子があんなに強情な子だなんて、みんな思ってなかったもん」
「おとなしそうな子なんだ?」
「うん、恋愛なんて知りませんって感じ」
「名前、なんていってたっけ?」
「由香、外折由香。商店街にビル持ってる、ちょっとしたお嬢様」
それを聞いた瞬間、俺は勢いよく立ち上がった。
ガタンッと揺れたテーブルに驚いて、女子高校生二人は俺を見上げたが、そんな視線も気にならないまま、伝票をつかむと急いでレジに向かった。
お金を払い、すぐさまカフェを飛び出した。
駅前商店街は比較的近くにあった。走っていくには距離があったが、俺はなりふりかまわず走った。
由香が妊娠した?
その子供を産んだ?
七月のあの日、由香に最後に会ったあの日が鮮明に蘇った。
青い顔をして、食欲がないのだと言った由香の言葉は、せいいっぱいの告白だったのだろう。だけど俺は気づけなかった。
好きだとも、付き合おうとも言わなかった俺に、赤ちゃんを産みたいと由香が言えなかったなんて、想像できるはずもなかった。
夏休みが明けて聞いた噂。あれは由香のことだったのだ。
将来は看護師になりたいのだと夢を語ってくれた由香の未来を奪ったのは俺だ。
商店街にたどり着いた時には足はガクガクと震えていた。息も出来ないぐらい苦しかった。だが由香の気持ちを考えたら、こんなことは大したことではなかった。
商店街のどのビルかまではよくわからなかった。しかし一つ一つ屋号を追って、俺はそこにたどり着いた。
外折呉服店。そこが彼女の自宅だった。
何代も前から続く老舗の呉服店だと由香は言っていた。だけどこの頃、着物を購入する客が減り、商店街の老朽化も進んで開店休業状態だと話していた。
その言葉通り、呉服店に客の姿はなかった。
中へ入る勇気が出ず、俺はしばらく入り口のドアの前にいた。
「あの、お客さんですか?」
不意に後ろからかけられた声に俺は飛び上がった。
忘れもしない、彼女の、由香の声だった。
すぐさま振り返ると、由香は息を飲んだ。腕には赤子を抱いていた。まだ生まれたばかりだろう、小さな赤ちゃんだった。
「由香……」
言いたいことはたくさんあった。だがすべて言葉にならなかった。代わりに涙が流れた。
「ごめんね、先輩……」
由香も泣いた。大粒の涙が赤子の頬を濡らした。
「これからお姉ちゃんがこの子を迎えに来るの。だから初めて、二人きり」
由香は一生懸命涙をぬぐいながら、一生懸命平気そうな笑顔を浮かべて、そう俺に言った。
「名前は?」
だから俺もせいいっぱい、毅然としてそう尋ねた。
「お姉ちゃんが決めるって」
「お姉さんに似た名前にするかな」
「そうかもしれない。なるべくお姉ちゃんの子だって思わせるために」
「お姉さんの名前は?」
「ゆみ、……古屋悠美」
「じゃあ、由香に似た名前になるかもな」
「うん、そうだね。……でも先輩と決めたかった」
その告白で十分だった。俺は由香の未来をすべて奪ったのに、彼女はまだ俺を愛してくれている。だから俺も一生彼女を愛そうと思った。
由香に歩み寄り、赤子ごと両腕で優しく彼女を抱きしめた。
「先輩っ」
また大粒の涙を由香は流した。ぼろぼろと流れ落ちる涙が、赤子の頬をぬらした。
その時に思った。
「この子は雫にしよう。俺たちが愛し合ってる証拠を見せてくれた子だから」
そう言って、俺は由香の涙を指ですくった。
キスはしてやれなかった。泣きながら何度もうなずく彼女を抱きしめるので、せいいっぱいだった。
あの、由香と再会を果たしたカフェへだ。
カフェには当たり前だが、由香の姿はなかった。がっかりした気持ちが浮かんだのは、もしかしたら彼女に会えるかもしれない、そんな淡い期待があったのかもしれない。
一人、ホットコーヒーを楽しむ俺の前の席に、高校生らしき二人組の女子が座った。
特に気にすることもなく雑誌をめくっていると、ひそひそ声が聞こえてきた。
「ここでアルバイトしてた子だよね」
「そうそう、ここ。彼氏なんていなさそうな、ぼんやりした子だったよー」
「ぼんやりしてるから遊ばれるんだよねー」
くすくすと笑う声で、俺は顔を上げた。
女子高校生二人は俺が聞き耳を立てているなんて気づきもしないで噂を続けた。
「産んだらしいよ、結局」
「まじ? まだ16歳でしょ? よく親も許したよね」
「なんかね、訳ありみたい」
「訳あり?」
「聞いた話だけど、彼女ね、年の離れたお姉さんがいるんだって。そのお姉さん、子供が産めない身体なんだって」
「産めないって?」
「うん。結婚する前にそれはわかってたけど、相手の人に子供がいたから、産めなくてもかまわないって結婚したんだって」
「へえー、お姉さんはバツイチ子持ちと結婚したんだ? 男運なさそうな家系」
二人は顔を見合わせて、またくすっと笑う。
「でしょ? でね、彼女が子供をおろすの絶対嫌だっていうから、生まれたらお姉さんの子として育てるって約束で親は納得したみたい」
「納得するしかないって感じ?」
「仕方ないよねー。あの子があんなに強情な子だなんて、みんな思ってなかったもん」
「おとなしそうな子なんだ?」
「うん、恋愛なんて知りませんって感じ」
「名前、なんていってたっけ?」
「由香、外折由香。商店街にビル持ってる、ちょっとしたお嬢様」
それを聞いた瞬間、俺は勢いよく立ち上がった。
ガタンッと揺れたテーブルに驚いて、女子高校生二人は俺を見上げたが、そんな視線も気にならないまま、伝票をつかむと急いでレジに向かった。
お金を払い、すぐさまカフェを飛び出した。
駅前商店街は比較的近くにあった。走っていくには距離があったが、俺はなりふりかまわず走った。
由香が妊娠した?
その子供を産んだ?
七月のあの日、由香に最後に会ったあの日が鮮明に蘇った。
青い顔をして、食欲がないのだと言った由香の言葉は、せいいっぱいの告白だったのだろう。だけど俺は気づけなかった。
好きだとも、付き合おうとも言わなかった俺に、赤ちゃんを産みたいと由香が言えなかったなんて、想像できるはずもなかった。
夏休みが明けて聞いた噂。あれは由香のことだったのだ。
将来は看護師になりたいのだと夢を語ってくれた由香の未来を奪ったのは俺だ。
商店街にたどり着いた時には足はガクガクと震えていた。息も出来ないぐらい苦しかった。だが由香の気持ちを考えたら、こんなことは大したことではなかった。
商店街のどのビルかまではよくわからなかった。しかし一つ一つ屋号を追って、俺はそこにたどり着いた。
外折呉服店。そこが彼女の自宅だった。
何代も前から続く老舗の呉服店だと由香は言っていた。だけどこの頃、着物を購入する客が減り、商店街の老朽化も進んで開店休業状態だと話していた。
その言葉通り、呉服店に客の姿はなかった。
中へ入る勇気が出ず、俺はしばらく入り口のドアの前にいた。
「あの、お客さんですか?」
不意に後ろからかけられた声に俺は飛び上がった。
忘れもしない、彼女の、由香の声だった。
すぐさま振り返ると、由香は息を飲んだ。腕には赤子を抱いていた。まだ生まれたばかりだろう、小さな赤ちゃんだった。
「由香……」
言いたいことはたくさんあった。だがすべて言葉にならなかった。代わりに涙が流れた。
「ごめんね、先輩……」
由香も泣いた。大粒の涙が赤子の頬を濡らした。
「これからお姉ちゃんがこの子を迎えに来るの。だから初めて、二人きり」
由香は一生懸命涙をぬぐいながら、一生懸命平気そうな笑顔を浮かべて、そう俺に言った。
「名前は?」
だから俺もせいいっぱい、毅然としてそう尋ねた。
「お姉ちゃんが決めるって」
「お姉さんに似た名前にするかな」
「そうかもしれない。なるべくお姉ちゃんの子だって思わせるために」
「お姉さんの名前は?」
「ゆみ、……古屋悠美」
「じゃあ、由香に似た名前になるかもな」
「うん、そうだね。……でも先輩と決めたかった」
その告白で十分だった。俺は由香の未来をすべて奪ったのに、彼女はまだ俺を愛してくれている。だから俺も一生彼女を愛そうと思った。
由香に歩み寄り、赤子ごと両腕で優しく彼女を抱きしめた。
「先輩っ」
また大粒の涙を由香は流した。ぼろぼろと流れ落ちる涙が、赤子の頬をぬらした。
その時に思った。
「この子は雫にしよう。俺たちが愛し合ってる証拠を見せてくれた子だから」
そう言って、俺は由香の涙を指ですくった。
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