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お気に入りの画家
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「夏凪さん? あのー……」
そわそわしながら、夏凪さんに話しかける。
彼はまばたきを忘れたみたいに、じっと私の顔を見ている。少し不機嫌そうに見えなくもない。
覚えはないけれど、何かいらだたせるようなことをしただろうか。そう考えていると、彼はまばたきをして、「あ、悪い」と頭を振った。なんだ、ぼんやりしてただけみたい。
「お見舞いの帰りですか?」
「ああ、近くまで来たから寄ってみた。わざわざ来たわけじゃないからな、勘違いしてもらったら困る」
「来ようと思ってくれただけでもうれしいです。ありがとうございます」
「まあ、なんだ、また来てやってもいいけどな」
ぶっきらぼうな言い方に、内心ちょっと笑ってしまいながらも、あまり子どもたちを待たせてはいられないと、夏凪さんに聞いてみた。
「ちょうど今、子どもたちとコスモスの絵を描いていたんです。よかったら、夏凪さんも一緒に描きませんか?」
「俺も?」
「はい」
「言っておくが、俺は絵がうまいぞ」
夏凪さんはそう言うと、子どもたちへ向かって、ずんずんと歩いていく。
あわてて追いかける。彼が戸惑う子どもたちに、「おじゃまするよ」と、かまわず話しかけるから、「今日はもう一人、生徒さんが来てくれました」と説明するので精一杯だった。
「へえ、うまいじゃないか」
夏凪さんは健吾くんが手に持っている画用紙をのぞき込んでそう言った。
健吾くんは足が速くて活発な男の子だけど、美術の腕前もなかなかのもの。夏凪さんがお世辞で言ったわけじゃないことはわかる。
それが健吾くんにも伝わったのか、よく見えるように画用紙を広げてくれる。
「元気のいいコスモスだ。よく観察してしっかり描けてる」
褒められてうれしそうな健吾くんは、人懐こい笑顔を見せて言う。
「おじさんはどんな絵を描くの?」
私も興味があって夏凪さんを見ると、彼はおもむろにこちらへ手を伸ばしてくる。
「画用紙あるか?」
「あ、はいっ。ちょっと待ってくださいね」
すぐにスケッチブックと鉛筆を渡す。彼はコスモスの前へ移動すると、無言で鉛筆を走らせた。
子どもたちと顔を見合わせる。健吾くんだけでなく、おかっぱ頭の実花ちゃんも、興味津々な目をしてる。おさげ髪の麻衣ちゃんは冷静な子だから、私のそばへ来て、観察するように見守っている。
しばらくすると、夏凪さんは唐突に振り返って戻ってきた。
「まあ、こんなものかな」
「もう描けたんですか?」
「スケッチだからな」
そう言って、差し出してくる画用紙を、私と子どもたちが同時にのぞき込む。
「うわぁ、すげー」
息を飲んだ瞬間、健吾くんが声をあげた。甘えん坊の実花ちゃんも、「すごいねー」って言う。初対面の大人が苦手な麻衣ちゃんでさえも、健吾くんたちの反応を見て、のぞき込む。
それほど、夏凪さんの描くコスモスは人を惹きつける。あでやかな美しさの中に、気高い品格を感じるようなコスモス。スケッチでこれなのだから、色をつけて完成させたら、どれほど見事な作品が生まれるのだろう。
「おじさん、絵描きなの?」
いよいよ興味を持って、健吾くんは尋ねた。
「いや。絵描きになろうと思ったことはないんだ」
「なんで?」
「そうだな。売る方が好きだからだ」
夏凪さんはいたって真面目にそう答えた。
「売る……?」
「ああ、売るんだ。素晴らしい絵画を見つけ出して、世界中の人々に見てもらう。そして価値がつく。これほど面白い仕事はない」
「へぇー」
健吾くんは、よくわからないけどすごいや、と感心する。
「こんな話、するもんじゃないか」
彼は苦笑したが、私は首を横に振った。なんだか、彼らしい答えのような気がしたのだ。
「それにしても、とてもお上手なんですね。びっくりしました」
「誰の息子だと思ってるんだ」
夏凪さんは苦笑まじりに言う。彼は誰よりも、深山四季の才能を受け継いでいるのだろう。
「あ、そうですね」
そっと笑うと、だろ? と彼はまんざらでもない顔をする。
「佐那子さんの描いたコスモスは?」
「私は描いてないんです」
「そうなのか。見てみたかったけどな」
夏凪さんが残念がると、健吾くんが言う。
「先生も描いてよ」
「私も見たい」
麻衣ちゃんまでそう言う。
袖を引っ張られて、視線を下げる。実花ちゃんが私の手をつかんで、コスモスに囲まれたベンチへ連れていこうとする。
「行こう、先生」
健吾くんに言われて、私たちはベンチに移動した。それぞれ画用紙を広げ、思い思いのコスモスを描く。
お互いの絵を見て褒めたり笑ったり、もっとたくさん描いてみようと盛り上がる。
いつの間にか、子どもたちは夏凪さんになついて、猫やとんぼを描いてとせがむ。
彼はさらさらと苦もなくリクエストに応えていった。そのたびに、子どもたちが歓声をあげて、温かい時間が過ぎていく。
夏凪さんって、結婚したら、意外と温かい家庭を築く人なのかもしれない、と思う。意外とだなんて、そんなことを言ったら、また怒らせてしまうかもしれないけれど。
一時間のワークショップは、あっという間に終わってしまった。残念がる子どもたちだったけど、わがままを言わない彼らは、『また来てね』とは言わなかった。
それでもなぜか、子どもたちに手を振る夏凪さんを見ていたら、『また』があるような気がして、子どもたちの未来に、楽しみが一つ増えたのだと思えた。
子どもたちを職員に引き渡し、画材の入ったダンボールを抱えて事務所を出ると、夏凪さんは「持つよ」と、軽々と荷物を持ってくれた。
「夏凪さんって、優しいんですね」
並んで歩きながら、そう言う。
「別に、このぐらいはするさ。佐那子さんにきつく当たったことは、謝るよ」
「そうじゃなくて、子どもたちに接してる姿を見てたら、優しいんだなぁって思って。結婚願望があるって言ってましたけど、夏凪さんと結婚される方は幸せですね」
にこっと笑ったら、物言いたげな鋭い目をした彼が、瞳の奥をのぞくように見つめてくる。
なんだか怖い。つい、余計なことを言ってしまった。
「こんなこと言ったら、お気を害されますよね……」
申し訳なくなって肩をすくめるが、彼は一向に気にした様子もなく、首を振る。
怒ってはいないみたい。なんだろう。時折、彼は私を凝視する。何を考えてるのかよくわからない。
「それより、佐那子さん、画家なんだって?」
「あっ、はい、そうです……。子どもたちがそう言ってました?」
なんとなくごまかしていたから、気まずい。
「秋花姉さんが言ってたよ。母さんの弟子だって」
そう言うから、びっくりしてしまう。
「秋花さんがそんなふうに? 大げさです。小学生のころに、四季先生の絵画教室に通っていただけなんです」
「それだけで、姉さんが弟子だって言うとは思えないけどな」
いぶかしむように言われて、戸惑う。あんまり隠し事ばかりしていてもいけないかもしれない。このところ彼は、わかり合おうとしてくれているから。
「弟子というのはおこがましいと思ってるんです。四季先生は私の絵を褒めてくださって、いつか画家になったときはこの名前を使いなさいって、雅号をくださったんです。だから、秋花さんは弟子だなんて言ったんだと思います」
「へえ、母さんがつけた雅号か。興味あるな」
そう言ってくれるから、完成したばかりの油絵を見てもらうか悩んだ。
明日には搬出してしまうから、見てもらうなら今日しかないけれど……。
すぐに決断できなくて、黙って歩いていると、彼の足が止まる。駐車場に着いたみたい。
「車に乗せる?」
「自分でできますから大丈夫です。ありがとうございます」
あわてて、画材の入ったダンボールを受け取って、頭を下げる。
「このまま家に帰るか?」
「はい。夕食、すぐにお作りしますね」
「いつも悪いな。夕食も楽しみだが、佐那子さんの画家としての活動を見てみたい。いつもはどこで?」
「アトリエです。四季先生が使われていたアトリエを、そのまま使わせてもらっています。それも充寿さんのご好意で……」
充寿さんは画家としての活動にも協力的だった。
夏凪さんにとっては、母親の思い出がある場所に他人が踏み込んでるようで、あまりいい気分にはならないんじゃないかと思ったが、これまた驚くほど、彼はあっさりとうなずいた。
「ああ、そうか。アトリエか。佐那子さんさえよければ、作業を見てみたい。急に訪ねてもいいか?」
それは、トップの社員として、と言ったのだろうか。
これはチャンスかもしれない。そう思う反面、気に入られなかったら、今後、夏凪さんの協力を得る機会は二度と来ないだろうとも思う。
「そうですね……、特に困ったりはしないです」
迷いながら答えたが、彼にとっては満足する解答だったのか、上機嫌に言った。
「わかった。近いうちにのぞかせてもらうよ」
「夏凪さん? あのー……」
そわそわしながら、夏凪さんに話しかける。
彼はまばたきを忘れたみたいに、じっと私の顔を見ている。少し不機嫌そうに見えなくもない。
覚えはないけれど、何かいらだたせるようなことをしただろうか。そう考えていると、彼はまばたきをして、「あ、悪い」と頭を振った。なんだ、ぼんやりしてただけみたい。
「お見舞いの帰りですか?」
「ああ、近くまで来たから寄ってみた。わざわざ来たわけじゃないからな、勘違いしてもらったら困る」
「来ようと思ってくれただけでもうれしいです。ありがとうございます」
「まあ、なんだ、また来てやってもいいけどな」
ぶっきらぼうな言い方に、内心ちょっと笑ってしまいながらも、あまり子どもたちを待たせてはいられないと、夏凪さんに聞いてみた。
「ちょうど今、子どもたちとコスモスの絵を描いていたんです。よかったら、夏凪さんも一緒に描きませんか?」
「俺も?」
「はい」
「言っておくが、俺は絵がうまいぞ」
夏凪さんはそう言うと、子どもたちへ向かって、ずんずんと歩いていく。
あわてて追いかける。彼が戸惑う子どもたちに、「おじゃまするよ」と、かまわず話しかけるから、「今日はもう一人、生徒さんが来てくれました」と説明するので精一杯だった。
「へえ、うまいじゃないか」
夏凪さんは健吾くんが手に持っている画用紙をのぞき込んでそう言った。
健吾くんは足が速くて活発な男の子だけど、美術の腕前もなかなかのもの。夏凪さんがお世辞で言ったわけじゃないことはわかる。
それが健吾くんにも伝わったのか、よく見えるように画用紙を広げてくれる。
「元気のいいコスモスだ。よく観察してしっかり描けてる」
褒められてうれしそうな健吾くんは、人懐こい笑顔を見せて言う。
「おじさんはどんな絵を描くの?」
私も興味があって夏凪さんを見ると、彼はおもむろにこちらへ手を伸ばしてくる。
「画用紙あるか?」
「あ、はいっ。ちょっと待ってくださいね」
すぐにスケッチブックと鉛筆を渡す。彼はコスモスの前へ移動すると、無言で鉛筆を走らせた。
子どもたちと顔を見合わせる。健吾くんだけでなく、おかっぱ頭の実花ちゃんも、興味津々な目をしてる。おさげ髪の麻衣ちゃんは冷静な子だから、私のそばへ来て、観察するように見守っている。
しばらくすると、夏凪さんは唐突に振り返って戻ってきた。
「まあ、こんなものかな」
「もう描けたんですか?」
「スケッチだからな」
そう言って、差し出してくる画用紙を、私と子どもたちが同時にのぞき込む。
「うわぁ、すげー」
息を飲んだ瞬間、健吾くんが声をあげた。甘えん坊の実花ちゃんも、「すごいねー」って言う。初対面の大人が苦手な麻衣ちゃんでさえも、健吾くんたちの反応を見て、のぞき込む。
それほど、夏凪さんの描くコスモスは人を惹きつける。あでやかな美しさの中に、気高い品格を感じるようなコスモス。スケッチでこれなのだから、色をつけて完成させたら、どれほど見事な作品が生まれるのだろう。
「おじさん、絵描きなの?」
いよいよ興味を持って、健吾くんは尋ねた。
「いや。絵描きになろうと思ったことはないんだ」
「なんで?」
「そうだな。売る方が好きだからだ」
夏凪さんはいたって真面目にそう答えた。
「売る……?」
「ああ、売るんだ。素晴らしい絵画を見つけ出して、世界中の人々に見てもらう。そして価値がつく。これほど面白い仕事はない」
「へぇー」
健吾くんは、よくわからないけどすごいや、と感心する。
「こんな話、するもんじゃないか」
彼は苦笑したが、私は首を横に振った。なんだか、彼らしい答えのような気がしたのだ。
「それにしても、とてもお上手なんですね。びっくりしました」
「誰の息子だと思ってるんだ」
夏凪さんは苦笑まじりに言う。彼は誰よりも、深山四季の才能を受け継いでいるのだろう。
「あ、そうですね」
そっと笑うと、だろ? と彼はまんざらでもない顔をする。
「佐那子さんの描いたコスモスは?」
「私は描いてないんです」
「そうなのか。見てみたかったけどな」
夏凪さんが残念がると、健吾くんが言う。
「先生も描いてよ」
「私も見たい」
麻衣ちゃんまでそう言う。
袖を引っ張られて、視線を下げる。実花ちゃんが私の手をつかんで、コスモスに囲まれたベンチへ連れていこうとする。
「行こう、先生」
健吾くんに言われて、私たちはベンチに移動した。それぞれ画用紙を広げ、思い思いのコスモスを描く。
お互いの絵を見て褒めたり笑ったり、もっとたくさん描いてみようと盛り上がる。
いつの間にか、子どもたちは夏凪さんになついて、猫やとんぼを描いてとせがむ。
彼はさらさらと苦もなくリクエストに応えていった。そのたびに、子どもたちが歓声をあげて、温かい時間が過ぎていく。
夏凪さんって、結婚したら、意外と温かい家庭を築く人なのかもしれない、と思う。意外とだなんて、そんなことを言ったら、また怒らせてしまうかもしれないけれど。
一時間のワークショップは、あっという間に終わってしまった。残念がる子どもたちだったけど、わがままを言わない彼らは、『また来てね』とは言わなかった。
それでもなぜか、子どもたちに手を振る夏凪さんを見ていたら、『また』があるような気がして、子どもたちの未来に、楽しみが一つ増えたのだと思えた。
子どもたちを職員に引き渡し、画材の入ったダンボールを抱えて事務所を出ると、夏凪さんは「持つよ」と、軽々と荷物を持ってくれた。
「夏凪さんって、優しいんですね」
並んで歩きながら、そう言う。
「別に、このぐらいはするさ。佐那子さんにきつく当たったことは、謝るよ」
「そうじゃなくて、子どもたちに接してる姿を見てたら、優しいんだなぁって思って。結婚願望があるって言ってましたけど、夏凪さんと結婚される方は幸せですね」
にこっと笑ったら、物言いたげな鋭い目をした彼が、瞳の奥をのぞくように見つめてくる。
なんだか怖い。つい、余計なことを言ってしまった。
「こんなこと言ったら、お気を害されますよね……」
申し訳なくなって肩をすくめるが、彼は一向に気にした様子もなく、首を振る。
怒ってはいないみたい。なんだろう。時折、彼は私を凝視する。何を考えてるのかよくわからない。
「それより、佐那子さん、画家なんだって?」
「あっ、はい、そうです……。子どもたちがそう言ってました?」
なんとなくごまかしていたから、気まずい。
「秋花姉さんが言ってたよ。母さんの弟子だって」
そう言うから、びっくりしてしまう。
「秋花さんがそんなふうに? 大げさです。小学生のころに、四季先生の絵画教室に通っていただけなんです」
「それだけで、姉さんが弟子だって言うとは思えないけどな」
いぶかしむように言われて、戸惑う。あんまり隠し事ばかりしていてもいけないかもしれない。このところ彼は、わかり合おうとしてくれているから。
「弟子というのはおこがましいと思ってるんです。四季先生は私の絵を褒めてくださって、いつか画家になったときはこの名前を使いなさいって、雅号をくださったんです。だから、秋花さんは弟子だなんて言ったんだと思います」
「へえ、母さんがつけた雅号か。興味あるな」
そう言ってくれるから、完成したばかりの油絵を見てもらうか悩んだ。
明日には搬出してしまうから、見てもらうなら今日しかないけれど……。
すぐに決断できなくて、黙って歩いていると、彼の足が止まる。駐車場に着いたみたい。
「車に乗せる?」
「自分でできますから大丈夫です。ありがとうございます」
あわてて、画材の入ったダンボールを受け取って、頭を下げる。
「このまま家に帰るか?」
「はい。夕食、すぐにお作りしますね」
「いつも悪いな。夕食も楽しみだが、佐那子さんの画家としての活動を見てみたい。いつもはどこで?」
「アトリエです。四季先生が使われていたアトリエを、そのまま使わせてもらっています。それも充寿さんのご好意で……」
充寿さんは画家としての活動にも協力的だった。
夏凪さんにとっては、母親の思い出がある場所に他人が踏み込んでるようで、あまりいい気分にはならないんじゃないかと思ったが、これまた驚くほど、彼はあっさりとうなずいた。
「ああ、そうか。アトリエか。佐那子さんさえよければ、作業を見てみたい。急に訪ねてもいいか?」
それは、トップの社員として、と言ったのだろうか。
これはチャンスかもしれない。そう思う反面、気に入られなかったら、今後、夏凪さんの協力を得る機会は二度と来ないだろうとも思う。
「そうですね……、特に困ったりはしないです」
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