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お気に入りの画家
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「夏凪さん、今日はどこの展覧会へ行くんですか?」
佐那子は助手席に乗り込むと、行き先を尋ねてきた。
デートを意識したのだろうか、ブラウンのロングワンピースに、結い上げた長い髪を品良くまとめた彼女は、今日もかわいらしくて美しい。
「ギャラリー黄藤でやってる秋の展覧会だよ。有名作家の中に才能ある無名の作家もまじっていて、なかなか面白いと評判なんだ」
新人アーティストを多く扱うことで知られるギャラリー黄藤には、常に玉石混交の作品が展開されていて、次世代を担うアーティスト探しにはもってこいの場所だ。
黄藤が年に四回、季節ごとに開催する展覧会には、有名無名問わず選りすぐりの作品が集められており、今回俺は、秋の展覧会にお目当ての作家の作品が展示されていると知った。アメリカから帰国して、すぐにでも行きたいと思っていた展覧会だ。
「黄藤ですか?」
佐那子は少し驚いたように言う。
「ああ、行ったことはあるか?」
「えっと、その、黄藤の守谷オーナーとは知り合いです」
「そうなのか。じゃあ、佐那子さんの作品の評判も聞けるかな。専属作家の話をもらったことは?」
信太朗が、佐那子にギャラリーを紹介してくれ、と言っていたが、黄藤は候補の一つにならなかったのだろうか、と思い尋ねた。
「守谷オーナーは、私の作品なら別のギャラリーと契約した方がいいというので……」
佐那子は肩身が狭そうに言う。オーナーのおめがねにかなわなかったと恥じてるのだろうか。
「どういうつもりだろう。そのあたりの話も聞いてみるか」
黄藤に行くのも、守谷オーナーに会うのも、俺は初めてだ。日本で働くなら押さえておきたいギャラリーの一つであり、今日は下見も兼ねている。
佐那子を連れてきたのは好都合のようだ。守谷オーナーも、最初から打ち解けて話を聞かせてくれるだろう。
エンジンをかけ、車を発進させる。
佐那子の様子をうかがうと、彼女は窓の方へ顔を向け、外をじっと眺めていた。何か話しかけようと思ったが、やめておく。彼女と過ごす静かな時間も、わりと心地がいい。
住宅街を抜けると、繁華街につながる大通りへと出る。大通り沿いには、多くの有名企業の事務所が入る高層ビルが立ち並んでいる。トップアートオークション日本支社も、その一つだ。
さらにビジネス街を抜けると、目的の繁華街に到着した。
ギャラリー黄藤は表通りを一本入った先にある。近くのパーキングエリアに駐車して、場所を知ってるから案内してくれるという佐那子と並んで歩き出す。
「佐那子さんも今、何か出展してるの?」
「あっ、はい。してます」
「どこのギャラリー? 近くなら、このあと、行こうか」
「え……、そうですね……」
佐那子は戸惑うように視線を泳がせる。積極的には見せたくないみたいだ。
「気が進まないなら、無理強いはしないよ。トップの人間と関わるのを嫌がるアーティストがいないわけでもないし」
「そうじゃないんですけど……。あのー、夏凪さんがお目当てにしてる作家さんって、先日、お屋敷に届いた絵画の方ですよね。なんていう名前の作家さんなんですか?」
そうじゃないと言いながら、話をそらすのだから、よほど触れられたくないらしい。
まあ、仕方ない。ひかえめな新人アーティストはこんなものだ。トップの人間に嫌われたらアーティスト活動ができなくなると、本気で信じ込んでいるところがある。
佐那子に交際を申し込んだ俺が、彼女を悪いようにしないのはわかってるはずなのにその心配をするのは、そもそも俺の告白を本気にしてないとも取れる。
最初の出会いが最悪で、その悪意を忘れたかのように振る舞ってきた俺を、いまいち信用し切れていないのだろう。かえすがえすも、最初の出会いの悪さには後悔しかない。
「あ、あれだな、黄藤。なかなか大きなギャラリーじゃないか」
角を曲がると、有名ブランドショップかと見まごうようなガラス張りのギャラリーが目に飛び込んでくる。
『黄藤』と金色で刻まれた黒の立て看板を確認し、店内へと進み入りながら、佐那子の質問に答える。
「作家の名前は、白山和風だよ。桜の作品が有名でね、俺の部屋にあるのも、彼女の桜の作品だ。20代の若手アーティストらしいんだが、どこのギャラリーにも所属してなくて、なかなか情報が出てこない。いま、トップに連絡して資料を集めるようお願いしてるところだ」
平日ということもあってか、客の姿はまばらだった。
受付でパンフレットをもらい、早速、白山和風の作品を探そうと、辺りを見回す。
「彼女の作品はいくつか、ネット上で見てみたんだが、どれも素晴らしくてね。これから、もっと有名になるのは間違いない。いや、俺が有名にしてみせる。そう思わせてくれる作家だよ。ぜひとも会ってみたくてね、最近は彼女のことで頭がいっぱいだ」
白山和風の作品以外、興味ないとばかりに早足で歩きながらそう言って、ふと、あやまちに気づいて足を止めた。
つい、彼女のことで頭がいっぱいだなんて言ってしまった。
佐那子は気を害しただろうか。もちろん、佐那子のことも考えてる。いや、ほとんど佐那子のことばかり考えている。考えていない時間のほとんどを、白山和風に費やしているだけで。
「あー、いや、今のは……」
誤解を解こうと振り返った俺は、真後ろでうつむく佐那子の気まずそうな表情にハッとした。
なんて顔をしてるんだ。あまりにも白山和風を褒めたから傷ついたのだろうか。佐那子だって画家だ。ほかの作家を褒めちぎる俺なんて見たくなかっただろう。
あー、まずい。俺はいろいろと間違えたかもしれない。
「佐那子さん、その……」
そうじゃないんだと言おうとしたとき、佐那子の後ろにあるパーテーションから、ひょこっと男が顔を出した。
あまりにも軽妙な動きで近づいてくる茶髪の男を注視する。佐那子の知り合いか? 若くは見えるが、30代後半だろう。彼女の友人とは思えないし、黄藤のオーナーは60代だから、守谷オーナーでもない。
誰だ、この男は。
そう警戒した瞬間、男が佐那子の腕に触れた。
「和風先生? 白山和風先生じゃないですかっ?」
「夏凪さん、今日はどこの展覧会へ行くんですか?」
佐那子は助手席に乗り込むと、行き先を尋ねてきた。
デートを意識したのだろうか、ブラウンのロングワンピースに、結い上げた長い髪を品良くまとめた彼女は、今日もかわいらしくて美しい。
「ギャラリー黄藤でやってる秋の展覧会だよ。有名作家の中に才能ある無名の作家もまじっていて、なかなか面白いと評判なんだ」
新人アーティストを多く扱うことで知られるギャラリー黄藤には、常に玉石混交の作品が展開されていて、次世代を担うアーティスト探しにはもってこいの場所だ。
黄藤が年に四回、季節ごとに開催する展覧会には、有名無名問わず選りすぐりの作品が集められており、今回俺は、秋の展覧会にお目当ての作家の作品が展示されていると知った。アメリカから帰国して、すぐにでも行きたいと思っていた展覧会だ。
「黄藤ですか?」
佐那子は少し驚いたように言う。
「ああ、行ったことはあるか?」
「えっと、その、黄藤の守谷オーナーとは知り合いです」
「そうなのか。じゃあ、佐那子さんの作品の評判も聞けるかな。専属作家の話をもらったことは?」
信太朗が、佐那子にギャラリーを紹介してくれ、と言っていたが、黄藤は候補の一つにならなかったのだろうか、と思い尋ねた。
「守谷オーナーは、私の作品なら別のギャラリーと契約した方がいいというので……」
佐那子は肩身が狭そうに言う。オーナーのおめがねにかなわなかったと恥じてるのだろうか。
「どういうつもりだろう。そのあたりの話も聞いてみるか」
黄藤に行くのも、守谷オーナーに会うのも、俺は初めてだ。日本で働くなら押さえておきたいギャラリーの一つであり、今日は下見も兼ねている。
佐那子を連れてきたのは好都合のようだ。守谷オーナーも、最初から打ち解けて話を聞かせてくれるだろう。
エンジンをかけ、車を発進させる。
佐那子の様子をうかがうと、彼女は窓の方へ顔を向け、外をじっと眺めていた。何か話しかけようと思ったが、やめておく。彼女と過ごす静かな時間も、わりと心地がいい。
住宅街を抜けると、繁華街につながる大通りへと出る。大通り沿いには、多くの有名企業の事務所が入る高層ビルが立ち並んでいる。トップアートオークション日本支社も、その一つだ。
さらにビジネス街を抜けると、目的の繁華街に到着した。
ギャラリー黄藤は表通りを一本入った先にある。近くのパーキングエリアに駐車して、場所を知ってるから案内してくれるという佐那子と並んで歩き出す。
「佐那子さんも今、何か出展してるの?」
「あっ、はい。してます」
「どこのギャラリー? 近くなら、このあと、行こうか」
「え……、そうですね……」
佐那子は戸惑うように視線を泳がせる。積極的には見せたくないみたいだ。
「気が進まないなら、無理強いはしないよ。トップの人間と関わるのを嫌がるアーティストがいないわけでもないし」
「そうじゃないんですけど……。あのー、夏凪さんがお目当てにしてる作家さんって、先日、お屋敷に届いた絵画の方ですよね。なんていう名前の作家さんなんですか?」
そうじゃないと言いながら、話をそらすのだから、よほど触れられたくないらしい。
まあ、仕方ない。ひかえめな新人アーティストはこんなものだ。トップの人間に嫌われたらアーティスト活動ができなくなると、本気で信じ込んでいるところがある。
佐那子に交際を申し込んだ俺が、彼女を悪いようにしないのはわかってるはずなのにその心配をするのは、そもそも俺の告白を本気にしてないとも取れる。
最初の出会いが最悪で、その悪意を忘れたかのように振る舞ってきた俺を、いまいち信用し切れていないのだろう。かえすがえすも、最初の出会いの悪さには後悔しかない。
「あ、あれだな、黄藤。なかなか大きなギャラリーじゃないか」
角を曲がると、有名ブランドショップかと見まごうようなガラス張りのギャラリーが目に飛び込んでくる。
『黄藤』と金色で刻まれた黒の立て看板を確認し、店内へと進み入りながら、佐那子の質問に答える。
「作家の名前は、白山和風だよ。桜の作品が有名でね、俺の部屋にあるのも、彼女の桜の作品だ。20代の若手アーティストらしいんだが、どこのギャラリーにも所属してなくて、なかなか情報が出てこない。いま、トップに連絡して資料を集めるようお願いしてるところだ」
平日ということもあってか、客の姿はまばらだった。
受付でパンフレットをもらい、早速、白山和風の作品を探そうと、辺りを見回す。
「彼女の作品はいくつか、ネット上で見てみたんだが、どれも素晴らしくてね。これから、もっと有名になるのは間違いない。いや、俺が有名にしてみせる。そう思わせてくれる作家だよ。ぜひとも会ってみたくてね、最近は彼女のことで頭がいっぱいだ」
白山和風の作品以外、興味ないとばかりに早足で歩きながらそう言って、ふと、あやまちに気づいて足を止めた。
つい、彼女のことで頭がいっぱいだなんて言ってしまった。
佐那子は気を害しただろうか。もちろん、佐那子のことも考えてる。いや、ほとんど佐那子のことばかり考えている。考えていない時間のほとんどを、白山和風に費やしているだけで。
「あー、いや、今のは……」
誤解を解こうと振り返った俺は、真後ろでうつむく佐那子の気まずそうな表情にハッとした。
なんて顔をしてるんだ。あまりにも白山和風を褒めたから傷ついたのだろうか。佐那子だって画家だ。ほかの作家を褒めちぎる俺なんて見たくなかっただろう。
あー、まずい。俺はいろいろと間違えたかもしれない。
「佐那子さん、その……」
そうじゃないんだと言おうとしたとき、佐那子の後ろにあるパーテーションから、ひょこっと男が顔を出した。
あまりにも軽妙な動きで近づいてくる茶髪の男を注視する。佐那子の知り合いか? 若くは見えるが、30代後半だろう。彼女の友人とは思えないし、黄藤のオーナーは60代だから、守谷オーナーでもない。
誰だ、この男は。
そう警戒した瞬間、男が佐那子の腕に触れた。
「和風先生? 白山和風先生じゃないですかっ?」
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