仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

文字の大きさ
16 / 29
お気に入りの画家

9

しおりを挟む
***


「夏凪さん、今日はどこの展覧会へ行くんですか?」

 佐那子は助手席に乗り込むと、行き先を尋ねてきた。

 デートを意識したのだろうか、ブラウンのロングワンピースに、結い上げた長い髪を品良くまとめた彼女は、今日もかわいらしくて美しい。

「ギャラリー黄藤きふじでやってる秋の展覧会だよ。有名作家の中に才能ある無名の作家もまじっていて、なかなか面白いと評判なんだ」

 新人アーティストを多く扱うことで知られるギャラリー黄藤には、常に玉石混交の作品が展開されていて、次世代を担うアーティスト探しにはもってこいの場所だ。

 黄藤が年に四回、季節ごとに開催する展覧会には、有名無名問わず選りすぐりの作品が集められており、今回俺は、秋の展覧会にお目当ての作家の作品が展示されていると知った。アメリカから帰国して、すぐにでも行きたいと思っていた展覧会だ。

「黄藤ですか?」

 佐那子は少し驚いたように言う。

「ああ、行ったことはあるか?」
「えっと、その、黄藤の守谷もりやオーナーとは知り合いです」
「そうなのか。じゃあ、佐那子さんの作品の評判も聞けるかな。専属作家の話をもらったことは?」

 信太朗が、佐那子にギャラリーを紹介してくれ、と言っていたが、黄藤は候補の一つにならなかったのだろうか、と思い尋ねた。

「守谷オーナーは、私の作品なら別のギャラリーと契約した方がいいというので……」

 佐那子は肩身が狭そうに言う。オーナーのおめがねにかなわなかったと恥じてるのだろうか。

「どういうつもりだろう。そのあたりの話も聞いてみるか」

 黄藤に行くのも、守谷オーナーに会うのも、俺は初めてだ。日本で働くなら押さえておきたいギャラリーの一つであり、今日は下見も兼ねている。

 佐那子を連れてきたのは好都合のようだ。守谷オーナーも、最初から打ち解けて話を聞かせてくれるだろう。

 エンジンをかけ、車を発進させる。

 佐那子の様子をうかがうと、彼女は窓の方へ顔を向け、外をじっと眺めていた。何か話しかけようと思ったが、やめておく。彼女と過ごす静かな時間も、わりと心地がいい。

 住宅街を抜けると、繁華街につながる大通りへと出る。大通り沿いには、多くの有名企業の事務所が入る高層ビルが立ち並んでいる。トップアートオークション日本支社も、その一つだ。

 さらにビジネス街を抜けると、目的の繁華街に到着した。

 ギャラリー黄藤は表通りを一本入った先にある。近くのパーキングエリアに駐車して、場所を知ってるから案内してくれるという佐那子と並んで歩き出す。

「佐那子さんも今、何か出展してるの?」
「あっ、はい。してます」
「どこのギャラリー? 近くなら、このあと、行こうか」
「え……、そうですね……」

 佐那子は戸惑うように視線を泳がせる。積極的には見せたくないみたいだ。

「気が進まないなら、無理強いはしないよ。トップの人間と関わるのを嫌がるアーティストがいないわけでもないし」
「そうじゃないんですけど……。あのー、夏凪さんがお目当てにしてる作家さんって、先日、お屋敷に届いた絵画の方ですよね。なんていう名前の作家さんなんですか?」

 そうじゃないと言いながら、話をそらすのだから、よほど触れられたくないらしい。

 まあ、仕方ない。ひかえめな新人アーティストはこんなものだ。トップの人間に嫌われたらアーティスト活動ができなくなると、本気で信じ込んでいるところがある。

 佐那子に交際を申し込んだ俺が、彼女を悪いようにしないのはわかってるはずなのにその心配をするのは、そもそも俺の告白を本気にしてないとも取れる。

 最初の出会いが最悪で、その悪意を忘れたかのように振る舞ってきた俺を、いまいち信用し切れていないのだろう。かえすがえすも、最初の出会いの悪さには後悔しかない。

「あ、あれだな、黄藤。なかなか大きなギャラリーじゃないか」

 角を曲がると、有名ブランドショップかと見まごうようなガラス張りのギャラリーが目に飛び込んでくる。

 『黄藤』と金色で刻まれた黒の立て看板を確認し、店内へと進み入りながら、佐那子の質問に答える。

「作家の名前は、白山和風だよ。桜の作品が有名でね、俺の部屋にあるのも、彼女の桜の作品だ。20代の若手アーティストらしいんだが、どこのギャラリーにも所属してなくて、なかなか情報が出てこない。いま、トップに連絡して資料を集めるようお願いしてるところだ」

 平日ということもあってか、客の姿はまばらだった。

 受付でパンフレットをもらい、早速、白山和風の作品を探そうと、辺りを見回す。

「彼女の作品はいくつか、ネット上で見てみたんだが、どれも素晴らしくてね。これから、もっと有名になるのは間違いない。いや、俺が有名にしてみせる。そう思わせてくれる作家だよ。ぜひとも会ってみたくてね、最近は彼女のことで頭がいっぱいだ」

 白山和風の作品以外、興味ないとばかりに早足で歩きながらそう言って、ふと、あやまちに気づいて足を止めた。

 つい、彼女のことで頭がいっぱいだなんて言ってしまった。

 佐那子は気を害しただろうか。もちろん、佐那子のことも考えてる。いや、ほとんど佐那子のことばかり考えている。考えていない時間のほとんどを、白山和風に費やしているだけで。

「あー、いや、今のは……」

 誤解を解こうと振り返った俺は、真後ろでうつむく佐那子の気まずそうな表情にハッとした。

 なんて顔をしてるんだ。あまりにも白山和風を褒めたから傷ついたのだろうか。佐那子だって画家だ。ほかの作家を褒めちぎる俺なんて見たくなかっただろう。

 あー、まずい。俺はいろいろと間違えたかもしれない。

「佐那子さん、その……」

 そうじゃないんだと言おうとしたとき、佐那子の後ろにあるパーテーションから、ひょこっと男が顔を出した。

 あまりにも軽妙な動きで近づいてくる茶髪の男を注視する。佐那子の知り合いか? 若くは見えるが、30代後半だろう。彼女の友人とは思えないし、黄藤のオーナーは60代だから、守谷オーナーでもない。

 誰だ、この男は。

 そう警戒した瞬間、男が佐那子の腕に触れた。

「和風先生? 白山和風先生じゃないですかっ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...