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永遠の条件
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「おじさんの退院が決まったらしいね。ずいぶん長かったから、母さんも心配してたよ」
「せっかくだからって、あっちこっち治したからな。当分、くたばりそうにないよ」
「くたばるって……、言い方。ほんとにあいかわらずだよな、夏凪は」
信太朗はそっと笑って、ハンバーグを口に放り込む。
今日は仕事の合間をぬって、信太朗の勤務するデパートへやってきていた。ちょうど昼休憩に入った彼をレストランへ誘い、ランチをしているところだ。
痩身の彼だが、ハンバーグプレートをぺろりと平らげると、コーヒーをうまそうに飲む。
俺の記憶にある信太朗は、気遣い屋で、自己主張しないおとなしい男の子だった。小学時代、そんな彼と遊ぶのは楽しくなくて距離があった。誰にでも人懐こい彼が、事なかれ主義者に見えて煙かったのもあるだろう。
その思いはきっと、今でも変わらない。
信太朗は佐那子を好きなはずなのに、俺たちが付き合っていると知った今でも、以前と変わらずアトリエに入り浸っている。何もなかったように、何も知らなかったように振る舞う能力に長けているのだ。
しかし、一見か弱そうな信太朗だが、食べっぷりを見ていると、どこにでもいる普通の男だとも思う。
先日、佐那子が、『信太朗くんがアトリエに来てても気にしない?』と聞いてきたから、『仕事ならかまわない』とは答えたが、心配した方がいいのか? という気にもなってくる。
「俺はたぶん、信太朗とは仲良くできないだろうな」
ステーキにナイフを入れながら、そう言う。
佐那子が信太朗を必要とするなら、アトリエに呼ぶなとは言えない。二人の世界へあとから入ったのは俺の方だ。俺の都合で、彼を追い出すのは違うとも思っている。
なのだが、気に入らないものは気に入らないのだと、信太朗に会って再確認した。
どうも俺は、独占欲が強いらしい。そろそろ佐那子を抱いてしまわないと、彼女が信頼する信太朗に嫉妬してしまいそうだ。
「いきなり、なに。わざわざそれ言うために呼び出して、ランチおごるって言ったの?」
おかしそうに彼は笑う。
「そういうわけじゃないけどな。昔から感じてた違和感は、大人になっても、そうそう変わるもんじゃないんだなって思っただけさ」
「昔から、仲良くはなかったもんな、俺たち」
「タイプが違うんだろう」
「まあ、そうだよね」
顔を横に向けてコーヒーカップを口元に運ぶ信太朗は、俺との会話を拒絶してるようだ。
はっきりさせたくない気持ちを、俺が尋ねようとしてることに気づいたか。
「佐那子に何かしたら、許す気はない」
「なに、それ」
信太朗はあきれ顔を見せた。
「信太朗には滑稽に見えるかもしれないが、誘惑の多い佐那子が誰とも付き合わずにいたのに、おまえにだけ気を許してるのは、それなりに気になる」
「気弱な発言するんだな、夏凪でも」
「そんなつもりはないが、まあな」
「男女の友情は成り立たないと思ってるタイプなんだ?」
「友情なのか?」
信太朗と目を合わせる。目をそらさなければ、彼の嘘を見抜けると思った。
「どう思った? 信太朗は。俺たちが付き合ってると聞いて」
そう尋ねると、彼はちょっとだけ肩をすくめた。
「あーあ、って思っただけ」
「なんだそれは」
「あーあはあーあだよ。佐那子ちゃんは恋人なんていらないって感じだったのに、ついに恋したんだなぁって。失望とかショックとか、そんなんじゃなくて、あーあって感じ」
彼は投げやりにそう言った。
「佐那子とはもう何年も一緒にいたんだろ?」
「好きならその間に告白すればよかったって思ってるんだ? 夏凪らしいよね」
「あいまいなままで幸せはないだろ?」
「白黒はっきりさせるのが恋だっていうなら、そうだよね。夏凪の言う通りだよ」
「はっきりさせたくなかったみたいだな」
「俺は何不自由なく生きてきたからさ」
急に何の話だ? と眉をあげる。
「夏凪と佐那子ちゃんが母親を亡くした頃さ、俺は何も変わらない毎日を過ごしてたよ。夏凪は勉強に打ち込んで悲しみをまぎらわせてたのにさ、俺は佐那子ちゃんがどうなったかなんて気にしてなかった。毎週絵画教室で会う、かわいい女の子に会えなくなったなぁって思ってただけ」
「罪悪感があったか?」
「当時はないよ。まあ、今もない。秋花さんに巻き込まれて、佐那子ちゃんの手伝いするようになったけど、あのときの女の子が元気にしててよかったって思っただけ」
「好きじゃないのか?」
「だから、そうじゃないよ。佐那子ちゃんは好きだけど、夏凪が思うような好きじゃない。でも、ちょっとだけ、夏凪をうらんでるよ」
信太朗は珍しく、うっとうしいものを見るような目を俺に向けた。彼が本心を見せるのは、これが最初で最後だろう。そんな気がした。
「佐那子との距離感が変わったか?」
「まあ、そう。佐那子ちゃんは気づいてないかもしれないけど、変わったよ。夏凪のせいだよ。危なっかしいと思う」
「どういう意味だ?」
「ギャラリー鈴の天野。彼には気をつけた方がいい」
どうしてその名前がいま出るんだ?
俺は眉をひそめる。信太朗は何か知ってるんだろうか。
「佐那子ちゃんさ、前はあたらずさわらずうまくかわしてたのに、今は天野を遠ざけるようになってるよ」
「遠ざけるって?」
「天野の誘いをはっきり断って、電話にも出ないようにしてる」
「それは、あまり良くないな」
「画家としての評判を落とされると思ってるだけなら、夏凪は甘いよ。あいつのうわさ話は知らないわけじゃないんだろ?」
「ああ、知ってる」
画家志望の若い女性に、有名になりたければ言うことを聞けと、肉体関係を迫っているのは、うわさではない。
「うわさ以上に手段を選ばないやつだと思う。佐那子ちゃんは別格に美人だからね、関係を持つまで天野があきらめるわけないと思う」
「連絡を絶った佐那子に、強硬手段に出る可能性があるっていうのか」
「俺はね、そう思う。佐那子ちゃんには気をつけるように言ったけど、連絡取らなきゃ大丈夫だからって言うだけ。心配してる」
「わかった」
「そろそろいい?」
「悪かったな、変な話をして」
「夏凪が心配するのは俺じゃないってわかってくれたらそれでいいよ」
信太朗はそう言うと、「じゃあ、仕事に戻るよ」と笑顔を見せて立ち上がる。手をひらひら振って去る彼はもう、いつもの彼だった。
「おじさんの退院が決まったらしいね。ずいぶん長かったから、母さんも心配してたよ」
「せっかくだからって、あっちこっち治したからな。当分、くたばりそうにないよ」
「くたばるって……、言い方。ほんとにあいかわらずだよな、夏凪は」
信太朗はそっと笑って、ハンバーグを口に放り込む。
今日は仕事の合間をぬって、信太朗の勤務するデパートへやってきていた。ちょうど昼休憩に入った彼をレストランへ誘い、ランチをしているところだ。
痩身の彼だが、ハンバーグプレートをぺろりと平らげると、コーヒーをうまそうに飲む。
俺の記憶にある信太朗は、気遣い屋で、自己主張しないおとなしい男の子だった。小学時代、そんな彼と遊ぶのは楽しくなくて距離があった。誰にでも人懐こい彼が、事なかれ主義者に見えて煙かったのもあるだろう。
その思いはきっと、今でも変わらない。
信太朗は佐那子を好きなはずなのに、俺たちが付き合っていると知った今でも、以前と変わらずアトリエに入り浸っている。何もなかったように、何も知らなかったように振る舞う能力に長けているのだ。
しかし、一見か弱そうな信太朗だが、食べっぷりを見ていると、どこにでもいる普通の男だとも思う。
先日、佐那子が、『信太朗くんがアトリエに来てても気にしない?』と聞いてきたから、『仕事ならかまわない』とは答えたが、心配した方がいいのか? という気にもなってくる。
「俺はたぶん、信太朗とは仲良くできないだろうな」
ステーキにナイフを入れながら、そう言う。
佐那子が信太朗を必要とするなら、アトリエに呼ぶなとは言えない。二人の世界へあとから入ったのは俺の方だ。俺の都合で、彼を追い出すのは違うとも思っている。
なのだが、気に入らないものは気に入らないのだと、信太朗に会って再確認した。
どうも俺は、独占欲が強いらしい。そろそろ佐那子を抱いてしまわないと、彼女が信頼する信太朗に嫉妬してしまいそうだ。
「いきなり、なに。わざわざそれ言うために呼び出して、ランチおごるって言ったの?」
おかしそうに彼は笑う。
「そういうわけじゃないけどな。昔から感じてた違和感は、大人になっても、そうそう変わるもんじゃないんだなって思っただけさ」
「昔から、仲良くはなかったもんな、俺たち」
「タイプが違うんだろう」
「まあ、そうだよね」
顔を横に向けてコーヒーカップを口元に運ぶ信太朗は、俺との会話を拒絶してるようだ。
はっきりさせたくない気持ちを、俺が尋ねようとしてることに気づいたか。
「佐那子に何かしたら、許す気はない」
「なに、それ」
信太朗はあきれ顔を見せた。
「信太朗には滑稽に見えるかもしれないが、誘惑の多い佐那子が誰とも付き合わずにいたのに、おまえにだけ気を許してるのは、それなりに気になる」
「気弱な発言するんだな、夏凪でも」
「そんなつもりはないが、まあな」
「男女の友情は成り立たないと思ってるタイプなんだ?」
「友情なのか?」
信太朗と目を合わせる。目をそらさなければ、彼の嘘を見抜けると思った。
「どう思った? 信太朗は。俺たちが付き合ってると聞いて」
そう尋ねると、彼はちょっとだけ肩をすくめた。
「あーあ、って思っただけ」
「なんだそれは」
「あーあはあーあだよ。佐那子ちゃんは恋人なんていらないって感じだったのに、ついに恋したんだなぁって。失望とかショックとか、そんなんじゃなくて、あーあって感じ」
彼は投げやりにそう言った。
「佐那子とはもう何年も一緒にいたんだろ?」
「好きならその間に告白すればよかったって思ってるんだ? 夏凪らしいよね」
「あいまいなままで幸せはないだろ?」
「白黒はっきりさせるのが恋だっていうなら、そうだよね。夏凪の言う通りだよ」
「はっきりさせたくなかったみたいだな」
「俺は何不自由なく生きてきたからさ」
急に何の話だ? と眉をあげる。
「夏凪と佐那子ちゃんが母親を亡くした頃さ、俺は何も変わらない毎日を過ごしてたよ。夏凪は勉強に打ち込んで悲しみをまぎらわせてたのにさ、俺は佐那子ちゃんがどうなったかなんて気にしてなかった。毎週絵画教室で会う、かわいい女の子に会えなくなったなぁって思ってただけ」
「罪悪感があったか?」
「当時はないよ。まあ、今もない。秋花さんに巻き込まれて、佐那子ちゃんの手伝いするようになったけど、あのときの女の子が元気にしててよかったって思っただけ」
「好きじゃないのか?」
「だから、そうじゃないよ。佐那子ちゃんは好きだけど、夏凪が思うような好きじゃない。でも、ちょっとだけ、夏凪をうらんでるよ」
信太朗は珍しく、うっとうしいものを見るような目を俺に向けた。彼が本心を見せるのは、これが最初で最後だろう。そんな気がした。
「佐那子との距離感が変わったか?」
「まあ、そう。佐那子ちゃんは気づいてないかもしれないけど、変わったよ。夏凪のせいだよ。危なっかしいと思う」
「どういう意味だ?」
「ギャラリー鈴の天野。彼には気をつけた方がいい」
どうしてその名前がいま出るんだ?
俺は眉をひそめる。信太朗は何か知ってるんだろうか。
「佐那子ちゃんさ、前はあたらずさわらずうまくかわしてたのに、今は天野を遠ざけるようになってるよ」
「遠ざけるって?」
「天野の誘いをはっきり断って、電話にも出ないようにしてる」
「それは、あまり良くないな」
「画家としての評判を落とされると思ってるだけなら、夏凪は甘いよ。あいつのうわさ話は知らないわけじゃないんだろ?」
「ああ、知ってる」
画家志望の若い女性に、有名になりたければ言うことを聞けと、肉体関係を迫っているのは、うわさではない。
「うわさ以上に手段を選ばないやつだと思う。佐那子ちゃんは別格に美人だからね、関係を持つまで天野があきらめるわけないと思う」
「連絡を絶った佐那子に、強硬手段に出る可能性があるっていうのか」
「俺はね、そう思う。佐那子ちゃんには気をつけるように言ったけど、連絡取らなきゃ大丈夫だからって言うだけ。心配してる」
「わかった」
「そろそろいい?」
「悪かったな、変な話をして」
「夏凪が心配するのは俺じゃないってわかってくれたらそれでいいよ」
信太朗はそう言うと、「じゃあ、仕事に戻るよ」と笑顔を見せて立ち上がる。手をひらひら振って去る彼はもう、いつもの彼だった。
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