嘘つきフェイク

水城ひさぎ

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欲しいものは手に入れる

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***


 月曜日、仕事を終えると、すぐに和音へ向かった。

 今日は石神さんに会えるだろうか。
 期待に胸を膨らませながら、ドアを開ける。飛び込むように店内へ入る私を見つけた小坂くんは、カウンター越しにくすりと笑う。

「朝霧さんってわかりやすいね」

 それだけで恥ずかしくなる。口には出さないけど、お目当てが誰かなんて一目瞭然だ。

「コントロールしやすいタイプなんだね」

 小坂くんはカウンターから出てきてそう言う。

「どういう意味?」
「朝霧さんの気持ちを先読みして、俺が月曜日だって教えた話。あの時俺は、別に火曜日でも水曜日でも、何曜日を言ってもかまわないぐらいの気持ちでいたんだ」
「からかったの?」
「違うよ。嘘をついて朝霧さんをここに来させるのは簡単なことだったって言いたかっただけ」
「じゃあ、石神さんは来ないの?」
「そんな悲しい顔しないでくれよ。俺だってちょっと傷つくな。朝霧さんに嘘つくのは簡単だけど、俺にも少しぐらいの良心はあるんだ」

 そう言って、小坂くんは私を店内に導く。

「個室、空けておいたから。石神さんが来たら朝霧さんが来てること伝えるよ」

 個室、空けておいたから?

 用意周到だから複雑だ。ありがとうと言っていいのかわからない。返す言葉は見つからないが、私は彼の配慮を受け入れることにした。

 個室に入り、ソファーに腰を下ろす。静かな空間に視線を泳がせる。落ち着かない変な気分だ。

 小坂くんから見たら、私と石神さんは個室で会わなければならないような間柄に見えてるんだろう。
 石神さんとのデートは、誰かに気兼ねするものでもないのに、こそこそと会わなければならないものと、この個室にいると思えてくる。

 しばらく待っていたが、石神さんがやってくる気配はない。

 いつ来るかもわからない私を、彼は三週間も待ち続けていた。彼もこんな不安な気持ちでいたのだろうか。

「やっぱり……」

 やっぱり帰ろう。そんな気持ちになる。

 もしかしたら既婚者かもしれない彼を、こんな風に待つのは間違ってる。既婚者でないなら、もっと堂々と会えばいいのだ。

 かばんをつかんで、逃げるように個室から出ようとした時だった。目の前のカーテンが揺れて、スーツ姿の青年が現れる。

 石神さんだ。

 驚きと恥ずかしさで胸が高鳴って、すぐには声が出ない。しかし、石神さんはかばんを持つ私の手を見下ろし、無言で道を開いた。

「引き止めはしないよ。君にも都合はあるだろう」

 石神さんは辛抱強く私の行動を待つ。

 待ち焦がれていた相手に会えて、こんなにも心乱れているのは私だけだろう。彼は私の生活のほんの一部を共有できればいいと考えているだけで、独占する気などないのだ。

「違うんです。もう石神さん、いらっしゃらないかと思って」

 逃げ出そうとしていた、ついさっきまでの私を押し込めてしまう。彼とわずかな時間でも一緒に過ごしたいという気持ちに負けてしまう。

「まさか朝霧さんが待っていてくれるなんて思ってもなかった。次はそんな悲しい顔させないようにするよ」
「そんな顔してますか?」
「してるよ」

 石神さんは私を安心させようとしてか、優しく微笑んで、内ポケットから名刺とペンを取り出した。

「前に渡した名刺に連絡先ぐらい書いておくべきだったな。次はここに連絡を」

 そう言って彼が差し出した名刺の裏には電話番号が記されている。

 私は少しためらいながら受け取りつつも、これでいつでも彼に連絡が取れるという安心感を覚えていた。

「まだ何も?」

 私の肩に触れた石神さんは、視線をテーブルの上に移す。

「少し前に来たばかりで」
「そう、何か頼もうか。それとも今から場所を変えてもかまわないよ」
「あ、でも小坂くんに悪いから、今日はここで」
「君は変わってるね。友人には気を遣うわりに、ご主人に内緒で俺に会うのはためらいがないらしい」
「……それは気にしないでください」
「ああ、しない。君の家庭を壊すつもりもないからね」

 石神さんはそう微笑んだ後、注文をしに個室を出ていった。



「一昨日、だったかな。ミゾタ靴店の前を通ったよ。駅と店の往復が多くて、なかなか前を通ることはないんだけどね。朝霧さんは休みだったかな。会えなくて少々残念だった」

 店長おすすめの裏メニューであるハンバーグプレートが運ばれてきた後、あまりに美味しそうなハンバーグに見惚れる私を横目に、石神さんは意外なことを口にした。

「わざわざですか?」

 たしか一昨日は休みだった。石神さんに会えたかもしれないんだと思ったら、残念な気持ちがわく。だけど、それよりも彼が来てくれたことに驚く。

「もちろんだよ。もし会えたら、靴を選んでもらおうかと思ってたんだが。なかなか品揃えのいい店のようだったし」
「わかってもらえますか? ミゾタ靴店は小さな靴屋に思われがちなんですけど、ミゾタ社長の人脈が素晴らしくて、ブランド物はもちろんですけど、一品モノも結構扱ってて、その時買わないともう二度と出会えない靴もたくさんあるんです」
「急にじょう舌になった。朝霧さんは本当に靴が好きなんだね」

 ビールの入ったグラスを口元に運ぼうとしていた手を止めて、石神さんはおかしそうにうっすら笑う。

 ハッとする。恥ずかしい。まるでピンときた靴があったら買ってくださいと宣伝したみたいだ。

「好きなものに携われる仕事に就けて幸せだね。今日の靴もすごく似合ってるよ。靴が喜んでるみたいだ」
「あ……ありがとうございます。そんな風に言ってもらったのは初めてで。驚いてるんですけど、嬉しいです」
「朝霧さんは素直な人だね」
「石神さんも、とても優しいですね。私もいつかフェリーチェを覗いてみます。石神さんに選んでもらえたら、素敵な出会いがありそう」
「俺はまあ、社長と知り合いが縁で就職しただけだから。朝霧さんほどに宝石が好きでというわけでもないけどね、精一杯ご希望に沿うものを提供するよ」

 そう言って、石神さんは私の左手を取り、薬指に親指を何度も往復させた。

「石神さん……?」
「君にあげられない指輪があると思うと落ち込むね」
「私は何も。幸せな気持ちになれるなら、何もいらないです」

 指輪はいらない。石神さんとこうして過ごす時間がかけがえのないもので、彼を知ることができる時間がとても貴重だ。

「俺は結構もう幸せだ。君のような美しい女性が俺みたいな男に会ってくれるのは、正直理解できないが、お互いに割り切ってるから成立することなんだろうと思ってる」

 夫がいながら、他の男性の誘惑を受け入れようとしている私は、彼の目にどんな風に映るのだろう。

 本当のことを話して、彼に理解してもらいたいという気持ちはある。だけど、真実を話したら、彼は離れていくかもしれない。私たちが割り切った関係だから成立してることなら、なおさら。

「ぜいたくは言いません。でも、石神さんのことは、もっとよくわかりあってからお付き合いを考えたいです」
「真剣に考えてくれてるんだな。……真剣にも何もないか」

 石神さんはちょっと自嘲するように笑って、左手の結婚指輪に目を落とす。

「君と過ごしている時だけは、石神怜司でいたいと思う。俺の言葉に嘘はないよ。それだけは信じてほしい」
「石神さん……」
「朝霧さん、君も」

 真摯な目で見つめられたら、私はその視線から逃げ出すしかない。

 私の言葉には嘘がある。彼に信じてもらえるような女ではないのだ。

「……そうか」

 何も答えられない私に失望のため息を吐き出すが、それでも石神さんは私の手をそっと握ってくれる。

「君の満たされない気持ちを救える自信はある。俺も君とならつかの間の幸せを手に入れられる自信もある。だからまた会ってほしいんだ」
「私はそんな風に思ってもらえるような女じゃなくて」
「どうしてもっと早く出会えなかったんだろうな。寝ても覚めても朝霧さんのことばかり考えてる自分に正直驚いてる。君も同じ気持ちなら嬉しいよ」

 そっと重ねられた手にぬくもりを感じる。結婚指輪をはめる左手では私に触れてくれないけど、重なり合う右手からは優しい愛情が伝わるよう。

「石神さんに出会ったことに後悔はないんです。その気持ちだけは本当です」

 そう答えると、彼は切なげに目を細めた。
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