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欲しいものは手に入れる
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「今日は個室じゃなくていいんだ?」
「そうなの。ごめんね、小坂くん」
「どうして謝るんだよ」
「お店を待ち合わせ場所に使うなんて迷惑よね」
そう言ったら、知らずため息が出た。
小坂くんはカウンターでグラスを拭きながら、いつも通りの笑顔で私の話を聞いてくれている。
私の恋人に立候補したいと言ってくれた彼に、石神さんとの話をするなんてバカげている。そう思うけど、彼の優しさに、つい私は気を許してしまう。
「まあ、ちょっとは迷惑かな。でもさ、石神さんは常連だし、朝霧さんは友人だから特別だよ」
「あ、そうね。石神さんって、常連なのよね。じゃあ、小坂くんは知ってる?」
「なにを?」
尋ねておいてためらう。真実を知りたいと思いながら、知りたくない真実は聞きたくないと思っているのだ。
「えっと……」
水の入ったグラスもないカウンターに視線を落とす。そこには私のスマホがある。
今日は石神さんとの約束の日。和音で食事するつもりだったけど、さっき彼から、別のレストランを予約したから和音で待ってるようにと連絡があった。
少し緊張している。彼は行き先を言わなかった。私もあえて聞かなかった。私たちが前よりももっと親密になろうとしていることから目を背けようとしている証拠だ。
私はまだ確信を得られていない。このまま石神さんに会っていいのか、今更とても不安なのだ。
「朝霧さん、いらしたよ」
「え……」
顔を上げる。目配せする小坂くんから入り口へ視線を移すと、石神さんが顔をのぞかせたところだった。
「待たせたね」
石神さんは片手を上げて合図する。すぐには立ち上がれない私の方までやってくると、「タクシー待ってるから」と続けて言う。
それでも私が頼りなげに彼を見上げているからか、彼は私と目線を合わせるようにかがむ。
「レストランで食事は気が進まない?」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
「きっと朝霧さんなら気に入ってくれると思ってるんだけど」
どこにあるレストランですか?
そう聞くだけだ。それで私の心は決まる気がする。なのに、聞けない。ためらう私を石神さんは辛抱強く待ってくれる。無理強いはしない人。だから信頼できると思ってはいる。
「あの……」
「ん?」
「その……」
「あ、ごめん。ちょっと待って」
石神さんは胸の辺りを押さえると、内ポケットからスマホを取り出した。どうやら電話のようだ。
「もしもし」とすぐにスマホを耳にあてると、店の入り口へと向かう。
彼は私に背を向けて電話に耳を傾けていた。その背中に落胆の色が浮かんだのは、電話を切ってからだ。
申し訳なさそうに振り返った彼の表情で、今日のデートはなくなったことを悟った。
「朝霧さん、ごめん。すぐに行かなきゃいけなくなった。また連絡するよ」
「……はい」
どこへ?なんて聞けない。そんな資格私にはない。
それ以上は言えず沈黙していると、彼は眉をわずかにひそめ、何か言いたげなまま「じゃあ急ぐから」と和音を出ていった。
行ってしまった。あっけない。
石神さんは私より優先するものをたくさん抱えてるんだろう。私だって彼がすべてではないけど、落胆は隠せない。
深いため息を吐き出し、カウンターに伏せようとした時、水の入ったグラスが差し出された。
「小坂くん……」
「そんな悲しい顔したら、石神さんが心配するよ」
「だって……」
「俺も心配する」
小坂くんは痛ましげに私を見つめた後、今日も勝手にカクテルを作るよと言って、グラスへ手を伸ばす。
目の前で作ってくれたカクテルは、ミモザだ。綺麗なオレンジ色が私に元気を与えてくれる。
「さっきのなんだった?」
ミモザを一口飲むと、小坂くんがそう尋ねてくる。
「さっきのって?」
「俺に何か知ってるかって聞きかけたよね。石神さんのこと?」
「あ、うん、そう。石神さんが常連なら、小坂くんは知ってるかなって思って」
自分の左手の薬指にそっと触れる。そのしぐさで小坂くんは気づいたようだった。
「俺は知らないよ。でもさ、もし知ってても答えない。守秘義務ってやつ」
「まじめなのね」
「まじめかぁ。朝霧さんだってそうだろ? お客様のことペラペラ話したりしないだろ」
「そうね。当然のことよね……」
「だからさ、逆もないよ」
「逆?」
「石神さんの誤解、俺は解いたりしないよって話」
「え……?」
小坂くんはちょっと頼りなげに眉を下げる。
「まだ話してないんだろ? なんとなく二人の雰囲気見て、そう思っただけだけど。朝霧さんが幸せになってくれたらいいなって、俺はいつもそうやって見てるだけしか出来ない」
「小坂くん……」
「昔からそうだからさ、今更だよ。気落ちしてもない。それが俺の立ち位置っていうか。失恋した好きな子をなぐさめてうまくいくとかさ、そういうのに期待したりもないわけじゃないけど、やっぱり好きな子には幸せになってもらいたいっていうのが一番だからさ」
「いい人すぎて、幸せを逃しそうね」
「自覚はあるよ」
小坂くんは苦笑いする。彼はそうやって、学生時代も私を見守ってくれていたのだろう。
「でもありがとう。小坂くんが話を聞いてくれるから、泣かなくてすみそう」
「そっか。なんて言ったらいいかわかんないけど、また泣きたくなるようなことがあったらここにおいでよ」
このままでは、いずれその日は来るだろう。
彼の言葉を信じるしかない今は、ちょっとしたことにも不安になって、ささいなことで泣きたくなるのだ。
「私って、独占欲強いのかな」
「重たい女だって言いたい?」
「そう……」
「俺はあんまりそうは思わないけど」
「石神さんに、どこに行くのって、本当はすごく聞きたかったの」
そのままカウンターに肘をついて、手のひらに顔をうずめた。
引き止めて、行かないでって。
私と一緒にいてって。
今以上に彼に踏み込んでいたら、私はそれを口にしただろう。
私はただ、彼と一緒にいたいだけ。たわいのない話をして、彼の笑顔を見つめていたいだけ。
それを叶えるためだけに、どれほどの涙を流さなければならないのだろうと思うと指は震えた。
「ごめんね、小坂くん」
心配しているだろう小坂くんに謝る。それでも、眼裏に石神さんただ一人を浮かべてる。そんな私なのに、彼はただひたすら、無言のまま離れずにいてくれた。
「今日は個室じゃなくていいんだ?」
「そうなの。ごめんね、小坂くん」
「どうして謝るんだよ」
「お店を待ち合わせ場所に使うなんて迷惑よね」
そう言ったら、知らずため息が出た。
小坂くんはカウンターでグラスを拭きながら、いつも通りの笑顔で私の話を聞いてくれている。
私の恋人に立候補したいと言ってくれた彼に、石神さんとの話をするなんてバカげている。そう思うけど、彼の優しさに、つい私は気を許してしまう。
「まあ、ちょっとは迷惑かな。でもさ、石神さんは常連だし、朝霧さんは友人だから特別だよ」
「あ、そうね。石神さんって、常連なのよね。じゃあ、小坂くんは知ってる?」
「なにを?」
尋ねておいてためらう。真実を知りたいと思いながら、知りたくない真実は聞きたくないと思っているのだ。
「えっと……」
水の入ったグラスもないカウンターに視線を落とす。そこには私のスマホがある。
今日は石神さんとの約束の日。和音で食事するつもりだったけど、さっき彼から、別のレストランを予約したから和音で待ってるようにと連絡があった。
少し緊張している。彼は行き先を言わなかった。私もあえて聞かなかった。私たちが前よりももっと親密になろうとしていることから目を背けようとしている証拠だ。
私はまだ確信を得られていない。このまま石神さんに会っていいのか、今更とても不安なのだ。
「朝霧さん、いらしたよ」
「え……」
顔を上げる。目配せする小坂くんから入り口へ視線を移すと、石神さんが顔をのぞかせたところだった。
「待たせたね」
石神さんは片手を上げて合図する。すぐには立ち上がれない私の方までやってくると、「タクシー待ってるから」と続けて言う。
それでも私が頼りなげに彼を見上げているからか、彼は私と目線を合わせるようにかがむ。
「レストランで食事は気が進まない?」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
「きっと朝霧さんなら気に入ってくれると思ってるんだけど」
どこにあるレストランですか?
そう聞くだけだ。それで私の心は決まる気がする。なのに、聞けない。ためらう私を石神さんは辛抱強く待ってくれる。無理強いはしない人。だから信頼できると思ってはいる。
「あの……」
「ん?」
「その……」
「あ、ごめん。ちょっと待って」
石神さんは胸の辺りを押さえると、内ポケットからスマホを取り出した。どうやら電話のようだ。
「もしもし」とすぐにスマホを耳にあてると、店の入り口へと向かう。
彼は私に背を向けて電話に耳を傾けていた。その背中に落胆の色が浮かんだのは、電話を切ってからだ。
申し訳なさそうに振り返った彼の表情で、今日のデートはなくなったことを悟った。
「朝霧さん、ごめん。すぐに行かなきゃいけなくなった。また連絡するよ」
「……はい」
どこへ?なんて聞けない。そんな資格私にはない。
それ以上は言えず沈黙していると、彼は眉をわずかにひそめ、何か言いたげなまま「じゃあ急ぐから」と和音を出ていった。
行ってしまった。あっけない。
石神さんは私より優先するものをたくさん抱えてるんだろう。私だって彼がすべてではないけど、落胆は隠せない。
深いため息を吐き出し、カウンターに伏せようとした時、水の入ったグラスが差し出された。
「小坂くん……」
「そんな悲しい顔したら、石神さんが心配するよ」
「だって……」
「俺も心配する」
小坂くんは痛ましげに私を見つめた後、今日も勝手にカクテルを作るよと言って、グラスへ手を伸ばす。
目の前で作ってくれたカクテルは、ミモザだ。綺麗なオレンジ色が私に元気を与えてくれる。
「さっきのなんだった?」
ミモザを一口飲むと、小坂くんがそう尋ねてくる。
「さっきのって?」
「俺に何か知ってるかって聞きかけたよね。石神さんのこと?」
「あ、うん、そう。石神さんが常連なら、小坂くんは知ってるかなって思って」
自分の左手の薬指にそっと触れる。そのしぐさで小坂くんは気づいたようだった。
「俺は知らないよ。でもさ、もし知ってても答えない。守秘義務ってやつ」
「まじめなのね」
「まじめかぁ。朝霧さんだってそうだろ? お客様のことペラペラ話したりしないだろ」
「そうね。当然のことよね……」
「だからさ、逆もないよ」
「逆?」
「石神さんの誤解、俺は解いたりしないよって話」
「え……?」
小坂くんはちょっと頼りなげに眉を下げる。
「まだ話してないんだろ? なんとなく二人の雰囲気見て、そう思っただけだけど。朝霧さんが幸せになってくれたらいいなって、俺はいつもそうやって見てるだけしか出来ない」
「小坂くん……」
「昔からそうだからさ、今更だよ。気落ちしてもない。それが俺の立ち位置っていうか。失恋した好きな子をなぐさめてうまくいくとかさ、そういうのに期待したりもないわけじゃないけど、やっぱり好きな子には幸せになってもらいたいっていうのが一番だからさ」
「いい人すぎて、幸せを逃しそうね」
「自覚はあるよ」
小坂くんは苦笑いする。彼はそうやって、学生時代も私を見守ってくれていたのだろう。
「でもありがとう。小坂くんが話を聞いてくれるから、泣かなくてすみそう」
「そっか。なんて言ったらいいかわかんないけど、また泣きたくなるようなことがあったらここにおいでよ」
このままでは、いずれその日は来るだろう。
彼の言葉を信じるしかない今は、ちょっとしたことにも不安になって、ささいなことで泣きたくなるのだ。
「私って、独占欲強いのかな」
「重たい女だって言いたい?」
「そう……」
「俺はあんまりそうは思わないけど」
「石神さんに、どこに行くのって、本当はすごく聞きたかったの」
そのままカウンターに肘をついて、手のひらに顔をうずめた。
引き止めて、行かないでって。
私と一緒にいてって。
今以上に彼に踏み込んでいたら、私はそれを口にしただろう。
私はただ、彼と一緒にいたいだけ。たわいのない話をして、彼の笑顔を見つめていたいだけ。
それを叶えるためだけに、どれほどの涙を流さなければならないのだろうと思うと指は震えた。
「ごめんね、小坂くん」
心配しているだろう小坂くんに謝る。それでも、眼裏に石神さんただ一人を浮かべてる。そんな私なのに、彼はただひたすら、無言のまま離れずにいてくれた。
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