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欲しいものは手に入れる
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石神さんからメールが届いたのは、翌週月曜日の出勤中のことだった。
内容は、先日予約したレストランに行きたいというもので、私はすぐに金曜日だったら大丈夫だと返信を送った。
すると夕方にはレストランの店名と予約した時間が素っ気なく送られてきた。
事務的なメールにため息は出たが、それは彼の心遣いなのだと信じ、何より彼に会えることが素直に嬉しく、金曜日を待ち遠しく思った。
*
クラシカルなレストランは堅苦し過ぎず、かといって若者が気軽に立ち寄るような気安さもない。仕事帰りで華美なものは選べなかったが、ワンピースを選択したのは正解だったようだ。
受付に現れた店員に名を告げるとすぐに、落ち着いた雰囲気の中、石神さんの待つ席へと案内された。
「朝霧さん」
石神さんは私の顔を見るなり立ち上がる。安堵するように微笑むから胸は高鳴る。
革張りソファーの奥へ座るようにと促され、言われるがままに腰を下ろす。私の隣へ、彼は当たり前のように体を寄せてくる。いつもより距離が近い。彼の腕が薄い布越しに私の肩に触れる。
「朝霧さんは金曜日が都合がいいのかな?」
「え?」
突然言われて、私の肩は跳ね上がる。彼の腕にばかり気を取られていた。
「先週も金曜日だったからね。もしかして、ご主人の都合?」
私を見下ろす彼の顔も近くてどきどきする。何を意図して問われているのかすら、はっきり理解できないまま、とっさに急場しのぎの嘘をつく。
「しゅ、主人は単身赴任で……」
「単身赴任? なるほど。それならいつでも心置きなく会えるわけだ」
私が夜に出歩いていることは、そのたったひとことで彼を納得させるものだったようだ。
「じゃあ、今夜は家に帰らなくても?」
石神さんの腕が背中に回る。
「え……それはあの……」
いきなりだ。体が萎縮する。
「まだ決心がつかない? こうやって俺と会うだけでも誰かを傷つけてるんだ。それを許してることはすでに背徳行為だよ」
「それは石神さんも同じですよね」
「俺? 君にご主人を裏切らせようとしてるから?」
「そうじゃなくて……。石神さんもそういう方、いらっしゃるんじゃないですか?」
だから、先週の金曜日は帰ってしまったのではないの?
妙な猜疑心が私から離れてくれない。
「君は俺に守りたい女性が他にいるんじゃないかって疑ってるわけだ」
石神さんは少々不満そうだ。彼の言葉を信じていない私を煩わしく思うのかもしれない。
「もしいるなら、私には無理なんです」
「だったらこのまま俺の部屋に来る?」
「え……」
「少なくとも妻がいないことは証明できる。君はただ夫のいないさみしさを俺で紛らわすだけだ。それで成立するとは思わないか?」
「石神さんに本気になってはいけないということですか?」
そう言ったら、石神さんの眉がわずかに寄った。
愚問だ。私たちはわりきった関係だからこそ、始まることが許されたものなのだ。
「本気になったところで結婚はしない。君は自分の家庭を大切に生きたらいい。大切に、なんて言えた義理はないが」
「あくまでも私の家庭を壊す気はないというの?」
ありもしない家庭だ。壊すも何もないのにこんなことを言うのはおかしい。それでも私は、期待したいからこんなことを問うのだ。
何をおいても私を奪いたい。
そんな気持ちを彼にいつか持って欲しくて。だがその期待はすぐに裏切られる。
「もちろん。君に求めるものは限定的だ。だから君もそのつもりで俺に会えばいい」
「もし私に夫がいなかったら、どうですか?」
何かにすがりたくて、無意味な質問を繰り返す。石神さんは面倒そうではあったが、私の背中を落ち着くようにと撫でてくれる。
「他に男を作った方がいいとはアドバイスするかもしれないな。俺に結婚を求めたら、その時点で君とはお別れだ」
はっきりと、私たちに未来はない、そう言われた。失望が胸に広がるが、このまま彼と何も始まらないまま終わらせることも私には出来ない。
「石神さんの決意は変わらないんですね」
「簡単に変わるようなものなら、君を誘ったりはしないよ」
「私……、石神さんを好きって言ってもいいですか?」
「もちろん。こうしている時間は、俺のことだけ考えていてくれたら嬉しい」
石神さんはようやく表情を和らげて、私の髪に指を通す。
「決心はついた?」
私は目を伏せながらもうなずく。
「はい……」
少し怖い。石神さんを好きになっても、必要以上の愛を求めたら壊れてしまう関係が。
それでも私はこの手を離したらなくなってしまう恋の方が怖くて、優しく私を包む彼の手をしっかりと握り返した。
石神さんからメールが届いたのは、翌週月曜日の出勤中のことだった。
内容は、先日予約したレストランに行きたいというもので、私はすぐに金曜日だったら大丈夫だと返信を送った。
すると夕方にはレストランの店名と予約した時間が素っ気なく送られてきた。
事務的なメールにため息は出たが、それは彼の心遣いなのだと信じ、何より彼に会えることが素直に嬉しく、金曜日を待ち遠しく思った。
*
クラシカルなレストランは堅苦し過ぎず、かといって若者が気軽に立ち寄るような気安さもない。仕事帰りで華美なものは選べなかったが、ワンピースを選択したのは正解だったようだ。
受付に現れた店員に名を告げるとすぐに、落ち着いた雰囲気の中、石神さんの待つ席へと案内された。
「朝霧さん」
石神さんは私の顔を見るなり立ち上がる。安堵するように微笑むから胸は高鳴る。
革張りソファーの奥へ座るようにと促され、言われるがままに腰を下ろす。私の隣へ、彼は当たり前のように体を寄せてくる。いつもより距離が近い。彼の腕が薄い布越しに私の肩に触れる。
「朝霧さんは金曜日が都合がいいのかな?」
「え?」
突然言われて、私の肩は跳ね上がる。彼の腕にばかり気を取られていた。
「先週も金曜日だったからね。もしかして、ご主人の都合?」
私を見下ろす彼の顔も近くてどきどきする。何を意図して問われているのかすら、はっきり理解できないまま、とっさに急場しのぎの嘘をつく。
「しゅ、主人は単身赴任で……」
「単身赴任? なるほど。それならいつでも心置きなく会えるわけだ」
私が夜に出歩いていることは、そのたったひとことで彼を納得させるものだったようだ。
「じゃあ、今夜は家に帰らなくても?」
石神さんの腕が背中に回る。
「え……それはあの……」
いきなりだ。体が萎縮する。
「まだ決心がつかない? こうやって俺と会うだけでも誰かを傷つけてるんだ。それを許してることはすでに背徳行為だよ」
「それは石神さんも同じですよね」
「俺? 君にご主人を裏切らせようとしてるから?」
「そうじゃなくて……。石神さんもそういう方、いらっしゃるんじゃないですか?」
だから、先週の金曜日は帰ってしまったのではないの?
妙な猜疑心が私から離れてくれない。
「君は俺に守りたい女性が他にいるんじゃないかって疑ってるわけだ」
石神さんは少々不満そうだ。彼の言葉を信じていない私を煩わしく思うのかもしれない。
「もしいるなら、私には無理なんです」
「だったらこのまま俺の部屋に来る?」
「え……」
「少なくとも妻がいないことは証明できる。君はただ夫のいないさみしさを俺で紛らわすだけだ。それで成立するとは思わないか?」
「石神さんに本気になってはいけないということですか?」
そう言ったら、石神さんの眉がわずかに寄った。
愚問だ。私たちはわりきった関係だからこそ、始まることが許されたものなのだ。
「本気になったところで結婚はしない。君は自分の家庭を大切に生きたらいい。大切に、なんて言えた義理はないが」
「あくまでも私の家庭を壊す気はないというの?」
ありもしない家庭だ。壊すも何もないのにこんなことを言うのはおかしい。それでも私は、期待したいからこんなことを問うのだ。
何をおいても私を奪いたい。
そんな気持ちを彼にいつか持って欲しくて。だがその期待はすぐに裏切られる。
「もちろん。君に求めるものは限定的だ。だから君もそのつもりで俺に会えばいい」
「もし私に夫がいなかったら、どうですか?」
何かにすがりたくて、無意味な質問を繰り返す。石神さんは面倒そうではあったが、私の背中を落ち着くようにと撫でてくれる。
「他に男を作った方がいいとはアドバイスするかもしれないな。俺に結婚を求めたら、その時点で君とはお別れだ」
はっきりと、私たちに未来はない、そう言われた。失望が胸に広がるが、このまま彼と何も始まらないまま終わらせることも私には出来ない。
「石神さんの決意は変わらないんですね」
「簡単に変わるようなものなら、君を誘ったりはしないよ」
「私……、石神さんを好きって言ってもいいですか?」
「もちろん。こうしている時間は、俺のことだけ考えていてくれたら嬉しい」
石神さんはようやく表情を和らげて、私の髪に指を通す。
「決心はついた?」
私は目を伏せながらもうなずく。
「はい……」
少し怖い。石神さんを好きになっても、必要以上の愛を求めたら壊れてしまう関係が。
それでも私はこの手を離したらなくなってしまう恋の方が怖くて、優しく私を包む彼の手をしっかりと握り返した。
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