嘘つきフェイク

水城ひさぎ

文字の大きさ
11 / 54
欲しいものは手に入れる

7

しおりを挟む



 石神さんは慣れた空間を歩くように薄暗い中を迷いなく進んでいき、リビングの明かりをつけた。

 そのまま鍵とスマホをキッチンカウンターの上に乗せ、ネクタイをほどく。それをソファーの上へ投げ出し、リビングに入ることを躊躇している私を振り返った。

「シャワー浴びてくるよ」
「え……」
「いつもそうしてる」
「あ、はい」

 すれ違いざまに、うつむく私の髪をそっと撫でて、彼はリビングを出ていく。

 彼の気配が消えた頃、伏せていた顔を上げた。目の前に広がるのは石神さんの部屋。

 生活感をほとんど感じないすっきりした部屋だ。キッチンはあまり使っていないのか、グラスが置かれているだけ。

 それでもここで生活はしているのだろう。リビングテーブルに置かれた新聞紙や無造作に置かれたテレビのリモコンを見ると、ここで過ごす彼の様子が思い浮かぶ。

 愛人を連れてくるだけのマンションを持っているんじゃないかなんて考えてる私が恥ずかしい。まだ彼を疑う気持ちを持っている証拠だ。

 彼は結婚していないことを証明するために私をここへ連れてきてくれた。その気持ちまで疑ってはいけないだろう。

 開け放たれたリビングのドアの向こうから、シャワーの音が聞こえてくる。

 石神さんの部屋へ来ると決心した時に、私は心を決めたのだ。今更迷ったらいけない。

 そう思った時だ。カウンターの上に乗せられた石神さんのスマホが静かな音を立てた。

 電話だ。バスルームの方へ視線を向けるが、いまだにシャワーの音がしている。

 石神さんに知らせた方がいいだろうかと、スマホに近づいた私は、そのディスプレイを目にして体が硬直するのを感じた。

〝石神みのり〟

 そこに浮かび上がる女性の名前に、私の目はしばらく釘付けになっていた。

 バスルームのドアが開く音がしたと同時に電話は切れた。

 私はすぐさまその場から離れると、何もなかったようにソファーに座った。しかし、まだ胸はバクバクしている。見てはいけないものを見たのかもしれない。そんな気がして。

「朝霧さん、ビールは?」

 真っ白なタオルで髪を拭きながらリビングに入ってきた石神さんは、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。スマホには目もくれずに私の隣へと腰を下ろした。

 せっけんの香りがふわっと薫る。温かい彼の手から受け取る缶ビールはひんやり冷たく、私の頭を目覚めさせていくようだ。

「石神さんはずっとここで一人暮らしですか?」

 石神みのりの名前が脳裏をよぎる。彼の母親であるとか、姉であるとか、もしかしたらいとこかもしれないなんて考えは私の中から除外されている。

 先週も石神さんが急用ができて帰ってしまったのは金曜日だった。みのりという女性に呼び出されたのではないか、という思いが浮かんだら、それはもう確信のようになっていた。

「ああ。まあ、ずっとではないな。去年引っ越してきたんだ。あんまり物がないから変か?」

 私の疑念すら理解しているように彼は苦笑いする。

「もう一つ家があるとかはないさ。まあ、あるといえば、近くに親の暮らす家がある。休みの日はそこへ行くことが多いからな、基本ここで食事をすることはないんだ」
「そうなんですか……」
「何かまだ不安?」

 石神さんの大きな手が私の頬をなでる。愛おしいと思ってくれている気持ちが溢れてくるような指先の動きに、私の胸は熱くなる。

「もしかしたら、石神さんには奥様がいたんじゃないかなんて思って」
「離婚したとでも? ああ、そうだな、確かにそう勘違いしてもおかしくはないな」

 石神さんは左手の薬指をさする。今はその指に指輪はないが、もし今でも指輪を大切にしている理由が、別れた妻に対する愛情を残しているということだとしたら。
 そして、今でも連絡を取り合っているのだとしたら。二人は気持ち次第でよりを戻すことがあるかもしれない。そうなったら私は石神さんにもう二度と会うことは出来なくなって。

 とりとめのない思いが次から次へと溢れ出す。

 不安を隠しきれない私の肩を、彼はそっと抱き寄せてくれる。

「でも真実は違う。俺にとって好きな女性は君だけだよ」
「本当ですか?」
「信じてくれとしか言えないが」
「嘘かもしれないということですか?」

 どうして私はこうも素直ではないのだろう。

 石神さんはやはり煩わしそうに眉を寄せる。分からず屋な私に愛想を尽かしてしまうかもしれない。

「あの、ごめんなさい。もう聞きません」
「嘘じゃないと俺がいくら否定したところで、それを証明することができない今は、結局君が信じるか信じないかにかかってるんじゃないか?」
「もういいですから」
「そんなこと言って、君は何も解決してないじゃないか。いいか、この世の中には嘘やはったりで成功を収める者がいる。嘘をついてでも欲しい女を手に入れたいと思うこともあるだろう? それはささいな嘘だ。俺が嘘をついてると思うならそれでいい。小さな嘘で君を手に入れられるなら、俺はいくらでも嘘をつくよ」
「……石神さん」

 石神さんは少し苛立っていて、それでも私の頼りない目を見たら、肩の力を抜いて優しく囁いてくれる。

「残念ながら嘘はついていない。だが嘘をついてないと嘘をついてる可能性はぬぐえない。結局君が信じるかどうかだけなんだよ」
「もちろん信じたいって思ってます」
「だったら何も不安になることはないんだ。これからどうなるかなんて、正直俺にもわからないんだから」

 彼はそう言って私をそっと両腕で抱きしめる。彼の心音は早くて。不安なのは彼も同じで。私も彼を安心させたくて抱きしめ返した。

「私、石神さんに別れたいって言われるまでは、好きでいます」
「俺が好き?」
「……はい」

 そう答えたら、柔らかく微笑んだ彼の顔がそっと近づいて唇が重なった。

 最初からこうすれば良かっただけだった。唇が重なった瞬間に私の中に生まれた思い。彼が求めているものを私が差し出せば、私は幸福を得ることができる。それはとても簡単なことだったのだ。

 そっとうつむこうとする私の鼻先をかすめていくのは彼の唇。そのままもう一度重なってくる唇に応えることに躊躇はない。

「なかなか……いいね」

 私の唇を指でなぞり、そう囁く彼は、ぞくっとするほどの妖艶さをまとう石神さんに変貌している。

 まつ毛を伏せると同時にソファーに倒されていく。

 見上げた先にある彼の頬に手を伸ばす。

「私の迷いを消してください……」
「ああ」

 短く彼はそう言って、首筋に顔をうずめてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...