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本当に守るべきもの
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快楽に身を任せ、羞恥心も罪悪感も投げ捨てる女は美しい。
長い髪をソファーに垂らし、身をそらす彼女の腰を引き寄せる。
俺を感じることにわずかな強張りを見せた彼女は、もうここにはいない。
「久しぶりだったか……」
夫がいながら、男を求めたわけはこれか。
焦点の定まらない目で俺を見上げる彼女にキスをする。いったん彼女から離れ、力の入らない身体を抱き上げてベッドルームへ連れていく。
シーツに横たわる彼女にかぶさり、また一つになる。抵抗を忘れた彼女は、シーツを指にからませながらもされるがままだ。
「罪な男だな……」
息をするので精一杯な彼女を組み敷く。
なぜこんなに美しい女を抱いてやらない夫がいるのだろう。
罪悪感がありながら、俺に好意を見せてくれる彼女の笑顔は可愛らしい。仕事の話になると、相手が俺でなくてもそうするのだろうと思えるほど、一生懸命に話すところも可愛い。
猜疑心を隠さず、俺を知ろうと必死なところは気に入らないが、なぜだかそんな彼女を安心させようと俺は躍起になるのだ。
どんなに欲しても彼女は俺のものにならないし、俺も彼女を必要以上に欲しがってはいけない。
こうやって抱きあっている時だけが、俺たちは素のまま愛していると言い合える。
「……和美」
ようやく彼女から離れられた俺は、彼女を抱き寄せて、ベッドに横たえた。
「石神さん……」
俺の胸にしがみついてくる彼女が可愛くてならない。いとおしい。そんな、溢れる想いを制御できるか不安でならない。
「怜司と」
和美の前でだけは、石神怜司でいられる。
彼女にそう呼んでもらえたら、和美に出会ったことに意味はあったのだと思える。
「怜司さん……」
和美はちょっと恥ずかしそうに笑んで、俺の髪を撫でた。
「今夜は泊まれる?」
軽くキスをして尋ねると、彼女は悩むように目を伏せた。
余計なことを聞いた。現実に引き戻されてしまう。
「いや、いいんだ。明日は仕事だ、仕方ない」
和美は俺の腕をするりと抜けて、体を起こす。なめらかな曲線を描く細い身体を両腕で隠し、背を向けてくる。
拒絶ではないが、さっきまで激しく求め合っていたことが嘘のように距離が開いてしまうから、慌てて小さな背中を抱きしめた。
「怜司さん……」
「次はいつ会える?」
いつもそんなことを尋ねている気がする。また会って欲しいと願い出て、いつ会えるかと確約を得ようとする。その関係はこれからも続いていくのだ。
「怜司さんが私に会える日は、いつでも」
俺の都合に合わせる。そう言ったのか。
「じゃあ、次は月曜日に。仕事が終わったら、ここへ来てくれ」
外で一緒に会っているところを知人に見られるよりはマシだろう。そう思って提案すると、なぜだか和美は小さなため息を吐き出す。そして、俺の目を見ないまま、「シャワー、お借りします」とベッドルームから出ていった。
しばらく余韻に浸るようにベッドに横たえていた。和美を抱いたことにまったくと言っていいほど後悔がない。
それどころか、彼女で良かったとさえ思っている。彼女と家庭を持ちたいなどと、夢を見たい気持ちを持たずに済んでいられるのは、俺にとって幸福なことだ。
そのままぼんやり天井を見上げていたが、和美はなかなか戻らない。
ベッドルームを出てリビングのドアを開くと、シャワーの音が聞こえてくる。和美はまだバスルームのようだ。
安堵の息をつき、飲もうと思って出したままだった缶ビールを手に取った時、スマホが鳴った。
「みのりさん、か……」
彼女だけ着信音が変えてある。見なくともすぐにわかるようにだ。彼女からの電話は出来る限り優先して出るようにしている。
「もしもし?」
スマホを耳に当てる。缶ビールを片手にソファーへ腰を下ろし、リモコンでテレビをつけた。
「あ、怜司くん。良かった、今はマンション?」
明るい声が耳に届く。和美と過ごした後にこの声を耳にすると、脱力感に襲われる。
「ああ、そうだよ」
物憂げに答えるが、みのりは気にする様子なく変わらぬトーンで話す。
「この間のお礼を言おうと思って」
「礼? 何もしてないさ」
「そんなことないわ。電話したらすぐに来てくれたし、怜司くんがいてくれたから頼もしかったわ。病院までついてきてくれて本当にありがとう」
「困ってると連絡もらったら、駆けつけないわけにはいかないよ」
「嬉しい。おかげで治りも早かったの」
みのりの声はますます弾む。
「もうすっかりいいんだな? 明日は会いに行くよ」
「怜司くんに会える週末は楽しみよ」
「そう」
「すごく楽しみにしてるの」
「ああ、俺もだよ。みのりさんに会えるのが楽しみだ」
なんて抑揚のない声だ。自分のことながら内心苦笑してしまう。しかし、みのりは俺の心中など全く察しないのだ。
「みのりさん、なんて他人行儀に言わないで」
「なかなかね、どう呼んだものかと悩んではいる」
「困ってるの?」
「まあな」
「そうよね。でも私は後悔しない。怜司くんと結婚できたらって、思ってる。怜司くんも……」
この話は苦手だ。話し合いなどしたくなくて、俺は彼女の言葉を遮った。
「わかってるよ。一番大事な人が誰かは、俺なりに理解してる。君を悲しませたりしないよ」
「怜司くん……」
「ごめん、今日は少し疲れてる。また明日、ゆっくり話そう」
「そうね、さっきも仕事中だったのね。いつもいきなり連絡してごめんなさい」
「さっき?」
みのりの言葉に引っかかりを覚える。
「気づかなかった? あ、そうよね。電話に気づいてたら、必ず折り返しの電話してくれるものね」
「さっきっていつ?」
「30分くらい前だったかしら」
「そうか。悪い、切るよ」
「ええ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
努めて優しく言うと、俺はすぐに電話を切った。
そのまま着信履歴を確認する。間違いなく、みのりからの不在着信がある。30分前、俺たちは何をしていただろう。
いくら和美の身体に夢中になっていたのだとしても、みのりからの電話に気づかないはずはない。とすると、俺がシャワーを浴びていた時だろうか。
和美はこの電話に気づいただろうか。もし気づいていたのだとしても、和美との関係をこのまま続けていきたいと思っているし、彼女だって覚悟して俺に抱かれたのだ。何も心配することはない。
スマホをテーブルの上に投げ出し、ビールを一気に飲み干す。
今日だけはみのりのことは忘れて、和美のことだけを考えていたかった。
また和美の顔を見たら、がむしゃらに抱いてしまいたい気持ちを抑えきれなくなりそうだ。
握りしめた缶がクシャっと音を立ててつぶれた時、リビングのドアがそっと開いて、和美が姿を現わす。
ほんのり上気した頬が可愛らしい。すぐに彼女に歩み寄ると無言で抱きしめた。
「怜司さん……」
彼女もまたそう俺の名を呼んで、抱きしめ返してくれた。
快楽に身を任せ、羞恥心も罪悪感も投げ捨てる女は美しい。
長い髪をソファーに垂らし、身をそらす彼女の腰を引き寄せる。
俺を感じることにわずかな強張りを見せた彼女は、もうここにはいない。
「久しぶりだったか……」
夫がいながら、男を求めたわけはこれか。
焦点の定まらない目で俺を見上げる彼女にキスをする。いったん彼女から離れ、力の入らない身体を抱き上げてベッドルームへ連れていく。
シーツに横たわる彼女にかぶさり、また一つになる。抵抗を忘れた彼女は、シーツを指にからませながらもされるがままだ。
「罪な男だな……」
息をするので精一杯な彼女を組み敷く。
なぜこんなに美しい女を抱いてやらない夫がいるのだろう。
罪悪感がありながら、俺に好意を見せてくれる彼女の笑顔は可愛らしい。仕事の話になると、相手が俺でなくてもそうするのだろうと思えるほど、一生懸命に話すところも可愛い。
猜疑心を隠さず、俺を知ろうと必死なところは気に入らないが、なぜだかそんな彼女を安心させようと俺は躍起になるのだ。
どんなに欲しても彼女は俺のものにならないし、俺も彼女を必要以上に欲しがってはいけない。
こうやって抱きあっている時だけが、俺たちは素のまま愛していると言い合える。
「……和美」
ようやく彼女から離れられた俺は、彼女を抱き寄せて、ベッドに横たえた。
「石神さん……」
俺の胸にしがみついてくる彼女が可愛くてならない。いとおしい。そんな、溢れる想いを制御できるか不安でならない。
「怜司と」
和美の前でだけは、石神怜司でいられる。
彼女にそう呼んでもらえたら、和美に出会ったことに意味はあったのだと思える。
「怜司さん……」
和美はちょっと恥ずかしそうに笑んで、俺の髪を撫でた。
「今夜は泊まれる?」
軽くキスをして尋ねると、彼女は悩むように目を伏せた。
余計なことを聞いた。現実に引き戻されてしまう。
「いや、いいんだ。明日は仕事だ、仕方ない」
和美は俺の腕をするりと抜けて、体を起こす。なめらかな曲線を描く細い身体を両腕で隠し、背を向けてくる。
拒絶ではないが、さっきまで激しく求め合っていたことが嘘のように距離が開いてしまうから、慌てて小さな背中を抱きしめた。
「怜司さん……」
「次はいつ会える?」
いつもそんなことを尋ねている気がする。また会って欲しいと願い出て、いつ会えるかと確約を得ようとする。その関係はこれからも続いていくのだ。
「怜司さんが私に会える日は、いつでも」
俺の都合に合わせる。そう言ったのか。
「じゃあ、次は月曜日に。仕事が終わったら、ここへ来てくれ」
外で一緒に会っているところを知人に見られるよりはマシだろう。そう思って提案すると、なぜだか和美は小さなため息を吐き出す。そして、俺の目を見ないまま、「シャワー、お借りします」とベッドルームから出ていった。
しばらく余韻に浸るようにベッドに横たえていた。和美を抱いたことにまったくと言っていいほど後悔がない。
それどころか、彼女で良かったとさえ思っている。彼女と家庭を持ちたいなどと、夢を見たい気持ちを持たずに済んでいられるのは、俺にとって幸福なことだ。
そのままぼんやり天井を見上げていたが、和美はなかなか戻らない。
ベッドルームを出てリビングのドアを開くと、シャワーの音が聞こえてくる。和美はまだバスルームのようだ。
安堵の息をつき、飲もうと思って出したままだった缶ビールを手に取った時、スマホが鳴った。
「みのりさん、か……」
彼女だけ着信音が変えてある。見なくともすぐにわかるようにだ。彼女からの電話は出来る限り優先して出るようにしている。
「もしもし?」
スマホを耳に当てる。缶ビールを片手にソファーへ腰を下ろし、リモコンでテレビをつけた。
「あ、怜司くん。良かった、今はマンション?」
明るい声が耳に届く。和美と過ごした後にこの声を耳にすると、脱力感に襲われる。
「ああ、そうだよ」
物憂げに答えるが、みのりは気にする様子なく変わらぬトーンで話す。
「この間のお礼を言おうと思って」
「礼? 何もしてないさ」
「そんなことないわ。電話したらすぐに来てくれたし、怜司くんがいてくれたから頼もしかったわ。病院までついてきてくれて本当にありがとう」
「困ってると連絡もらったら、駆けつけないわけにはいかないよ」
「嬉しい。おかげで治りも早かったの」
みのりの声はますます弾む。
「もうすっかりいいんだな? 明日は会いに行くよ」
「怜司くんに会える週末は楽しみよ」
「そう」
「すごく楽しみにしてるの」
「ああ、俺もだよ。みのりさんに会えるのが楽しみだ」
なんて抑揚のない声だ。自分のことながら内心苦笑してしまう。しかし、みのりは俺の心中など全く察しないのだ。
「みのりさん、なんて他人行儀に言わないで」
「なかなかね、どう呼んだものかと悩んではいる」
「困ってるの?」
「まあな」
「そうよね。でも私は後悔しない。怜司くんと結婚できたらって、思ってる。怜司くんも……」
この話は苦手だ。話し合いなどしたくなくて、俺は彼女の言葉を遮った。
「わかってるよ。一番大事な人が誰かは、俺なりに理解してる。君を悲しませたりしないよ」
「怜司くん……」
「ごめん、今日は少し疲れてる。また明日、ゆっくり話そう」
「そうね、さっきも仕事中だったのね。いつもいきなり連絡してごめんなさい」
「さっき?」
みのりの言葉に引っかかりを覚える。
「気づかなかった? あ、そうよね。電話に気づいてたら、必ず折り返しの電話してくれるものね」
「さっきっていつ?」
「30分くらい前だったかしら」
「そうか。悪い、切るよ」
「ええ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
努めて優しく言うと、俺はすぐに電話を切った。
そのまま着信履歴を確認する。間違いなく、みのりからの不在着信がある。30分前、俺たちは何をしていただろう。
いくら和美の身体に夢中になっていたのだとしても、みのりからの電話に気づかないはずはない。とすると、俺がシャワーを浴びていた時だろうか。
和美はこの電話に気づいただろうか。もし気づいていたのだとしても、和美との関係をこのまま続けていきたいと思っているし、彼女だって覚悟して俺に抱かれたのだ。何も心配することはない。
スマホをテーブルの上に投げ出し、ビールを一気に飲み干す。
今日だけはみのりのことは忘れて、和美のことだけを考えていたかった。
また和美の顔を見たら、がむしゃらに抱いてしまいたい気持ちを抑えきれなくなりそうだ。
握りしめた缶がクシャっと音を立ててつぶれた時、リビングのドアがそっと開いて、和美が姿を現わす。
ほんのり上気した頬が可愛らしい。すぐに彼女に歩み寄ると無言で抱きしめた。
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