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本当に守るべきもの
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「和美、遅かったな。仕事忙しかったか?」
玄関ドアを開けるなり、私を出迎えた怜司さんがそう言う。
彼はシャワーを浴びた後なのだろう。湿った髪に、ティーシャツ、短パン姿だった。少し待たせてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい。違うの。ちょっと買い物してきて」
「買い物?」
怜司さんは私の手元に視線を落とす。
「それは?」
彼は少し気色ばむ。その表情の意味もわからないまま、私は紙袋を差し出した。
「怜司さんが前に購入してくれた靴を持ってきたの」
「そうじゃなくて」
ありがとう、と怜司さんは紙袋を受け取りながらも、私の手元から目を離さない。
「あの、これは夜ご飯でも作ろうと思って」
男性に料理を作る経験なんてそれほどないけど、これからは時々作ってあげられたらいいかななんて思って、近くのスーパーで買い物をしてきた。
「君の手作り?」
「あんまり得意じゃないんですけど」
恥ずかしく思いながらそう言って、スーパーの袋を持ち上げると、彼は突然私の手首をつかんだ。その表情は意外なほど苦渋に満ちている。
「怜司さん?」
「やめてくれないか」
「え……」
「君にそういうことは求めてない」
息を飲む。しかし、怜司さんの表情は険しいままだ。
「迷惑ですか?」
「はっきり言えばそうだ。君の手料理を食べることに何の意味がある?」
「意味なんて」
そんなこと考えてない。ただ手料理を作って、一緒に食べたいと思っただけだ。なぜ怜司さんが怒るのかもわからない。それでも彼の気分を害してしまったことは確かなことで。
「迷惑ならいいんです。もう、しませんから」
怜司さんの手から逃れるように後ずさり、スーパーの袋を後ろに隠す。
彼女面したことがいけなかったかもしれない。そんな思いが生まれる。
「帰ります。また来週来ますね」
いたたまれなくなり、逃げるように彼に背を向けた時、腕を強く引かれた。
「ごめん。違うんだ。帰るなんて言わないでくれ」
「怜司さん……」
「違うんだ」
もう一度そう言って、怜司さんは私を優しく抱きよせる。
「また君の料理を食べたくなったら困るだろう? 君との楽しみは少ない方がいいんだ」
どう答えたらいいのかわからない私の手から、怜司さんはスーパーの袋を取り上げて、中を覗く。
「パスタ? 俺が作ろうか。なんとかやれるだろう」
「怜司さんが作るの?」
「不満?」
「ううん、そんなことあるわけないわ」
ようやく笑顔を見せる私に、怜司さんは眉を下げて微笑み、私の手をそっと引いてくれた。
「今日も泊まっていける?」
怜司さんは私の手を離すとそう言って、キッチンに入っていく。
そのつもりはあるけど、すぐには返事が出来ない。無言でカウンターに回り込むと、怜司さんはちょっと笑う。
「明日は休みだっけ? 泊まるなら風呂入っていいよ。その間に作っておく」
料理なんて普段しないだろうに、引き出しから取り出した真新しい鍋を私に見せる。
「本当に作ってくれるの?」
「ミートパスタだろう? なんとかなるよ。酒は用意しておいた。俺も明日休みだし、少しは寝坊できる」
「明日、休みなんですね」
デートしたいと思ってはみても、きっとかなわないだろう。それでも紀子の言うように、こんな生活をずっと続けていくわけにはいかない。
「あの、怜司さん。私はかまわないですから、明日どこかへ行きませんか?」
祈るような目で怜司さんを見つめるが、彼はしばらく沈黙した後、視線を落とした。
「悪いが、明日は用事があるんだ」
「そ、そうですよね。わかってますから。ちょっと聞いてみただけです」
そう言って、怜司さんが何も言いださないうちに、逃げるように彼に背を向けてバスルームへと向かった。
バスルームから出てリビングへ行くと、美味しそうなミートソースの匂いがした。
「もうすぐ出来るよ」
怜司さんはそう言いながら、パスタを皿に盛り付けている。
彼は私の手料理を食べることに楽しみを見出したくないと言っていたけど、彼が作ってくれるものを食べることができる私は、すでに幸せな気分でいる。
「さあ食べよう」
テーブルに食事を並べ、ソファーに並んで座る。なんとなくついているテレビを見ながら肩を寄せ合うひとときもまた、私の幸せの一つだ。
「ああそうだ、和美はアクセサリーを自分で買ったりするのか?」
怜司さんは私の首元をそっと撫でる。彼は当たり前のように触れるが、その指先はいつも官能的でどきどきする。
「あ、はい。いつも自分で」
「そう、ならいいかな。新作が入荷してね、和美に似合うんじゃないかって思ってる」
「ネックレス?」
私の首に触れたからそう尋ねると、彼はゆっくりうなずく。
「そう、ネックレスだよ。上品なデザインだから、きっと気に入ってくれると思う」
「そうなんですね。また近いうちに見に行きます」
「ああ、気に入るようならプレゼントするよ」
「え……」
「気にすることないよ。どこにも連れていけないし、そのぐらいしか恋人らしいことはしてやれないから」
「嬉しいですけど……、本当に?」
何より、恋人らしいこと、と言ってくれる彼の言葉が嬉しい。
「約束するし、約束は守るよ。和美も遠慮することないよ。俺が出来ることはなんでもするから」
「ほんとう……?」
なんでもする、なんて。出来ることはとても限られているのに、それでもやはり嬉しくて。
私の髪を撫でながら顔を寄せてくる彼とささやかなキスをする。何度か重ね合ううちに次第に深くなっていく。
彼のたくましい体に腕を回し、シャツ越しに伝わる温かさに安心する。そうするたびに、本当のことを話して彼を失いたくない、いつもそんな気持ちになる。
「怜司さんってモテますよね」
「急になに?」
怜司さんはくすりと笑うと、私の肩を抱き寄せる。
「ううん……、どうして私なのかなって思う時が今でもあって」
彼の胸に頬を寄せてそうつぶやく。不安な気持ちをどう理解してもらいたいのか、自分でもわからない。
「ただ君がタイプだったからだけだよ。出来ることなら、ずっとこうして過ごしていきたい。君を失わないためなら我慢もするよ」
「私は怜司さんに守られなくても生きていけるの」
「そう」
怜司さんは短く息を吐く。
「欲深にもならないわ」
彼の生活の一部を共有しているだけなのだと、私は自分に言い聞かせる。
「ああ」
「だからもうデートしたいなんて言いません」
「さっきのこと気にしてたのか。休日は確かに君より優先すべきことがある。それ以外は君だけが大事だよ」
「私より大事なものがあるのは理解してます……」
そう言っていないと、彼のすべてが欲しくなってしまうから、やはり言い聞かせるのだ。
「それは和美も同じだろう? 君はいつだって今の生活を大事にしたくなったら俺から離れてもかまわないんだ」
「それも……怜司さんは同じですね」
「そうだ。君とこうなったことに罪の意識はある。その責任は背負う覚悟だが、君の未来まで背負う気はないよ」
だから大丈夫だと怜司さんはそう言って、胸にしがみつく私を強く抱きしめてくれる。それでも全然不安は消えなくて、私にはこの恋が向いていないのかもという思いがよぎっていった。
「和美、遅かったな。仕事忙しかったか?」
玄関ドアを開けるなり、私を出迎えた怜司さんがそう言う。
彼はシャワーを浴びた後なのだろう。湿った髪に、ティーシャツ、短パン姿だった。少し待たせてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい。違うの。ちょっと買い物してきて」
「買い物?」
怜司さんは私の手元に視線を落とす。
「それは?」
彼は少し気色ばむ。その表情の意味もわからないまま、私は紙袋を差し出した。
「怜司さんが前に購入してくれた靴を持ってきたの」
「そうじゃなくて」
ありがとう、と怜司さんは紙袋を受け取りながらも、私の手元から目を離さない。
「あの、これは夜ご飯でも作ろうと思って」
男性に料理を作る経験なんてそれほどないけど、これからは時々作ってあげられたらいいかななんて思って、近くのスーパーで買い物をしてきた。
「君の手作り?」
「あんまり得意じゃないんですけど」
恥ずかしく思いながらそう言って、スーパーの袋を持ち上げると、彼は突然私の手首をつかんだ。その表情は意外なほど苦渋に満ちている。
「怜司さん?」
「やめてくれないか」
「え……」
「君にそういうことは求めてない」
息を飲む。しかし、怜司さんの表情は険しいままだ。
「迷惑ですか?」
「はっきり言えばそうだ。君の手料理を食べることに何の意味がある?」
「意味なんて」
そんなこと考えてない。ただ手料理を作って、一緒に食べたいと思っただけだ。なぜ怜司さんが怒るのかもわからない。それでも彼の気分を害してしまったことは確かなことで。
「迷惑ならいいんです。もう、しませんから」
怜司さんの手から逃れるように後ずさり、スーパーの袋を後ろに隠す。
彼女面したことがいけなかったかもしれない。そんな思いが生まれる。
「帰ります。また来週来ますね」
いたたまれなくなり、逃げるように彼に背を向けた時、腕を強く引かれた。
「ごめん。違うんだ。帰るなんて言わないでくれ」
「怜司さん……」
「違うんだ」
もう一度そう言って、怜司さんは私を優しく抱きよせる。
「また君の料理を食べたくなったら困るだろう? 君との楽しみは少ない方がいいんだ」
どう答えたらいいのかわからない私の手から、怜司さんはスーパーの袋を取り上げて、中を覗く。
「パスタ? 俺が作ろうか。なんとかやれるだろう」
「怜司さんが作るの?」
「不満?」
「ううん、そんなことあるわけないわ」
ようやく笑顔を見せる私に、怜司さんは眉を下げて微笑み、私の手をそっと引いてくれた。
「今日も泊まっていける?」
怜司さんは私の手を離すとそう言って、キッチンに入っていく。
そのつもりはあるけど、すぐには返事が出来ない。無言でカウンターに回り込むと、怜司さんはちょっと笑う。
「明日は休みだっけ? 泊まるなら風呂入っていいよ。その間に作っておく」
料理なんて普段しないだろうに、引き出しから取り出した真新しい鍋を私に見せる。
「本当に作ってくれるの?」
「ミートパスタだろう? なんとかなるよ。酒は用意しておいた。俺も明日休みだし、少しは寝坊できる」
「明日、休みなんですね」
デートしたいと思ってはみても、きっとかなわないだろう。それでも紀子の言うように、こんな生活をずっと続けていくわけにはいかない。
「あの、怜司さん。私はかまわないですから、明日どこかへ行きませんか?」
祈るような目で怜司さんを見つめるが、彼はしばらく沈黙した後、視線を落とした。
「悪いが、明日は用事があるんだ」
「そ、そうですよね。わかってますから。ちょっと聞いてみただけです」
そう言って、怜司さんが何も言いださないうちに、逃げるように彼に背を向けてバスルームへと向かった。
バスルームから出てリビングへ行くと、美味しそうなミートソースの匂いがした。
「もうすぐ出来るよ」
怜司さんはそう言いながら、パスタを皿に盛り付けている。
彼は私の手料理を食べることに楽しみを見出したくないと言っていたけど、彼が作ってくれるものを食べることができる私は、すでに幸せな気分でいる。
「さあ食べよう」
テーブルに食事を並べ、ソファーに並んで座る。なんとなくついているテレビを見ながら肩を寄せ合うひとときもまた、私の幸せの一つだ。
「ああそうだ、和美はアクセサリーを自分で買ったりするのか?」
怜司さんは私の首元をそっと撫でる。彼は当たり前のように触れるが、その指先はいつも官能的でどきどきする。
「あ、はい。いつも自分で」
「そう、ならいいかな。新作が入荷してね、和美に似合うんじゃないかって思ってる」
「ネックレス?」
私の首に触れたからそう尋ねると、彼はゆっくりうなずく。
「そう、ネックレスだよ。上品なデザインだから、きっと気に入ってくれると思う」
「そうなんですね。また近いうちに見に行きます」
「ああ、気に入るようならプレゼントするよ」
「え……」
「気にすることないよ。どこにも連れていけないし、そのぐらいしか恋人らしいことはしてやれないから」
「嬉しいですけど……、本当に?」
何より、恋人らしいこと、と言ってくれる彼の言葉が嬉しい。
「約束するし、約束は守るよ。和美も遠慮することないよ。俺が出来ることはなんでもするから」
「ほんとう……?」
なんでもする、なんて。出来ることはとても限られているのに、それでもやはり嬉しくて。
私の髪を撫でながら顔を寄せてくる彼とささやかなキスをする。何度か重ね合ううちに次第に深くなっていく。
彼のたくましい体に腕を回し、シャツ越しに伝わる温かさに安心する。そうするたびに、本当のことを話して彼を失いたくない、いつもそんな気持ちになる。
「怜司さんってモテますよね」
「急になに?」
怜司さんはくすりと笑うと、私の肩を抱き寄せる。
「ううん……、どうして私なのかなって思う時が今でもあって」
彼の胸に頬を寄せてそうつぶやく。不安な気持ちをどう理解してもらいたいのか、自分でもわからない。
「ただ君がタイプだったからだけだよ。出来ることなら、ずっとこうして過ごしていきたい。君を失わないためなら我慢もするよ」
「私は怜司さんに守られなくても生きていけるの」
「そう」
怜司さんは短く息を吐く。
「欲深にもならないわ」
彼の生活の一部を共有しているだけなのだと、私は自分に言い聞かせる。
「ああ」
「だからもうデートしたいなんて言いません」
「さっきのこと気にしてたのか。休日は確かに君より優先すべきことがある。それ以外は君だけが大事だよ」
「私より大事なものがあるのは理解してます……」
そう言っていないと、彼のすべてが欲しくなってしまうから、やはり言い聞かせるのだ。
「それは和美も同じだろう? 君はいつだって今の生活を大事にしたくなったら俺から離れてもかまわないんだ」
「それも……怜司さんは同じですね」
「そうだ。君とこうなったことに罪の意識はある。その責任は背負う覚悟だが、君の未来まで背負う気はないよ」
だから大丈夫だと怜司さんはそう言って、胸にしがみつく私を強く抱きしめてくれる。それでも全然不安は消えなくて、私にはこの恋が向いていないのかもという思いがよぎっていった。
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