嘘つきフェイク

水城ひさぎ

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言ってはいけない言葉

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***


 一瞬強く吹いた初夏の暖かな風が、私の髪を跳ね上げた。アッと髪をおさえ、近くにあったショーウィンドウを覗き込む。前髪を整えようとした時、ガラスに映る見知った顔に驚いて、振り返った。

「小坂くんっ」
「え、あっ、朝霧さん」

 小坂くんはびっくりして辺りを見回し、私と目が合うと、さらにびっくりして目を丸くした。

「偶然ね。これから仕事?」

 彼に歩み寄る。小坂くんが何時に出勤してるかなんて知らないけど、ここから和音までそれほど遠くない。

「今日は休みなんだ。ちょっと欲しいものがあってさ、買い物。朝霧さんも?」
「私は人と会う約束があって」
「そうなんだ。なんだ、残念だな。せっかくだから、話ができたら良かったのに」
「話? 約束まであと1時間はあるから、少しぐらいなら大丈夫よ。何か悩み?」

 腕時計を確認しながら尋ねると、小坂くんは心底おかしそうに眉を下げてくすくす笑った。

「違う違う。朝霧さんってよっぽど忙しいの? すっかり忘れちゃうんだ。デートしたいって言った話」
「えっ!」

 忘れていたわけではないけど、現実的ではなくて頭の中から除外していた。急に思い出させるから戸惑ってしまうが、小坂くんは意外と積極的だ。

「1時間でも俺に時間割いてくれるなら、そこの喫茶店行かない? 去年オープンしてさ、ずっと大行列だったんだけど、今日はそうでもないみたいだから」
「あ、もしかしてパンケーキが美味しい喫茶店?」
「そうそう。焼きあがるのに20分かかるらしいけどね。お店で出すデザートの参考になればいいかなって、ちょっと気になっててさ」

 小坂くんとパンケーキは似合う感じがしなくて、お店の情報に詳しいのが不思議だけど、そのひとことで納得してしまう。

「小坂くんって勉強熱心ね。いいわよ、私もちょっと興味出てきたわ」
「マジ? この後デートじゃないの?」
「違うわよ。友だちに会うだけ。さあ、行きましょう?」
「朝霧さんってさっぱりしてるんだなぁ」

 小坂くんは楽しそうな軽い足取りで、喫茶店へと向かって歩き出す私を追いかけてくる。

「そうでもないわよ。いつも悩んでばっかり」
「まあ、大なり小なり悩みがあるっていうのは誰だって同じだしさ。悩みで落ち込んだりするのは仕方ないよ」
「小坂くんも悩み、あるわよね?」
「あるある。仕事も恋愛も山ほどある」
「でもいつも明るいし、楽しそうにしてるから気遣い屋さんよね? すごいわ」
「へえ、そんな風に言ってもらえたことないよ。やっぱり朝霧さんは優しいなぁ。一緒にいるとホッとできるよ」
「そんな大した人間じゃないわ」

 あきれてしまうが、小坂くんは楽しそうににこにこしている。

「今日は朝霧さんに会えてラッキーだったなー。一日楽しく過ごせそうだ」
「私も小坂くんぐらい単純に小さなことを楽しみたいと思うわ」
「全然小さいことじゃないよ。朝霧さんはずっと俺の憧れだったんだからさ」
「大げさよ」

 苦笑いすると、意外なほど真面目に小坂くんは私を見つめて、「そうじゃないよ」と冷静につぶやいた。



「朝霧さんって、お嬢様だよね」

 紅茶の入ったティーカップを下ろす。向かいに座る小坂くんは、にこにこしながら私を見ている。

 急に真剣な目をして私の心を揺さぶろうとした彼はすっかり身をひそめている。
 彼を恋愛対象に見たことは一度もないけど、優しい彼に愛されていたら、心を乱すことなんて少ないのだろうと思う。

「そんな風に見える?」
「見えるよ。付き合う男とか結婚の条件とか厳しそうだなぁって思う」
「なにそれ? おかしい」
「違うの? だったら期待大だな」
「あー……、えっと、そうね。結婚の条件はないこともないわ」

 小坂くんはすぐに好意を見せるけど、期待なんてされても困るのだということがうまく伝えられない。

「あるの? やっぱり」

 がっくり肩を落とすんだから、おかしくもある。小坂くんは素直だ。

 ふふっと笑う私に、彼は少し身を乗り出して尋ねてくる。無邪気な子供のようだ。

「結婚の条件って?」
「私はね、親の都合で子供の人生を左右するのは間違ってるって思うのよ」
「それはそうだよ」

 強く同意してうなずく小坂くんはとても良い人だろう。

「でも私の両親は違ったみたい」
「それは朝霧さんの苗字が変わったことを言ってる?」
「ええ、そうね。離婚したのよ、私の両親」
「まあ、そうかなとはちょっと思ったけど。朝霧さんはつらかったよね」
「つらいっていうか、納得いかなかったわ。だって、両親は離婚を条件に結婚したようなものだったんだから」
「え?」
「おかしいでしょう? 期限付きの結婚なんて」
「期限付き? どういうこと?」

 小坂くんは想像できないとばかりに目を見開く。

「母は才能に溢れた人だから、朝霧の名を継いでいかなくてはいけなかったのよ。だから父と結婚しても、必ず実家に戻るように言われていたの」
「朝霧さんのお母さんって、跡を継がないといけないような家柄の人なんだ? うん、まあでもなんか納得。やっぱり朝霧さんはお嬢様だなぁ」
「私からしたら跡を継ぐのは何も母じゃなくてもとは思ったけど……いろいろあるのね」

 両親の離婚話はとても現実味がなかった。私一人では抱えられない問題でもあった。

「それで朝霧さんはお母さんについていく道を選んだんだね」
「そう。母は父と別れたくなかったはずよ。いくら約束でも、そんな母を近くで支える人のいない家へ戻すのは、私も父も心配だったの。すごく悩んだけど、話を聞いてくれた友人の励ましが、私の背中を押してくれた」
「朝霧さんの決意に後悔はないんだ。いい友達がいるね」
「ええ。ただの友達なんだけどね、感謝はしてる」
「大切な人なんだね。なんか、それ聞いたら、俺なんかが朝霧さんを好きでいるのは冗談でしかないみたいだな」

 そっと目を細める。彼の気持ちは嬉しいが、小坂くんが良い人だからこそ、私にはもったいないとも思う。

「でも、あきらめたくないなぁ」

 ぽつんとつぶやく小坂くんに、私は言う。

「最初の質問から話がそれちゃったわね。私の結婚の条件はね、ただ一つなのよ。もし私の家の都合で別れるように言われても、別れないで欲しいってお願いするつもり」
「それは当たり前だよ」
「そうね。でもね、当たり前のことが当たり前じゃない世界もあるのよ」
「あ、ごめん。違うよ、別に批判したわけじゃなくて」

 小坂くんはどこまでも良い人で、沈痛な面持ちで私を見つめる。

「責めてないわ。小坂くんの反応が普通よ。でもね、友達は言ってくれたの。私の両親は本当に愛し合ってるから、別れる決意もできたんだろうって。今ね、母は父にラブレター書いたりしてるの。おかしいでしょ?」

 まるで母は少女のようだ。父との恋愛を楽しんでいるよう。

「いや、なんかいいな、それ」
「そう? 好きなら別れなきゃ良かったのにって思うけど。でも仕方ないこともあるのかな。好きだからこそ、別れることもあるのかもしれないわね」
「それは考えたらいけなくないかな」
「あ、ううん。違うの。私は母の足元にも及ばないような人間よ」

 小坂くんは何か言いたげだったけど、鞄の中で鳴り出すスマホが私たちの会話を邪魔する。

「小坂くん、ごめんね、友だちから」
「いや、いいよ。俺、もう行くから」
「パンケーキまだよ。いいわ、彼を呼ぶから」
「彼?」

 腰を浮かしかけた小坂くんが動きを止める。

「あ、彼って、友だちよ、友だち」
「友だちって男だったんだ……」
「人見知りとかしなくてちょっとうるさい人なの。長話をするつもりはないから小坂くんがいても大丈夫よ。ごめんね」

 ちょっと笑って、私はスマホを耳に当てた。

「もしもし、勇介? そう、近くまでは来てるの。喫茶店にいるから、良かったら来て」
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