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あなたのために
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何度同じことを繰り返しただろう。
階段で立ち尽くす怜司さんを振り返ったら、彼の胸に飛び込みたくなる衝動が抑えられない気がして、そのまま部屋に逃げ込んだ。
うずくまり、泣いた。ドアの向こうに彼の気配を感じたけど、とうとう彼はチャイムを鳴らすことなく帰っていった。
もう終わり。怜司さんを想って泣く日は最後にしたい。そう何度も思いながら、まだ果たせずにいる。
「元気ないね、朝霧さん」
コーヒーカップに視線を落としていると、ふと声をかけられる。
「……そう? そうでもないわ。小坂くんに会えると思ったら、元気が出たの」
そう言ったら、小坂くんはくすくす笑う。
秋らしいブラウンのニットにベージュのパンツ姿の彼は、いつもより落ち着いた印象。こんなに大人っぽい青年だっただろうかとどきりとするほどだ。
「やっぱり元気なかったんだ? 何があったか、聞いてもいい?」
端的に言うと、話を聞きたかったのだろう。だから私を喫茶店に誘ったのだ。デートというより、悩み相談になってしまう。そう思ったら首を横にふっていた。
「もういいのよ。仕方のないことを悩んでるだけだから。でもね、小坂くんに会って、本当に私の悩みなんて小さなことだなって思うの」
小坂くんは何年も私に片想いをしてくれていた。私もいつかそうなっていく。その先には、きっと私を幸せにしてくれる人が待っている。そしてその人は、もう目の前にいるのかもしれない。
小坂くんは眉を寄せる。私が何に悩み、何に泣くのか、想像するのは容易なのだろう。
「時間が解決するって思ってる?」
「そうね。いつか解決するわ」
「だから俺のデートの誘い、受けてくれた?」
「……ええ」
ゆっくりうなずく。小坂くんの気持ちを受け止めようと思って、今日は彼に会う決意をした。
「俺さ、大学時代から朝霧さんが好きだったよ。ひとめぼれっていうか、朝霧さんみたいに綺麗な人に会ったの初めてだったんだ。それでもなかなか近づけなくてさ、憧れてるだけで過ごしてきた。久しぶりに会った時に朝霧さんの悩む姿見たら、普通の女の子なんだなって思って。今は憧れとかじゃなくて、本当に好きだなって思ってる」
「……小坂くん」
「付き合ってほしいって思う。出来たら、結婚前提で。そのぐらい真剣に考えてるし、朝霧さんがいたからちゃんと仕事しなきゃなって思って、今の仕事も選んだ。まだまだ頼りないけどさ」
「頼りないなんて。私もね、今日ははっきりしようと思って来たの」
「そっか」
小坂くんは眉をさげる。ふられる、そう思っているようだ。
「あのね、小坂くん……」
「付き合ってくれる?」
声が重なる。小坂くんは不安そうなままだ。その不安を少しでも和らげたくて、私はすぐにうなずいた。
「ええ……小坂くんとなら、幸せになれる気がしてるの」
そう答えたら、小坂くんは破顔して、両手をテーブルの上に乗せた。
「朝霧さん、手、出して」
「え……」
と、驚きながら、手を伸ばす。すると、小坂くんは私の手を両手で優しく握りしめた。
「嬉しい。すごく、嬉しいよ、朝霧さん」
手が震えている。彼の喜びが伝わってくる。
「……大げさよ」
「そんなことない。マジで嬉しいんだ。でもさ、ダメだよ、朝霧さん」
「え?」
小坂くんの手はまだ震えている。ふと目線を上げた先にある彼の目を見て、私は息を飲む。喜びとは一線を画した悲しみや、切なさが彼の目には浮かんでいた。
「好きでもない男と付き合うなんて、嘘でも言ったらダメだよ。俺は単純だから、素直に喜んじゃうんだ」
「嘘じゃないわ」
「石神さんを好きな朝霧さんを幸せには出来ないよ。俺には荷が重すぎる」
「どうしてそんなこと言うの? 私だって真剣に小坂くんとのこと考えてるの」
「だったらなおさらだよ。俺も同じなんだ。朝霧さんは石神さんと幸せになれるよ。その余地があるのに変な意地を張って、俺と付き合うなんて言ったらダメだ」
図星だけど決めつけだ。私だって覚悟をしてきたのだ。今すぐには怜司さんを忘れられないかもしれないが、それでも小坂くんならと思えた。
それが彼は荷が重いと言う。甘え、だろうか。私は小坂くんに甘えているだけのように見えるのだろうか。
「最初から決めてたの?」
そう尋ねたら、小坂くんは私の手を離した。彼のぬくもりが消えて虚しさが残る。それが答えのような気もした。
「そうだよ。どうせなら、ふって欲しかったな。好きな人をふるなんて、やっぱり少しは、キツい」
「おかしいわ……」
「自分でもそう思うよ。なんでだろうな。朝霧さんの気持ちが少し俺に向いたら、急に不安になったのかな。怖気づいたんだ、きっと」
「小坂くんの気持ちは嬉かったわ」
いつもそうだ。私の方の気持ちが強くなると、男の人は逃げていく。その答えを小坂くんは出してくれた気がする。
私だってそうだ。怜司さんとの関係に怖気づいたのだ。だから彼の好意を受け止めることが怖くて出来なかった。
「ごめん……朝霧さん。俺、今日のこと、すごく後悔すると思う。それでも、ごめん」
「……いいの」
首を横にふる。涙は出ないが、思ったよりショックを受けていて、声が出ない。
「朝霧さん、石神さんにちゃんと気持ち伝えるといいよ。石神さんなら受け止めてくれるよ。大丈夫だから、毎日一人で泣いたりしないで」
「……小坂くん」
優しい言葉をかけられたら、涙が浮かんでくる。
「今から行きなよ。職場近いだろ?」
「そんな、迷惑かけられないわ」
「そうやって気をつかうから、タイミングを逃すんだよ。顔を見てくるだけでも違うと思うよ」
「でも……」
「俺のことは気にしなくていいよ。っていうか、俺が朝霧さんをふったんだ」
「私のせいよね」
そう言ったら、小坂くんはふっと目を細めて優しく笑う。
「行っていいよ、朝霧さん。俺、やっぱり自分の気持ちに素直な朝霧さんが一番好きだから」
「……ありがとう。小坂くん、ありがとう」
小坂くんは立ち上がり、私の手を引く。「ほら」と手に鞄を握らせてくれ、背中を押してくれる。
私はそのまま駆け出す。
怜司さんはもう私を待っていないと思う。それでも小坂くんが背中を押してくれたから、本当にこれが最後と、怜司さんの元へと向かった。
何度同じことを繰り返しただろう。
階段で立ち尽くす怜司さんを振り返ったら、彼の胸に飛び込みたくなる衝動が抑えられない気がして、そのまま部屋に逃げ込んだ。
うずくまり、泣いた。ドアの向こうに彼の気配を感じたけど、とうとう彼はチャイムを鳴らすことなく帰っていった。
もう終わり。怜司さんを想って泣く日は最後にしたい。そう何度も思いながら、まだ果たせずにいる。
「元気ないね、朝霧さん」
コーヒーカップに視線を落としていると、ふと声をかけられる。
「……そう? そうでもないわ。小坂くんに会えると思ったら、元気が出たの」
そう言ったら、小坂くんはくすくす笑う。
秋らしいブラウンのニットにベージュのパンツ姿の彼は、いつもより落ち着いた印象。こんなに大人っぽい青年だっただろうかとどきりとするほどだ。
「やっぱり元気なかったんだ? 何があったか、聞いてもいい?」
端的に言うと、話を聞きたかったのだろう。だから私を喫茶店に誘ったのだ。デートというより、悩み相談になってしまう。そう思ったら首を横にふっていた。
「もういいのよ。仕方のないことを悩んでるだけだから。でもね、小坂くんに会って、本当に私の悩みなんて小さなことだなって思うの」
小坂くんは何年も私に片想いをしてくれていた。私もいつかそうなっていく。その先には、きっと私を幸せにしてくれる人が待っている。そしてその人は、もう目の前にいるのかもしれない。
小坂くんは眉を寄せる。私が何に悩み、何に泣くのか、想像するのは容易なのだろう。
「時間が解決するって思ってる?」
「そうね。いつか解決するわ」
「だから俺のデートの誘い、受けてくれた?」
「……ええ」
ゆっくりうなずく。小坂くんの気持ちを受け止めようと思って、今日は彼に会う決意をした。
「俺さ、大学時代から朝霧さんが好きだったよ。ひとめぼれっていうか、朝霧さんみたいに綺麗な人に会ったの初めてだったんだ。それでもなかなか近づけなくてさ、憧れてるだけで過ごしてきた。久しぶりに会った時に朝霧さんの悩む姿見たら、普通の女の子なんだなって思って。今は憧れとかじゃなくて、本当に好きだなって思ってる」
「……小坂くん」
「付き合ってほしいって思う。出来たら、結婚前提で。そのぐらい真剣に考えてるし、朝霧さんがいたからちゃんと仕事しなきゃなって思って、今の仕事も選んだ。まだまだ頼りないけどさ」
「頼りないなんて。私もね、今日ははっきりしようと思って来たの」
「そっか」
小坂くんは眉をさげる。ふられる、そう思っているようだ。
「あのね、小坂くん……」
「付き合ってくれる?」
声が重なる。小坂くんは不安そうなままだ。その不安を少しでも和らげたくて、私はすぐにうなずいた。
「ええ……小坂くんとなら、幸せになれる気がしてるの」
そう答えたら、小坂くんは破顔して、両手をテーブルの上に乗せた。
「朝霧さん、手、出して」
「え……」
と、驚きながら、手を伸ばす。すると、小坂くんは私の手を両手で優しく握りしめた。
「嬉しい。すごく、嬉しいよ、朝霧さん」
手が震えている。彼の喜びが伝わってくる。
「……大げさよ」
「そんなことない。マジで嬉しいんだ。でもさ、ダメだよ、朝霧さん」
「え?」
小坂くんの手はまだ震えている。ふと目線を上げた先にある彼の目を見て、私は息を飲む。喜びとは一線を画した悲しみや、切なさが彼の目には浮かんでいた。
「好きでもない男と付き合うなんて、嘘でも言ったらダメだよ。俺は単純だから、素直に喜んじゃうんだ」
「嘘じゃないわ」
「石神さんを好きな朝霧さんを幸せには出来ないよ。俺には荷が重すぎる」
「どうしてそんなこと言うの? 私だって真剣に小坂くんとのこと考えてるの」
「だったらなおさらだよ。俺も同じなんだ。朝霧さんは石神さんと幸せになれるよ。その余地があるのに変な意地を張って、俺と付き合うなんて言ったらダメだ」
図星だけど決めつけだ。私だって覚悟をしてきたのだ。今すぐには怜司さんを忘れられないかもしれないが、それでも小坂くんならと思えた。
それが彼は荷が重いと言う。甘え、だろうか。私は小坂くんに甘えているだけのように見えるのだろうか。
「最初から決めてたの?」
そう尋ねたら、小坂くんは私の手を離した。彼のぬくもりが消えて虚しさが残る。それが答えのような気もした。
「そうだよ。どうせなら、ふって欲しかったな。好きな人をふるなんて、やっぱり少しは、キツい」
「おかしいわ……」
「自分でもそう思うよ。なんでだろうな。朝霧さんの気持ちが少し俺に向いたら、急に不安になったのかな。怖気づいたんだ、きっと」
「小坂くんの気持ちは嬉かったわ」
いつもそうだ。私の方の気持ちが強くなると、男の人は逃げていく。その答えを小坂くんは出してくれた気がする。
私だってそうだ。怜司さんとの関係に怖気づいたのだ。だから彼の好意を受け止めることが怖くて出来なかった。
「ごめん……朝霧さん。俺、今日のこと、すごく後悔すると思う。それでも、ごめん」
「……いいの」
首を横にふる。涙は出ないが、思ったよりショックを受けていて、声が出ない。
「朝霧さん、石神さんにちゃんと気持ち伝えるといいよ。石神さんなら受け止めてくれるよ。大丈夫だから、毎日一人で泣いたりしないで」
「……小坂くん」
優しい言葉をかけられたら、涙が浮かんでくる。
「今から行きなよ。職場近いだろ?」
「そんな、迷惑かけられないわ」
「そうやって気をつかうから、タイミングを逃すんだよ。顔を見てくるだけでも違うと思うよ」
「でも……」
「俺のことは気にしなくていいよ。っていうか、俺が朝霧さんをふったんだ」
「私のせいよね」
そう言ったら、小坂くんはふっと目を細めて優しく笑う。
「行っていいよ、朝霧さん。俺、やっぱり自分の気持ちに素直な朝霧さんが一番好きだから」
「……ありがとう。小坂くん、ありがとう」
小坂くんは立ち上がり、私の手を引く。「ほら」と手に鞄を握らせてくれ、背中を押してくれる。
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