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第二話 御影家には秘密がありました
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中庭の中央にある小さい池のほとりで、満天の星空よりも、目の前を浮遊するオーブを眺めるのが好きだった。
無邪気に私の周りを漂い、ひゅっひゅっと飛び回る白いオーブたちは、まるで私に遊ぼう、と言っているかのようで。
手で触れられるのではないかと、無数のオーブの中へ手を差し出すと、オーブたちは軽やかに踊るように私から離れていく。
交わりたいけれど、交わってはいけない。まるでそれがわかっているような白いオーブたちは死者の魂。御影家にはこうしたオーブが中庭に毎晩現れている。
そろそろ部屋へ戻ろう。すっかり冷え切ってしまった湯上りの身体を抱きしめて縁側へ戻ろうとしたとき、目の前を大きなオーブが通り過ぎていった。
ハッと顔を上げるとそのオーブは消えていたが、ちょうど縁側に春樹さんが姿を見せていた。
「あー、珍しい、虹色だ」
「春樹さんもご覧になった?」
少しばかり興奮ぎみに私は春樹さんに駆け寄る。
「そんな笑顔で走ってきたら抱きしめちゃうよ。俺の帰りが待ち遠しかったみたいだ」
冗談めかす春樹さんは、アルバイトから帰宅したばかりなのだろう。レザーのジャケットをぬぐと、浴衣姿の私の肩にかけてくれる。
「いくら我慢強いって言っても風邪引くよ。浴衣姿は見慣れたけど、それでも妙な気持ちにはなるしね。兄貴もどうして許すかなー。不用心だなぁって思うけどさ、ま、パジャマよりマシか」
勝手に納得した春樹さんは、寒そうに手を脇に差し込んで、中庭へ目を戻す。
「虹色のオーブを見たのは小学生以来かなぁ。あの日はそうだ。両親が離婚して、俺がここで泣いてたときだ」
そう笑顔を見せた春樹さんは、縁側の奥にある和室を指さす。
「兄貴はあん時、高校生でさ、そこの部屋で正座して、目真っ赤にして畳にらみつけて黙り込んでたな。だから虹色のオーブを見たのは俺だけ」
少しばかり優越そうに春樹さんはそう話す。
「ご両親が離婚されたことは誠さんから聞いてましたけど、もう十年も前のことなんですね」
「へえ、兄貴もそんな話するんだ? じゃあ、兄貴が親代わりで俺を育ててきたって話も聞いた?」
「あ、本当に、離婚されたことしか知りません。こちらで雇っていただくときに誠さんは一人暮らしだとおっしゃっていたので、ついご両親は? とお尋ねしてしまって」
その質問に対して、誠さんは「両親は離婚してふたりとも出ていった」としか話してくれなかった。
だから、高校生のときから小学生の春樹さんを育てながら勉強とアルバイトを両立させていたということは、今の今まで春樹さんに聞くまでは知らなかった。
「兄貴は無駄に苦労人なんだよ」
「そうですね。私みたいなのも受け入れてくださって……」
昼間のことを思い出して目を伏せる。
私の身体の中に池上夏乃さんがいた。なんとなくそうかもしれない、と思ってはいたが、それを知ったときの誠さんの表情が忘れられない。
私の手をふりほどき、異形なものを見る目で私を見つめたほんの一瞬を忘れられない。
この体質は理解してもらえてると思っていたけれどそれは甘えで、今度ばかりは嫌われたかもしれないと思う。
そのあとの記憶は残っていない。傷ついた私の心だけは消えず、苦しむ誠さんの表情だけが脳裏にこびりついている。
「兄貴と何かあった?」
ひょいっと下から顔をのぞき込んでくる春樹さんに驚きつつ、首を横に振る。
「兄貴、千鶴ちゃんの体調があんまりよくないんじゃないかって心配してたよ」
「体調……」
そうつぶやいたとき、お腹の奥の方がちくりと痛み、とっさにお腹に両手をあてていた。
「千鶴ちゃん?」
大丈夫かと心配そうに眉をさげる春樹さんをじっと見つめる。誠さんには言えないけれど、ずっと気になっていたことを吐露する。
「お腹に、赤ちゃんがいるときってこんな感じなのかな、って思うんです」
今朝の吐き気もそうだった。不定期に訪れる吐き気と腹部の痛みは体調を崩させるにはじゅうぶんなものだったが、それ以上悪くなるものでもなかった。
「赤ちゃんっ?」
春樹さんはすっとんきょうな声をあげると、私の両腕をいきなりがっしりとつかみ、ジャケットの上から何度もさすってくる。
「赤ちゃんいるのにこんな寒い中、庭に出てたらダメだろ。兄貴は知ってる? 知るわけないか。知ってたら体調悪そうだ、なんてのんきに言ってないよなー。あー、何やってんだ、兄貴は」
「違うんです、春樹さん」
落ち着いてください、と春樹さんの手を握る。
「違うって、何が?」
「あ、赤ちゃん……、赤ちゃんができるようなことはまだしてないので、それはないんです」
声がうわずってしまって、ほおが紅潮していくのがわかる。
「は、はああぁ?」
「春樹さんにお話したこと、誠さんには内緒ですよ。赤ちゃんを欲しがってるみたいで、なんだかすごく恥ずかしいんです」
目を開きっぱなしの春樹さんが何か言おうと口を開くのを見たら、ますます恥ずかしくなる。そして、次の瞬間には「おやすみなさいっ」と中庭から逃げ出していた。
中庭の中央にある小さい池のほとりで、満天の星空よりも、目の前を浮遊するオーブを眺めるのが好きだった。
無邪気に私の周りを漂い、ひゅっひゅっと飛び回る白いオーブたちは、まるで私に遊ぼう、と言っているかのようで。
手で触れられるのではないかと、無数のオーブの中へ手を差し出すと、オーブたちは軽やかに踊るように私から離れていく。
交わりたいけれど、交わってはいけない。まるでそれがわかっているような白いオーブたちは死者の魂。御影家にはこうしたオーブが中庭に毎晩現れている。
そろそろ部屋へ戻ろう。すっかり冷え切ってしまった湯上りの身体を抱きしめて縁側へ戻ろうとしたとき、目の前を大きなオーブが通り過ぎていった。
ハッと顔を上げるとそのオーブは消えていたが、ちょうど縁側に春樹さんが姿を見せていた。
「あー、珍しい、虹色だ」
「春樹さんもご覧になった?」
少しばかり興奮ぎみに私は春樹さんに駆け寄る。
「そんな笑顔で走ってきたら抱きしめちゃうよ。俺の帰りが待ち遠しかったみたいだ」
冗談めかす春樹さんは、アルバイトから帰宅したばかりなのだろう。レザーのジャケットをぬぐと、浴衣姿の私の肩にかけてくれる。
「いくら我慢強いって言っても風邪引くよ。浴衣姿は見慣れたけど、それでも妙な気持ちにはなるしね。兄貴もどうして許すかなー。不用心だなぁって思うけどさ、ま、パジャマよりマシか」
勝手に納得した春樹さんは、寒そうに手を脇に差し込んで、中庭へ目を戻す。
「虹色のオーブを見たのは小学生以来かなぁ。あの日はそうだ。両親が離婚して、俺がここで泣いてたときだ」
そう笑顔を見せた春樹さんは、縁側の奥にある和室を指さす。
「兄貴はあん時、高校生でさ、そこの部屋で正座して、目真っ赤にして畳にらみつけて黙り込んでたな。だから虹色のオーブを見たのは俺だけ」
少しばかり優越そうに春樹さんはそう話す。
「ご両親が離婚されたことは誠さんから聞いてましたけど、もう十年も前のことなんですね」
「へえ、兄貴もそんな話するんだ? じゃあ、兄貴が親代わりで俺を育ててきたって話も聞いた?」
「あ、本当に、離婚されたことしか知りません。こちらで雇っていただくときに誠さんは一人暮らしだとおっしゃっていたので、ついご両親は? とお尋ねしてしまって」
その質問に対して、誠さんは「両親は離婚してふたりとも出ていった」としか話してくれなかった。
だから、高校生のときから小学生の春樹さんを育てながら勉強とアルバイトを両立させていたということは、今の今まで春樹さんに聞くまでは知らなかった。
「兄貴は無駄に苦労人なんだよ」
「そうですね。私みたいなのも受け入れてくださって……」
昼間のことを思い出して目を伏せる。
私の身体の中に池上夏乃さんがいた。なんとなくそうかもしれない、と思ってはいたが、それを知ったときの誠さんの表情が忘れられない。
私の手をふりほどき、異形なものを見る目で私を見つめたほんの一瞬を忘れられない。
この体質は理解してもらえてると思っていたけれどそれは甘えで、今度ばかりは嫌われたかもしれないと思う。
そのあとの記憶は残っていない。傷ついた私の心だけは消えず、苦しむ誠さんの表情だけが脳裏にこびりついている。
「兄貴と何かあった?」
ひょいっと下から顔をのぞき込んでくる春樹さんに驚きつつ、首を横に振る。
「兄貴、千鶴ちゃんの体調があんまりよくないんじゃないかって心配してたよ」
「体調……」
そうつぶやいたとき、お腹の奥の方がちくりと痛み、とっさにお腹に両手をあてていた。
「千鶴ちゃん?」
大丈夫かと心配そうに眉をさげる春樹さんをじっと見つめる。誠さんには言えないけれど、ずっと気になっていたことを吐露する。
「お腹に、赤ちゃんがいるときってこんな感じなのかな、って思うんです」
今朝の吐き気もそうだった。不定期に訪れる吐き気と腹部の痛みは体調を崩させるにはじゅうぶんなものだったが、それ以上悪くなるものでもなかった。
「赤ちゃんっ?」
春樹さんはすっとんきょうな声をあげると、私の両腕をいきなりがっしりとつかみ、ジャケットの上から何度もさすってくる。
「赤ちゃんいるのにこんな寒い中、庭に出てたらダメだろ。兄貴は知ってる? 知るわけないか。知ってたら体調悪そうだ、なんてのんきに言ってないよなー。あー、何やってんだ、兄貴は」
「違うんです、春樹さん」
落ち着いてください、と春樹さんの手を握る。
「違うって、何が?」
「あ、赤ちゃん……、赤ちゃんができるようなことはまだしてないので、それはないんです」
声がうわずってしまって、ほおが紅潮していくのがわかる。
「は、はああぁ?」
「春樹さんにお話したこと、誠さんには内緒ですよ。赤ちゃんを欲しがってるみたいで、なんだかすごく恥ずかしいんです」
目を開きっぱなしの春樹さんが何か言おうと口を開くのを見たら、ますます恥ずかしくなる。そして、次の瞬間には「おやすみなさいっ」と中庭から逃げ出していた。
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