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風光る
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しおりを挟む図書館に入ると、数名の学生が目に映る。辺りを見回した限りでは、その中に窓際にいた青年を見つけることはできない。
しかしまだいるだろう。図書館の中を歩き回れば、必ず彼に見つかってしまう気がする。
彼は私が彼目当てで裏庭に来ていたと思っているだろうし、それは全くの勘違いでもないから完全に否定もできないけど、私の行動を疎ましく感じているようでもあった。
もしまた顔を合わせたら、彼を探していたなんて思われかねないし、しつこい、なんて叱られるかもしれない。
「思ったより広いね。二階もあるみたいだよ、日菜詩。見に行ってみよー」
私の心配など何も知らない麻那香は、辺りをキョロキョロ見回した後、おかまいなしに階段を上がろうとする。
大きな螺旋を描く重厚感のある階段だ。ドレスを着た貴婦人が似合いそうなクラシカルな雰囲気もある。図書館とは思えないような内装で、麻那香の好奇心を刺激するのは理解できるものの、それでも気は進まない。
「麻那香、一人で行ってきて。私はあの辺りの本見てるから」
なるべく歩き回らないのがいいだろう。彼に会ったら気まずい。ただそれだけのことだけど、不用意に歩き回らないのは得策に思えた。
「読みたい本でもあった?」
「あの辺りの本、レポート書くのに役立ちそうだから」
「日菜詩は勉強熱心だね。じゃあ、ちょっと一人で見てくるね。すぐに戻るから」
私の見え透いた嘘に麻那香は少し呆れたようだったが、すぐに好奇心旺盛に、まるで世界遺産の建築物を眺めるかのように辺りを見回しながら階段を昇っていった。
その背中を見届けた私は胸をなでおろし、入り口に一番近い本棚へ向かう。
小難しい題名の本が並んでいる。経済に関する本だろう。私が普段の生活で手に取るようなことのない本ばかりだ。
ふと窓の方へ顔を向けると、洋雑誌が並ぶ棚が目に入る。あそこなら時間がつぶせそうだ。そう思い、本棚の間を進む。
洋雑誌の中にはファッション誌もあって、迷わずそれへ手を伸ばしかけた時、後ろの方から男性の声が聞こえてきた。
「あしたー、あしたじゃんかよ。最近図書館によくいるって本当だったんだな」
「ああ」
「あいかわらず素っ気ないやつ。朝陽が心配してるぜ。たまには会ってやれよ」
「気が向いたらね」
「いつ気が向くんだか。じゃあまたな」
短い会話だった。一人分の足音が遠ざかると、私は本棚の角から声の聞こえてきた方へ少し顔をのぞかせた。
興味があった。ついさっき麻那香から聞かされた〝あしたくん〟のことが思い出され、あした、と呼ばれた青年がどんな人物であるのか、そのただ純粋な好奇心が私を動かした。
「あ……っ」
しかしすぐに後悔した。顔をのぞかせた途端、思いのほかすぐ側に〝あしたくん〟がいたのだ。
彼と目が合い、私はすぐに顔を引っ込めた。
「……きみ」
「ごめんなさいっ」
本棚に背を向けて謝る。彼は私の斜め後ろにいたが、それ以上近づいてくる気配はない。だが私のことはやはり覚えているのだろう。
「白い日傘さん、なに謝ってるの?」
窓際で私に話しかけてきたそのままの口調で、〝あしたくん〟はひょうひょうと私に愉快げに尋ねてくる。
「あ……、違うんです」
日傘を握りしめる。私より、日傘の方のインパクトが強くて、彼の記憶にしっかり残ってしまっているようだ。
「なにが違うの? 白い日傘なんて名前じゃないってこと? 物珍しくて俺につきまとってるわけじゃないってこと?」
「りょ、両方です。誤解なんです。私、あの裏庭がただ気に入ってて……あなたがいたのはただの偶然で……」
「俺も」
「……え?」
振り返りそうになるが、振り向けなかった。ちらっとしか見なかったが、彼の顔立ちがとても綺麗だったから、まともに向き合える勇気がなかった。
「俺もあの裏庭が好きでいつも窓開けて見てたんだ。一緒だね。さっきはあんなこと言って悪かったよ。でも本音だけどね」
「あ、いえ……たぶんもう行かないから」
「そうしてくれるなら嬉しいよ。誰もいないあの空間がやけに落ち着けるから」
あの裏庭は彼のものではないのに、景観を崩す私の存在を疎んでそう言うのだ。
わがままで勝手な人だと思ったけど、彼を否定することはできなくて沈黙した。
「まだ何か聞きたいことある?」
「……聞きたいこと?」
「いや、すぐに帰らないから」
「あ、私はここで本を見てるだけだから」
「そうなんだ? 俺もそう。ただここで本を選んでるだけだから。じゃあ少しこのままで」
「……」
彼はそう言ったきり、話しかけて来なかった。
彼の立ち去る気配がなくて、緊張のあまり少し息を詰めていたけど、妙に居心地の良い雰囲気に次第に緊張が解けていく。
この広い図書館の一角で私たちは向かい合いもせずただ同じ空間を共有しているだけなのに、まるで二人きりの世界にいるような、そんな静穏な空間の中にしばらく佇んでいた。
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