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星月夜
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しおりを挟む「久しぶり、明日嘉」
朝陽さんは複雑そうに笑んで、明日嘉くんにそう言った。なんとなく二人を包む空気がぎこちない。気まずい雰囲気をどうにも取り払えない様子だ。
「何か用か?」
明日嘉くんは冷たい口調で、冷ややかに彼を見つめる。歩み寄りたい気持ちはあるはずなのに、私の知らない過去にあった出来事が、明日嘉くんの心を凍りつかせるのかもしれない。
「用は、ないよ。日菜詩ちゃんを待ってたんだ」
朝陽さんは苦笑する。彼もまた明日嘉くんの態度が気にさわったのか、素直になれない様子で答える。
「へえ。だってさ、日菜詩ちゃん。俺、図書館に行って帰るから、じゃあね」
明日嘉くんはそれだけ言うと、さっさと歩いていってしまう。
「えっ、あ、明日嘉くんっ」
追いかけようとするが、私の前に立ち塞がる朝陽さんによってそれは阻まれる。
「朝陽さん……」
「ちょっとだけ話したいんだ。明日嘉に誤解されるようなことはしないから」
「誤解……って」
どういうことだろう。朝陽さんが私に用事があるからって、明日嘉くんが誤解するようなことは何もないのに。
「見たんだ、俺。麻那香ちゃんの家に遊びに行った次の日、明日嘉と一緒にいるところ。……ボストンバッグ持ってた。あいつと、前の日からずっと一緒にいた?」
朝陽さんは深刻な目でそう尋ねると、苦しげに肩を落とす。
驚いてすぐに声が出ない。
誰かに見られているなんて考えてもみなかった。大学も寮も近いのだ。知り合いがいたって何も不思議ではないのに、それを配慮することを忘れるぐらい私は明日嘉くんと過ごす時間に夢中だった。
「明日嘉と、付き合うことになった?」
そう思われても仕方ないような軽率なことを私はした。でも相手が明日嘉くんだから、誤解されたってかまわないってどこかで思っていた。
「あの、……違うんです」
そう答えると、朝陽さんは目を見開いて驚く。
「違う? 違うって……、だってあいつと一晩ずっと一緒にいたんだろ? それとも、本命はやっぱり紅だから付き合えないって?」
「あの、……いろいろ誤解があって、何から話したらいいのかわからないけど」
急に大きな声を出した朝陽さんに驚き、戸惑いをあらわにすると、彼はハッとして身を引く。
「ああ、ごめん、俺も急に、ごめん。ちょっと落ち着くよ。あっちのベンチに座ろうか」
朝陽さんに促されて、私は小道沿いの図書館に背を向けるベンチに腰を下ろす。
朝陽さんと並んで座るが落ち着かない。彼が尋ねたいことはわかる。だけど私と明日嘉くんの関係を説明したところで、彼は理解しないのではないか、そんな気がしたのだ。
「もう一回聞くけど、明日嘉とずっと一緒だった?」
朝陽さんはゆっくりとかみしめるように吐き出す。彼と目を合わせたら、逃がれられないことを知る。私が話さなかったら、彼は明日嘉くんを問い詰めるだろう。そんな決意が見える。
「……朝陽さんと別れた後、明日嘉くんに会ったんです。その、タクシーから明日嘉くんが見えたから、私が声をかけて」
私はそう告白する。本当のことだ。
朝陽さんとは過ごせないけど、明日嘉くんならいいと思った。その事実を彼に話すことは本意ではなかったけれど。
「それで、明日嘉に誘われた?」
朝陽さんは苦しげな表情のまま尋ねてくる。
「あの……明日嘉くんは何も悪くないんです。私が一緒にいたかったから、だからついていったんです」
「利用したの?」
「え……」
「日菜詩ちゃんの気持ち利用して、明日嘉は……」
「ちがっ、違います」
「あいつと何もなかった? そんなわけないよね? あいつが何もしないわけがない」
顔がかあっと熱くなる。こんな顔をしたらいけない。逆効果だ。そう思うけど、一度熱くなった頬はなかなか冷めない。
「やっぱりあった?」
「違うの。……朝陽さんが思ってるようなことはないの」
「そんなことないよね。あいつをかばう必要なんてないよ。前からああいうやつだったんだから。特定の子と付き合ったりしないで、遊んでばっかりだ」
「遊んでって……」
「違う? こんな言い方したくないけど、日菜詩ちゃんは遊ばれたんだよ。紅のことだって、本気で考えてるかわからないよ」
「そうじゃないよ……。明日嘉くんが私を好きじゃないのはわかってるの。でも私が一緒にいたいから、明日嘉くんは私の気持ちを大切にしてくれてる」
「何が大切? 本気で大切に考えてるなら、中途半端にはしないはずだよ」
「そんな言い方やめてください……」
「どうしてかばう? あいつの何がいい? 劣等感の塊のあいつといたって、日菜詩ちゃんは幸せになれないよ」
朝陽さんは叫ぶように言う。私の頭の中に衝撃が走る。
「劣等感のかたまり……?」
「そうだろ? あいつだって、しなくていい恥をかく」
「どういう意味ですか?」
「俺が明日嘉と日菜詩ちゃんを見たのは、前に俺と一緒に行ったカフェでだよ。あいつが財布を落としたの、見たよ」
「……あれは……」
朝陽さんはあれを見ていたのだ。
カフェでシフォンケーキを食べた後、明日嘉くんがおごってくれると会計をしてくれた。だけど財布がうまく開けなくて、足元に小銭が散らばった。
あの時、明日嘉くんはひどくショックを受けていて、私は気にしないのに、何度も情けないって謝っていた。
「あいつ、いつもポケットにいくらか入れて持ち歩いてるんだよ。あの日は日菜詩ちゃんがいたから、無理して財布持ったんだろ?」
「それは少し工夫すれば……」
「俺が言ってるのは、女の子の前で格好つけたいあいつが、それを出来ないって気づいた時に傷つくって話だよ。あいつの気持ちの話だよ。日菜詩ちゃんが気にしないって言ってもあいつは気にする。あいつは何もかも中途半端にして責任を持たないつもりかもしれないが、自分も日菜詩ちゃんも傷つけてるんだ」
「私が側にいたら明日嘉くんが傷つくの?」
「そうだよ。日菜詩ちゃんも傷つく」
首を横に振る。朝陽さんとは分かり合えない。でも誤解だけはされたくない。
「私は、傷ついたりしないです。明日嘉くんが前のようにはできないことに傷つくなら、そうならないように一緒に努力したいって思うの」
朝陽さんは私の手を両手で握りしめる。
「だめだよ。明日嘉に人生捧げる必要なんてない。日菜詩ちゃんのことちゃんと考えてないあいつに尽くす理由なんてないだろ」
「考えてくれてます、きっと……」
彼の手を見下ろす。こうやって手を握るだけのことも明日嘉くんには難しい。それでも彼は、今は何が一番大切か、それを考えて私の手を握ってくれる。
その明日嘉くんが私のことを考えてくれてないはずはない。
「それは願望だよ。日菜詩ちゃんに言ってもわからないなら、明日嘉に話す。日菜詩ちゃんと付き合えないなら、もう側に置くなって言うよ」
「そんな……やめて……」
「日菜詩ちゃんのためだよ」
朝陽さんはそう力強く言うと、何かに突き動かされるように立ち上がり、明日嘉くんが向かった図書館へと走り出した。
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