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最終章
最終章-27 神の武器、至る日
しおりを挟む唐突に見覚えのある白い世界が眼前に広がる。
その場に連なるのは誉れであった。
物言わぬ、意思を示さぬ物質であった己の誇りであった筈だ。
その身を侵す感情は恐怖。
何もしていない。
何も伝えられていない。
先刻まで我は何をしていた?
夕餉の支度をしていた。
秋の日差しが落ち着き、夜になると肌寒くなってきたから温かいシチューを作ろうと、子供達と一緒に台所に立っていた。
・・・まさか我は子供達の目の前で消失したのか?
襲い掛かる懺悔と未練。
年は越せない。
それは分かっていた。
ハルの晴れ姿を見る事は叶わない。
それも分かっていた。
準備は粗方整っていた。
後は王家側の問題だ。
違う、そうではない。
何もしていない。
何も返せていない。
何も伝えられてはいない。
座する覚悟は出来ていた。
存在の消滅さえ逃れられれば、それで良いと考えていた。
幸せな日々の記憶さえあれば、それで構わない、そう思っていた。
・・・嘘だ。
欲が内から沸々と湧き起こる。
最後の晩餐すらこの身には許されないというのか?
座する場からではなく、もう一度この手で我が子を抱きしめ、瞳を通して記憶に焼き付ける事すら許されないというのか?
この燻る想いを・・・伝える事すら叶わない、のか・・・
愕然とした瞬間、純白な世界が更に白く染まった。
ハルから「お母さん!」と呼び掛けられる声が現実へと引き戻してくれた。
そして白昼夢の如き夢でありながらも、決して夢ではなかったと知る。
握っていた筈の包丁は、手を擦り抜け床に刺さっていた。
縋るハルの顔は酷く蒼褪め、青い瞳に涙を溜めている。
それだけではない。
他の子らの顔も、飄々としたオスカーでさえも同様であった。
間違いなく消失したのだ。
この世界から、この身体が。
時間にして数秒。
恐らくオリハが座する場で嘆きを憂いていた時間と同じ時間だけ。
魂の縁で繋がった我が子らだからこそ、その事態に気がついたのかも知れない。
教えてくれたのだ。
オリハはそう思った。
この魔物の魂が。
オリハが許された時間を、少しでも後悔せず過ごせるようにと。
なくなる訳ではない。
満たされる筈がない。
それでも一つ願いが叶った。
己の瞳に我が子らを焼き付け、肉を宿す己が身で我が子らを抱きしめられたのだから。
何を聞かれても説明は出来ない。
交わす言葉はただ一言だけ、心からの愛を告げた。
一番幼いユグルドを抱き抱え、頬擦りをする。
縋るユグルドを下ろすのには時間がかかった。
「すまないが母はこれから出ねばならん、ミシェル、頼めるか?」
来年から正式に聖オリハ学園の教員として勤務が決まっているミシェルに問いかける。
オーウェンが年々拡大する収穫祭の後始末に追われて忙しい身の上なので、孤児院の手伝いを兼ねてこちらに顔を出していた。
「は、はい、お母様いってらっ・・・」
「ミシェル」
「えっ、やっ、違うんです、ま、間違ったというか・・・」
周りの状況にやや置いていかれていた。
止ん事無き事があったのは空気で理解する。
故に余計に戸惑ってしまった。
だから、つい、口から出てしまった。
恥ずかしげに言葉を詰まらせたミシェルを笑顔で抱きしめる。
ああ、今日は何と良き日なのだろうか。
そう思いながら。
部屋に戻り着慣れた司祭服を脱ぐ。
取り出したのは久方振りの修道服の方だ。
これから王都まで急ぎ早に行かなくてはいけない。
ならば飾りが少ない動き易い服の方が良いと考えた。
先程のような、あの様な後悔だけは・・・もうしたくはなかったから。
後は錬金魔法の施された印鑑。
それだけを懐に仕舞い込み部屋を出る。
「お母さん・・・」
「ハル」
確かめるようにもう一度抱きしめる。
「帰って・・・来るよね?」
嘘が下手なのは知っている。
特にハルに通じた事など一度もない。
「ああ」
ただ一言に渾身の願いを込めた。
自然と言えた筈だ。
当然の様な笑みを浮かべられた筈だ。
それくらい出来なくてどうする。
母としての最後の役目なのだから。
だからこそ伝わってしまう。
きっと、恐らく、どうしようもないのだろうと。
「いってらっしゃい」
「ああ」
腹芸ならオリハの比ではない。
ハルはそう言って母を見送った。
買い物に出掛ける、その程度の見送り具合で。
何度となく聞いてきた。
幾度となく口にした。
「大丈夫だ」「問題ない」
その言葉を口にしなかった。
つまりはそういう事なのだ。
ハルはそう感じ取った。
何も出来ない。
何もしてあげられない。
ただ口を真一文字に結び見送る事しか、母にしてあげられなかった。
太陽が沈む前に王都へと駆けつけた。
オリハが速かったのか、沈みゆく太陽が気を利かせてくれたのか。
残念ながら前者である。
迫る刻は平等であり無慈悲なのだから。
王都にある魔人国の外交邸に着く。
さも当たり前のように門を潜る。
誰もそれを咎めない辺り、やはりオリハの周りは少しおかしいのかも知れない。
だが今回ばかりは助かったといえる。
時間が惜しいのだ。
未練は消えない。
そして間違いなく残る。
ティダにも会いたかった。
シャルにも会いたかった。
ナツにも、フユにも。
フユからの手紙で聞いた。
最近レオンパルドの元気がないのだとか。
気にならない訳ではない。
返すべき気持ちを抱える相手でもあるのだから。
何か出来る事はあるのだろうか?
考え出せばキリが無い。
手の届く範囲で、出来る事をやるしかない。
その時間が残されただけでも感謝したい。
そう思えるのは、狼狽し後悔し終えたからだろう。
神の武器に宿るこの魔物の魂は、最後の刻までオリハの味方なのだから。
出迎えた執事に面会の意思を伝える。
入れ替わりで出迎えたのは眼鏡を光らせるマリアだ。
オリハの数少ない友人の一人なのだから、思わず抱きついたのは仕方のない事であった。
だから巻き込む事にした。
エインもマリアも変態なのだから、きっと天罰とかも喜ぶに違いない。
任せられるヒトが多いに越した事はない。
事後処理だけでもかなりの手を煩わせてしまう。
手助けする人員は必要になるだろう。
エインの口からマリアにその理由を、理を告げるよりは、オリハから伝えた方が良い。
万が一の場合は座して後、柱に助命を嘆願すれば良いだろう。
そう考えたのもあった。
「オ、オリハ様?どうせ抱きしめるならもう少しきつく・・・」
「エインとマリアに話がある」
「分かりました、人払いは?」
「頼む」
付き合いの長さもある。
声色一つでそう判断したマリアに深く感謝する。
やはりこの二人しかいない。
無条件に信頼出来るのは。
我が子らを託せるのは。
そう思えるからなのだろうか。
全く躊躇を感じないのは。
恐怖心もなく、万が一にも拒絶されるとは考えていない。
「・・・もう一度伺っても?」
聞き直すエインに告げる。
「ああ、我は神の武器、オリハルコンだ」
頭を抱えながらもエインは嫌悪感を漂わせない。
中々に狡い。
薄まる罪悪感を前にオリハはそう感じた。
初めて告げた告白で心が軽くなった気がしたのだから。
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