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本物のピエロ、或いは死神

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 大通りを跨いだ辻の向こうに、氷雨は見えなくなっていった。
 ブカブカのジャージを着た、上下体操服姿の小さな背中。そこに見えないはずの赤らんだ頬が透けた気がして、舌を叩いた。氷雨と話している時は忘れていたけど、僕も泥汚れがひどい。帰ってからの洗濯が面倒だ。

「おせーぞ、ピエロ野郎」

 駅までの坂を歩きながら、溜め息を吐く。同時に聞き覚えのあるあだ名が耳を障った。
 
「なんだ、先に帰ったんじゃなかったのか」

 振り返る。すぐそばに若が立っていた。

「シャワー貸してくれ。あとタバコ」

 並んで帰りながら、若がライターを弄ぶ。短髪から滴った水が、着替えた制服の肩を染め上げていた。

「僕が先に使っていいならね」
「わかってる。けどお前が上がるまでタオル貸してくれ」
「もちろん」

 それから僕らは足早に家に向かって、家に上がる前に公園でタバコの火を着けた。
 透き通った夕焼け色が火口を撫でて、灯った緋色が紙巻の葉を焼いていく。煙を曇空に溶かしながら、若が言った。

「あのヒーローさん、俺ら庇って反省文まで書いたってよ」

 「氷雨か」と直感する。

「反省文? どうしてだよ、あの子は被害者だろ」
「ガッコーは問題があったなんてバレたくねぇんだろ。喧嘩両成敗っつーことにして、内々に処理したらしいわ」

 僕のタバコはなかなか着かなかった。
 何度も火花を散らして、ようやく灯った火も上手く着かないままで消えていく。
 一度深呼吸してからようやく火を着けたのは、若が一本目のタバコを揉み消した頃だった。

 ゆっくりと煙を口に含む。
 吸い込む息に呼応して、緋色の光が呼吸しているかのように煌めく。
 それは限定的な夕焼けのようだった。

「バカだよな。俺らなんてほっときゃあ、被害者のままでいられたのによ」
「間違いない」

 タバコを吸う。ゆっくりと吐く。
 湿気た空に煙を溶かしても、胸のモヤモヤは晴れなかった。

「でも」

 と置く。

「理屈なんていらないんでしょ、目指すものがある奴には」

 公園の対角線上で、幼稚園児が戦隊ヒーローの変身ポーズを練習している。
 理屈なんて必要ない。それらは全て後についてくるもので、結局体を動かすのはどこまでも熱量だけだ。
 若が鼻で笑い飛ばす。

「あぁ、そうだったな」

 ひどく小馬鹿にした反応に僕は噛みつく。

「なんか文句あんの?」
「別に。羨ましいってだけだ」

 目の下がぴくりと跳ね上がる。
 腹の底が突沸しそうになって、タバコの煙で上書きした。
 落ち着いてくると同時に、若の言葉を反芻する。

 ──羨ましい

 若は確かにそう言った。
 僕の恋愛を、上っ面だけで肯定した。それは自分の恋愛への否定と同じ。
 そして何よりも、彼が芽衣花から目を離せなくなっていることの証明に聞こえた。

(それが答えなんだろ)

 煙と一緒に、肺の底で言葉を混ぜる。
 声もなく吐き出した紫煙は、どこか暗い色をしていた。
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