66 / 119
死に損ないの六月、折られた傘
5
しおりを挟む
それは絶望の言葉だった。
だって、そうじゃないか。傷ついて、でも逃げ出すことも出来ず。ただ諦めたような言葉で自分を騙し続ける。
そうして作られた「優しい世界」の住民はきっと、自分たちの足元で耐え忍ぶ氷雨を見ようとはしないのに。
それでも自分に嘘を吐き続けるしかないなんて、まるで怪物みたいに孤独だ。
「いるっスよ。でもアタシは最後でいいんス」
そんな悲しいことを、氷雨は死んだ子を抱く母のように優しい声音で言った。
「ダメだ。それは僕が許さない。君はもう、僕にとって大切な人だ」
「お熱い告白っスね」
ほんの一瞬だけ、氷雨は嬉しそうに口許をほころばせた。
「でもそれって、結局はアタシと同じ。「他人の幸せが自分の幸せ」ってことでしょ?」
「違う」
ただの一言だった。何気ない否定だった。
けれどそれだけは胸を張って言えた。
「君だけなんだよ、僕の幸せは。こう言うの、バカみたいだから言いたくはないけど」
僕に博愛主義者は演じきれない。
他の人間なんてどうでもいい。
殺す殺さないに関わらず、僕が好意を寄せられるのは一人だけだ。
例え愛結晶で殺さなかったとしても、氷雨が何の心配もなく眠れたらそれでいい。
「だからたまには、君を受け入れる人間がいるってことを、思い出してほしい」
まっすぐにヘーゼルの瞳を見つめる。
彼女の声が返ってくることはない。代わりに長い髪をかけた肩がもぞりと動いて、すらりとした体が僕の隣に座る。
僕は何も言わなかった。
彼女も何も言わなかった。
ただ静かな息遣いが、僕の肩の上で泣いていた。
「アタシ、いやっス。これ以上辛いの、いやっスよ」
やがて震えた声は、けれどどこか晴れやかだった。
それを空元気だと気付いた時、鼻をすする小さな音が聞こえた。
「そうだな」
僕は目をつむって、微かに頭を傾ける。ワインレッドの長い髪が、ふわりと頬に触れた。
「僕はあまり笑わないから、代わりに君が笑っていてほしい」
差し出した指先を、僕は何度も躊躇う。
もしかすると僕は、人殺しの指先で触れることで、彼女が汚れてしまうのを恐れているのかもしれない。
それでもやがて不自然な沈黙に耐え切れなくなって、僕はゆっくりと彼女の頬を微笑の形になぞった。
氷雨が一度だけ、潤んだ瞳を僕に向ける。
「無理っすよ。アタシ、普通に生きれないんスから」
「そうだな。君はとても優しいから」
「でもしょうがないじゃないスか。アタシだって、普通に恋したいっスよ。辛いこと、素直に辛いって言って、好きな人に泣きつきたいっスよ」
「ああ。でも君は不器用だから、それは出来ない」
こくり、と氷雨の頭が動いて、ワインレッドの長い髪がしなだれる。
氷雨は、いつまでもそうしていた。
僕は一つ深呼吸をして、次に彼女を抱き寄せる。
「だから、代わりに僕が君に甘えよう」
ちょうど恋人たちが寄り添い合うように。けれど少し、歪な形で。抱きしめた温もりに、僕はなるべくトゲのないよう囁いた。
「辛いよね。優しい人は、自分自身の話になると言葉が出せなくなるから」
言葉は、その言葉自身に籠められた悲しみを保証できない。
だってそれらは、いつでも平面だ。
高い波の隙間で、時々息継ぎをするような。死物狂いの悲しみを、他人と共有することができない。
「無理に言葉にしなくていい。僕は僕で、君は君だ。その違いを埋めることができるのは、触れた手の暖かさだけだよ」
氷雨の手を包み込む。
手の内で微かに動いた指先は、僕の服をギュッと掴んでいるようだった。
食いしばった唇と歯の隙間からは、小さな嗚咽だけが聞こえてきた。
涙は縋った腕に埋もれて、よく見えない。
それでいいのだ。僕も、氷雨も。
お互い不格好なメイクをして、自分を隠して。どれだけ触れ合っても、涙の雫だけは見せないでいる。
その化粧が剥がれてしまえば、僕らは互いにひどく同情してしまうから。
そうして関係を保っているのだろう。氷雨は。
(でも、僕はどうだろう)
きっと僕にとっての関係は、もう壊れてしまっている。
この関係を守るために自分を偽るでも、彼女を殺すために愛結晶を隠すでもない。
これは見栄だ。未熟な恋心に貼り付けた、薄っぺらいオブラートだ。
氷雨に見せるわけにはいかない。
だって、そうじゃないか。傷ついて、でも逃げ出すことも出来ず。ただ諦めたような言葉で自分を騙し続ける。
そうして作られた「優しい世界」の住民はきっと、自分たちの足元で耐え忍ぶ氷雨を見ようとはしないのに。
それでも自分に嘘を吐き続けるしかないなんて、まるで怪物みたいに孤独だ。
「いるっスよ。でもアタシは最後でいいんス」
そんな悲しいことを、氷雨は死んだ子を抱く母のように優しい声音で言った。
「ダメだ。それは僕が許さない。君はもう、僕にとって大切な人だ」
「お熱い告白っスね」
ほんの一瞬だけ、氷雨は嬉しそうに口許をほころばせた。
「でもそれって、結局はアタシと同じ。「他人の幸せが自分の幸せ」ってことでしょ?」
「違う」
ただの一言だった。何気ない否定だった。
けれどそれだけは胸を張って言えた。
「君だけなんだよ、僕の幸せは。こう言うの、バカみたいだから言いたくはないけど」
僕に博愛主義者は演じきれない。
他の人間なんてどうでもいい。
殺す殺さないに関わらず、僕が好意を寄せられるのは一人だけだ。
例え愛結晶で殺さなかったとしても、氷雨が何の心配もなく眠れたらそれでいい。
「だからたまには、君を受け入れる人間がいるってことを、思い出してほしい」
まっすぐにヘーゼルの瞳を見つめる。
彼女の声が返ってくることはない。代わりに長い髪をかけた肩がもぞりと動いて、すらりとした体が僕の隣に座る。
僕は何も言わなかった。
彼女も何も言わなかった。
ただ静かな息遣いが、僕の肩の上で泣いていた。
「アタシ、いやっス。これ以上辛いの、いやっスよ」
やがて震えた声は、けれどどこか晴れやかだった。
それを空元気だと気付いた時、鼻をすする小さな音が聞こえた。
「そうだな」
僕は目をつむって、微かに頭を傾ける。ワインレッドの長い髪が、ふわりと頬に触れた。
「僕はあまり笑わないから、代わりに君が笑っていてほしい」
差し出した指先を、僕は何度も躊躇う。
もしかすると僕は、人殺しの指先で触れることで、彼女が汚れてしまうのを恐れているのかもしれない。
それでもやがて不自然な沈黙に耐え切れなくなって、僕はゆっくりと彼女の頬を微笑の形になぞった。
氷雨が一度だけ、潤んだ瞳を僕に向ける。
「無理っすよ。アタシ、普通に生きれないんスから」
「そうだな。君はとても優しいから」
「でもしょうがないじゃないスか。アタシだって、普通に恋したいっスよ。辛いこと、素直に辛いって言って、好きな人に泣きつきたいっスよ」
「ああ。でも君は不器用だから、それは出来ない」
こくり、と氷雨の頭が動いて、ワインレッドの長い髪がしなだれる。
氷雨は、いつまでもそうしていた。
僕は一つ深呼吸をして、次に彼女を抱き寄せる。
「だから、代わりに僕が君に甘えよう」
ちょうど恋人たちが寄り添い合うように。けれど少し、歪な形で。抱きしめた温もりに、僕はなるべくトゲのないよう囁いた。
「辛いよね。優しい人は、自分自身の話になると言葉が出せなくなるから」
言葉は、その言葉自身に籠められた悲しみを保証できない。
だってそれらは、いつでも平面だ。
高い波の隙間で、時々息継ぎをするような。死物狂いの悲しみを、他人と共有することができない。
「無理に言葉にしなくていい。僕は僕で、君は君だ。その違いを埋めることができるのは、触れた手の暖かさだけだよ」
氷雨の手を包み込む。
手の内で微かに動いた指先は、僕の服をギュッと掴んでいるようだった。
食いしばった唇と歯の隙間からは、小さな嗚咽だけが聞こえてきた。
涙は縋った腕に埋もれて、よく見えない。
それでいいのだ。僕も、氷雨も。
お互い不格好なメイクをして、自分を隠して。どれだけ触れ合っても、涙の雫だけは見せないでいる。
その化粧が剥がれてしまえば、僕らは互いにひどく同情してしまうから。
そうして関係を保っているのだろう。氷雨は。
(でも、僕はどうだろう)
きっと僕にとっての関係は、もう壊れてしまっている。
この関係を守るために自分を偽るでも、彼女を殺すために愛結晶を隠すでもない。
これは見栄だ。未熟な恋心に貼り付けた、薄っぺらいオブラートだ。
氷雨に見せるわけにはいかない。
2
あなたにおすすめの小説
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
スルドの声(嚶鳴2) terceira homenagem
桜のはなびら
現代文学
何かを諦めて。
代わりに得たもの。
色部誉にとってそれは、『サンバ』という音楽で使用する打楽器、『スルド』だった。
大学進学を機に入ったサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』で、入会早々に大きな企画を成功させた誉。
かつて、心血を注ぎ、寝食を忘れて取り組んでいたバレエの世界では、一度たりとも届くことのなかった栄光。
どれだけの人に支えられていても。
コンクールの舞台上ではひとり。
ひとりで戦い、他者を押し退け、限られた席に座る。
そのような世界には適性のなかった誉は、サンバの世界で知ることになる。
誉は多くの人に支えられていることを。
多くの人が、誉のやろうとしている企画を助けに来てくれた。
成功を収めた企画の発起人という栄誉を手に入れた誉。
誉の周りには、新たに人が集まってくる。
それは、誉の世界を広げるはずだ。
広がる世界が、良いか悪いかはともかくとして。
元おっさんの幼馴染育成計画
みずがめ
恋愛
独身貴族のおっさんが逆行転生してしまった。結婚願望がなかったわけじゃない、むしろ強く思っていた。今度こそ人並みのささやかな夢を叶えるために彼女を作るのだ。
だけど結婚どころか彼女すらできたことのないような日陰ものの自分にそんなことができるのだろうか? 軟派なことをできる自信がない。ならば幼馴染の女の子を作ってそのままゴールインすればいい。という考えのもと始まる元おっさんの幼馴染育成計画。
※この作品は小説家になろうにも掲載しています。
※【挿絵あり】の話にはいただいたイラストを載せています。表紙はチャーコさんが依頼して、まるぶち銀河さんに描いていただきました。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?
藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。
結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの?
もう、みんな、うるさい!
私は私。好きに生きさせてよね。
この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。
彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。
私の人生に彩りをくれる、その人。
その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。
⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。
⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺
NOV
恋愛
俺の名前は『五十鈴 隆』 四十九歳の独身だ。
俺は最近、リストラにあい、それが理由で新たな職も探すことなく引きこもり生活が続いていた。
そんなある日、家に客が来る。
その客は喪服を着ている女性で俺の小・中学校時代の大先輩の鎌田志保さんだった。
志保さんは若い頃、幼稚園の先生をしていたんだが……
その志保さんは今から『幼稚園の先生時代』の先輩だった人の『告別式』に行くということだった。
しかし告別式に行く前にその亡くなった先輩がもしかすると俺の知っている先生かもしれないと思い俺に確認しに来たそうだ。
でも亡くなった先生の名前は『山本香織』……俺は名前を聞いても覚えていなかった。
しかし志保さんが帰り際に先輩の旧姓を言った途端、俺の身体に衝撃が走る。
旧姓「常谷香織」……
常谷……つ、つ、つねちゃん!! あの『つねちゃん』が……
亡くなった先輩、その人こそ俺が大好きだった人、一番お世話になった人、『常谷香織』先生だったのだ。
その時から俺の頭のでは『つねちゃん』との思い出が次から次へと甦ってくる。
そして俺は気付いたんだ。『つねちゃん』は俺の初恋の人なんだと……
それに気付くと同時に俺は卒園してから一度も『つねちゃん』に会っていなかったことを後悔する。
何で俺はあれだけ好きだった『つねちゃん』に会わなかったんだ!?
もし会っていたら……ずっと付き合いが続いていたら……俺がもっと大事にしていれば……俺が『つねちゃん』と結婚していたら……俺が『つねちゃん』を幸せにしてあげたかった……
あくる日、最近、頻繁に起こる頭痛に悩まされていた俺に今までで一番の激痛が起こった!!
あまりの激痛に布団に潜り込み目を閉じていたが少しずつ痛みが和らいできたので俺はゆっくり目を開けたのだが……
目を開けた瞬間、どこか懐かしい光景が目の前に現れる。
何で部屋にいるはずの俺が駅のプラットホームにいるんだ!?
母さんが俺よりも身長が高いうえに若く見えるぞ。
俺の手ってこんなにも小さかったか?
そ、それに……な、なぜ俺の目の前に……あ、あの、つねちゃんがいるんだ!?
これは夢なのか? それとも……
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる