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死に損ないの六月、折られた傘

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 氷雨はしばらく僕の腕の中で泣いていた。
 長い涙が引いたのは、夕方と夜の隙間だった。雨はまだ続いているから、よくはわからない。
 彼女は鼻の詰まった声で何かをつぶやくと、僕から身を引いた。

「すいません。恥ずかしいとこ、見せちゃって」

 恥ずかしげに笑う氷雨の目元は赤く、けれどどこか晴れやかで。僕はその頬に伝う涙の痕を、少しだけ羨ましいと思った。
 僕はもう、氷雨に対してひどく純粋な好意を抱いてしまっている。執着を育む恐ろしい愛情を、僕は知ってしまっている。
 それは初めての経験だった。

「じゃ、アタシ今日は帰りますね。元気もらったんで」
「そっか。気をつけてな」
「はいっ」

 心に潜んだ怪物から目を逸らして、僕は氷雨を見送る。
 貸していたバスタオルを丁寧に畳んでから立ち上がって、彼女は玄関先で立ち止まった。

「明日はガッコー、来てくださいねっ」

 ローファーをつっかけながら氷雨が振り返る。
 手にきた傘は半ばで開いたまま、曲げられたシャフトに引っ掛かって止まっている。
 骨の何本かも折られているみたいだった。

「僕の右手よりよっぽど重傷だな、その傘」
「よぎセン、やっぱまだ治らないんスか?」

 さっと氷雨の表情が曇る。
 僕はなんてことないように手を振って答えた。元々痛みには鈍い方だ。生みの親から殴られる痛みに比べれば、無いに等しい。

「大丈夫。僕のは一本だけだ」

 傘立てから僕の傘を取って手渡すと、氷雨は静かに首を振った。

「そんな、いーっスよ。これ、アタシの不注意なんで」
「傘を折られるのが君の不注意なら、またトチらない内にこれ持ってさっさと帰りな」

 なんなら、また折られてしまえばいい。
 傘なら安い。身体を傷付けられたり、調子付いた小悪党に金蔓にされるよりはよっぽど安くつく。
 氷雨は押し付けられた傘を恭しく受け取ると、ギュッと胸に抱いて言った。

「やっぱり、優しいンスね。アタシの好きな人は」
「よくそんな歯の浮くような甘いセリフが吐けるな」
「よぎセンのマネです」
「似てない。雨が酷くならないうちにさっさと帰れ」

 微笑む氷雨を追い出して、鍵を閉める。
 軽やかな足音が遠ざかってしまえば、部屋にはまた雨音が帰ってきた。
 この調子ではまだ降るだろう。

(貸して正解だったな)

 そんなことをふと考えて、すぐにタバコを吸った。
 もう殺しには飽きたんだ。これ以上氷雨のことを考える必要はない。
 だとすれば僕は、これから先。一体何を目的にして生きていけばいいのだろうか?
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