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君の手を握る時に想うこと
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視界が薄れて、彼の流した泡混じりの血溜まりは見えなくなっていく。
そして完全に意識が途絶えた瞬間、帰ってきた体の気だるさに、僕はゆっくりとまぶたを持ち上げる。
その時──朝焼けの中から声がした。
「よぎセン?」
僕はその声を知っている。
ずっと探していた。
ずっと殺そうとしていた。
殺意に結びついたこの感情は、僕の中に一生消えない結晶として残っている。
だから、間違えることは出来なかった。
僕は目を見開く。
彼女は柔らかな微笑みを向けていた。
「やっと起きたっスか」
朝日よりも綺麗な顔で笑うと、彼女はゆっくりと僕の頭を撫でる。
「こんなところで寝たら、風邪引いちゃいますよー」
呆れた声で氷雨が笑う。
僕は衝動的になっていた。
胸ぐらを掴んで彼女を引き寄せる。
そして、キスをした。
記憶に刻んだ氷雨茉宵のすべてを思い出すような、長いキスだった。
恐る恐る唇を離した氷雨は、僕を見て頬を膨らませる。
「全部、想定通りって顔っスか?」
「さあ、何の話だ?」
「よぎセンが警棒盗んで逃げてるってこと、アタシ知ってますよ。わざわざこんな時に目立つなんて、アタシに見つけてもらおうとしてたんでしょ?」
「ああ、確かに」
「君なら放っておけないだろ?」と言おうとした唇を、氷雨の指が優しく押さえる。
「ダメじゃないスか。アタシなんかと会うために、アタシと同類になっちゃ」
僕も上手く笑えてはいなかったのだろう。
だから、氷雨の微笑みに迷い込んだ震えを、僕は見逃さなかった。
彼女の中から、悲しみは消えていない。それでも僕は、一人取り遺される苦痛を、もう一度氷雨に味わわせようとしている。
夢の終わりで死んだ彼の願いに、僕はどう向き合えばいいのかわからなかった。
「まさか、『君より強く警察にマークされれば、僕の噂が君の耳に入る』なんて考えちゃいなかったさ。僕はただ復讐がしたかっただけだよ」
「ほほー。出会って早々にアタシを殺そうとしてたくせに、復讐ときましたか」
それも知っていたのか、と驚く僕に氷雨が説明してくれる。
「よぎセンと一緒にプールを掃除した時から、変な咳が出てましたから」
僕は二の句を継げないでいた。
つまり氷雨は、僕が思うよりずっと前から、僕に応えていたのだ。
それでも僕のそばにい続けたのだ。
心臓よりも深い、体のどこかもわからないようなところで、彼女に対する感情が静かに沸騰していく。
氷雨は最後まで説明すると、肺に残った空気を抜き去るように短く笑った。
「いいっスよ。紛いなりにもよぎセンのことを騙して、傷付けたわけですし」
「やってください」と氷雨がベンチを立つ。
両腕を広げて、寂しげに微笑む。
僕は立ち上がって、何かを勘違いしているらしい彼女を、力いっぱい抱きしめた。
「……なるほど、こういう復讐っスか」
籠もった声で言いながら、僕の胸に頬ずりをしてくる。
「すっかりメロメロじゃないスか。ねぇ、晴冴くん?」
「ああ、メロメロだ」
「嘘つけっス、死ななかった癖に」
「嬉しかった癖に」
くだらないことを言いながら笑い合う。
それから誰にも見つからないような声で内緒話をするみたいに、こっそりと話をした。
氷雨が県外に潜伏していたこと。交番の窓が割られた日に消えた僕を、同級生が噂していたこと。氷雨はその噂を聞いて戻ってきたらしい。
「なんだ。結局君も、僕を殺す気なんてなかったんじゃないか」
「いやしくじったっスわー。もうちょい舌入れてたら殺せたんスかね~」
冗談を交えながら、僕らはぴっとりと肩を寄せ合う。
朝が昇っても、セミが鳴き始めてもずっとそうしていた。
やがて話す話題がなくなったのか、少しずつ会話が息を引き取っていく。
そして完全に意識が途絶えた瞬間、帰ってきた体の気だるさに、僕はゆっくりとまぶたを持ち上げる。
その時──朝焼けの中から声がした。
「よぎセン?」
僕はその声を知っている。
ずっと探していた。
ずっと殺そうとしていた。
殺意に結びついたこの感情は、僕の中に一生消えない結晶として残っている。
だから、間違えることは出来なかった。
僕は目を見開く。
彼女は柔らかな微笑みを向けていた。
「やっと起きたっスか」
朝日よりも綺麗な顔で笑うと、彼女はゆっくりと僕の頭を撫でる。
「こんなところで寝たら、風邪引いちゃいますよー」
呆れた声で氷雨が笑う。
僕は衝動的になっていた。
胸ぐらを掴んで彼女を引き寄せる。
そして、キスをした。
記憶に刻んだ氷雨茉宵のすべてを思い出すような、長いキスだった。
恐る恐る唇を離した氷雨は、僕を見て頬を膨らませる。
「全部、想定通りって顔っスか?」
「さあ、何の話だ?」
「よぎセンが警棒盗んで逃げてるってこと、アタシ知ってますよ。わざわざこんな時に目立つなんて、アタシに見つけてもらおうとしてたんでしょ?」
「ああ、確かに」
「君なら放っておけないだろ?」と言おうとした唇を、氷雨の指が優しく押さえる。
「ダメじゃないスか。アタシなんかと会うために、アタシと同類になっちゃ」
僕も上手く笑えてはいなかったのだろう。
だから、氷雨の微笑みに迷い込んだ震えを、僕は見逃さなかった。
彼女の中から、悲しみは消えていない。それでも僕は、一人取り遺される苦痛を、もう一度氷雨に味わわせようとしている。
夢の終わりで死んだ彼の願いに、僕はどう向き合えばいいのかわからなかった。
「まさか、『君より強く警察にマークされれば、僕の噂が君の耳に入る』なんて考えちゃいなかったさ。僕はただ復讐がしたかっただけだよ」
「ほほー。出会って早々にアタシを殺そうとしてたくせに、復讐ときましたか」
それも知っていたのか、と驚く僕に氷雨が説明してくれる。
「よぎセンと一緒にプールを掃除した時から、変な咳が出てましたから」
僕は二の句を継げないでいた。
つまり氷雨は、僕が思うよりずっと前から、僕に応えていたのだ。
それでも僕のそばにい続けたのだ。
心臓よりも深い、体のどこかもわからないようなところで、彼女に対する感情が静かに沸騰していく。
氷雨は最後まで説明すると、肺に残った空気を抜き去るように短く笑った。
「いいっスよ。紛いなりにもよぎセンのことを騙して、傷付けたわけですし」
「やってください」と氷雨がベンチを立つ。
両腕を広げて、寂しげに微笑む。
僕は立ち上がって、何かを勘違いしているらしい彼女を、力いっぱい抱きしめた。
「……なるほど、こういう復讐っスか」
籠もった声で言いながら、僕の胸に頬ずりをしてくる。
「すっかりメロメロじゃないスか。ねぇ、晴冴くん?」
「ああ、メロメロだ」
「嘘つけっス、死ななかった癖に」
「嬉しかった癖に」
くだらないことを言いながら笑い合う。
それから誰にも見つからないような声で内緒話をするみたいに、こっそりと話をした。
氷雨が県外に潜伏していたこと。交番の窓が割られた日に消えた僕を、同級生が噂していたこと。氷雨はその噂を聞いて戻ってきたらしい。
「なんだ。結局君も、僕を殺す気なんてなかったんじゃないか」
「いやしくじったっスわー。もうちょい舌入れてたら殺せたんスかね~」
冗談を交えながら、僕らはぴっとりと肩を寄せ合う。
朝が昇っても、セミが鳴き始めてもずっとそうしていた。
やがて話す話題がなくなったのか、少しずつ会話が息を引き取っていく。
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