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死が陰るほどの幸福なら

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 まるで人も命も何もかもが滅び去った後の世界に、僕たちだけが取り残されたような気分だった。

「確認させてください、晴冴くん。それが済めば、後はもう面倒はありませんから」

 茉宵の顔は影になっていて、その中に綺麗なヘーゼルの瞳が浮かんでいる。
 いつも人の悪いところばかり見通す目は、今日に限って一人の女の子すら捉えられないでいた。
 茉宵の形をした影は続ける。

「アタシはちゃんと生きるためにここにいます。晴冴くんにつもりはありません」
「……何か大げさな話をしてるんだろうけど、僕だって自分のために逃げてるんだよ」
「じゃあ、その懐の警棒はいつまで持ってるつもりですか?」

 無意識に懐を探っていた手が、硬いものに触れる。そうして初めて、僕は話の意図を理解した。

「こいつが必要になる時までかな」
「それは、いつっスか?」
「今週中だろうね。あくまで交渉のために使うんだ」

 なんとなく、僕が言っても信じることは難しいのだろう。
 懐に落とした視線を戻すと、茉宵の顔に陽射しがもどっていた。

「確認は、それで終わりか?」

 訊ねると、嫋やかな指先が僕の手を取った。
 その顔は怒っているようでも、何かを企む子供のようでもある。
 答えを知る前に体が引っ張られて、そのまま抱きしめられた。
 どこか甘さを含んだ汗の香りと、柔らかい体の感触が思考を鈍らせる。耳元で小さな声が震えた。

「──まだっスよ」

 入道雲と、ワインレッドの髪の隙間から射した光に目がくらむ。
 そして、浮遊感があった。
 プールを終えた後の国語みたいに、僕は目を閉じる。
 右半身に一瞬だけ硬いものがぶつかって、その後冷たい水が全身を包みこむ。ゴポゴポと空を目指した気泡の音が耳にまとわつき、微かに開けた視界は空よりも深い青をしている。
 窒息感は遅れてやってきた。
 慌てて陽のある方へ体を起こすと、楽しげな笑い声が波間に響いた。

「これで終わりでーす!」

 海面を反射する夏の陽の中で、びしょ濡れの茉宵が笑っている。
 それはどんな絵画よりも儚く、綺麗で、強烈に僕の目を焼いた。

「心中でもするのかと思った」
「道連れコマンドのつもりでした。格ゲーの」
「どっちでもいい。君の気が済んだのなら何よりだ」 

 水を含んで重くなった服を引きずって階段を上がり、堤防の上に並んで座る。
 それから濡れた体を乾かす傍ら、僕らは取止めのない話をした。
 今度は遊園地に行こうとか、じゃあ高所恐怖症を克服しましょうとかの、なんでもない日常の話だ。
 それを僕は、将来の夢を語る時のような気持ちで話していた。
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