牡丹への恋路

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⑪康寧

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 すやすやと安らかに寝付く横顔を覗く。

 濡れたまつ毛と未だに紅潮する頬を撫でる。

 冷たい指先に無意識に力が入ってさらさらと絹の糸のような黒髪が首筋を流れた。

 窓からは朝日が登り始め年甲斐もなく箍が外れたことを痛感する。

 少し怠い身体が昨夜の情事を夢ではなかったのだと感じ幸福感を与える。

 触れた指先に熱が伝わり身体を巡る。

 下腹部が勃ち上がるのを感じやれやれと頭を振った。



 純粋に慕う姿に焦がれない訳はなく求めていた日々を思い返す。

 求めてはいけないと思い、しかし願っていた欲が溢れるのを感じる。

 傷付けまいと触れることは無いと決意したあの事件から自分を律してきたのにこの体たらくだ。

 半端者の自分に嫌気がさしていたが何故か心は軽かった。

 人の気も知らずに安らかに眠る女を愛しく思う。

 昔も今も隣で眠る女だけが男に安らぎと温もりを与えてくれ、幸福とは何かと教えてくれる。

 起こさぬよう頬に優しくキスをし布団から出る。

 肌を撫でる冷たい空気に後ろ髪をひかれつつ部屋を後にした。





 目を覚ますと龍は隣にはいなく冷たくなったシーツだけがあった。

 シーツを摩りポスンと軽く叩く。



「……龍の馬鹿」



 恋人のような甘い事後を期待していたわけではないが、実際に隣にいないことにズキリと胸が痛んだ。

 それでも龍は宣言通り全てを忘れられる程に甘い一夜をくれた。

 味わったことのない快楽に溺れ縋りついた記憶を思い出す。



「あぁぁぁ」



 恥ずかしさを覚え布団の中で身悶えた。



「何騒いでんだ」



 予想外の返事にびくりと起き上がる。



「りゅっ!!龍!?」

「他に誰がいんだ?それより…体は大丈夫か?」

「だっ大丈夫」

「紀代さんが藍に会うのを今か今かと首を伸ばしながら待ってるぞ。平気なようなら下に降りて来い」

「わかった」



 昨夜の出来事がなかったような変わりない龍の姿に戸惑い返答する。

 背中を見送り自分の体の怠さに夢ではないのだと悟った。

 下階に降りるとすぐに紀代がかけてくる。

 母と幼馴染の紀代は母が亡くなってからしばらくして屋敷のお手伝いさんとして働き出した。

 元は堅気の人で母にも隔てなく付き合ってくれた数少ない人なのだと祖父に聞いたことがる。

 龍との二人暮らしをしていた家にも幾度も足を運び私を娘のように接してくれていた大好きな人だ。



「藍ちゃん!!」

「紀代さん!!」



 強く抱きしめられたと思うとすぐに頬を両手で挟まれ顔を覗かれる。



「もう!紀代は心配してました!!盆も暮も帰って来ないし誰も藍ちゃんの場所を教えてくれないし!新聞を見た時は目が飛び出ましたよ!!」

「紀代さん…」

「本当よかった…安心しました。あぁ、写真でも拝見しましたが一段と美しくなられましたね」



 言葉の端々に思い遣りを感じ涙腺が緩む。



「あらあら泣き虫なのは昔のままですかね?うふふ」



 歯に噛む笑顔が歳より若く見える。



「紀代さんが優しすぎるから涙腺がおかしくなったんだよぉ」

「厳しい人ならこの家にはたくさんいますからね!私がとことん藍ちゃんを甘やかさなくては!」

「ありがとう紀代さん。心配かけてごめんなさい」

「いいんですいいんです。紀代はそれぐらいしかできないんですから、もっと心配かけて下さいな」



 二人笑い合い席に促される。

 久しぶりに味わう紀代の手料理に心が温まった。

 またの来訪を告げた紀代を見送り家の中に静かさが戻る。

 ソファに寛ぐ龍が振り返る。



「必要なものがあるなら車出すぞ?どうする?」

「今日はやめとく」



 キッチンに周りお湯を沸かす。



「龍、コーヒー飲む?」

「あぁ」



 プシュプシュとお湯が沸く音を聞きながら支度を進める。

 龍が徐に立ち上がりこちらにやってきた。



「紀代さん変わらないだろ?」

「うん、全然変わってない。むしろ今の方が可愛い」

「本人が知ったら騒がしいから言うなよ」

「あはは何それ」



 カウンターに龍が座り向き合うかたちになる。

 コーヒーカップを置き二人の間に穏やかな空気が流れた。



「たまには顔見せてやれよ。お前の母親のつもりでいるんだから」

「うん、…そうだね。これからはちゃんと顔出すよ」



 祖父の組は穏やかな分類だ。

 それでもこの世界にいる以上、次の日も生きていられる保証はないのだろう。

 ならば日々後悔のないように生きたいと思う。

 会いたい人に会える素晴らしさを身重って知っているのは堅気の人より私たちなのかもしれない。



「寂しいか?紀代さんに住み込みを頼むか?」



 何かを感じたらしい龍が聞いてくる。

 心配してくれる龍が昔と何も変わっていないことに可笑しくなり微笑む。



「大丈夫だよ。それより龍はいいの?」



 龍の方へ回り込み膝を跨ぎ腰を落とす。



「こうゆうこと出来なくなるけど?」

「どこで覚えてきた?悪い子には世話係がお仕置きしなきゃな」

「きゃっ」



 腰を掴まれ抱っこの状態になる。

 急に不安定になった手足を逞しい鍛えられた身体に巻き付けた。

 顔を覗くと口の端を上げる龍がいた。

 私も楽しくなり二人とも声を出して笑い合う。

 抱えられながらソファに雪崩れ込み戯れ合いキスをする。



「確かに紀代さんがいたら出来ないな」



 口角を上げ話す龍に腕を回して笑う。



「でしょ?」

「昨夜の続きだバテるなよ」

「昨日あれだけしたくせに元気だね」

「あれで足りる訳ないだろう」



 まだ陽の光が差し込む中二人が溶け合っていく。

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