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第三十六話「ロシア軍人との交流について」

日露の交流

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 その頃、上官や整備班に多大な迷惑をかけているとは露知らず。先日にも乗った黒いライトバンに乗せられた比乃たちは、ささやかな談笑をしていた。

「いやぁ、それにしても運転手どもが快く車を貸してくれて助かった。少佐殿の口利き様々だな」

 運転席に収まっているカラシンがご機嫌で、車を大通り沿いに走らせている。その後ろ、二列目の後部座席に座っている比乃が、日本では見慣れない外の景色から視線を外し、ふと思い立ったことを運転手に尋ねる。

「もし借りられて無かったらどうするつもりだったんです?」

 そう、段取りが出来ているようで出来ていない彼に聞く。すると、カラシンは前を向いたまま「ああ、そりゃあ」となんでも無いように答える。

「タクシーに分乗だったな、日露混合になるようにくじ引きして。エリツィナとご一緒になったら罰ゲーム状態だったろうな」

「ああ、それは……」

 その通りかもしれない、と肯定するわけにも行かずに言い淀みながら、比乃はちらりと、自分の対角線上の席を見る。最後尾の奥に座って、相変わらずの無表情で窓の外を眺めているエリツィナは、話を聞いているのかいないのか、無関心な様子だった。

 心視の無愛想さを更に底上げしたらあんな感じかもしれない。そう思いながら、視線を前に戻す。そしてフォローのつもりも込めて「そんなことはないですよ」と返す。

「それはそれで、僕は構いませんでしたよ。エリツィナ中尉には、ナイフの扱いだとか近接格闘術について、色々お話しを伺いたいと思ってましたし」

 本当半分、お世辞半分くらいでそう告げると、カラシンはひゅーと口笛を吹いた。

「だってよエリツィナ、お前、随分この軍曹に懐かれたじゃねぇの、良かったなぁ」

 と言ってから、はははと笑い声をあげる。しかし、声を掛けられたエリツィナは外から視線を外さないまま、不愛想な声で、

「日本人に好かれた所で、私にとって何の利益にもならん」

 表情も変えずに絶対零度のような冷たさの言葉を放つ。比乃はその対応に何とも言えず、口を痙攣らせつつも愛想笑いを浮かべて見せる。反応に困ったら、とりあえず笑っておけというのは、部隊長の弁である。

「僕、エリツィナ中尉に何か失礼なことしちゃいましたかね」

「いやぁ、お前さんは何も悪くないから、エリツィナが勝手にかつ一方的に敵愾心抱いてるだけだ。それに、あれがあいつのデフォだから、気にすんなよ」

「はぁ……」

「それよりもだ。おいグレコフ、お前さん隣に憧れの日比野軍曹がいらっしゃるのに、さっきから何黙りこんでんだよ。軍曹のお相手しろよ」

「ちょ、ちょっとカラシン中尉……!」

 突然話題を振られた少尉が抗議するが、カラシンは無視する。

「聞いてくれよ軍曹、このグレコフはな。日本でお前さんに助けられてから、すっかり日本贔屓になっちまったんだぜ?  ちょろいよなぁ」

「中尉……!」

 話のネタにされているグレコフが思わず腰を浮かせる。上官であるカラシンは「悪い悪い、謝るから怒るなよ」と全く悪びれている様子も無さそうに謝罪の言葉を口にする。

「あんまり取り乱すと軍曹に呆れられるぞ?  なぁ日比野軍曹」

「あ、いえ、そういう事はないですが……お二人は随分仲が良いですね。組んでから長いんですか?」

 隣の弄られ体質の少尉が不憫に思えた比乃は、彼を助けるつもりで話題転換を図る。カラシンはそれに乗って、短く昔話を始めた。

「おう、俺とエリツィナが配属されてから、その後すぐに来たのがこいつでな。こう見えて引き抜かれ組なんだぜ。技能もそこそこ、頭もそこそこ、顔もそこそこなのにな。今回の模擬戦だって、こいつが自分から少佐殿に頼み込んで参加したんだ。熱心なことだよな」

 なお、ここで言う”そこそこ“とは、特殊部隊の隊員としてである。並大抵の兵に比べれば、ずっと高水準だ。グレコフ少尉の技量は並のパイロットとは比べ物にならない程高いし、頭も回る方である。顔も、目立ち難いという点で見れば高評価であるとも言える。

 比乃からすれば、彼も立派な精鋭部隊の一員である。それをおちょくるような事は、性格上できない。

「でも、引き抜かれてスペツナズ入りしたということは、それだけ光るものが少尉にあるということですよね。凄いですよ、それだけで尊敬できます。誇りにしても良いと思いますよ」

「煽て上手だなぁ軍曹は、グレコフ、良かったな」

 比乃にべた褒めされたグレコフはと言うと、頰を赤らめてモジモジしていた。小さい声で「あ、ありがとうございます」と言って、顔を隠すように俯く。その頰は緩んでいた。

「なーに大の男が気持ち悪い喜び方してんだよ。憧れの軍曹殿が引いてるぞ?」

 ミラー越しにその様子を見ていた運転手が呆れ顔で言うと、彼は「す、すいません」とカラシンと比乃のの方に軽く頭を下げて謝罪した。別に引いたりはしていなかった比乃だが、逆にここまで持ち上げられている自分が恥ずかしくなって、頰をかく。

「いえ、それに自分はそんなに尊敬とかされるようなことしてないですよ。戦場で一時的にでも味方になった相手を助けた。当然のことです。それにグレコフ少尉の方が階級も上なんですから、そんなに畏まらないでくださいよ」

「い、いえ、自分は一度受けた恩は忘れられません。あの時、目の前に軍曹の機体が降りて来てくれなかっら、自分は今頃ここにはいなかったでしょうから……」

 そう言われて、比乃は数ヶ月前、伏木港での戦闘内容を思い出して「あっ」と漏らした。

「もしかして、あの時、敵機にやられそうになってたペーチルって」

「お恥ずかしいことに、あれに搭乗していたのは自分です。間一髪で助けて頂いて、本当に感謝しています」

 伏木港で撃破される寸前のペーチルを助けたが、それに乗っていたのが彼だったらしい。比乃は、この少尉の態度に、ようやく合点がいった。
 
「いえいえ、先程も言いましたが、当然のことをしたまでですから」

「いやいや、その当然のことが出来るということが、凄いことだと言いますか」

 そこからお互いに「いやいや」「いえいえ」と謙遜し合いを始めた二人をミラー越しに見たカラシンがふっと笑いを零すように息を吐いた。

「似た者同士かよお前ら、グレコフ、お前こっちよりも自衛隊の方が相性いいんじゃねぇの?」

 と、運転中の暇潰しとして、部下弄りを再開したのだった。

 その会話を後ろで聞いていたエリツィナが、ぼそりと「馴れ合いが過ぎる」と呟いた。だが、前席で談笑している三人にも、隣でパンフレットと外を交互に見てわいわい騒いでいる心視と志度にも、その呟きは聞こえなかった。
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