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第四十三話「迫る終末について」

友人たちとの約束

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「ひびのん! いや、日比野 比乃ぉ!!」

 まず飛び込んできたのは、クラスメイトにして護衛対象の森羅 紫蘭だった。彼女は自分に反応して包丁を置いた比乃を確認すると、一直線にリビングを駆け抜ける。そして

「ふんっ!!」

 その腹部、俗に言う鳩尾目掛けて、鋭いボディブローを放った。その威力たるや、訓練しているはずの比乃が「ぐほぉっ」と声を漏らす程だった。それでも、よろけるだけで倒れたり蹲ったりしないのは、流石自衛官と言ったところだろう。

「……ぬぉぉ、ひびのんの腹筋、見た目よりずっと堅いぞ……!」

「そりゃあシックスパックだしな、比乃の腹」

 志度の補足に「詐欺だ!」とのたまう紫蘭。衝撃に思わず後退った比乃が、彼女の突然の登場と暴力に目を白黒させていると、玄関から、更に二人の男女が入ってきた。

「駄目ですよ紫蘭さん。貴方の憤りは私もよくわかりますが、だからといって、いきなり暴力を振るってはいけません」

 いつもの微笑を称えてそう言ったのは、同じく護衛対象にして英国の王女である、メアリー三世だった。その後ろには、クラスメイトの有明 晃もいる。何の前触れもなく現れた三人に、理解が追いつかない比乃だった。

「えっと、どうしたのみんな。何か用事? 僕たちこれから夕飯なんだけど……」

 とりあえずそう言ったが、手を抑えて呻いていた紫蘭が、整った相貌を崩して、凄まじい形相で睨み付けてきた。

「聞いたぞひびのん! お前、今度の任務で死ぬ気らしいな?!」

「なっ……」

 なんでそれを、と言いたげな比乃に、メアリがさも当然という口振りで説明する。

「私たちの情報網を侮っていますね、日比野さん。二週間後でしたか、そこで行われる作戦には、英国だって関わっているのですよ?」

「それに、保護者ネットワークというのは強靱なのだぞ! 全て筒抜けお見通しだぁ!」

 どちらも一般人と呼ぶには特殊な背景を持つ少女二人。確かに、彼女らが家の力を振るえば、自分がどのような作戦に参加するかなど、簡単に把握できるだろう。しかし、自分が死ぬつもりだと言ってみせるとは……比乃はそれがおかしくて、思わず吹き出した。

「な、何を笑っているひびのん!」

「え、いや……紫蘭がさっき言ったことがね。ちょっと、ツボったんだ……だってさ」

 それから、比乃は微笑みながら、静かな口調で告げた。

「僕が考えてることが、よくわかってるじゃないか」

 その表情には一切、迷いや戸惑いがなかった。それが自分の最善だと確信しているような、真っ直ぐな目だった。だが、目元は一切、笑っていない。紫蘭は絶句し、メアリも笑みを消した。その顔は、比乃の過去を知る人間が見れば、初めて第三師団に連れてこられた時とまったく同じだと言うだろう。

「……さっきも言ったけど、僕らこれから夕飯なんだ。出て行ってくれるかな」

 その比乃の口調には、まったくと言っていいほど、感情が篭もっていなかった。全てを悟ったかのような、諦観めいたものが垣間見えている。そして、クラスメイト三人に対する、拒絶も感じられた。

 紫蘭が何か言う前に、その小さい身体を押して、玄関に向かわせようとする。彼女は「お、おい! 話はまだ終わってないぞ!」という抗議も無視し、比乃は笑顔を浮かべたまま、何も言わずにぐいぐいと押す。玄関に押し込んだところで、ようやく口を開いた。

「それじゃあみんな、さよなら」

 そこで扉を閉めようとした。一般人との関わりを絶つことを物理的に示すように、力が込められていた。

 しかし、扉は閉まらなかった。

 それまで黙っていた一般人の少年。晃が、満身の力で扉を抑えていたのだ。それに気付いた比乃は、きょとんとした顔をする。

「どうしたの晃、僕から話すことは何もないよ。機密事項に触れるかもしれないからね」

「そんなこと……知るかよ!」

 そう宣言して、晃は扉を強引に蹴り開けた。その剣幕に思わず下がる比乃に詰め寄り、壁際に追い込んで、壁に片手を着いた。そして、十五センチほど下の顔を見下ろす。
 比乃から見えたその顔は、憤怒と悲しみを表すような、複雑な表情をしていた。目尻には涙すら浮かんでいる。

 今度は比乃が硬直する番だった。動けなくなった友人に、晃は思いの丈をぶつける。

「俺との約束、もう忘れたのかよ。いきなり居なくなるのはやめろって、言っただろ……そうなったら、凄く悲しいって、言っただろうがよ……!」

 泣きそうになりながらも、こちらの目を真っ直ぐ見る晃から逃げるように、比乃は俯いた。
 忘れてはいない、自分が嘘をついてでもした約束。学友に、こんな表情をさせたくなくてした約束。忘れているものかと、比乃は歯を食いしばった。それでも、

「優しい嘘をつく余裕は、もうなくなっちゃったんだよ、晃。確実に守れない約束をしたことは謝る、ごめん。それでも、僕は自分の願いを叶えたくなったんだ」

「なんだよその願いって、自分が死ぬようなことでも叶えたいっていうのかよ」

「勿論だよ。だってそれは、僕にとって大切な人たち、晃やクラスのみんな、心視と志度に、平和な、安心して暮らせる世界をあげることなんだから。僕は、そのためには必要ないんだよ」

 初めて聞いた、友人の願いを聞いて、晃は一瞬、それと比乃が死ぬことが結びつかなかった。それは、後ろにいた紫蘭とメアリ、心視と志度も同じだった。何故、と問いたげな晃に、比乃は説明し始めた。

「僕に、自分の命を守りながら、みんなの平和を守るなんて、そんな大変なことができる力はないんだ。捨て身になるくらい本気になってようやく、片方を守れるくらいの力しかない。弱っちい自衛官なんだ」

「お前が弱いだなんて、そんなこと……」

「あるよ。一年前の沖縄、アメリカ、イギリス、ロシア、沢山の強敵と戦ってきた。だけどね、晃。僕はそのほとんどで、負けている。あるいは引き分けだね。勝ったとみんなが言うときだって、僕より強い仲間が居なかったら、負けてた」

 言いながら、比乃は思い返す。自分のこれまでの戦いを、自分自身の力で勝利したことなど、ほとんど無いのだ。運、機体性能、仲間。それらがなければ、自分はとうの昔に死んでいる。その裏付けから、確信していた。日比野 比乃に、自ら道を切り開く能力など無いことを。

「それに、僕自身が敵に狙われているんだ。晃たちも知ってることだと思うけどね。僕が学校に居続けたら、今度こそ、犠牲者が出る。それなら、僕はいない方が都合がいいでしょ」

「で、でもその親玉をやっつけに行くんだろ?  それさえ何とかすれば、お前が狙われる理由なんて」

「あの組織が狙った人間って、拍がついた時点で手遅れなんだよ。他の潜在的な犯罪組織や、もしかしたら他国が狙ってくるかもしれない。自意識過剰かもしれないけどね」

「だからって、お前が死んでいいことなんてあるかよ! お前が死んで得た平和なんて、なんの価値があるんだよ! 頼むよ……死ぬなんて簡単に言わないでくれよ……友達が犠牲になるなんて、俺、嫌だよ……」

 晃が叫び、その声が嗚咽でか細くなっていく。それでも、比乃の心を動かすに至らない。いや、少しはぐらついている心を、小さい自衛官は使命、義務、役目という言葉で、無理やり心を補強している。強がってる。

「……僕は自分の願いを叶えるよ。みんなに平和に生きていてほしいから、だから――」

 その続きを言おうとした比乃の顔に、衝撃が走った。数瞬して、頬を張られたのだと理解したとき、視界に写ったのは、晃を押し退けて正面に来た心視だった。普段見せないような、今にも泣きそうな顔をしている彼女は、声を荒げて主張する。

「ふざけないで……私は、比乃に守られるだけの弱っちい存在じゃない……一緒に戦う自衛官……パートナーを捨てて生き延びた末にもらった世界なんか、何の価値もない……そんなもの、いらない……! だから、一緒に帰ろう……ここに、この日常に……みんながいる場所に……!」

 幼馴染みが感情を露わにしたところを、初めてみた比乃が口籠もった。その一連を横で見ていた、心視と同じく比乃に殴りかかろうとしていた志度を、なんとか羽交い締めにしていた紫蘭とメアリが、優しい口調で、頑固な少年を諭すように言う。

「日比野さん、貴方、これだけみんなに大切に思われているのに、それでも死のうなんて思ってるんですか? しかも、私や晃さんとの約束を破ってまで。それはちょっと、人としてどうかと思います。アイヴィーがいたら、半殺しにされかねないことを言ってるって、自覚ありますか?  私の親友を悲しませるのは、やめてくださいね」

「メアリの言うとおりだ。それでも約束が足りないなら、私ともしろ。絶対に生きて帰ってくるってな。それに、黒幕を倒しても狙われるというなら、私を頼れ。我が家の力を使えば、お前一人を守るくらい、なんとでもなる」

 ようやく落ち着いた志度を放した二人に、比乃の瞳が揺れる。更に晃が顔をくしゃくしゃにして、懇願する。

「比乃……頼むよ、さよならじゃなくて、またなって、そういう別れにしてくれよ……」

 自分にとって、命を捨てでも守りたいと思っていた、大切な学友の三人の願いを受けて、比乃は思わず、幼馴染である志度と心視を見た。片方は堪えきれずに涙を流して、もう片方は少し怒っているという表情で、強く頷いていた。

 それでようやく、比乃は、自分のしようとしていたことが、どういうことだったのかを理解することができた。もう少しで、自分は取り返しのつかない過ちを犯すところだったと、気付くことができたのだ。

「わかった。約束する。僕も、生きて帰ってくるよ。今度こそ、敵に打ち勝ってみせる」

 一人の少年が、強欲な願いを抱いた。その結果が、彼にどのような結末を迎えさせるのか……二週間後、決戦の地に至るまで、それは誰にもわからない。
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