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第1話
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「好きです。付き合ってもらえませんか?」
まさに昼休みが終わろうという時間だった。お弁当を食べ終えてオフィスに戻るため、階段に足をかけたときに声をかけられた。
デスクワークの続く毎日。少しでも身体を動かそうと、私はいつも移動に階段を使うことにしていた。
社員数に応じたそこそこ大きなエレベーターが複数代設置されているので、わざわざ廊下の隅にある階段を使用する人間は、多くない。
だから、ここれ呼び止められたのは、少しだけ予想外だった。
目の前に佇む男性社員が首から下げた社員証を確認すると、総務部と書かれていた。じっと顔を見つめてみたけれど、一緒に仕事をした覚えも、会話を交わした記憶もなかった。
「……ごめんなさい」
ひと言告げて、頭を下げる。
いや、こちらこそごめん。いきなりだったよね。でも俺、前からずっと――」
「すみません」
もう一度、深く頭を下げた。すると総務部の男性は小さく息を吐き、
「相川さん、やっぱり彼氏がいるの?」
――はい?
頭を下げたまま、首を傾げそうになった。
彼氏なんて、今までの人生でいたことがない。ただの一度も。なのになぜ「やっぱり」なのだろう。
お断りした相手に聞くことではないかもしれない。それでも思わず顔を上げた瞬間、「ごめん、じゃあ……」と総務の彼は踵を返し、廊下へと戻ってしまった。薄暗い階段にひとり、取り残される。
社会人になってから、有難いことに告白されることが増えた。
大学までの私は、できるだけ人目につかないように生きてきたから、少しは人並みになれたのだろうか、と安心する。でもその反面、中身は成長しないまま――いや、人付き合いを避けたい、という願望そのままに生きている。
こんな私にいったいどうしたら彼氏ができるというのか。未だにまったくわからなかった。
数少ない学生時代からの友人に相談すれば、「告白してくれた人と思い切って付き合ってみれば?」と言われたけれど、もうすぐ三十になるというのに、これまで誰とも付き合ったことがない、なんてとても男性には打ち明けられず、結局踏ん切りがつかないままここまで来てしまったのだった。
もしかしたらこのまま一生誰とも付き合うことなく、一人で生きていくのかも――。そう考えると胸の内に黒い影が兆すものの、その不安を何とかやり過ごしながら生活を続けられてしまうだけ、精神的にも物理的にも逞しくなっているのだった。
「あれ? もしかして、また告白された?」
そう言って声をかけてきたのは、営業部のエースで同期の糸川だった。
気配もなく近寄ってくるのはやめてもらいたい。
糸川だと気づいた瞬間、私の全身は毛を逆立てた猫のように強張ってしまう。
隠すこともなく眉を顰めたけれど、糸川は気にする様子もなくこちらに向かってくる。
「総務部の……何さんだっけ? 通り過ぎたからさ」
こちらがどれだけ冷えた目線を向けても、糸川は構わず話かけてきた。
会話をする気にはならず、私は無視して階段を登り始めた。
「また断ったの? 相変わらず鉄壁だなあ」
答えたら負けだ。あっという間に糸川のペースに引き摺り込まれることはわかっている。ぎゅっと唇を噛み締めると、不意に隣の段に糸川が並んだ。
どうやらその長い足で、一段飛ばしに階段を登ってきたらしい。それなのに呼吸は全く乱れていない。細身だけど、スーツ越しにも鍛えられていることがわかる体型が疎ましい。
真横から顔を覗き込まれる。切長の瞳に整った鼻筋。これで中身が糸川じゃなければ、文句なしの美男子なのに。
「糸川に答える必要ないでしょ」
「えー。同期で同じ営業部のよしみじゃん」
「別に一緒に業務を行ってるわけでもないし」
「そうだけどさ。でも俺、相川にアシスタント頼みたいんだよね。ていうか先輩たちばっかり相川を独占してずるくない? この前だって先輩が上手くいった商談で褒められてた資料、作ったのお前だろ?」
「……さあ」
上手くいった、と聞いていくつか案件を思い浮かべる。と言っても資料が褒められた、という話は聞き覚えがなかった。アシスタントの手柄は担当営業のもの。よくあることだ。
「俺、一社新規開拓で狙ってるところがあってさ……。それで、」
「知らない。私には決められないから。チーフに言って」
仕事の話だからといって、糸川の会話のペースに巻き込まれたくない。もう二度と追いつかれまいと必死に階段を駆け上がった。
まさに昼休みが終わろうという時間だった。お弁当を食べ終えてオフィスに戻るため、階段に足をかけたときに声をかけられた。
デスクワークの続く毎日。少しでも身体を動かそうと、私はいつも移動に階段を使うことにしていた。
社員数に応じたそこそこ大きなエレベーターが複数代設置されているので、わざわざ廊下の隅にある階段を使用する人間は、多くない。
だから、ここれ呼び止められたのは、少しだけ予想外だった。
目の前に佇む男性社員が首から下げた社員証を確認すると、総務部と書かれていた。じっと顔を見つめてみたけれど、一緒に仕事をした覚えも、会話を交わした記憶もなかった。
「……ごめんなさい」
ひと言告げて、頭を下げる。
いや、こちらこそごめん。いきなりだったよね。でも俺、前からずっと――」
「すみません」
もう一度、深く頭を下げた。すると総務部の男性は小さく息を吐き、
「相川さん、やっぱり彼氏がいるの?」
――はい?
頭を下げたまま、首を傾げそうになった。
彼氏なんて、今までの人生でいたことがない。ただの一度も。なのになぜ「やっぱり」なのだろう。
お断りした相手に聞くことではないかもしれない。それでも思わず顔を上げた瞬間、「ごめん、じゃあ……」と総務の彼は踵を返し、廊下へと戻ってしまった。薄暗い階段にひとり、取り残される。
社会人になってから、有難いことに告白されることが増えた。
大学までの私は、できるだけ人目につかないように生きてきたから、少しは人並みになれたのだろうか、と安心する。でもその反面、中身は成長しないまま――いや、人付き合いを避けたい、という願望そのままに生きている。
こんな私にいったいどうしたら彼氏ができるというのか。未だにまったくわからなかった。
数少ない学生時代からの友人に相談すれば、「告白してくれた人と思い切って付き合ってみれば?」と言われたけれど、もうすぐ三十になるというのに、これまで誰とも付き合ったことがない、なんてとても男性には打ち明けられず、結局踏ん切りがつかないままここまで来てしまったのだった。
もしかしたらこのまま一生誰とも付き合うことなく、一人で生きていくのかも――。そう考えると胸の内に黒い影が兆すものの、その不安を何とかやり過ごしながら生活を続けられてしまうだけ、精神的にも物理的にも逞しくなっているのだった。
「あれ? もしかして、また告白された?」
そう言って声をかけてきたのは、営業部のエースで同期の糸川だった。
気配もなく近寄ってくるのはやめてもらいたい。
糸川だと気づいた瞬間、私の全身は毛を逆立てた猫のように強張ってしまう。
隠すこともなく眉を顰めたけれど、糸川は気にする様子もなくこちらに向かってくる。
「総務部の……何さんだっけ? 通り過ぎたからさ」
こちらがどれだけ冷えた目線を向けても、糸川は構わず話かけてきた。
会話をする気にはならず、私は無視して階段を登り始めた。
「また断ったの? 相変わらず鉄壁だなあ」
答えたら負けだ。あっという間に糸川のペースに引き摺り込まれることはわかっている。ぎゅっと唇を噛み締めると、不意に隣の段に糸川が並んだ。
どうやらその長い足で、一段飛ばしに階段を登ってきたらしい。それなのに呼吸は全く乱れていない。細身だけど、スーツ越しにも鍛えられていることがわかる体型が疎ましい。
真横から顔を覗き込まれる。切長の瞳に整った鼻筋。これで中身が糸川じゃなければ、文句なしの美男子なのに。
「糸川に答える必要ないでしょ」
「えー。同期で同じ営業部のよしみじゃん」
「別に一緒に業務を行ってるわけでもないし」
「そうだけどさ。でも俺、相川にアシスタント頼みたいんだよね。ていうか先輩たちばっかり相川を独占してずるくない? この前だって先輩が上手くいった商談で褒められてた資料、作ったのお前だろ?」
「……さあ」
上手くいった、と聞いていくつか案件を思い浮かべる。と言っても資料が褒められた、という話は聞き覚えがなかった。アシスタントの手柄は担当営業のもの。よくあることだ。
「俺、一社新規開拓で狙ってるところがあってさ……。それで、」
「知らない。私には決められないから。チーフに言って」
仕事の話だからといって、糸川の会話のペースに巻き込まれたくない。もう二度と追いつかれまいと必死に階段を駆け上がった。
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