28 / 55
再会編
9
しおりを挟む
大輔と同じ二年生である二階冴子さんは、現在サークルに入って半年。野球ゲームで大分ルールを学んだので、今日から実践に移るつもりで、とりあえずお兄さんに借りたボールとグローブを手に、グラウンドに足を運んだのだという。
「一人でですか?」
驚いて私が問うと、二階さんはにっこりと微笑んだ。肩を過ぎた辺りのさらさらのストレートが、風に吹かれて流れている。
「もちろん」
話にならんと唸る水野さんの足を踏みつけ、私は自分よりも小柄で幼い感じの二階さんに訊ねた。
「教えてくれる人はいないんですか?」
「経験者は誰もいないんです。二年前に皆さん卒業したそうで」
二階さんの話によると、サークルが作られた時期までは知らないが、二年前までは公認を受けて、月に一度は練習を行っていたのだという。ところが主導していた学生が抜けると、野球の知識を持つ者は皆無になり、グラウンドに出ることはなくなったらしい。
会員は二階さんを含めて五名で、他は全員三年生。しかも目立った活動をしていないので公認は取り消され、本来ならグラウンドの使用は認められない。
「分かっていながら、堂々とここに来るとは」
もう痛い思いはしたくないのか、軟式野球部主将は私の耳元で囁く。
「でも野球をやりたいんですよね?」
「ちょっと違うんです」
二階さんは恥ずかしそうに俯く。
「板倉くんは野球の話しかしないから、何を言われているのか全然分からなくて。だからやってみようかな、と」
大輔に近づきたくて、彼が好きなものを自分も好きになりたかった。そう言ってはにかむ二階さんはとても可愛らしく見えた。
「不純な動機でごめんなさい。桂さんは野球できるんですよね?」
「私は少し齧ってますが、明確な動機なんてないですよ。子供の頃からやっていて、そのまま来た感じです」
ぽりぽりと頬をかいてから、私は理解不能といった表情の水野さんを一瞥した。彼は仕方なく私の後を繋ぐ。
「他のメンバーも同様か?」
「動機はそれぞれです。でもみんな最初は本当に野球を覚えたくて入ったんです」
泣きそうな顔で二階さんが唇を噛む。
野球中継を観て憧れた者、生の試合に感激した者、漫画や小説に影響を受けた者と、きっかけは一人一人違うが、野球に関わろうと思った気持ちは同じ。
けれど指導者がいない状態でグラウンドに出ても、何から手をつければよいのか見当もつかなかった。女子軟式野球部の面々は、本格的な練習を行っていて、とても初心者の集団が教えを請えるレベルではない。
しかも困って身動きが取れずにいるうちに、非公認扱いのサークルとされ、練習をする場所も失ってしまった。
「なるほど。それでゲームか。悪循環だな」
性格上これ以上の意見は出ないのだろう。水野さんに代われと目で訴えられ、私は再び二階さんに向き直った。
「差し出がましいかもしれませんが」
年下なのにすみませんと謝ってから続ける。
「思いつく対策は三つでしょうか」
「三つというと?」
素直な人なのだろう。不快さを顕にしないで、ちゃんと耳を傾けてくれる。
「軟式野球部に入部する…廃部になった女子部員さんも合流しています。指導者を見つけて活動を再開させる。それから選手にこだわらないなら、軟式野球部でマネージャーをする、という道もあるんじゃないでしょうか」
「おい、桂。勝手に」
水野さんがしたり顔で止めに入ったけれど、少なくとも実地で正しいルールを学べるのではとつけ加えると、二階さんは何事か考え込み始めた。
「桂さんはそれで構わないの?」
やがて確かめるように私を窺った。
「私は別に。ちなみにこちらの方は、軟式野球部の水野主将です」
「こらボンクラ」
うんざりしている水野さんを、二階さんは縋るようにみつめている。
「明日練習があるから、興味があるなら来るといい」
折れた水野さんが面倒臭そうに伝えた。来なくてもいいという本音が、思いっきり見え隠れしている。それに気づいたかどうか定かでないが、二階さんは改まってお辞儀をした。
「お邪魔でなければ、見学させて頂きます。よろしくお願いします」
ボールとグローブを抱えたまま、今日のところはグラウンドを去ってゆく。使用許可が下りていないこともあり、こちらも引き止めたりせずに、守ってあげたくなるようなか細い背中を見送った。
「厄介ごとを自ら背負い込むな、たわけ」
二階さんの姿が完全に消えてから、水野さんは私の首根っこを掴んだ。
「女子部員が増えたんですから、体調面を考慮しても、女子マネージャーがいてくれると助かりませんか?」
「一理あるが、問題はそこではない」
揉め事に発展しそうな予感がすると、軽く睨みながら手を離す。
「水野さん、女の子には素っ気ないですよね」
「女子部員のように目的が明確な者は別だが、他はあれこれ補足が必要で面倒だろう」
うわあと眉根を寄せたら、女がみんな桂だと楽なんだがなとぼやく。どういう意味だ。
「一人でですか?」
驚いて私が問うと、二階さんはにっこりと微笑んだ。肩を過ぎた辺りのさらさらのストレートが、風に吹かれて流れている。
「もちろん」
話にならんと唸る水野さんの足を踏みつけ、私は自分よりも小柄で幼い感じの二階さんに訊ねた。
「教えてくれる人はいないんですか?」
「経験者は誰もいないんです。二年前に皆さん卒業したそうで」
二階さんの話によると、サークルが作られた時期までは知らないが、二年前までは公認を受けて、月に一度は練習を行っていたのだという。ところが主導していた学生が抜けると、野球の知識を持つ者は皆無になり、グラウンドに出ることはなくなったらしい。
会員は二階さんを含めて五名で、他は全員三年生。しかも目立った活動をしていないので公認は取り消され、本来ならグラウンドの使用は認められない。
「分かっていながら、堂々とここに来るとは」
もう痛い思いはしたくないのか、軟式野球部主将は私の耳元で囁く。
「でも野球をやりたいんですよね?」
「ちょっと違うんです」
二階さんは恥ずかしそうに俯く。
「板倉くんは野球の話しかしないから、何を言われているのか全然分からなくて。だからやってみようかな、と」
大輔に近づきたくて、彼が好きなものを自分も好きになりたかった。そう言ってはにかむ二階さんはとても可愛らしく見えた。
「不純な動機でごめんなさい。桂さんは野球できるんですよね?」
「私は少し齧ってますが、明確な動機なんてないですよ。子供の頃からやっていて、そのまま来た感じです」
ぽりぽりと頬をかいてから、私は理解不能といった表情の水野さんを一瞥した。彼は仕方なく私の後を繋ぐ。
「他のメンバーも同様か?」
「動機はそれぞれです。でもみんな最初は本当に野球を覚えたくて入ったんです」
泣きそうな顔で二階さんが唇を噛む。
野球中継を観て憧れた者、生の試合に感激した者、漫画や小説に影響を受けた者と、きっかけは一人一人違うが、野球に関わろうと思った気持ちは同じ。
けれど指導者がいない状態でグラウンドに出ても、何から手をつければよいのか見当もつかなかった。女子軟式野球部の面々は、本格的な練習を行っていて、とても初心者の集団が教えを請えるレベルではない。
しかも困って身動きが取れずにいるうちに、非公認扱いのサークルとされ、練習をする場所も失ってしまった。
「なるほど。それでゲームか。悪循環だな」
性格上これ以上の意見は出ないのだろう。水野さんに代われと目で訴えられ、私は再び二階さんに向き直った。
「差し出がましいかもしれませんが」
年下なのにすみませんと謝ってから続ける。
「思いつく対策は三つでしょうか」
「三つというと?」
素直な人なのだろう。不快さを顕にしないで、ちゃんと耳を傾けてくれる。
「軟式野球部に入部する…廃部になった女子部員さんも合流しています。指導者を見つけて活動を再開させる。それから選手にこだわらないなら、軟式野球部でマネージャーをする、という道もあるんじゃないでしょうか」
「おい、桂。勝手に」
水野さんがしたり顔で止めに入ったけれど、少なくとも実地で正しいルールを学べるのではとつけ加えると、二階さんは何事か考え込み始めた。
「桂さんはそれで構わないの?」
やがて確かめるように私を窺った。
「私は別に。ちなみにこちらの方は、軟式野球部の水野主将です」
「こらボンクラ」
うんざりしている水野さんを、二階さんは縋るようにみつめている。
「明日練習があるから、興味があるなら来るといい」
折れた水野さんが面倒臭そうに伝えた。来なくてもいいという本音が、思いっきり見え隠れしている。それに気づいたかどうか定かでないが、二階さんは改まってお辞儀をした。
「お邪魔でなければ、見学させて頂きます。よろしくお願いします」
ボールとグローブを抱えたまま、今日のところはグラウンドを去ってゆく。使用許可が下りていないこともあり、こちらも引き止めたりせずに、守ってあげたくなるようなか細い背中を見送った。
「厄介ごとを自ら背負い込むな、たわけ」
二階さんの姿が完全に消えてから、水野さんは私の首根っこを掴んだ。
「女子部員が増えたんですから、体調面を考慮しても、女子マネージャーがいてくれると助かりませんか?」
「一理あるが、問題はそこではない」
揉め事に発展しそうな予感がすると、軽く睨みながら手を離す。
「水野さん、女の子には素っ気ないですよね」
「女子部員のように目的が明確な者は別だが、他はあれこれ補足が必要で面倒だろう」
うわあと眉根を寄せたら、女がみんな桂だと楽なんだがなとぼやく。どういう意味だ。
0
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる