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再会編
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夏休み前にとんでもないことが起こった。何と大輔が野球部に退部届を提出したというのである。寝耳に水だった私と石井さんは揃って目を丸くしたけれど、水野さんは落ち着いたもので、いずれそうなると思っていたと顔色一つ変えない。
「退部届は俺が預かっている。もし板倉が後悔しているようなら、遠慮なく戻れと言ってやれ」
「どうして私が」
「どうせ桂絡みだろう。面倒で敵わん」
いつのまにやら石井さんも加わるようになった午後の中庭で、水野さんがベンチに横になっている。お言葉ですが私は何もしていません。そもそもこのところ大輔とはろくに喋ってもいません。
毎年のことながら、いい加減蝉も泣くのが嫌になるんじゃないかという程、一日一日暑さを増してゆく中、夏休みを利用して岸監督に会いにいこうか迷っていたら、
「野球部は週に三、四日練習があるんだ」
軟式野球部は既に練習試合を組んであり、夏休みも練習三昧になると大輔がぼやいていたので、あえてその話題は振らなかったのだ。
「暑いのに大変だね」
野球に集中している彼の邪魔はしたくなかったし、忠告を受けたサークル立ち上げのことを持ち出すのは、何となく憚られたせいもある。
「指導者もいないのに、お前一人でまとめていけるのか? 逆に集まったメンバーを、落胆させる結果を招くかもしれないんだぞ」
この意見に返した自分の気持ちに嘘はないけれど、どこか先走る焦りのようなものがあったのは事実だ。高校のときは運よく同好会が立ち上がったから、見通しが甘かったことは否めない。メンバーが揃っていない今だからこそ、反省も含めて修正できることはしておきたい。
「他の男の口からお前のことを知らされる、俺の気持ちも少し分かれ」
以前大輔が不愉快そうにしていたことを踏まえ、今回は水野さんにも話していない。もっとも大輔は忙しくて、私に構っている暇はなさそうだから、余計な気遣いだったかもしれない。
そんなことを考えていた矢先の退部劇。
「サークル立ち上げに協力したいんだろう、板倉は」
さすがにこの暑さでは昼寝はできないのか、体を起こして水野さんが嘆息すると、石井さんも納得したように頷いた。
「引き止めたいのは山々だけど、きっと無駄だろうし。少しは頼ってやりなよ」
「それおかしくないですか? 私にはやりたいことがあって、大輔にもやるべきことがあります。頼る頼らないの問題ではないですよ。第一二階さんはどうなるんですか。私が野球部を勧めたのに」
呆れて肩をすくめる私に、水野さんと石井さんはのんびりトークを繰り広げる。
「二階も一緒にそっちに貸し出すか。彼女は板倉がいればどこでも問題ないようだし」
「なるほど。レンタルですね。でも微妙に三角関係ですよ?」
「知るか。こっちで必要なときに板倉も桂も呼べれば一石二鳥だ。これで行くか」
もはや私を蚊帳の外に置いて勝手な計画を練っている。私はもう一度念を押すつもりで口を開いた。
「私は大輔を巻き込むつもりは」
「何でだよ」
ないと言い切る前に不躾な声が割って入った。振り返らなくてもそこにいるのが大輔だと分かった。おそらくその表情までもが機嫌の悪さを物語っているのだろう。
「俺達は退散する。後はちゃんと話し合え」
示し合わせたように水野さんと石井さんがこの場を去る。ただでさえ暑いのに余計な汗が流れてきた。
「ここ、いいか」
わざわざ許可を取ってから隣に腰を下ろした大輔に、声から連想させるような不機嫌さは全く無かった。むしろ打って変わって穏やかだ。
「文緒は中学の頃の俺の夢を憶えているか?」
「夢?」
唐突に持ち出された昔話に面食らう。確かあの頃は小沢のおっちゃんに下手くそ呼ばわりされて、上手くなってやると息巻いていたのではなかったか。
考え込んでいる私に苦笑して、大輔はゆっくり答えを紡いだ。
「いつかこの子とキャッチボールができるようになりたい」
そしてじっと私をみつめる。これは確か村での最後の夜、星明かりの下で大輔と二人キャッチボールをしたときのことだ。子供の頃お祖父ちゃんに野球を教わっている私を見て、こんなふうになりたいと意欲が芽生えたのだと。
「それならとっくに叶っているじゃない」
村での六日間、毎日お互いのボールを受けていた。当時一人で自分の置かれている状況に悩んでいた私は、二人だと楽しいと笑った大輔にどれだけ救われたことか。
「俺はこれからもずっと、二人でキャッチボールをしていたいんだよ。それこそじいさん達みたいに」
ぐっと強くなった視線に二の句が継げない。
「俺の原点はお前なんだ、文緒」
お前がいなければ意味がない。雑音が混じれば掻き消されるような小ささで呟く。
「中途半端な真似をしたら文緒は怒るだろ。それで退部届を出した。でも水野さんは休部扱いにしておくから、いつでも戻って来いと。その方が文緒も負担に感じないだろうから」
私は唇を噛んだ。
「そんな理由で野球を辞めるの? 見損なったよ大輔」
「辞めるんじゃない。しかも勝手に見損なうな。相談一つしてこねーで。どうせ司とあれこれ話してんだろ」
「悪い?」
「当たり前だ。どこまで俺を足蹴にする気だ」
周囲に人がいないことを幸い、久し振りに遠慮なくがなりあった後、大輔は口をへの字に曲げて私の両頬を引っ張った。
「一緒にとうもろこし畑を作ろうって言え、鈍感女」
「退部届は俺が預かっている。もし板倉が後悔しているようなら、遠慮なく戻れと言ってやれ」
「どうして私が」
「どうせ桂絡みだろう。面倒で敵わん」
いつのまにやら石井さんも加わるようになった午後の中庭で、水野さんがベンチに横になっている。お言葉ですが私は何もしていません。そもそもこのところ大輔とはろくに喋ってもいません。
毎年のことながら、いい加減蝉も泣くのが嫌になるんじゃないかという程、一日一日暑さを増してゆく中、夏休みを利用して岸監督に会いにいこうか迷っていたら、
「野球部は週に三、四日練習があるんだ」
軟式野球部は既に練習試合を組んであり、夏休みも練習三昧になると大輔がぼやいていたので、あえてその話題は振らなかったのだ。
「暑いのに大変だね」
野球に集中している彼の邪魔はしたくなかったし、忠告を受けたサークル立ち上げのことを持ち出すのは、何となく憚られたせいもある。
「指導者もいないのに、お前一人でまとめていけるのか? 逆に集まったメンバーを、落胆させる結果を招くかもしれないんだぞ」
この意見に返した自分の気持ちに嘘はないけれど、どこか先走る焦りのようなものがあったのは事実だ。高校のときは運よく同好会が立ち上がったから、見通しが甘かったことは否めない。メンバーが揃っていない今だからこそ、反省も含めて修正できることはしておきたい。
「他の男の口からお前のことを知らされる、俺の気持ちも少し分かれ」
以前大輔が不愉快そうにしていたことを踏まえ、今回は水野さんにも話していない。もっとも大輔は忙しくて、私に構っている暇はなさそうだから、余計な気遣いだったかもしれない。
そんなことを考えていた矢先の退部劇。
「サークル立ち上げに協力したいんだろう、板倉は」
さすがにこの暑さでは昼寝はできないのか、体を起こして水野さんが嘆息すると、石井さんも納得したように頷いた。
「引き止めたいのは山々だけど、きっと無駄だろうし。少しは頼ってやりなよ」
「それおかしくないですか? 私にはやりたいことがあって、大輔にもやるべきことがあります。頼る頼らないの問題ではないですよ。第一二階さんはどうなるんですか。私が野球部を勧めたのに」
呆れて肩をすくめる私に、水野さんと石井さんはのんびりトークを繰り広げる。
「二階も一緒にそっちに貸し出すか。彼女は板倉がいればどこでも問題ないようだし」
「なるほど。レンタルですね。でも微妙に三角関係ですよ?」
「知るか。こっちで必要なときに板倉も桂も呼べれば一石二鳥だ。これで行くか」
もはや私を蚊帳の外に置いて勝手な計画を練っている。私はもう一度念を押すつもりで口を開いた。
「私は大輔を巻き込むつもりは」
「何でだよ」
ないと言い切る前に不躾な声が割って入った。振り返らなくてもそこにいるのが大輔だと分かった。おそらくその表情までもが機嫌の悪さを物語っているのだろう。
「俺達は退散する。後はちゃんと話し合え」
示し合わせたように水野さんと石井さんがこの場を去る。ただでさえ暑いのに余計な汗が流れてきた。
「ここ、いいか」
わざわざ許可を取ってから隣に腰を下ろした大輔に、声から連想させるような不機嫌さは全く無かった。むしろ打って変わって穏やかだ。
「文緒は中学の頃の俺の夢を憶えているか?」
「夢?」
唐突に持ち出された昔話に面食らう。確かあの頃は小沢のおっちゃんに下手くそ呼ばわりされて、上手くなってやると息巻いていたのではなかったか。
考え込んでいる私に苦笑して、大輔はゆっくり答えを紡いだ。
「いつかこの子とキャッチボールができるようになりたい」
そしてじっと私をみつめる。これは確か村での最後の夜、星明かりの下で大輔と二人キャッチボールをしたときのことだ。子供の頃お祖父ちゃんに野球を教わっている私を見て、こんなふうになりたいと意欲が芽生えたのだと。
「それならとっくに叶っているじゃない」
村での六日間、毎日お互いのボールを受けていた。当時一人で自分の置かれている状況に悩んでいた私は、二人だと楽しいと笑った大輔にどれだけ救われたことか。
「俺はこれからもずっと、二人でキャッチボールをしていたいんだよ。それこそじいさん達みたいに」
ぐっと強くなった視線に二の句が継げない。
「俺の原点はお前なんだ、文緒」
お前がいなければ意味がない。雑音が混じれば掻き消されるような小ささで呟く。
「中途半端な真似をしたら文緒は怒るだろ。それで退部届を出した。でも水野さんは休部扱いにしておくから、いつでも戻って来いと。その方が文緒も負担に感じないだろうから」
私は唇を噛んだ。
「そんな理由で野球を辞めるの? 見損なったよ大輔」
「辞めるんじゃない。しかも勝手に見損なうな。相談一つしてこねーで。どうせ司とあれこれ話してんだろ」
「悪い?」
「当たり前だ。どこまで俺を足蹴にする気だ」
周囲に人がいないことを幸い、久し振りに遠慮なくがなりあった後、大輔は口をへの字に曲げて私の両頬を引っ張った。
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