とうもろこし畑のダイヤモンド

文月 青

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番外編

大輔の夏休み 1

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大学が夏休みに入り、俺は野球部の練習に明け暮れている。最近同じ部の石井から、「女版水野さん」と評されている馬鹿女は、新しく立ち上げた野球サークルを軌道に乗せるため、暑さも何のその学内を走り回っている。

「桂は野球部のアドバイザーでもある。共に活動した方が効率が良い」

水野さんが適当な理由をでっち上げてくれたので、野球部の指導に携わるという形で、異例ではあるが第一グラウンドの隅を使う許可も下り、お互いに欠けている部分を補いながら、良い関係が築けていると思う。

実際元の女子サークルに所属していた四人は、今のところ楽しさとは程遠い馬鹿女の基礎練習に、弱音も吐かずに着いていっている。その姿を目の当たりにして、部員の士気は確実に上がっている。

「次は目指せ九人。そうしたら紅白戦への道も近づく」

練習外でならと水野さんが約束してくれたらしい。目標ができて馬鹿女は更に張り切っている。しかも最近男子メンバーが二人入会した。

「二人とも中学まで軟式やってたんだって」

経験者が増えたお陰で、個々の練習が組みやすくなると嬉しそうだ。うん。俺もよかった。よかったが。

「やっぱりよくねー」

へこむ俺に石井がサークルの練習風景を横目に、面白そうな顔で歩み寄ってくる。

「板倉は本当に文緒ちゃんが大事なんだな」

「いきなり何だよ」

「だってさ、文句吐こうがへそ曲げようが、結局文緒ちゃんのやりたいようにさせてるじゃん。手も出さずに」

最後の部分を強調しているのが、事実だけに憎らしい。

「でも昔馴染みと言っても、五年前にたったの一週間、一緒に野球をしただけなんだろ? それで何故ここまで惚れてるのか不思議だよ」

「いや、実はその前から」

ごにょごにょと小声で洩らす。

本人にはさらっと話しているが、馬鹿女・文緒との出会いは五年前よりも更に遡る。俺が小学二年生のときだ。

「荒木さん家の前に女の子がいるぞ」

住民が全員顔見知りのような狭い村だ。二人暮らしの老夫婦の家に子供がいるとなれば、あっという間に格好の噂になる。俺は同級生に誘われるまま、荒木のじいさんの孫だという、都会から遊びに来ているらしい女の子を覗きにいった。

「もう一球行くぞ」

うちのじいさんの野球友達である荒木のじいさんは、昔は野球部のエースだったと聞いている。そのじいさんとキャッチボールをしていた女の子が文緒だった。

お洒落なワンピースに、腰近くまである真っ直ぐな長い髪。なのに左手にはグローブをはめて、頬っぺたには泥がついていた。

驚いたことに文緒は全くボールを落とさなかった。じいさんは時折速い球を投げていたが、逸らさずに受け止めていた。

「文緒は筋がいいな」

じいさんに褒められる度、文緒は誇らしそうな笑みを浮かべる。そのときの笑顔が目に焼きついて離れなかった。

当時の俺は好きも嫌いもなく、じいさんに言われるまま野球を始めた。上達しなかったせいもあり少しも楽しいと思えず、かといってじいさんをがっかりさせるのも嫌で、辞めることもできずにだらだら続けていた。

だから女の子である文緒が、荒木のじいさんに食らいつくようにキャッチボールをする姿は、鮮烈に記憶に残ったのかもしれない。

ーーいつかこの子とキャッチボールができるようになりたい。

このとき灯った夢を実現させたくて、俺はその後のじいさんとの日々の練習を頑張った。けれど文緒は学年が上がるにつれ、姿を見せることはなくなり、俺の夢は海の藻屑と消えた。

「初めまして、桂文緒です」

それだけに五年前に文緒に会えたときは、本気で天に昇れそうな程嬉しかった。髪はかなり短くなっていたし、身長も体重も男の自分と大差なかったけれど、俺にとっては目標にしていた可愛い女の子に違いなかった。

「お前女なの?」

本当に文緒なのが信じられなくて、確認するつもりで洩らしたのに、

「あんたこそ男なの?」

そう返答されたのはご愛嬌。

「凄く嫌な予感がするんだけど、まさか文緒ちゃんが板倉の初恋の人ってことはないよね?」

恐る恐る石井が訊ねる。

「正解。自覚したのは五年前に再会したときだけど」

「じゃ何? 十年以上も文緒ちゃん一筋?」

「まあ、そうなる」

「嘘だろ。一緒に過ごした時間の方が、圧倒的に少ないのに。他に目が行かなかったわけ?」

そこが自分でも不思議だった。村にいる間は同世代の顔触れがほぼ変わらないし、家族みたいな連中と恋愛なんて想像できなかったから、ぽっと現れた文緒に惹かれたのだろうと思っていた。

なのに村を離れても俺は文緒を忘れることができなかった。子供の頃の夢は叶ったというのに、今度はいつか再会したときにキャッチボールをするという約束のために、高校三年間は硬式野球部の活動にどっぷり浸かっていた。

背が伸びて少しは見栄えがましになったのか、告白してくる女子もたまにいたけれど、好きな人がいるからとその場で断り、どんなふうに成長したのか分からない文緒に想いを馳せた。あいつは俺のことを、俺との拙い約束を憶えているだろうかと。

「で、その結果があれね」

グローブ片手にボールの投げ方、捕球の仕方を丁寧に教えている文緒を一瞥して、石井は不憫そうに大きなため息を一つついた。



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